第72話 三つ巴の戦い

王女との二人きりの会食に嫁さんが裏技を使って乱入してきた。


実際は、最初から気配を絶ちきって、透明人間のようにそばにいたのだが、今、ハッキリと姿を現して、正面から堂々と乗り込んで来たのだ。


「どうぞ、ユリカ様とおっしゃいましたね。こちらにいらしてください。ちょうど今、レン様との食事が終わって、これからお茶とデザートに移るところでしたのよ」


そう言って、テーブルに招くラクティフローラは、顔が青ざめているように見える。どうもショックを受けているようだ。


僕は王女に”連れがいる”と言った。ゆえに嫁さんを連れていると告げたつもりなのだが、もしかすると、あまりかわいい嫁さんだったものだから、驚いているのだろうか。


だが、それは僕の勘違いであった。王女の動揺は、それだけではないのだが、もちろん、彼女の心の内を僕が知るはずもない。むしろ、ここまで読んでくださった読者の皆様の方が、僕よりも詳しいことだろう。


そこで、今回はいつもと趣向を変え、王女と嫁さんの心の声がわかる形で、述べさせていただきたい。重ねて申し上げるが、僕自身は彼女たちの心を読み取ることが全くできない。皆様だけが知りうる事実なのだ。


さて、平静を装いながら嫁さんを招く王女は、心の内では違うことを考えていた。


(お”連れ”の方は剣士とだけ聞いていたけど、やっぱり女剣士じゃない!どうして?レン様も歴代の勇者様と同じように女剣士が好きなの?だいたい、ユリカなんて名前、珍しすぎて、女性だって、わかりっこないじゃないのよ!知ってたら呼ばなかったわ!)


そして、正々堂々と客人として入り込んだ嫁さんは、少し緊張気味に、しかしルンルンした様子でテーブルまで来て、椅子に腰掛けた。


(やった!やった!作戦大成功!これで堂々と、お嫁さんアピールができるわね!”連れがいる”って、蓮くんが言ったのに全く引かないんだもん。この王女様!これは、仲がいいところを見せつけてあげなくちゃ、諦めてくれないわね!)


「蓮くん、はい、忘れ物」


そう言って、差し出したのは宝珠だった。


「え?……あっ!!」


なんと、僕が左腕につけていた『宝珠システム』ブレスレットのうち、一つの宝珠が無くなっていた。その宝珠だ。


いつの間にか、嫁さんは僕の左腕から取り去っていたのだ。いくら気配を完全に消していたとはいえ、なんという早業だろう。僕はこの瞬間まで、宝珠が一つ無くなった事実にさえ気づかなかった。


本当に恐ろしい嫁さんだ。システムの完成で僕も少しは強くなったつもりでいたが、強さの土台が違いすぎて、全く足元にも及ばない。


「まったくもう、ドジなんだからぁ」


僕のドジは関係ないはずだが、嫁さんのこの言葉の裏には、こんな思いがある。


(この王女様には、少しくらいカッコ悪い印象を持たせた方がいいんだよ。蓮くん)


また、僕と嫁さんの様子を見て、王女は愕然としていた。


(なんなの……この二人!とっても仲が良さそうな感じじゃない!ただのお仲間じゃないの!?どういうご関係なの!?)


フリージアさんがすぐに3人分のお茶を出してくれた。

僕は、嫁さんまでが同席してしまったことに恐縮して、感謝の思いを伝えた。


「ラクティ、彼女にまでご馳走してもらって、本当に申し訳ないね」


「いえいえ、レン様のお連れの方ですもの。丁重にお迎えしなければ、末代までの恥になりますわ」


「ふーーん、私が知らないうちに、ずいぶん仲良くなったんだね」


と、嫁さんが軽いジャブを飛ばしてきた。僕がタメ口なのを気にしたのだろう。


これはいったいなんだ?まるで浮気現場を嫁さんに押さえられたかのような、気まずさだ。いや、そんな経験はないのだから、本当にこの程度の気まずさで済むのかは不明だが。


すると、その様子を見ていた王女は、引きつったような笑みを浮かべて声高に言った。


「あら、イヤですわ。ユリカ様ったら、勇者たるレン様にそのようなお口をきかれるのですね。しかも、レン様に対して先程はドジだなんて。わたくしのイトコにも一人、とんでもないドジっ子がおりますが、あんな子とレン様とでは、天地雲泥の差がありますわ」


