第67話 宝珠システム
「え、『CPU』が出来たら、コンピューターが出来たってことじゃないの?」
ぬか喜びした嫁さんが、ガッカリして僕に聞いてきた。
「前にも言ったでしょ。『CPU』はコンピューターの根幹の部分であって、それだけでは何もできないんだ」
「そうなんだ……『CPU』って頭がいいってイメージしかない」
「いや、『CPU』は頭良くないよ?」
「え、そうなの?」
「『CPU』を頭脳と表現する人が多いけど、それは正確じゃないと僕は思ってる。『CPU』は、単純な計算を超高速で繰り返すことができる、ちょっぴり高度なだけの、ただの計算機なんだ。その真価は、驚異的な演算速度であって、頭の良さではないんだ」
「へぇーー」
「つまり、『CPU』は単純計算をバカみたいに超・超・超高速で繰り返すだけ。そこに意味のある計算をさせるためには、プログラムが必要なんだ」
「そうなんだぁーー。蓮くんがいつもやってるお仕事だね」
「ところが!ここで言うプログラムというのは、僕が仕事でやっているアプリケーション開発とは全く異なるものなんだ。なぜなら、『CPU』に仕事をさせるプログラムとは、『OS』のことだからだ」
「お、おーえす!?ういんどおずとか、あんどろいどとかの?」
「うん」
「時々、自動アップデートが来る、ウザいあれ?」
「OSのアップデートは大事なヤツだから、ウザがらないであげて」
「あんなの作るって言ったら、それこそ大変なんじゃない?」
「大変だよ。ただ、百合ちゃんが想像しているのは、アイコンが並んでいて、誰にでも見やすくなっている『OS』だと思うんだけど、僕がまず作ろうとしているのは、『OS』の基礎部分、『カーネル』なんだ」
「え?何?……フライドチキンでも作るの?」
「言うと思ったよ……『カーネル』は、簡単に言うと『OS』の卵さ。たぶん皆が『OS』に求めるものって、”使いやすさ”だと思うんだけど、それ以前に、『CPU』に意味のある仕事をさせる、という機能的な役割が最も重要なんだ。それが『カーネル』と呼ばれているんだ」
「ふーーん」
「早い話、”わかりやすい”とか”使いやすい”というのは全部捨てて、今は、僕さえ使えればいい簡易型の『OS』を開発しようとしているんだ。そして、幸いなことに、僕は大学の卒業研究で、『カーネル』を研究テーマにした実績があるんだ」
「え……」
「あの経験がなかったら、ただのシステムエンジニアに『カーネル』なんて作れない」
「はぁ……」
横で聞く気が失せてしまっている嫁さんをよそに、僕はブツブツと呟きながら考えをまとめた。
ちなみにブツブツ発言なので、読み飛ばしていただいて構わない内容である。
「……てことで、『CPU』には、演算装置と制御装置によるコアを作り、さらにプログラムを受け取って処理するためのレジスタを搭載して、フェッチ、デコード、実行ができるよう実現できた。『CPU』に命令を与えるプログラム言語も作った。低水準言語のアセンブリだ。次に『カーネル』を開発するためには、アセンブリ言語でシステムコール呼び出しを実装しないといけない。それが出来たら、今度は高水準言語を作る必要がある。これはC言語でいい。フリースタンディング環境のC言語が完成したところで、本格的なプログラミングに入ることができる……これは先が長いぞ……」
「あぁ……これもう、蓮くんの世界に入ってるヤツだ……」
呆れる嫁さんに僕は最後の説明をした。
「……とにかくね、プログラムを作るためのプログラミング言語から開発しないといけない現状だから、めちゃくちゃ大変なんだよ」
「うん。わかった(わかってない)。がんばって」
「うんっ!」
これが馬車の旅の3日目のことであったろうか。そこから先は、さらに宝珠の研究開発に没入した。
こうなると僕の悪いクセが出てくる。作りたいものが目の前にあると、食事も寝ることも忘れてしまうのだ。
途中の町に着けば、嫁さんに呼ばれて降ろされ食事を取り、宿に着けば、また嫁さんの介助で部屋まで連れて行かれる。部屋ではベッドで寝転がりながら宝珠研究に集中していたが、いつ寝たのかも覚えていない。そして、嫁さんの声とドアノックで朝になったことに気づいた。
それ以外の出来事はほとんど記憶にない。後から聞いた話では、コリウス部隊長が心配そうに嫁さんに聞いたそうである。
