第49話 家族会議①

いったい、いつぶりなのか、思い出せないくらいだが、やっと夫婦で二人きりとなった。


正確には、二人きりで話す機会は何度かあったが、落ち着いて話せる環境にはいなかったのだ。


夫婦喧嘩から仲直りしたとはいえ、お互いの気持ちをしっかりと言語化できていない。このまま、うやむやにしては、また同じ轍を踏んでしまう可能性も否定できない。しっかりと納得いくまで二人で話し合うことが必要なのだ。


そう考えて、明るい空のもと、僕たちは夫婦でゆっくり話し合うことにした。


――つもりだったのだが、嫁さんの様子が僕の予想とは少し違う。


こちらに向かって目を瞑り、顎を突き出して、何やら待機しているのだ。


「何……してるの……?」


「ん……」


「いや、”ん”じゃなくて」


「んんんっ…………」


完全にキス待機している。

気持ちはわかるし、嬉しいけど、その前に話すべきことを話そうよ。


「百合ちゃん……あのね……」


と、言いかけると、待ちくたびれた嫁さんが、今度は悲壮な表情で叫んだ。


「なんでぇっ!!!」


「え……」


「蓮くん、私たち、仲直りしたよね?したよね!?え、私だけ?仲直りしたと思ってたの、私だけぇ!?」


「いや、したよ。仲直りした」


「じゃあ、どうして何もしてくれないの!?」


「いや、あの……」


「あんなに大喧嘩したのを乗り越えて、命懸けで仲直りしたんだよ?だったら、もっとこう、ハグしてくれるとか、チューしてくれるとか、超すごいチューしてくれるとか、あるでしょう!?」


ああ、なるほど。ただのチューじゃなくて、”超すごい”まで期待してたのか。それでは、確かに期待外れだったことだろう。申し訳ない。


しかし、物事には順序というものがある。生真面目な僕はそこは譲らないのだ。僕はハグの代わりに彼女の手を取って言った。


「うん。わかってる。でも、その前にさ、一度、二人でしっかり話し合おうよ。せっかく仲直りしても、喧嘩の原因をうやむやに終わらせたら、僕たち、何も変わらないでしょ?」


嫁さんは口を尖らせる。


「そんなこと私だってわかってるよ。だからこそ、万が一、また喧嘩になってもいいように、先にイチャイチャしておきたかったの!」


なんなんだ、この嫁さんは。浅いんだが、深いんだか、そんな考え方があったのか。そして、僕のことを好きすぎだろう。


「大丈夫だよ。約束する。ここからの話で喧嘩はしない。なぜなら、悪かったのは全部、僕だから」


「え、ううん。違うよ。悪かったのは私。蓮くんじゃないよ」


「何言ってるんだよ。悪いのは僕だよ」


「私だよ」


「「…………」」


よくわからない膠着状態となってしまった。このままでは、自分が全部悪い、という主張がぶつかり合って、最悪、また喧嘩になるかもしれない。


おそらく二人ともそれを考えた。

そして……このまま続けることにした。


「悪いのは僕です」


と言って、僕は手を上げる。


「いいえ、私です」


と、嫁さんも応じて手を上げた。


「「どうぞどうぞ」」


お互いに譲り合って手を差し出す。

そして、沈黙の時間が流れた。


「……だから、こんなことやってるから、話し合いが進まないんだよ!」


「ちゃんと話そ!漫才やってる場合じゃないよ!」


僕は姿勢を正した。


「あのね、百合ちゃん、怒鳴ってごめん。ひどいこと言ってごめん。僕はリーフの死がトラウマになっていて、その不満を君にぶつけたんだ。本当にごめん」


「ありがと。私もね、いろいろ言葉が足りなくて、蓮くんにひどいこと言ったり、冷たい言い方をしちゃったりした。ほんとにごめんなさい」


ようやく二人が素直な気持ちを話しはじめた。


「真面目な話をすると、僕たちの今回の喧嘩のきっかけは、間違いなく、討伐隊でリーフを救えなかったことにあると思うんだ。話を蒸し返すことになるけど、ちゃんとその話をしておきたい」