はて。ドジっ子のイトコというのは、シャクヤのことだろうか。その可能性はかなり高そうだが、今はそこに注意を向ける気には全くなれなかった。嫁さんが負けじと声色を高くして言い返したからだ。


「あーーら、そうかしらねぇ。蓮くんなんて、私服のセンスがダサすぎて、私がいないと目も当てられないほど痛々しい格好になるんだから。ねぇ?」


と、僕に振ってくる嫁さん。

いや、何しにきたんだよ君は。

わざわざここに来て僕の悪口を言うのが目的じゃないだろうが。


「あ、あぁ……それにしても、この紅茶もおいしいなぁ!とても味わい深くて、香りもいい!」


針のむしろ状態に居たたまれなくなった僕は、わざとらしく話を逸らしてみた。


「はい。こちらも特別に取り寄せました最高級の茶葉を使用しておりますの。お気に召していただけて嬉しいですわ」


僕にお茶を褒められて、王女は再び柔和な笑みに戻った。


「ほら、百合ちゃんも黙っていただきなよ」


「あ、ほんとだ。おいっしいっ!」


お茶のおいしさに気づいた嫁さんは、黙ってそのまま飲みはじめた。

まったく単純な子だ。これで、少しは静かになるかもしれない。


「ところで、ユリカ様がお持ちになった、その宝珠はいったい何なのでしょう?宝珠一つで急を要するとは、それほど重要な物なのですか?」


いい感じに王女が話題を変えてくれた。

むしろ事の成り行きを考えれば、当然の質問だ。

そして、僕は完成したシステムについて尋ねられたので、つい嬉しくなった。


「これはね、僕が作った『宝珠システム』なんだ」


「宝珠……しすてむ?」


「簡単に言うと、新しい魔法を作り出すシステムなんだ」


「えっ!!魔法を……作り出す!?」


「うん。さっきもラクティを……」


と、言いかけたところで気づいた。

宝珠を忘れてきたことになってしまったので、さっき『宝珠システム』でラクティフローラを助けてあげたことと矛盾してしまう。


「わたくしを……?」


「ああ、いや、とにかくちょっと実演してみせようか」


僕は『宝珠システム』を起動して、部屋の中の熱を外に逃がす、冷房効果の魔法を発動させた。サロンの空気が涼しくなった。


「え……なんですの、これは?部屋が涼しくなるなんて……」


「こうやって、必要に応じて、新しい魔法を生成するんだ。魔法理論に基づいてのものだから、なんでも作れるわけじゃないけどね」


「な……な……なっ…………」


驚く王女に僕は少し得意になっていた。彼女もまたシャクヤと同じような反応をしてくれる。しかし、そう期待していると、ラクティフローラから出てきた言葉は予想外のものだった。


「なんと畏れ多いことでしょう!!」


「……え?」


王女は、言い終わってから、ハッとして僕に謝った。


「申し訳ありません。驚きのあまり、つい口走ってしまいました」


「畏れ多い、っていうのは?」


「あ、いえ、思えば、異世界からいらした勇者様には関係のないことでした。わたくしどもの常識では、魔法の研究開発は、精霊を奉る神殿にて行われるもの。それ以外の場所で行うのは禁忌とされておりますので」


「あっ……!」


そういえば、シャクヤからも、そんなことを言われたことがあった。僕からすると、迷信めいた言葉という印象だったので、あまり気に留めていなかったのだ。


「シャクヤちゃんが言ってたじゃない。そこは私も聞いてたよ」


と、嫁さんが横から入ってきた。だが、シャクヤの名前を出すのはまずい。すぐに嫁さんも気づいて声を上げた。


「……あっ」


僕と嫁さんは、王女の反応を恐る恐る窺った。

ところが、特にシャクヤの名前には関心を示さなかった。


(シャクヤって誰のことかしら?まぁ、どうでもいいわ。それよりこの二人の関係の方が私には一大事だもの。そして、レン様のお力は、過去の勇者様と比べても異質なことは間違いないわ。私は、なんて素晴らしいお方を召喚したのかしら!)