「レン様は、どうなさったのでしょうか。ずっと、うわの空といったご様子ですが……」
「ああ、心配しないで、コリウスさん。ちょっと集中して頑張りすぎちゃってるだけなの」
「そうですか……ユリカ様は逆にご機嫌なようですが?」
「え、そう?この人、こうなると、私がいないと何にもできなくなっちゃうから」
「……ははは。仲のよろしいことで」
コリウス部隊長は苦笑いしていたらしい。
やがて、馬車の旅は5日目となった。
その夕暮れ時に僕は叫び声を上げた。
「よしっ!!出来た!!!」
「……ぅわっ、ビックリしたぁ……」
「あ、ごめん……」
「出来たの?」
「うん」
「すごいね。こんなに早く出来るものなんだ」
「宝珠はすごいよ。イメージしたことがそのまま書き込めるから、あっという間に記述できるんだ。考えてみて。頭に思い浮かんだことがタイピング無しでどんどん打ち込めたら、ものすごい作業効率になると思わない?」
「そだね。バトル中のチャットが捗りそう」
「はぁぁぁぁ…………なんという達成感だ…………」
僕は、しばらくの間、茫然とアホみたいな顔で天井を見上げていた。
こうして頭脳労働を続けてきた後、全ての仕事が完了して充実感に満たされた状態で、何も考えずにボケっとするのは至福の時間だ。
「……ね、ちょっと蓮くん、私には?何か無いの?」
「…………え?」
「いっぱい手伝ってあげたんだから、何かあるんじゃないの?」
「あ……あぁ……そうだね。ありがとう……で、何してもらったっけ?」
「いろいろしてあげたでしょ!蓮くん、ご飯も食べないから、私が”あーーん”してあげたんだよ!」
「えっ!………………あっ、そういえば!」
今さらながらに僕は、ここ数日の自分の様子を客観的に思い出した。移動時は常に嫁さんに手を取られ、まるで何もわからない子どものような振る舞いをしていた気がする。
「騎士の人たちも、さすがに冷たい目で見てたよ」
「な、なんてことだ!人前であんな……!」
「ふふふっ、蓮くんが公衆の面前で、あんなこと許すなんて、珍しいよねぇーー」
「……なぜだ……なぜだ……そうか、百合ちゃんの体の心配も無かったし、久しぶりに心からリラックスできる旅ができて、家にいるような安心感を持ってしまったのか……一生の不覚だ……」
「お嫁さんに”あーーん”してもらって、一生の不覚とか言わないでよ」
「それにこの宝珠はヤバい。一度作業に、のめり込むと時間の感覚を失ってしまう……次からは気をつけよう」
「私がいる時なら、のめり込んでも構わないよ?」
「やだよ。もう恥はかきたくない」
「でも、そのお陰で出来たんでしょ?」
「うん。出来た」
「見せて」
「それが、まだ人に見せられる形になってないんだ。僕だけが使えるコマンド形式の『OS』しか乗せていないから」
「そうなの?」
「正確には、見せてもわからない、って言った方がいいかな。こんな感じ」
僕は完成した宝珠を発動させた。
目の前に黒い画面が映り、そこに白い文字で英語の記述がたくさん並ぶ。
すぐに嫁さんが素直な反応を見せた。
「あ、これダメなヤツだ。あんまり見たくないヤツだ」
「でしょ?まだコマンド実行しかできないから、見たって面白くないよ」
「これ、下から上に文字がいっぱい動いているけど、何かやってるの?」
「うん。一番最初に欲しかった機能があるから、それを実行中なんだ。宝珠のデータコピーをね」
「え?」
僕は一緒に持っていたブランク宝珠を見せた。
「ここまで細かいものを作り上げると、自分でコピーするのは不可能に近い。ミスが発生するだろうし、書き込む内容が大規模すぎて物理的にも無理だ。そこで、データコピー機能を作ったんだ」
「は?蓮くんしかできないはずの宝珠のコピーを、今度は機械でできるように作っちゃったの?チートすぎない?」
「いやいや、本当に知識不足で参ったよ。もっともっと勉強しておくべきだった。実行速度なんて二の次の、とりあえず動けばいいという設計で作った、なんちゃって『CPU』となんちゃって『OS』なんだ。コピーできると言っても、完了まで相当に時間が掛かると思う。まぁ、気長に待つしかないか……な……あれ?」
「どうしたの?」
「……終わった」
「え?」
