第73話 イチャイチャ禁止令

翌朝。

異世界生活22日目。


コリウス部隊長の屋敷にある、嫁さんのために用意された部屋で僕は目が覚めた。


本来なら王女の屋敷に泊まらせてもらっていたはずなので、僕は早朝から部屋を抜け出し、改めて玄関から帰ることにしようと考えた。


布団の中では嫁さんと手を握ったままだった。寝ているうちに自然と離れると思っていたのに意外だった。それとも彼女が握りなおしたのだろうか。


嫁さんを起こすのも悪いので、僕はそっと起き上がった。掛けていた薄い布団がずれる。そこで僕はギョッとした。


隣の嫁さんは素っ裸だったのだ。


まさか!まさか、やってしまったのだろうか!?

全く記憶がないが、お酒も飲んでいたので、そのせいだろうか?

”男女の交わり”をしてしまうと力を失う。昨日、そう聞いたばかりなのに!


僕は、慌てて自分の体を確認した。何事もなかったように思える。続いて嫁さんの体を確認しようと思ったが、彼女の裸体を見て、完全に固まってしまった。


久しぶりに見た、嫁さんの瑞々しい裸体が、かわいすぎたのだ。


まずい!まずいまずいまずい!

なんだ、この超絶かわいい生き物は!!

感情を抑えろ。

抑えないと、大変なことになる!


僕が悶々としていると、嫁さんがピクッと動いた。

それだけで僕は湧きあがった情欲をさらに刺激されてしまった。


ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい!!

ただでさえ、大好きだったから結婚した嫁さんなのに、出会った当時よりも若くなるとか、今さらだが反則すぎる!こんな子が朝から同じベッドに裸でいたら、どんなに理性があったって耐えられないだろうが!