そして、僕に忠告してくれた。


「レン様のお力は、大変に素晴らしいものです。しかしながら、この国の他の者には、あまりお話しになられない方がよろしいかと思います。勇者様が異世界からいらしたという事実は、ごく一部の者しか知らないことですので、禁忌を犯した者として罰せられてしまうかもしれません」


「えっ……そうなのか!」


「いかに勇者様といえど、わたくしもどこまで庇いきれるかわかりませんので、どうか、そのシステムのことはご内密に願います」


なんということだろう。知られたら逮捕されるというのか。異世界に来て、ようやく自分だけの能力を持ったというのに、それを秘密にしておかなければならないとは。本当にひどい世界だ。


「まぁ、蓮くんのそれはチートすぎるもんねぇーー」


笑いながら言う嫁さんを見て、王女の表情はまた曇った。


(やっぱりこの女剣士様は、レン様に馴れ馴れしいわ。どういうご関係なのか、ハッキリ聞き出さなくては!でも、どうしよう?どんなふうに聞けばいいのかしら?あまりストレートに聞くのも、気恥ずかしいし……)


ここで、フリージアさんがデザートを運んできた。様々なフルーツがトッピングされたヨーグルトだった。それをおいしくいただきながら、王女はこちらをジッと見つめていた。


「あ、あの……レン様は……その……」


「うん?なんだい?」


「ユリカ様のことを……ど……どうお考えなのでしょうか?」


「え……?」


僕は思いがけない質問に戸惑った。


どう回答すればいいのだろうか。これが結婚前だったら「好きだ」と言ったかもしれない。しかし、既に5年も連れ添った嫁さんなのだ。今さらそんなことを面と向かって、しかも他人からの質問で言うのは、かなり照れくさい。


そこで僕は正直な気持ちを当たり障りない表現で答えた。


「そうだね。大事なパートナーだよ」


この回答で、王女と嫁さんの二人はパッと明るい表情になった。

不思議なことに、同じ言葉なのだが、全く異なる解釈で二人の女性は心を軽くしたのだった。


(そうなのね!レン様とユリカ様は、ただのパートナーなのね!よかった!深い仲には、まだなっていないのよ、きっと!)


(やだもう。蓮くんってば、大事なパートナーだなんて!嬉しい言い方してくれるじゃないの!)


そして、今まで僕にチクチク指すようなことしか言わなかった嫁さんが、気を良くして、王女にも話しかけた。


「そうだ!ところで、ラクティちゃん」


「……ラ!ラクティちゃん!?」


僕の場合、愛称で呼ぶまでに相当、躊躇するものがあったというのに、いきなり全ての段階を飛び越えて、”ちゃん”付けで呼びかける嫁さん。隣で見ていて、なんだか冷や汗が出てくる。


「あのね、ずっと聞きたかったことがあるの」


「な……なんでございますか?」


(なんて馴れ馴れしい口のききかたをしてくるのかしら?レン様とは、えらい違いだわ!だけど、あんまり堂々と言われるものだから、受け入れてしまう自分がいる。まるでお母様と話しているような不思議な感覚!なんなの、この人!?)


「私たちがここに来るまでの間、騎士団の人たちが案内してくれたんだけど、どうして宿に泊まる時、別々の部屋にしたのかな?」


「え……?それは、女性の仲間がいらっしゃる場合は、必ず別の部屋にするように申し付けておいたことでしょうか?」


「そう。それ」


(な、なぜそれを気になさるの?気になさるということは、やっぱりそういうご関係なの?ううん。でも、そんなはずはない。だって、勇者様には、あの制約があるんですもの)


「それにはハッキリとした理由がございますわ。この世界に召喚された勇者様は、”男女の交わり”を固く禁じられているのです」


「「…………え?」」


全く想定していなかった答えに、夫婦ともに言葉の意味を飲み込むのに時間が掛かり、そして声をそろえた。さらに嫁さんが立て続けに聞く。


「ど……!どういうこと?なんで禁じられているの?誰に?どんなふうに?」


「男女で交わる行為をしてしまった勇者様は、その力を失ってしまいます。『勇者召喚の儀』は、そういう術式になっているのです」


「「えっ!!」」


再び夫婦で同時に声を発した。

これには、僕も驚愕した。なんなんだ、その意味のわからないルールは。


「ち……力を失う?」


震え声で聞き返す嫁さん。

王女はさらに顔を赤らめながら言葉を継いだ。


「はい。で、ですから……その……旅の道中で勇者様の身に間違いがあってはならないと思い、部隊長さん達にそのように厳命しておいたのです」


僕たち二人は愕然とした。

この世界に来たお陰で、せっかくお互いの仲が深まったと思ったのに、今度は、絶対にイチャイチャ行為をしてはいけないと言われてしまった。すれば、この嫁さんもレベル150の無敵の力を失ってしまうのだ。


