第53話 商業都市ベナレス
異世界生活12日目。
僕、白金蓮は、『商業都市ベナレス』に到着した。シャクヤを仲間に加えて2日後の夕刻だ。
城砦のように大きな壁に囲まれた都市。街中は活気に満ちており、門に入る前から、その喧騒を感じることができる。ガヤ村とは大違いだ。
どの大国にも属さず、独立していて、自由交易が盛んな都市であり、門を通過するための通行手形なども必要なかった。
その代わり、都市の中で遭遇する様々な出来事は、全て自己責任になるということだ。治安維持の自警団はあるそうだが、基本的には殺人事件か、街を揺るがすような大事件が起きない限り、彼らが動くことはないという。
自分の身は、自分で守る以外にない。あるいは、命を狙われている者は、ハンターに依頼して護衛してもらう。そういう都市だった。
そんな街に、これから入るところだが、僕には一つ悩みができていた。
嫁さんの機嫌がすこぶる悪いのだ。
いったい、ここに来るまでの三日間の道中で何があったのか。答えは簡単だ。僕がシャクヤとばかり、しゃべっていたからだ。
”勇者”と”異世界召喚”について、ひととおりの話を聞き終えた後、次は、魔法と宝珠に関する話題で盛り上がったのだ。
僕の考察を真剣な眼差しで聞き入るシャクヤと、シャクヤから聞くことのできる未知の情報に食いつく僕。
僕とシャクヤは夢中になって意見交換した。その一つ一つがお互いに新鮮で、僕自身、時間を忘れてしまうほどのめり込んだ。女性と話をしていて、ここまで我を忘れることは、僕の人生でもそうそう経験がない。
そして、その後ろで、可哀想なことに嫁さんは全くの蚊帳の外だった。
シャクヤが合流した初日の夕方頃には、既に嫁さんは落ち着かない様子になり、急に叫びだした。
「か・ぞ・く・かぁーーいぎっ!!!」
「え?」
唖然として振り返った僕に嫁さんは言った。
「家族会議を開きます!」
「もう!?」
「シャクヤちゃん、ちょっとごめんね!」
驚く僕の手を取り、シャクヤから離れた位置で小声で話し合う僕たち夫婦。
「ねぇ、蓮くん、私たち、仲直りしたよね?したよね!?」
「え、うん。午前中にあんなにいっぱい話し合ったよね」
「じゃあ!じゃあ、なんでシャクヤちゃんとばっかり話してるの?私は?私の存在は?蓮くん、忘れてるんじゃないの!?」
「いやいや、忘れるわけないでしょ。ごめん。ついつい、楽しくて」
「た・の・し・く・て?」
「怖い怖い怖い。百合ちゃん、目が怖い」
「どうして、蓮くんは、仲直りしたばかりのお嫁さんを、ほったらかしにできるんですかね?」
「ほったらかしになんてしてないよ。難しい話になるから、きっと百合ちゃんじゃ眠くなるだろうと思って」
「そんなこと言って、仲間はずれにしないでよぉっ」
「わかった。わかったから、今度は三人で一緒に話をしよう」
なんとか嫁さんをなだめて、再びシャクヤを含めて歩き出したが、結局、僕とシャクヤは宝珠の話に没頭してしまった。
嫁さんは間に立って、「うんうん」とか「へぇ」とか「そうだねーー」など、適当な相槌を打っていたのだが、しばらくすると完全に話題について来れなくなり、やがて、ふてくされて黙り込んでしまった。
そして、その夜からずっと不機嫌になった。
彼女は、僕と違い、”一人でいても全然平気”という人間ではなかった。万年引きこもり状態が続いていたが、本質的には”常に人と繋がっていたい”タイプの人間だ。
だから、仲直りしたばかりの僕とずっと一緒にいたかったようなのだが、申し訳ないことに、この時の僕は、シャクヤから聞き出せる、あらゆる情報にすっかり夢中になってしまった。
持ち前の知識欲が溢れ出してしまい、嫁さんのことなど見向きもせずに話し込んでしまったのだ。
それは、ちょうど買ったばかりのゲームにハマってしまい、嫁さんの存在を無視したために恨みを買うという、オタク趣味の夫がよくやってしまう大失敗に近かった。
しかし、僕がシャクヤから聞き出した情報は本当に有意義なもので、それはこれからの旅路で確実に役立っていくものだ。そのことは、二日目の夜にも嫁さんに告げた。