と、僕が自分自身と格闘しているところに嫁さんが目を覚ました。


「ふわぁぁ……蓮くん、おはよ」


「お、おはよ」


僕は顔を逸らして挨拶した。そして、彼女に尋ねた。


「……なんで裸なんだよ?」


「いやぁ、久しぶりに二人で寝たせいだか、布団が熱くて汗かいちゃって。途中で服を脱いじゃったんだ」


「そ……そうか……いや、だけど、なにも下着まで脱がなくったって……」


「あ、もしかして焦った?」


「いいから、早く服を着なさい」


「ねぇ、なんで、こっち見ないの?」


「いいんだよ。早く着なさい!」


この反応を見た嫁さんは、僕の背後でニヤリと笑った。

そして、そのまま僕の背中に抱きついてきた。


「蓮くーーん、もしかして、照れてる?ね?私の裸を見て、照れちゃってるのぉーー?」


「ちょっ!待て!くっつくな!」


一瞬、目の前が真っ白になった気がした。

ヤバい。これで僕も服を着ていなかったら、完全に理性が吹っ飛んでいたかもしれない。


「やーーだ」


「いや!ほんとにマジで!頼む!我慢できなくなるから!」


必死の頼みに嫁さんも離れてくれた。


「…………ごめん。蓮くんも我慢してるんだね。私も今ちょっとヤバかった」


そして、嫁さんは素直に服を着はじめた。

僕はポツリと呟く。


「なんかさ……”やるな”と言われると、やりたくなる人間の心理って、何なんだろうね……」


「蓮くん、やりたいの?」


「いや!なんでもない!今のはナシ!」


服を着た嫁さんが今度は手を握ってきた。


「私もすごいショックだったけど、蓮くんが一緒に寝てくれたら、少し落ち着いたよ」


「そうか……」


不思議と僕自身も少し落ち着いてきた。

朝の静寂に小鳥のさえずりだけが聞こえた。

二人だけの時間が穏やかに流れた。

そこで安心した僕は、つい余計なことを偉そうに口走ってしまった。


「……だいたいね、君が泣きそうだったから、僕は一緒に寝たんだからな」


優しく手を握ってくれたはずの嫁さんだったが、これに彼女はムッとした。


「ちょっと、なんでそんなこと言うの?自分のお嫁さんに対して!」


「……え?」


「一緒に寝るのは普通のことでしょ?それなのに同じベッドに寝たのが半年ぶりなんだよ?」


「え、半年?そんなに?」


「あぁぁぁ、やっぱり覚えていないんだ。他のことには計算回るくせに!」


「ごめん。それほどだったとは……」


「蓮くんの仕事が忙しそうで、いつも遅く帰って来て、疲れた顔してたから、私、ずっと遠慮してたんだよ?」


「ああ、年度末の頃は忙しかったからなぁ……あれはキツかった」


「そしたら、蓮くん、早く帰れるようになっても、全然相手にしてくれなくなって」


「え……いや……なんか避けられているような感覚になったから……」


「別に避けてないよ!ちょっとスネてみただけだよ!」


「いや……スネられたら、こっちだってわからないよ。相手してほしいなら、言ってくれよ」


「はぁぁぁ?なんで私から言わなきゃいけないわけ?察してよ!空気読んでよ!」


「空気を読んだ結果、避けられていると思ったんだ。しょうがないだろ」


「全然、読めてないじゃん!!」


「…………」


いつの間にか、お互いにヒートアップしてしまった。

もちろん声は抑えながらの痴話喧嘩である。

そして、さらに僕も言い返してやろうと思ったが、ここで口をつぐんだ。

嫁さんが涙目になっていたからだ。


「ちょっ、泣くことないだろ……」


「泣いてないよぉーー」


否定はするが、どう見ても泣きそうな顔をしている。


「ごめん。こっちに来る前のことだけど、百合ちゃんに寂しい思いをさせてたんだね。本当にごめん」


「だってね……それで半年、我慢してたのに、こっちの世界に来たら、ずっとイチャイチャ禁止って言われたんだよ?私、もうどうしたらいいの……」


ほとんど半泣き状態で落胆する嫁さんを見て僕も悲しくなってきた。もともと、こちらの世界に来る前から仲良くできていれば、ここまで嫁さんを悲しませることもなかったかもしれない。


しかし、今さら後悔しても遅い。彼女と一緒に現状を打破するしか道はないのだ。


「とにかく僕たちの目的は、”地球に帰る”ことだ。早く方法を見つけて、こんな世界、オサラバしよう。それしかない。それまでは、二人で力を合わせて頑張るしかないよ」


「…………うん」


「それか……または……」


僕はここで少し照れながら、第二の提案をした。


「もしも、僕たちの安全が完璧に保証できる状態になったら……まぁ、せっかく体が若くなったんだし……ちょっとくらい……いいかもね」


嫁さんの顔がパッと明るくなると同時に、再びニヤリと笑った。


「蓮くん、今、エロいこと考えたでしょ」


「……うるさい」


「よーーし、頑張ろう!二人の未来のために!」


少しは元気を取り戻した嫁さんを置いて、僕は一度、窓から外に出た。そして、何食わぬ顔で、コリウス部隊長の屋敷の玄関から戻った。


王女とはどんなことがあったのか、そんな無粋なことは誰一人、聞いてこなかった。だが、逆に聞かれないことが少し怖い。いったい、どんな想像をされているのだろうか。それを考えると恐ろしい。


ただ食事をしただけなのだ、ということを伝えたいが、うまいタイミングが見つからなかった。


そして、その日は何事もなく過ぎ去っていった。




翌日。

異世界生活23日目。


朝食をいただいた直後、コリウス部隊長のもとに伝令が来た。


「レン様、ついに国王陛下からのお呼び出しがありました。夕刻前に王宮にいらしてほしい、とのことでございます。おそらく謁見を済まされた後、夜の会食となることでしょう」


「了解しました。妻も同席してよろしいですよね?」


「もちろんでございます。お仲間をお連れになっての謁見です」


ようやくこの時が訪れた。

僕たちは午後まで普通に過ごし、仕度を整え、コリウス部隊長の馬車で夕刻前に宮殿内の王宮へと向かうことになった。


コリウス部隊長は、王都『マガダ』に入ってからは騎士の正装をしていたが、今は再び鎧を身に着けている。そして、馬車には同乗せずに騎馬で護衛してくれた。僕たちを王都に連れてきてくれた騎士たちも再び護衛に来てくれた。