なんということだ。完全無欠と思われた嫁さんだが、全く予想外の形で付け入る隙があったのだ。この世界に来て以来、最もショッキングな情報かもしれない。


「な……なんでそんなルールがあるんだ?」


なんとか動揺を隠しながら質問する僕。

ラクティフローラはやはり恥ずかしそうに答えてくれた。


「それには、いくつかの伝承があるのですが、なんでも、この世界に初めて召喚された勇者様は、それはそれは、おモテになられたようで、ある国に一大ハーレムを作り上げたと言われているのです。そして、さすがに業を煮やした召喚者たちは、次の『勇者召喚の儀』から、そのような術式を組み込んだと伝えられております。それが今でも受け継がれているのです」


なんということだろうか。

つまり、異世界ハーレムというヤツか。そんな欲望まみれのバカ勇者が過去に存在したために、今、僕と嫁さんは、理不尽な”おあずけ”状態を受け入れなければならないというのか。もしも今、そいつに会えるのだとしたら、思いっきり、ぶん殴ってやりたい気持ちだ。


「「…………」」


僕と嫁さんは顔を動かさないまま、お互いに視線だけを合わせて硬直した。

自分の顔が今、どうなっているのかはわからないが、嫁さんの表情は絶望に満ちている。無理もない。ずっと僕とイチャイチャできることを楽しみにしていたのだから。もちろんそれは僕も同じだ。


よくよく考えてみれば、これまでの旅路では、必ずいろいろな邪魔が入ったため、僕たち夫婦は何もせずに来た。今にして思えば、それは幸運だったのだ。


一人で召喚された勇者なら、余程のプレイボーイでない限り、そう簡単に男女の交わりにまで及ぶことはないだろう(と、草食系の僕は考える)。しかし、僕たちは夫婦で召喚されたため、いつでも隙あらばイチャイチャしようと思っていたのだ。


もしも、どこかで二人の気分が盛り上がってしまっていたら、今頃、嫁さんは、ただのちょっと残念な主婦に戻っていたのだ。


考えただけでゾッとする。そんなことでこの世界を生き残っていけるだろうか。いや、絶対に無理だ。


「チュ!チューは!?」


動揺する嫁さんが絶叫するように質問した。

その言葉にラクティフローラは唖然とする。


「はい……?チュー?」


「そうよ!チューは大丈夫なの!?私たち、この世界に来てから、まだチューもしていないのよ!どうなの!?」


「チュ、チューとは、せ……接吻のことでしょうか……?」


「難しい言い方しなくてもいいわよ!つまり、キスは大丈夫なの!?」


嫁さんから、まくし立てられるように質問され、どんどん顔が赤くなっていくラクティフローラ。最後は耳まで真っ赤にして、吠えるように答えた。


「そ……!そんなこと言われたって!わたくしだって知りません!!だ!男女の交わりは!!交わりなのです!!!」


あまりに可哀想なので、僕は嫁さんを落ち着かせた。


「百合ちゃん、百合ちゃん、一回落ち着こう。ラクティも困ってるじゃないか。彼女が悪いわけじゃないんだから」


我に返った嫁さんは、恥ずかしそうに顔を赤くした。


「ご……ごめん。ラクティちゃん……あんまりショックな内容だったから、ついリキんじゃった……」


「いえ…………」


二人とも黙り込んでしまった。

よく見ると、王女は顔を真っ赤にしたまま、目に涙を浮かべている。


それはそうだ。一国の王女だけに、まだ男というものを知らないのだろう。初心な女の子に大人の情事をグイグイ質問してしまったのだ。それは泣きたくもなる。さすがに嫁さんよ、今のは可哀想だったと思うよ?