「百合ちゃん、今日は全然話さなくてごめんね。無視してるわけじゃないからね。シャクヤの話は本当に役立つ情報ばかりなんだよ」
「べーーつにぃーー。いいんじゃないの?蓮くんはシャクヤちゃんとお話ししていれば」
もうこの時は完全に嫁さんはスネていた。
この間、シャクヤとどんな情報交換をしたのか、については、おいおい語っていくことにしよう。
ともかくも、ベナレスに到着するまでの三日間、僕はずっとシャクヤとしゃべり続けてしまったのだ。その結果、嫁さんの不機嫌は最高潮に達していた。
「やっと着いたね。百合ちゃん」
「……ふん…………」
明るく話しかけた僕だが、嫁さんはツンとして何も答えてくれなかった。ここで、ようやく僕は自分の誤りに気づいたのだ。
「や……やばい…………あからさまに不機嫌だ……」
動揺する僕の横で、同じく彼女の不機嫌に気づいたシャクヤが申し訳なさそうに嫁さんに話しかけた。
「あ……あの……お姉様、街をご案内します。まずはギルド本部に参りましょうか」
とても物悲しそうな顔で、黙ったままシャクヤを見つめる嫁さんだったが、すぐにシャクヤの手を取り、二人でさっさと歩き出した。
「そうねっ!シャクヤちゃんと一緒に行きましょ!」
先行する二人を一生懸命、追いかける形となった。
「百合ちゃん、ごめん。ほんとごめん!」
何度も謝りながら歩くが、全く相手にしてくれない。街に入ってすぐの道は、往来の激しい通りで、前ばかり見ていると、つい人に肩をぶつけてしまった。
「あ、すみません」
会釈して、歩き出す。
すると、嫁さんがこちらに振り返り、電光石火の速さで、僕がぶつかったばかりの男性に掴みかかった。
ドサッ!
嫁さんが手を触れたと思う頃には、その男性はふわっと空中を一回転半し、地面に背中から叩きつけられた。
「おじさん、ウチの旦那から盗ったもの、返してくれる?」
何が起こったのかも理解できないその男性は、動揺しながら、何も言わずに、財布を差し出した。僕はこの時、初めて自分がスリにあったのだということを理解した。
「ありがと。次にやったら、タダじゃおかないからね」
そう言って、男性を解放し、僕のもとに来た。
「もう、気をつけてね」
財布を渡される僕。
なんと危険な街なのだろうか。そして、なんと頼りになる嫁さんなのだろう。
僕は財布をしっかりと懐の奥にしまいこんだ。
やがて、嫁さんと手を繋ぐシャクヤの案内で、ハンターギルドの本部に辿り着いた。
「こちらがギルド本部でございますわ」
長い道のりだったが、ようやく第一の目的地に到着したのだ。既に日は暮れており、本部内はランプで照らされている。入り口付近は受付ロビーになっていた。
「緊急のご用件でしょうか?」
受付は男性だった。
「いえ、緊急ではないのですが」
「そうですか。本日は業務を終了しましたので、緊急用件以外でしたら、明日、お越しいただけますでしょうか」
「ですよね。また出直します。ところで、いい宿は知りませんか?」
「皆様はハンターの方ですか?」
「ええ。これから登録するところなんですけど」
「それでしたら、隣の建物が、ハンター御用達の宿になっております」
「なるほど。ありがとうございました」
本部は業務終了していたので、再び外に出る。
「シャクヤのオススメの宿ってある?」
「特にございません。どこも同じようなものだと思います」
「じゃ、明日もここに来るんだから隣を見てみるか」
隣の宿を覗いてみると、空き部屋はたくさんあるようだった。その際、一瞬迷ったが、シャクヤにしっかりと確認した。
「シャクヤは別室でも構わないよね?」
それを聞いて、シャクヤも慌てて返答した。
「も、もちろんでございます。わたくし、そこまで不躾な女ではございませんわ」
僕と嫁さんは同室で、隣の部屋にシャクヤが泊まることになった。
一室一泊で銀貨2枚であった。ガヤ村と同じ相場だ。よくよく考えてみれば、この世界に来て以来、初となる、まともな宿泊だった。
部屋に入ると、ベッドが2つある。
その瞬間にハッキリと自覚した。
