第50話 家族会議②

嫁さんは、夫婦のルールに”隠し事はしない”を追加することを提案してきた。

僕は、素直な反応を示した。


「ああ……なるほど……」


「今、ちょっと考えた?」


もちろん僕はこれまでずっと清廉潔白に生きてきたつもりだし、この嫁さんを裏切るような行為は未来永劫、一切しないであろう。僕はそういう人間だ。


だが、なぜだろうか。具体的に”隠し事はしない”と提案されると、意外と二つ返事できないものだ。


「そ、そんなことないよ。当たり前のことだと思う」


「だよねぇ。と・く・に!最近、おモテになる蓮くんのことは、きっちりと知っておきたいなぁ」


「あはははは…………はい」


内心ギクリとはしていたが、やはり僕の浮気を疑っての提案だったのだ。


「まずは、ローズさんと何があったの?」


「えっ!何か聞いたの?」


若干、嫁さんの目が怖い。いつか話さなければならないとは思っていたが、まさか嫁さんの方から追及されるとは考えていなかった。


「聞いてないよ。ただ、”すまなかった”と聞かされただけ。あとは蓮くんから聞いてくれって」


「そ、そうか……」


なるほど。律儀なローズのことだ。僕から嫁さんに説明する、と僕が言ったのを邪魔しないようにしてくれたが、やはり自分からも謝罪しておきたかったのだ。


つまり、僕が嫁さんにもっと早く話せば良かったのだが、昨日はそんな余裕が無かった。


「百合ちゃん、落ち着いて、聞いてくれるかな。決して、やましいことは何も無かったから」


「うん。それで?」


僕は、一昨日、嫁さんがいなくなった後のことを話した。そして、ローズと出会ったことと、あの”母乳事件”のことを、かいつまんで語った。


「え……ごめん……ちょっと……意味がわかんない……ぼ……母乳を…………の………………飲んだ…………?」


嫁さんを見ると、その顔は絶望したように暗くなり、死んだ目をしていた。

そして、目いっぱいに涙を浮かべて立ち上がった。


「離婚よっ!!!」


「えっ!!!」


僕は驚愕した。

無敵の夫婦だと言ったばかりの嫁さんなのに、いきなり離婚危機が訪れたのだ。


「ちょっ!ちょっと待ってよ、百合ちゃん!!」


「何よ!近づかないでよ!変態!!」


「待って、何か勘違いしてるでしょ?」


「勘違いって何よ!おかしいでしょ?どう考えても不倫じゃない!」


「気づかなかった僕も悪いのかもしれないけど、そこまでのことはしてないよ!」


「はぁ!?じゃ、じゃあ蓮くんは!私が他の男の人におっぱい吸わせても文句言わないわけ!?」


「そ!そんなのイヤだよ!想像もしたくないよ!そして、やっぱり勘違いしてるじゃないか!」


「どこがよ!」


「ちゃんと聞いて!もう一回順番に話すから!」


なんとか嫁さんをなだめて座りなおしてもらい、今度は概要ではなく、しっかりと順を追って説明した。聞いているうちに嫁さんの表情が柔らかくなり、最後は頬を赤らめた。


「なんだぁ……ごめん……私、勝手に卑猥な妄想してた」