それにしても、この件について、王女にはこれ以上の質問はできそうにない。僕としても、”男女の交わり”がどこまでのことを意味するのか、具体的に聞きたかったが、何も知らない王女にそれを聞くのはあまりにも酷すぎるし、現代社会ならセクハラではないか。


ところが、王女の心の内は、もっと違うことに燃えていた。


(やっぱり!こんなことでムキになるなんて、この女剣士はレン様のことが好きなんだわ!レン様の前であんな恥ずかしい質問をしてくるなんて、最低すぎる!絶対に許さないわ!!)


そして、王女はキッと嫁さんを睨みつけた。


(それにしても、見れば見るほど、なんてかわいい人なの!?フードからチラリと見える真っ黒い髪なんて、この国では珍しいし、とても美しいわ!レン様とおそろいの黒髪なんて!……ってあれ?おそろい?)


王女は、急に落ち着いた声になって、嫁さんに質問した。


「あの……そういえば、ユリカ様のファミリーネームをお聞きしていませんでしたね?」


「あ、ごめんなさい。私は百合華・白金よ」


「シロガネ……」


(同じ髪の色。同じファミリーネーム。もしかして、この二人は、ごきょうだい?そうか!ごきょうだい、という場合もあるのだわ!きっとそうよ!)


何があったのかは知らないが、次第に王女の表情が明るくなってきた。


それにしても、なぜ今さらファミリーネームを嫁さんに聞いたのか、と不思議に思う。夫婦だと説明したはずなのだが、ここでは、夫婦で別姓ということもあるのだろうか。例えば、中国では、結婚しても姓が変わらないように。


と、ここで再びフリージアさんがお茶と追加のお茶菓子を持ってきた。


「失礼致します。ご歓談が弾んでおられるようでしたので、お茶のおかわりを持ち致しました」


「さすが、フリージア、気が利くわね。ありがとう」


僕は、かなりお腹がいっぱいだったため、出されたお茶菓子のうち、甘そうなものは優先して嫁さんに渡した。


「百合ちゃん、これ好きでしょ」


「うん」


3人にお茶のおかわりが注がれ、口にする頃には、王女の表情は元の和らいだものに戻っていた。


(そうよ!そうに違いないわ!この二人は、ごきょうだいなのよ!今のやりとりなんて、ずっと長い間、一緒に暮らしてきたみたいに自然だった。どうして私、気づかなかったのかしら!ごきょうだいなら、挨拶で接吻くらいしたかもしれないし、つまり、私には、何も問題なかったのよ!!)


お茶を飲んで心が落ち着いたのか、王女の顔は晴れ晴れとしたものに変わった。


(あれ……でもおかしいわ。『勇者召喚の儀』で呼び出されるのは一人のはず。二人を同時に呼んでしまったというの?確かにあの時、イレギュラーが起こったことは事実。これもその影響なのかしら?)


相変わらず僕と嫁さんを交互に見続けているが、その表情はとても柔らかい。

僕は話を進めるチャンスだと感じた。


「そうだ。ラクティ。前の話に戻るけど、『勇者召喚の儀』について調べさせてもらえる件、いつになるかな?」


「え……あ……それでしたら、なるべく早く手配致しますわ。神殿の神官長殿とも話をつけなければなりませんので、しばらくお待ちいただけますでしょうか」


「そうか。ありがとう。実は僕にとっては、それが一番の目的なんだ。楽しみに待っているよ」


「は、はい……あの、レン様、調べられて、どうされるのでしょうか?」


「帰る方法を探すんだ」


「……えっ!!」


驚いた王女は一瞬、硬直した。

僕は、この時、もっと女性の気持ちというものに敏感であるべきだった。


「……ん?ラクティ?」


「か……帰るとは……どちらにでしょうか?」


「元の世界にだよ」


「そっ!そんな!!」


王女は、叫んだまま動かなくなってしまった。


(……な、なんてこと!勇者様の目的が”帰る”だったなんて!私は今まで考えてこなかった!そうよ!勇者様にしてみれば、こちらの世界に勝手に呼び出されたんだもの!帰りたくなるのも当然よね!どうする?どうする私!)