この世界に来てから初めて、嫁さんと二人きりで一室に寝泊まりするのだ。
安堵する思いと、久しぶりの状況すぎて緊張する感覚が、交錯する。
自然と鼓動が高鳴りはじめた。
すると、宿に入る前からずっと押し黙っていた嫁さんが、いきなり僕の背中に抱きついてきた。
「ゆ、百合ちゃん?」
「蓮くん、さっきは不機嫌にしててごめんね……ちゃんと二人部屋を取ってくれて、嬉しかった」
「……何、言ってんだ。当たり前だよ」
「だから、その……あとでまた家族会議して、仲直りして……今夜は一緒に寝よ?」
結婚して5年を過ぎたというのに、今さらながら、心臓が早鐘を打つようにドキドキしてきた。嫁さんを優しく離して、彼女の方に向き直る。
「そ、その前に避妊具を見つけないと……ね」
「あ……そうだったね」
嫁さんは顔を赤くしていた。
手のひらで顔を扇ぎながら、照れ笑いする。
「……あ……あははは……なんか私ってば顔が熱くなってるっ」
荷物を部屋に置いた後は、すぐに三人で食事に出掛けることにしていた。
シャクヤと合流し、近くの酒場に向かった。
「シャクヤちゃん、ここまで案内ありがとね。今日は私たちがおごってあげるから、思う存分、食べて飲みましょ!」
「シャクヤはお酒、飲めるの?」
「はい。好きでございます」
「15歳で、いいのかな?」
「私たちだって、17歳だよ?」
「そっか。この世界でそんなこと気にしてもしょうがないんだな」
久しぶりの安全地帯。久しぶりの温かい食事。久しぶりの帰れば寝られる状況。基本的に人混みの苦手な僕であるが、今日だけは大勢の人で賑わう街中というものが嬉しく感じられた。
なんだか、とても安心する。食事もおいしかった。ところが、そんな僕だったのだが、一つだけ不満点があった。お酒が苦いのである。
「ねぇ、この酒、苦くない?」
先程からお酒をガブガブ飲み干している嫁さんが、キョトンとした顔で僕を見た。
「へ?おいしいよ?蓮くんの口には合わない?」
「そう?シャクヤは?」
「わたくしも、とてもおいしいと思います」
「おかしいなぁ……」
そうしているうちに少しずつ眩暈がしてきた。そんなに飲んでいないのに、もう酒が回ってきたのだろうか。初めはおいしいと感じていた料理も今では全くおいしくない。さらに、妙にむせ返るようになった。
「ごほっ、ごほっ、ごほっ」
「あれ?蓮くん、咳してる。大丈夫?」
「え?あぁ……おっほっ!ごほっ!」
「ほら、咳してるよ。風邪、引いたんじゃない?お酒やめた方がいいよ」
「まぁ、大変でございます!」
なんということだろうか。気づけば、喉も痛い。完全に油断していた。体調が悪いためにお酒を苦く感じていたのだ。
「あぁ……ちょっと旅の疲れが出たのかもね……しばらく休めば大丈夫だよ……」
僕が体調を崩したために食事会は早々に終わった。僕は嫁さんに連れられて宿に戻り、ベッドに横たわった。
「やだ……蓮くん、体が熱くなってきたよ。だいぶ熱が出てる」
そう言われると、体が熱い。それなのに寒気も感じてきた。
結婚5年。心臓に疾患のある嫁さんを常に心配する生活を送ってきた僕だったが、僕自身は幸いにも健康体で過ごしてきた。そんな僕が高熱を出すなんて、いったい何年ぶりだろう。
「え……レン様、失礼致します」
嫁さんの言葉を聞いて、シャクヤが僕の額に手を当てた。
「本当でございます!これはいけません!」
殊の外、オロオロするシャクヤ。
たかが風邪でそこまで狼狽しなくてもいいのに、と思う。
こんなもの、僕の場合は風邪薬と栄養ドリンクを飲んで一晩寝れば、だいたい一日で快復する。風邪で仕事を休んだことはあるが、二日続けて休んだことは一度も無いのだ。
過酷な日々が続いたために疲労が重なって体調を崩したが、この程度で音を上げていたらキリがない。
この時の僕はそう考えていた。
――そう。僕はまだ、ここが現代日本ではなく、異世界であるということの本当の恐ろしさに気づいていなかったのだ。
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