「うん。私もそう思う」


「まずね、ダチュラから、リーフのことを原因にして喧嘩をするな、って怒られた。そう言われて気づいたよ。あの二人にとても失礼だったな、って」


「あっ、そっか。そだね……ダチュラに悪いことしちゃった……」


「僕は、百合ちゃんがリーフを助けに行きたいと言った時、君の手を掴んで止めてしまった。あの瞬間のことが悔やまれてしょうがない。だから、”僕が彼を殺したようなもんだ”って、そう考えたんだ」


「それは違うよ。蓮くん。あの日、私が最初にパニクっちゃったでしょ?それを制止して、私を冷静にしてくれたのは、蓮くんだよ?蓮くんがいなかったら、そもそも私はリーフを助けに行けなかったんだよ」


「そうか……ありがとう。少し肩の荷が下りた気がする」


「あとね、村に戻った夜のことだけど、私が、ダチュラと話している時に蓮くんがそばに来たでしょ?その時に私、”こんなことになるなら、あの時、蓮くんを振り切って行けば良かった”って言った」


「ああ、うん。実はそれを聞いて、かなりムッとしてしまったんだ」


「ムッと、ていうか、蓮くん、すごく怖い顔してたよ。だから私、そこから話し掛けられなくなって」


「そうか。ごめん」


「でもね、あれは、別に蓮くんが悪いって意味で言ったんじゃなくて、とにかくダチュラを励ましたくて、いろんなこと言ってただけなんだ。あれ以外にも見当違いなこと、いっぱいダチュラに言ったんだから」


「そっか」


「まだ私の考えがまとまっていない時だったから、ほんと、思いついたこと、ただ言ってただけなんだよ」


「僕は、君が僕の気配をわかってるくせに、って思ってしまったんだけど、それも間違いなんだよね?」


「うん。私、敵意には敏感だけど、普通の人の気配は、意識しないと探せないよ。私が普段、どんな女の子か知ってるでしょ?」


「うん。ボケっとしてる」


「ひどい」


「ごめん」


「だから、急に蓮くんが近づいてきたって、油断してる時なら、気づかないこともあるんだよ」


「だよね。好意的に考えれば、わかることなのに、ごめん。きっと僕の考え方のひずみも、あの頃から強くなっていたんだ。僕は、勝手に君のことを完璧超人のように思って、いつの間にか、全部、丸投げしていた。今回の旅でも、自分は戦う準備が整っていないのに百合ちゃんがいれば安心だと思って、先走ってしまった。その結果、君がいなくなった後に慌てふためいた」


「あ、いやぁ……そのことについては……」


「でも、一つだけ、これだけは不満を言っておきたんだけど、いくらなんでも、黙ってシャクヤを助けに行くことはなかったんじゃない?危険な大ジャンプまでしてさ」


「ごめん!あれは違うんだよ!あれは、間違えて強く踏み込んじゃって、高くジャンプしちゃっただけで。怒って先に行ったとかじゃないの」


「は?間違えて?コラ、あれほど気をつけろって言ったよね?」


「うぅぅ……ほんとごめんなさい……あれはね、私もバカ丸出しで泣きそうになった」


「なんてことだ……まぁ、結果的には、シャクヤも助かって、ローズとも知り合えて、百合ちゃんとも合流できて、良かったんだけど」


「そ、そうだよねぇぇ」


「ただし、結果的には、ね。本当に危ないシーンがたくさんあったんだから」


「うん。蓮くんが助けに来てくれたのは嬉しかったんだけど、そこまで危険を冒したってのが、想像しただけで身震いしちゃう。あのね、話を戻すんだけど……」


「うん」


「私はね、蓮くんに危ない目にあってほしくないんだ」


「うん」


「討伐隊の時だって、私、蓮くんが殺されないかを心配してパニクっちゃった」


「うん。それは見ていてわかったよ」


「そして、リーフが死んだ後、悲しむダチュラを見て、思っちゃったんだ。”これがもしも蓮くんだったら”って」


「え……」


「ダチュラには本当に悪いと思ってる。私はあの子のことが心配でずっと付きっ切りでいたんだけど、内心では、”死んだのが蓮くんじゃなくて良かった”って思ってたんだよ」


「それは……夫婦なんだから当然だよ」


「リーフを助けられなかった自分もイヤだったけど、そんなふうに考えちゃう自分の心も許せなかった。だから、二度とあんなことが起きないように、”そもそも蓮くんを危ない目にあわせないことが一番なんだ”って考えたんだ」