そして、ようやく口を開いた。


「こ……こちらに留まられる、おつもりはないのですか?」


「うん。元の世界に帰ることが、僕たちの第一の目的なんだ。もちろん、そのために魔王を倒す必要があるのなら、いくらでも手伝うよ」


すると、王女は動揺したような目つきで、じっとこちらを見つめてきた。


(いけないわ!このままでは、勇者様は元の世界に帰られてしまう!!この方に思い留まっていただくためには、今ここで私の想いを伝えるべきじゃないかしら!!ずっと一緒にいてくださいって!!!)


「……ラクティ?」


「レ、レン様……わたくしは、レン様にこちらの世界に留まっていただきたいです」


小さな声でそう言った王女に、嫁さんが答えた。


「ありがとね。ラクティちゃん。でも、私たちにも私たちの生活があるから、やっぱり帰らないといけないのよ」


ちなみに嫁さんは先程の話のショックが続いているようで、お茶菓子に全く手を付けていなかった。その声にもあまり力がこもっていない。


(な、なんでユリカ様が答えるの!?そして、この人も帰るって言った!やっぱり私は、ごきょうだいを召喚してしまったんだわ!)


「で、ですがその……わ……わたくしは…………わたくしは………………」


王女は、初対面の時と同じように口ごもってしまい、何を言っているのか、聞き取れなくなってしまった。


(がんばれ!がんばるのよ!私!今、言わなかったら、次にいつ、こんな機会が訪れるか、わからないんだから!隣にユリカ様がいるのが気になるけど、ごきょうだいなら問題ないわ!行け!勇気を出して、告白するのよ!「お慕い申し上げております」って!!)


何か、もじもじしている王女を見て、僕は再び緊張を和らげないといけないと思い、優しく語りかけた。


「ラクティは、僕たちのことを気に掛けてくれてるんだね。本当にありがとう。僕も君には、聞きたいことが山ほどあるんだ。僕たちが帰れるようになるまで、ずっと仲良くしてくれたら嬉しいな」


その瞬間、王女が大きく目を見開き、一瞬、輝いたように見えた。


(好き!大好き!!言うわ!絶対に言うわ!!今ここで!!!)


だが、僕の方は、話しはじめたついでに、そのまま普通のノリで、今まで溜め込んでいた疑問を口に出していた。


「そもそもなぜ、召喚された僕たちが、ラクティのいない場所に出現したのか。なぜ、百合ちゃんだけが強くて、僕は弱いままなのか。そして、なぜ僕たち”夫婦”が二人そろって召喚されたのか」


「…………え?」


わずかに前のめりになり、口を開きかけていたラクティフローラが、まるで石化したように硬直した。


(……あれ?今、レン様は、なんておっしゃったかしら?)


そして、激しく動揺した口ぶりで聞いてきた。


「……レ……レン様?今、お、お二人が…………な……なんと?」


「うん。どうして、僕たち”夫婦”が二人そろって召喚されたのか、それが、そもそもの疑問なんだ」


「ふっ!!夫婦!!?」


突然、王女が勢いよく立ち上がり、そのまま固まってしまった。今度の彼女の表情は、どこか見覚えのある、そして恐ろしい形相をしていた。


「……夫婦とは……どこの……どなたのことでしょうか……」


王女の声が震えている。

おかしい。どうして、今さらそんなことを聞いてくるのだろうか。僕は”連れがいる”と言っておいた。それが隣の嫁さんだ。だが、夫婦であると認識されていなかったのだろうか。


そして、そこまで考えると、王女の表情の意味がよくわかった。嫁さんが僕に嫉妬した時によくやる、あの、目が死んでいる状態だったのだ。僕は大変な過ちを犯していることに気がついた。