「コピーが……完了した。擬似コンピューターがもう1個、誕生してしまった」
「えぇっ!?」
「おかしい。僕の計算では半日くらい掛かるはずだったんだ。それが数分で完了してしまった。これは宝珠の力か?宝珠とマナで作ったコンピューターは、こんなに速いのか?」
「え、え?どういうこと?よかったの?」
「よかったんだよ、百合ちゃん!この宝珠はすごいよ!何の工夫もしていない『CPU』と『OS』で、この速度!これなら宝珠一つでスーパーコンピューターを作れる!!」
「よくわからないけど、すごいんだね……」
「この宝珠は、文字通り、宝の珠だ!!」
一人興奮する僕とは対照的に、嫁さんはそのすごさを理解せず、冷ややかに見てくる。彼女は、もっとその先にあることの方が気になるようだ。
「うんうん。よかったねーー。で、魔法は?」
「使えるよ」
「やってみて」
「魔法を出せるところがあればいいけど……て、あれ?なんか馬車、止まってない?」
「そういえば、そうだね」
宝珠の話に夢中だったため、馬車が動いていないことにも気づいていなかった。
僕と嫁さんは馬車を降りた。
次の町が見えているところだが、コリウス部隊長をはじめ、騎士団は一方を見つめたまま、動かずに何事かを相談している。
「コリウスさん、どうしました?」
「ああ、レン様、お待たせして申し訳ありません。実は、今し方、町の駐在騎士が我々を止めてくれまして、これより先にサソリのモンスターが大量発生しているという報告をしてくれたのです。このとおり、他の通行人もここで立ち往生しております」
周囲を見ると、確かに多くの旅人や商人が先に進むことができず、それぞれ日陰を見つけて休んでいた。
「大量発生とは、どれくらいなんですか?」
「こちらからご覧ください」
そう言って、コリウスさんは近くにあった岩の上に案内してくれた。
「あの砂漠です。砂煙が上がっているのが見えると思います。あれは、風によって起こるものではありません。数年に一度、起こる『アイアンスコーピオン』の大量発生を示すものなのです。まさか今日という日に遭遇するとは、運がありませんでした」
確かに1キロほど先に見える砂煙の中に、黒く蠢くものが多数、散見された。
僕たちが進んできた道は、王国『ラージャグリハ』に通っている街道であり、荒野を進む道だった。その荒野から少し離れただけで広大な砂漠が続いている。
砂漠には多くの種類のモンスターが生息しているが、ここは『環聖峰中立地帯』ではないので、モンスターの数や強さは、それほどでもない。しかし、今回のように時折、大量発生して町の周辺に出現し、被害をもたらすことがあるそうだ。
「普段は、どうしているんですか?」
「あれには何百というモンスターが群れをなしています。推定レベル12の『アイアンスコーピオン』といえども、あの数を討伐することは現実的ではありませんので、やり過ごすことにしております。せいぜい数日もすれば、砂漠に戻っていきますから」
「ということは、それまで通行はできないんですか?みなさん、前の町に引き返して休むとか?」
「ええ。そうですね。ですが、今回は我々がおります。我ら王国騎士団第三部隊の精鋭たちと町の騎士たちが力を合わせれば、あの程度の群れ、追い返すことは造作も無いでしょう」
なるほど。ここは、コリウス部隊長としても僕たちに力を示すチャンスとも言えるだろうか。しかし、むしろ好都合なのは僕の方だ。今まで、こんなちょうどいいタイミングでモンスターに遭遇したことなど、一度も無かった。
「コリウスさん、その役目、僕たちに任せてもらえませんか?」
「え?」
「これまでお世話になったお礼です。そのモンスター討伐、僕と妻で引き受けましょう」
「いえ、しかし、お二人の護衛が我々の任務ですので」
「お願いします。実は、新しい技がありまして、試してみたいんです」
「なんと!勇者様から、それを言われてしまっては、我々も拝見しとうございます」
「では、よろしいですね。百合ちゃん、行こう」
「りょ!」
コリウス部隊長の了解を得、嫁さんも快諾してくれた。
僕は、【
街道と砂漠の中間に大きな岩があり、その上に二人で陣取った。
100メートルほど先に砂埃が濛々と立ち込めている。そこにモンスターの大群がいることがよくわかった。