「そういえば、普段から皆さん、鎧を着ているんですか?」


馬車に乗る前、僕はコリウス部隊長に質問した。


「我々も戦時中と遠征中以外は、正装をしています。本日のように国賓をお迎えする時は、鎧姿でお出迎えするのが習わしとなっているのです」


「そうですか。今日はよろしくお願いします」


そうして、馬車に乗って宮殿に入り、さらにその中央にある王宮の前に着いた。

王宮を前にすると嫁さんのテンションが急に上がった。


「うわぁ……砂漠のお城って感じだねぇ……こういうの好き」


「この国の文化は、ヨーロッパというより中東のイメージに近いよな。これはこれで、とてもカッコいいと思う」


そこに、玄関口で出迎えてくれた騎士が近づいてきた。


白銀に輝く鎧を身に纏い、いかにも他の騎士とは格が違う印象を受ける、金髪碧眼のイケメン騎士だった。


「お初にお目にかかります。ワタクシは、”聖騎士”ベイローレルと申します。本日は、勇者様のご尊顔を拝する機会を頂戴し、恐悦至極でございます。これより、勇者様を王宮内にご案内致します栄誉を、ワタクシめが賜りました。ふつつかな者でございますが、どうか、よろしくお願い申し上げます」


まったくもって丁重すぎる挨拶だった。

今の僕と、ほとんど歳は変わらないように見える若々しい騎士なのに、驚くほどキチンとしていた。これまでこの世界で出会った、どの人間よりも礼儀正しい。それでいて、常に微笑を浮かべた表情や、凛とした立ち姿からは、付け入る隙のない風格を感じさせた。


僕は、なにか敗北感のようなものを感じるほど、この青年の振る舞いに一瞬で圧倒された。もしかすると、それは本物の天才を目の当たりにしたことへの衝撃だったのかもしれない。


「いえ、こちらこそよろしくお願いします。ベイローレルさん。僕は、蓮・白金です」


僕が手を差し出すと、聖騎士は握手で応えてくれた。


「そのような敬称は恐縮してしまいます、レン様。どうか、ベイローレルとお呼びください」


そう言いつつ手を握り合うが、その瞬間、本当にわずかな一瞬であるが、彼の終始笑顔でいた表情が、何か驚いたものに変わった。僕はそれには全く気づかなかったが、嫁さんは気づいたようだ。そして、僕は単純に受け答えした。


「いえ、いきなりそんなわけには……ところで、こちらは妻の百合華です」


今にして思えば、このように、いつも僕は嫁さんのことを「妻の百合華」と人に紹介してきた。なのにラクティフローラに対してだけは、なぜ、その手順を踏まなかったのだろうか。会話の流れ的に、そのタイミングを失ってしまった節はあるが、それにしても、もっと注意するべきだった。今さらながら、それが悔やまれる。


さて、嫁さんを彼に紹介した僕だったが、その途端、それまで笑顔を崩さなかった聖騎士が驚いた顔になった。


「百合華です。よろしくね」


微笑を浮かべて嫁さんも挨拶した。

聖騎士は、ハッとして我に返り、慌てて嫁さんに挨拶した。


「こ……これは大変失礼を致しました。まさか勇者様に既に奥方様がいらしたとは……し、しかも、これほどまでにお美しい方を連れて来られるとは、全く心の準備ができておりませんでしたので……」


しっかり者だと思っていた聖騎士が、予想外に動揺しているので、僕は少し面白くなった。褒められた嫁さんも喜んでいる。


「あらやだ。お美しいだなんて。お上手ね。この人、全然そういうこと言ってくれないのよ」


何を言う。昨日の朝、言っただろ。いや、口に出しては言っていなかったか。


「改めまして、”聖騎士”ベイローレルと申します。このワタクシがいる限り、奥方のユリカ様には、何一つ、危険が及ばぬことをお誓い申し上げます」


「ありがと。よろしくね、聖騎士さん」


嫁さんも上機嫌に見える。なんだか、イケメンが嫁さんに近づこうとしているようで、僕としてはイヤな気持ちになった。


「では、勇者レン様、そしてユリカ様。ご案内致しますので、どうぞこちらへ」


そうして、聖騎士ベイローレルは、王宮の中を先導してくれた。

ロビーを通り抜け、広々とした廊下を歩いていく。その途中で彼は話しかけてきた。


「レン様、ガヤ村でのご活躍は大変見事なものでございましたね」


「え!?」


全く予想外の話題に僕は度肝を抜かれた。


「『環聖峰中立地帯』にて、魔族と遭遇したにも関わらず、ハンターが全滅しなかったのは奇跡と言ってもよろしいかと思います。レン様とユリカ様がいらっしゃらなければ、そうはならなかったことでしょう」