「あっ……ごめん。もしかして、言い方が曖昧だったかな……僕には”連れ”がいる。一生連れ添う、嫁さんだ」


「よ!よっめっ!?」


「それが、ここにいる百合華なんだ。僕たちは、”夫婦”なんだよ」


「ふっ……!ふっ……!ふぅっ!不可能です!勇者様は、”男女の交わり”を禁じられているのですから!!」


「それを聞いて僕もビックリしたよ。でも、僕たちはこっちの世界に来る前から”夫婦”なんだ」


「前から!?いっ!いつから!……いつからそのようなっ!ご関係に!?」


「結婚して、もう5年になるんだ」


「ご……!ご…………ごごごごごごご、ごねっ…………!!!!!」


ラクティフローラは僕と嫁さんを交互に見ながら、目を回したようにグラグラしていた。そして、最後は言葉を言い終わる前に、白目をむいて意識を失ってしまった。


僕と王女の間に座っていた嫁さんは、それに素早く反応し、体が傾いた瞬間に受け止めた。


「だ、大丈夫?ラクティちゃん!?」


「まぁ!ラクティフローラ様、いかがされましたか?」


異変に気づいたフリージアさんが、すぐに駆けつけた。


「すみません。僕たちと会話をしているうちに興奮されて、気を失ってしまいました」


僕はフリージアさんに謝罪した。


「いえ、我が主が醜態をさらしてしまい、申し訳ありません」


「ちょうど、僕たちが夫婦であることを説明したところで、意識をなくしてしまいまして……」


「え……!」


今度はフリージアさんも驚愕の表情を浮かべた。


「ご……ご夫婦でいらっしゃるのですか?」


「はい。こちらは僕の妻、百合華です」


しばらく何かを考え込んでいたフリージアさんは、やがて王女を抱きかかえ、何かを決意したように立ち上がった。


「本日は、主がこのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした。ところで、お泊りいただく件につきましては――」


と、フリージアさんが言いかけたので、僕は途中で遮った。


「ええ。この状態では、泊まるわけに参りません。今日は二人とも引き揚げさせていただきます。王女殿下には、また後日、お見舞いできましたら、とお伝えください」


「は……はい。その旨、伝えさせていただきます。本当に申し訳ありませんでした」


そう告げるフリージアさんの顔は、妙に悲痛な表情をしていた。


僕と嫁さんは、二人で屋敷を出た。

嫁さんもいろいろとショックだったようで、寂しそうな顔をしている。馬車もない状態だが、とりあえずは宮殿の敷地から出るしかない。


「蓮くん、私が連れてってあげるよ」


そう言って、嫁さんは僕を抱き上げた。


「うわっ、ちょっと!」


いつかはこんな日が来るのではないかと思っていたが、ついに来てしまった。僕は嫁さんに”お姫様抱っこ”をされ、ものすごい勢いで宮殿の外に運ばれた。そして、気がつけば、コリウス部隊長の屋敷にまで着いていた。嫁さんは僕をすぐに降ろした。


「はや…………よく道に迷わず来れたね」


「うん。蓮くん特製の、私のマナを探知する宝珠。またこれを使ったんだ」


「それは、そういう目的で作ったんじゃないんだけどね……役立っているなら、まぁ、いいか……」


さらに僕は嫁さんに告げた。


「百合ちゃん、僕はどこかの宿を探すよ。せっかく招かれたのに僕が王女の屋敷から戻ってきたら、それはそれで王女の外聞にも関わるかもしれない。百合ちゃんは自分の部屋でおやすみ」


そのまま僕が立ち去ろうとすると、嫁さんは僕の手を握って止めた。


「蓮くん、こっそり私の部屋に入れば、問題ないよ」


「え?」


「今日は一緒に寝よ?」


とても悲しそうな表情で訴えてくる嫁さんに僕はドキッとした。


「いや……でも、さっき聞いたでしょ?僕たちは、この世界ではイチャイチャできないんだって」


「でも……!でも寝るだけならいいでしょ?」


半分涙目で訴える嫁さんを見て、今夜の彼女は放っておけない気がした。先程、ラクティフローラに気を失う程のショックを与えてしまった僕は、これ以上、女性を悲しませてはいけないという気持ちになった。


「わかったよ。寝るだけね」


「うん」


僕は『宝珠システム』を発動して、空気の壁で階段を作り、自分の足で2階にある嫁さんの部屋に入った。


僕と嫁さんは、コリウス邸の人々には一切気づかれることなく、そのままベッドに入り、二人で就寝した。貴族の屋敷の大きなベッドは、二人で寝ても全く苦にならない広さだった。僕たちは布団の中で手を繋いだ。


「今日のこと、ラクティちゃんにまた会って、ちゃんと謝りたいな。私たち、あの子のことを傷つけちゃったね」


「うん。まずは僕が謝るよ。全ては僕の失態だ」


「じゃあ、その次に私が謝る」


「うん……」


そうしているうちに長旅の疲れで、二人はグッスリと寝入った。

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