「それで、僕が”一緒に行く”のを拒絶したの?」


「うん……」


そこまで聞いて、僕は自分の浅はかさを嘆いた。


ウチの嫁さんは徹頭徹尾、僕の安全を第一と考え、その結果、見殺しにしてしまった他人の命に責任を感じ、それらの打開策として、僕を戦いから遠ざけようとしていたのだ。


つまり、全部、僕のためだったのだ。

僕はそっと嫁さんを抱きしめた。


「百合ちゃん、僕の考えが浅かったよ。君にそこまで思わせていたなんて……」


「それでね、まだ続きがあるんだ。私一人で頑張ろう、って決めて頑張ったんだけど、結局、蓮くんがいないと何もできなかった。マナが切れちゃって、”コウモリ野郎”も倒しきれなかった。蓮くんが来てくれなかったら、私、死んでたかもしれない……」


当時のことを思い出したのか、嫁さんの声が涙声に変わってきた。

僕もあの時の必死な思いが蘇ってくる。

それに呼応して、愛おしさが込み上げてきた。


「百合ちゃん……あの時、命を懸けてよかった……」


そう言って、僕は抱きしめる両腕に力を込めようとした。


ところが、あれほどハグを求めていたにも関わらず、なんとこの流れから、嫁さんは僕を押しのけた。


ドンッ


「……え?」


「で!それで元気になって蓮くんのところまで走ったのに!私じゃなくて、シャクヤちゃんを抱きしめちゃうんだもんね!!」


「えぇぇぇ……」


今それを思い出しちゃうの?

と、言いたいが、言えない。


「ないわ……ほんと……あれはないわ……」


嫁さんの目があの時と同じように死んでいるからだ。

とても反論できる状態ではない。


「ごめん。あの時は、本当にごめん」


「あれはないわ……」


「ごめんてっ」


既に結婚をしている同志諸君、また、これから結婚をされるであろう方々、よく知っておいていただきたい。これが、嫁さんの眼前で別の女性を力いっぱいハグしてしまった男の末路である。