「いや、僕たちは……」


「あの”女剣侠”殿にもお味方されたようで、誰にも媚びることがないあの人が感謝するほどの武勇、ワタクシには、到底マネできるものではありません」


いきなりローズのことまで持ち出され、僕はさらに驚愕した。


「な……なぜそこまで……」


「あ、これは”女剣侠”殿が口を割られたのではありません。ワタクシが勝手に推測したことですので、お気になさらず」


いったい、なんだというのだ。


彼の目的は全くわからないが、とにかく一つハッキリしたことがある。僕たち夫婦の存在を、わずかな情報から探り当てたのは、あの頭の固いコリウス部隊長ではなく、この若々しい聖騎士だったのだ。そうとしか考えられない。


完璧な容姿、立ち居振る舞い、聖騎士と称されるだけの実力に、類まれな知性と推理力。

なんということだろう。

これでは、まるで、僕の完全上位互換じゃないか。


僕が、そうして愕然としていると、聖騎士ベイローレルは、さらに奇想天外な行動に出た。


誰も見ていない王宮の廊下。そこで、急に振り返ったベイローレルが、剣を抜き、僕の頭に向かって突き刺してきたのだ。


それは、攻撃の認識すらできないほどの一瞬の出来事だ。僕は何の反応もできない。


だが、いち早く対応した嫁さんが僕の眼前に立ちはだかり、僕への攻撃を全て肩代わりした。


沈黙の時間が流れた。


ベイローレルの剣は、嫁さんの額の直前で制止し、何も傷つけてはいない。


嫁さんは僕の前に立っただけで、腕どころか、表情一つ変えていなかった。一方のベイローレルも微笑を浮かべたままだ。


「なるほど」


彼の呟きに、嫁さんが余裕を持った声で言った。


「聖騎士さん。お戯れは、それくらいにしてくださいな」


ベイローレルは剣を収めると、深々とおじぎをした。


「大変に失礼を致しました。ご無礼の段、平にご容赦ください。実は、ユリカ様の実力が、あまりにも未知数にお見受けしましたので、つい、騎士としての性分で、腕試しをしてしまった次第です。このような粗相をしてしまった以上、皆様には顔向けもできません。罰が必要であれば、いかようにでも、ご処分くださいませ」


本当になんなんだ、この男は。

そして、そんな言い方をされれば、こちらとしては、これ以上、責めようとは思えないのが人情というものだ。まさか、それを狙って言っているのか?


「いや、攻撃の意思が無かったのなら、問題ありませんよ。ただ、あんなことは二度としないでいただきたい」


「もちろんでございます。ご寛大な処置、誠にありがとうございます。本当にご迷惑をお掛け致しました!――ところで、レン様」


「なんですか?」


「ワタクシの実力も見ていただけたことと思います。魔王討伐の際は、是非ともお供をさせていただけないでしょうか。必ずや、お役に立ってみせましょう」


僕は唖然とした。

まさか、それを頼みたいがために、いちいち自分の推理や実力をアピールしてきたのだろうか。ラクティフローラといい、このベイローレルといい、この国は、どうしてこういう面倒臭いタイプの人間が多いのだ。


「か……考えておきましょう」


「ありがとうございます。それでは、まもなく大会議室になります。どうぞこちらへ」


ベイローレルは再び先導して歩き出した。

僕の横では、嫁さんが何やら宝珠を取り出し、僕に渡してきた。


「ん?」


受け取った僕は驚くとともに感心した。

彼女は宝珠に日本語で文字を書き込んでいたのだ。


『彼のこと、気をつけた方がいいよ。さっき握手した時に、蓮くんが弱いこと、たぶん気づいてる。今のも、私じゃなくて、明らかに蓮くんの反応を試してた』


まさか宝珠を使って筆談してくるとは。しかも日本語なら、僕たち以外に誰にも読まれる心配がない。まぁ、彼女の場合、まだこの世界の文字を練習中だったというだけかもしれないが。


『わかったよ。警戒する。百合ちゃんもイケメンだからって油断しないでよ』


僕も宝珠で返事をした。すると、嫁さんが笑いながら筆談を続けた。


『私が今までヤキモキしてた気持ち、理解できた?』


そして、僕も返した。


『うん。ごめん』


それを見て、嫁さんは満足そうに笑った。


「にひひっ」



廊下の先では、聖騎士ベイローレルが大きな扉を前にして立ち止まった。


「こちらが、大会議室でございます。宰相閣下をはじめ、王国の閣僚と騎士団の代表が歓迎致します。どうぞ」


聖騎士は扉を開けた。

そして、それは僕たち夫婦にとって運命の扉となるのだった。

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