「理解してくれた?」


「うん。まぁ、正直言うと、それでも”キモッ”って思う部分もあるけど、どっちかって言うと蓮くんの方が被害者だよね」


「そ、そうそう」


「それにしても、ローズさんがシングルマザーだったなんて意外だね。苦労してるんだろなぁ。そう考えると恨む気持ちは起きないかな」


「そっか……」


「味はどんなだったの?」


「え……それ聞くの?」


「ごめん。やっぱいい」


「でも、百合ちゃんも既に知ってるよ。昨日、飲んだでしょ」


「え?…………え、あれ!?そうか!あれローズさんの!」


「うん」


「ああぁぁぁぁっっ、私も飲んじゃってたんだぁっ」


「心中お察しするよ」


「……決まりだね。蓮くんは被害者だ。あとローズさんは変態だ」


「よかった」


なんとか誤解を解くことができ、ひと安心したが、嫁さんの追及はまだ続いた。


「で、蓮くんは、ローズさんのこと、どう思ってるの?」


「え、何言ってるんだよ。まさか僕のこと、疑ってるの?」


「ううん。そうじゃないんだけどね、”大奥”のことを知ってから、ずっとモヤモヤしちゃってて……」


「”大奥”じゃなくて、”一夫多妻制”ね」


「うん。それ」


「百合ちゃん、よく考えてよ。今までの5年間だって、何もなかったでしょ?僕のこと心配してた?」


「ううん。蓮くんは絶対にそんなことしないって信じてたから」


「じゃあ、これからも同じだよ。それに僕はイケメンでもないし、モテる男でもない。安心してよ」


「そんなことないよ。蓮くんは世間一般で言うイケメンとは違うかもしれないけど、すごくカッコいいよ」


「ありがとう。それを百合ちゃんからさえ言ってもらえれば、僕はいいんだよ。僕が他の女性に目移りするなんてことは絶対にない。だから、大丈夫」


「違う。蓮くんは、わかってない」


「……何を?」


「この世界での話だよ。ここでは、男の人にお嫁さんがいても、恋の障害にならないの。その危機感を蓮くんにも、わかってほしいな」


「……ごめん。いまいちピンと来ない」


珍しいことに、いつも僕が嫁さんに説明している構図とは、真逆になった。


「もう……あのね、蓮くん。蓮くんが大丈夫って言っても、女の子の方から蓮くんにグイグイ来たら、どうするの?」


「それは、ちゃんと断るよ」


「どんなふうに?」


「”僕には嫁さんがいる”って」


「だから、ここではそれが女の子にとって諦める理由にならないのっ」


「あ、そういうことか!」


「”二番目でも三番目でもいいからお嫁さんにしてください”って、女の子がそうやって迫ってきたら、蓮くんはどうするの?」


「……考えたこともないよ」


「でしょ?だから、この世界は怖いんだよっ」


嫁さんから説明されて、ようやく危機感が伝わってきた。


一夫多妻制は、男尊女卑の制度であって、女性にとっての問題だと思っていたが、男の立場から見ても、僕のように嫁さん一人を愛したい場合には障害となるのだ。おそらく僕一人では考えもつかなかったことだろう。