これより先、僕たち夫婦の間で、この”シャクヤ抱きしめちゃった事件”は、永久に尾を引くことになる。


ふとした弾みで、何の前触れも無く、急に嫁さんがボソッと呟くのだ。

「あれはないわ……」と。


その時には、必ず今のように死んだ目でこちらを見てくる。本当に女性の恨みは恐ろしい。決して、あの日の衝撃を忘れる日が来ないのだ。


しかも、何がきっかけになって、それが彼女の脳裏にフラッシュバックされるのか、それもわからない。もはや、こうなった嫁さんに僕ができる手段は唯一つしかない。


――ひたすら謝る――


そして、今現在もまた、再燃した嫁さんの嫉妬心に僕は謝り続けた。


「…………はぁ、で、なんの話をしてたんだっけ?」


ようやく嫁さんの怒りが静まり、話が元に戻された。だが、遺跡の地下の出来事について話を続けるのは、また地雷を踏みそうで怖すぎる。


「お互いに思いを語り合って、納得したところだよ」


「そっか……私が蓮くんを一番に考えてるんだよって話と、蓮くんがいないと何もできないって話をしたんだったね」


うん。その後、超怒られたけどね。


「だから、私は蓮くんと一緒に戦っていきたい。これからは、何があっても」


「百合ちゃん……それは僕も同じ気持ちだよ」


これで、お互いの感情と意見を全て出し合ったと思われる。何のわだかまりも無い、仲良し夫婦が再来したのだ。


「そして、僕は君の感性と意志を尊重する。僕は勇者に仕える従者だ。これからは、君が決めていってほしい」


「え?それは困るよ」


「どうして?」


「私、難しいことはわかんないから、蓮くんが決めてよ。私の旦那様は蓮くんなんだから」


「あぁ………………そっか。そうだね」


「うんっ」


「じゃあ、百合ちゃん。せっかくだから、夫婦のルールをもう一度決めようか」


「ルール?結婚した時に決めた、あれ?」


「うん」


「一つ目が、”大きな決め事は、必ず二人で相談して決める”だったよね」


「二つ目が、”家電製品を買うのは僕が決める”」


「で、三つ目が、”服を買うのは私が決める”」


二つ目と三つ目については、お互いに家電製品と服を選ぶセンスが全く無いからだ。ゆえに重要なものは、一つ目のルールになる。


「これに、異世界ルールも決めるんだよ」


「この世界にいる間のルールね」


「そう。まずは、僕たちの目的」


「”地球に帰る”!」


「日本じゃなくて、地球?」


「日本に帰る、って言うより、”地球に帰る”って言ったほうがカッコよくない?」


「わかった。じゃ、僕たちの目的は、”地球に帰る”で決まりだ」


「うん」


「そして、僕たちの最優先事項は?」


「私と蓮くんが無事でいること!」


「即答だね」


「当たり前じゃない。私はね、魔王を倒すことよりも、蓮くんが無事でいることを取るよ。あと、”無事”って言うのは、命が助かることじゃなくて、ちゃんと五体満足で無事に暮らしていくこと。蓮くんに大怪我なんて絶対にしてほしくない」


「わかった。僕もそのとおりだと思う。でも、そう言いつつ、百合ちゃんの場合、困ってる人がいたら、すぐ助けに行っちゃうんじゃない?」


「うーーん、そうかもね。でも、無理はしない」


「僕も無理はしてほしくない。たとえ百合ちゃんが”勇者”なんだとしても、他人のために君が命を懸けることには、正直言って抵抗がある」


「その点はね、きっと大丈夫」


「なんで?」


「私、命を懸ける必要ないから」


「え?」


「どんな状況でも、私は余裕で人を助ける。それなら、蓮くんも心配ないでしょ?」


それを聞いて僕は、笑い出してしまった。


「君には敵わないな……」


「他には何かある?」


「あとは具体的なルールだ。1番目は決まっている。”何かあったら家族会議を開く”こと」


「そだね」


「今までは、重要な事柄じゃないと家族会議なんてやらなかったけど、この世界では、そうはいかない。あまりにも環境が違うし、僕たち自身も変わっている。結婚した頃とは、何もかも状況が違うんだ」


「そうだよね。結婚した頃と違うってのは、すごく思う。お互い好き同士で結婚を決めても、環境の変化が原因で離婚した友達いるもん」


「夫婦と言っても、もとは赤の他人なんだから、お互いの考えをしっかり話し合って、価値観を寄り添うものにしていこう。ちょっとしたズレを感じたところで、積極的に話し合いをしていくんだ」


「もしも、それで喧嘩になったら、どうする?」


「そうだね。だからルールその2。”喧嘩しても家族会議”」


僕のこの提案に今度は嫁さんが笑った。


「蓮くん、それ、いいとは思うんだけど、考えようによっては、結構、地獄だよ」


「でもルールとして決めておこうよ。そうすれば、口も聞きたくないほどの喧嘩状態になっても、家族会議のきっかけになるでしょ」


「うん。わかった」


「それに、僕は今、思うんだ。大事なことは、”話し合う”ことよりも、”聞き合う”ことなんじゃないかって」


「聞き合う?」


「”話し合い”だと、自分の主張を言い合うばかりになって、ぶつかっちゃうでしょ。すると、相手の話も聞けなくなってしまう。だから、相手の話を聞こうと努力すること。”聞き合い”であれば、お互いの考えと気持ちを理解し合えると思うんだ。ちょうど今回の僕たちみたいに」


「”話し合い”よりも”聞き合い”かぁ……すごいね。私、今、感動しちゃったよ」


「よかった?」


「うん。すごくよかった。これで、私たち、何があっても大丈夫!って感じがする。きっと無敵の夫婦だよ。私たちの間に”離婚”の二文字なんて考えられない!」


「そうだね」


いい感じで家族会議がまとまり、嫁さんも喜色満面だ。これで新しいスタートを切れそうな気がする。ここからの僕たち夫婦は、何があっても大丈夫だろう。


「じゃ、あと一つ。最後にルールを追加しよ!」


感慨深く思ったところに、嫁さんが追加要望を提案してきた。


「どんな?」


「お互いに”隠し事はしない”」


せっかくまとまったところだが、この一言が、再び波乱を起こしてくれるのだった。

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