僕は、戦闘準備として、3つの宝珠を取り出し、以前から用意していた腕輪を左腕に着けた。嫁さんが早速、反応してくる。
「何それ?」
「僕がこの世界に来たとき、小さい杖を持ってたでしょ?調べてもらったら、何の力もない杖だったんだ。で、ベナレスにアクセサリの加工をやってくれる店があったから、あれの頭の部分だけを取り外して、ブレスレットにしてもらったんだ」
腕輪には、宝珠を埋め込むための穴が5つ開いた半球体が取り付けられていた。杖の頭の部分である。僕はさらに説明を続ける。
「ここに、僕が作った擬似コンピューター、『魔法演算装置』の宝珠を取り付ける。さらに『魔法データ』の宝珠、そして、百合ちゃんのマナをチャージした大容量『マナバッテリー』の宝珠」
5つの穴のうち、3つの穴にそれぞれ宝珠を埋め込んだ。
「なんか……カッコよくない?」
嫁さんが目を輝かせた。
「魔法の連携だけでなく、宝珠と宝珠も連携できるんだ。『魔法演算装置』が『魔法データ』を読み取り、魔法を発動させる。必要となるマナは『マナバッテリー』から補う。それぞれを別にすることで、データ交換もバッテリー交換も容易になるんだ」
「ふむふむ」
「まずは、あの砂埃を晴らそう」
僕は、3つの宝珠を連携させて発動した。
「マルチスレッド起動。【
砂埃の中空に20個の魔法陣が横並びに出現する。
そこから【
シュバババババァァッ!!!
「わぁっ!すごい!いっぱい出た!」
「成功だ。一つの魔法陣から複数処理同時実行によって、20個の魔法を発動させたんだ」
喜ぶ嫁さんと満足する僕。
砂埃が晴れたことにより、数百の『アイアンスコーピオン』が姿を見せた。
色黒く、体長が50センチはある大サソリである。図鑑で確認したことがあるが、固い背甲に覆われており、尻尾には毒を持っている。1体1体は、それほどの強さはないが、集団で襲われた場合は、一流のハンターでも危機に陥る相手だ。
「ね、蓮くん、私もスキルの練習したい」
「何の練習?」
「『次元斬』の精度を上げたいんだ」
「じゃ、先に百合ちゃん、どうぞ」
「うん」
嫁さんは剣を抜いた。
「この剣、ガヤ村でもベナレスでも見てもらったんだけど、ただの鉄の剣なんだって」
「そうだろうね。百合ちゃんが最初に着ていた鎧も、普通の鎧だったし」
「だから、私のスキルは、武器によるものじゃないってことになるんだよね。てことで、いっくよぉーー」
そのまま嫁さんは剣を横になぎ払った。
――次元斬――
静かな剣撃によって、前回と同じく、空を含めた背景全体に切り込みが入る。その切り込みが、わずかにズレたかと思うと、すぐ元通りに戻った。
なんと『アイアンスコーピオン』は、左から順に斬られたものと斬られなかったものが交互に存在することになった。
つまり、1匹置きに斬られたのだ。
数百体いたはずのサソリが、百数十体になった。
「でっきたぁーー!!」
「……な、なんて……器用なことを……」
「斬りたいものを複数選ぶことができるかな、って思ったら、できちゃった」
「ヤバいな……文字通り、次元が違うわ……」
「じゃ、残りは蓮くん、お願い」
「うん。では、マルチスレッド起動――」
僕は宝珠を発動した。
「レベル12の『アイアンスコーピオン』なら、【
100メートル程向こうにいるサソリモンスターの群れの眼前に、二重の魔法陣が横並びになって100個出現する。つまり、合計200個の魔法陣を同時に出現させることができた。その一つ一つから、連携魔法によって強化された炎の弾がサソリモンスターに炸裂する。
ドドドドドドドドドドドオオォォォンンッ!!!!
連鎖的に響く凄まじい爆裂音。
爆風で舞い上がった砂埃によって、モンスターのいた位置は全く見えなくなってしまった。
「大成功……だけど、これは……」
「……ちょっと、やりすぎなんじゃない?」
嫁さんも軽く引いている。
「モンスターはどうなったんだろうか……」
「ほとんど死んじゃったみたいだよ。生き残りが慌てて砂漠の向こうに逃げてる」
気配感知で嫁さんが教えてくれた。
「そうか。なら、討伐成功だね。これでついに完成した。『宝珠システム・バージョン1』だ」
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