「特に……シャクヤちゃんみたいな子には要注意だよ」


嫁さんは少し言いづらそうに付け加えた。


「え?シャクヤ?……そうだね。僕も少し気になった」


「あの子、どう見ても蓮くんに惚れちゃってるよ?気づいてる?」


「うん……さすがにあれだけ、あからさまな反応をされるとね……」


「あれくらいの年頃は、恋に恋しちゃってるから、何するかわからない怖さがあるんだよ。だから、気をつけてね?」


「わかった」


僕はこの新しい問題について、しばらく黙考し、今出せる答えを導き出した。


「……とりあえず、今の僕はこう答えるよ。”僕は百合華という女性しか愛さない。だから諦めてくれ”って」


「へ、へぇ……」


こう言われれば、嫁さんとしても、まんざらでもない様子だ。嫁さんは急に照れはじめた。


「悪く……ないね……」


僕の答えが果たして解決に向かうものになるのかは、実際にその場面に遭遇しなければわからないことだが、嫁さん的には大満足の答えだったようだ。


「じゃあ、この話は終わりだね」


「ううん。まだあるよ。結局、ローズさんのおっぱいは見ちゃったんでしょ?」


「え」


「さっきの話。おっぱい搾ってるとこ見ちゃったんでしょ?」


せっかく話が逸れたと思ったのに、また元に戻す嫁さん。やはり女性の嫉妬心は根が深い。


「ああ、うん……ちょっとだけ……」


「あの巨乳を?」


「いや、えっと……そこまで詳しく覚えてないよ……」


本当はローズの手で口を押さえられたため、最接近されてマジマジと見てしまったのだが、さすがにそこまで嫁さんに言うことはできなかった。


「ふーーん……私のも見てないのくせにっ」


「え?」


「この世界に来て、若返った私のおっぱい、まだ見てないでしょ?」


なんだ。やけに嫉妬深いと思ったら、そんなことを気にしていたのか。


「いや、見たよ」


「え、いつ?私、見せてないよ?」


「最初の日、僕が止めるのも聞かずに川で水浴びしたでしょ」


「……あっ」


「忘れてたの?」


「じゃ、じゃあ、ずるいな。私、蓮くんの裸、見てないよ」


「見せてないからね。実はお腹が引っ込んだし、筋肉もしっかりついてるんだよ。なにげに嬉しかったりしてる」


「見せて」


「は?」


「脱いでよ」


「やだよ。こんなところで」


「けちっ」


嫉妬してきたり、甘えてきたり、今日の嫁さんは忙しい。もしかして、欲求不満なのだろうか。


「……宿に泊まれたら、いくらでも見れるでしょうが」


「うん……わかった」


「よし、じゃ、ベナレスに出発しよう」


「あっ、待って。実は私も”隠し事”があったこと思い出したんだ」


「え、何を?」


嫁さんの”隠し事”と言われると、やはりこちらもドキドキするものだ。他の男と何かあった、なんてことは確かに聞きたくないものだが、秘密にされるのも心外だ。しかし、嫁さんの”隠し事”はそういうものではなかった。


「最初の日のこと言われて、思い出したんだけど、蓮くん、私に聞いたよね。この世界に来る前のことを覚えているか、って」


「うん。聞いたね」


「私ね、ゲームをやってる最中に意識が無くなったって言ったと思うんだけど」


「僕もそんな感じだった」


「本当はその先のこともちょっと覚えてるんだ」


「え?」


「実はすっごく大事な話を蓮くんとしたんだけど、覚えてない?」


「いや……ごめん。覚えてない」


「やっぱそうなんだ……私、自分だけが覚えているのは悔しいなって思って、あの時、鎌をかけたんだよ。そしたら、蓮くん、何も覚えてないって言うんだもん」


「ああ……うん……」


「私たちがこの世界に来る直前ね、私は蓮くんにこう言ったんだよ。”蓮くんとの子どもが欲しい”って」


「えっ!…………あっ」


「思い出した?」


「わからない……そんなことがあった気がする」


「で、蓮くんはどうしたと思う?」


「え……どうしたんだっけ……?」


「んもう!そこ、覚えてて欲しいところなんですけどっ!」


「待って。今、考えてる。確か、僕も同じことを思ってたんだよ。そしたら、百合ちゃんに不意打ちで言われて……なんか舞い上がって……」


「うんうん」


「それで……あれ……?僕どうしたんだっけ?」


「チューしてくれたんだよっ」


「ああっ!」


「そしたら、この世界に来てたの!」


「思い出した!」


「あのまま、私を抱いてくれるつもりだったんでしょ?」


「うん。あの時はそうだった」


「じゃ……じゃあ……こっちでもしようよ……」


「う、うん……しよう」


「子どもだって、今の私なら、元気に産めるよ?蓮くん、私の体のこと、心配してくれてたんでしょ?」


「気づいてたか……そう。心配して遠慮してた」


「そういう蓮くんだから好きなんだけど、心配されすぎても困る」


「そっか。ごめん」


「じゃあ、夫婦仲直り記念で、子ども作りっ」


「うん。だけど、子どものことについては、ちょっと言わなければいけないことがあるんだ」


「なに?」


「この世界では、子どもは作らないでおこう」


「え!どうして!?私のこと嫌いなの!?」


「違う違う。そうじゃなくて、子どものためなんだよ。いいかい。そもそも僕たちがこの世界から帰れる保証はまだどこにもない」


「うん」


「そして、帰れることになった場合、子どもがいたら、その子を連れて行けるのかもわからない」


「あっ!そっか!」


「僕たちがこの世界で子どもを作った場合、生まれてきた子どもは、どっちの世界の子どもになるんだろうか。その答えが確定しない限り、僕たちはこの世界で子どもを作るべきじゃないんだよ。仮に僕たちが帰ることができたとしても、子どもはこっちの世界の住人なので移動はできない、ってことになったら、その子が可哀想でしょ?」


「生まれてくる子どものためか……あぁ……それ気づいちゃったら、ダメだね」


「うん。残念ながらそうなんだよ」


「そっかぁ……わかった」


長い話し合いが続いたが、これで、二人の意見は完全にまとまった。

一応、僕たち夫婦が決めた、この世界でのルールをまとめておこう。



二人の目的:地球に帰る

最優先事項:二人が無事でいること

ルール1:何かあったら必ず家族会議

ルール2:喧嘩しても家族会議

ルール3:隠し事はしない

ルール4:この世界では子どもを作らない

ルール5:以上の全ては家族会議で変更可能とする



最後にルール5を付け足してあるのは、万が一、地球に帰る方法が全くないとわかった時、やはり家族会議で軌道修正しなければならないからだ。


その時は、おそらくこの世界で一生、添い遂げることを前提にまた二人で話し合うことになるだろう。


さて、話はまとまったはずなのだが、嫁さんは何やら不機嫌な様子だった。


「……蓮くん、子どもの件は、すごいけど、ひどい」


「え」


「真面目すぎるんだよっ、もう!とても大事なことだけど、なんで気づいちゃうのかな!あぁ!どうしてウチの旦那様はこんなにしっかり者なの!」


「いや……そこは褒めて欲しいところなんだけど……」


「うぅぅぅ……」


ここまでの長い長い話の流れで、嫁さんは一喜一憂しつつも、最終的には満足して終了した。彼女的には、最後は二人でイチャイチャして終わりたかったのかもしれない。


しかし、それを僕が制止したため、その反動で、今や嫁さんは完全に欲求不満になっているようだ。


「百合ちゃん、僕だって、必死に我慢してるんだよ。だからさ、早く街に行って、避妊具を見つけようよ」


「え、ひにんぐ?」


「うん。あんまり僕たち使ったことなかったけど」


「こっちの世界にもあるのかな……」


「それも含めて探さないといけないね。でも、きっと普通にあると思う。”性”の問題っていうのは、人類が最古の昔からテーマにしているものだから」


「じゃ、街に行こう!」


「うん」


「そしたら、たくさんイチャイチャしよ!ただのイチャイチャじゃないよ。ラブラブでぇ、あまあまでぇ、アッツアツなイチャイチャだよ!」


どうも地下遺跡で仲直りしてからというもの、嫁さんの甘え方が半端ないのだが、ここでさらにエスカレートしてきた。新婚時代の再来かという勢いで、こちらもタジタジになってしまう。


「お、おう」


「それでね、今の私なら、どんなに激しいことをされたって、大丈夫だからね!」


「え!」


「蓮くん、私の体を心配して、昔から激しいことしなかったでしょ。ほんとは、いっぱいやりたいことがあるくせに」


「なんで……そんなとこまで見抜くんだよ……」


僕の裏の気持ちまで看破されており、逆にこっちの方が赤くなってしまう。


「だけど、今の私なら大丈夫なんだよ。蓮くんの気持ち、全部ぶつけてくれていいからねっ」


その言葉に僕の心は舞い上がってしまった。大好きな嫁さんから、ここまでのことを言われて、理性を制御できる男など、この世に存在するだろうか。


僕は彼女の肩に手を乗せ、鼻息を荒くして言った。


「ゆ、百合ちゃん!早く!街に行こう!!」


「うん!!でも、その前に……んっ」


嫁さんが目を閉じて、顔を突き出してきた。

キス待機だ。


「あぁ……」


「ほら、チューなら子どもはできないでしょ?」


「よ、よし……」


僕は一瞬、躊躇したが、それは嫁さんとキスしたくないからではない。むしろ、今の舞い上がった精神状態でキスをすれば、理性を制御できるのか自信を持てなかったからだ。


目の前にいるのは、若返って、さらにかわいくなってしまった嫁さんだ。

いやが応でも僕の動悸は高まる。


嫁さんの方は期待に胸を膨らませて、口を小さくパクパクさせている。僕の唇を食べる気か?


まるで、初めてのキスか、と思われるような緊張感で、僕は彼女をそっと抱き寄せた。


嫁さんの体から心臓の鼓動が伝わってきた。

なんだ。緊張しているのは、嫁さんも一緒か。


少しだけの安心感と湧き上がる愛おしさを感じ、僕は自分の顔を嫁さんの顔に近づけた。


――その時だった。


「……あっ」


嫁さんが声を出したのだ。


「どうした?」


「……ごめん。蓮くん。気づいちゃった」


とても申し訳なさそうに言う嫁さん。

そして、彼女は街道の先にある林に向かい、大声で優しく呼び掛けた。


「そこにいるのは、わかってるわよぉ!出てきなさーい!」


僕がその方向に目を向けると、100メートルほど先にある木から、人影が現れた。遠くにいるのでハッキリとは見えないが、顔を赤くして、モジモジしている。


その人物は、シャクヤだった。

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