第48話 再出発

「うげっ」


と、声を上げたのは、僕、白金蓮だ。


盗賊あがりの男たち7人を連れて、男性用の風呂に入れさせた直後のことである。彼らには不要だろうと考え、壁は作っていない。いったい何日、いや、何十日、彼らは風呂に入っていなかったのだろうか。


「お前たち、どんだけ風呂に入ってなかったんだ。近づかれるだけで不愉快になる臭さだぞ。早く風呂に入れ」


そう言って、風呂に入らせたのは良かったが、体を洗わせたにも関わらず、彼らが入った途端に風呂が垢だらけになってしまったのだ。


我らが日本には、”裸の付き合い”という良き文化がある。一緒に風呂に入れば、彼らと打ち解けるかと思っていたのだが、風呂に浮いた大量の垢を見て、いっきに心が萎えた。


この時ばかりは、”風呂に入る順番”というもので身分差別がある、この世界の文化に見習うべきだったと後悔した。


「あの、旦那はいいんですかい?」


エルムが恐縮して聞いてきた。


「いや、僕はいいんだ。後にするよ」


僕は服を着たままの状態で、入浴中の彼らと話をすることにした。


「いいか、お前たち、商売をするからには、第一に身だしなみだ。できる限り毎日風呂に入り、服装を改め、清潔な身なりで人に接するんだ。外見で人から怪しまれるようでは、それだけで人生、損をするからな」


「「はい」」


威勢の良い返事が返ってきた。

今の彼らは、僕と嫁さんに信服随従しているのだ。

それ自体は、とても気持ちがいい。


「この中で、計算の得意なものはいるか?」


「計算ですかい?それなら、『オリーブ』が得意ですぜ」


「はい」


名前を呼ばれた男が返事をした。


「お前が『オリーブ』か?」


「はい」


それは、痩せた、ひょろ長い体型の男だった。今は入浴中だが、僕より身長が高かったように記憶している。


「こいつは昔、貴族の屋敷で働いていたらしく、算術ができます」


と、エルムが紹介する。


「なるほど。では、オリーブ。ちょっと問題を出すぞ」


実は、この世界に来てから気になっていたのだが、ここでは、あまり数学や科学が発達していない。おそらく魔法が存在するために、そちらの分野への研究が盛んになっていないのだろう。


商売をやらせる以上、彼らの言う”算術”がどの程度のものか、知っておく必要がある。


僕は、オリーブに簡単な算数の問題を出した。


足し算、引き算は当然のこととして、掛け算、割り算も理解しているようだ。しかし、小数や分数になると知らないようだった。だいたい小学校3年生程度の数学力ということになる。


これで商売ができるのだろうか、と不安になるが、このオリーブという男は、桁を増やしても計算が正確だった。数学のセンスはあるのかもしれない。


「では、ちょっと応用問題を出すぞ。1から10までの数を順番に足していった合計はいくつになる?」


「1足す2足す3足す……と続けて、10まで足すということですか?」


「そのとおりだ。理解が早いな」


「そうですね……55です」


「早いな。どうやって計算した?」


「はい。1と10を足したら11です。そして、2と9を足しても11です。そうやって、下からと上からを順番に足していったら、11が5個できましたので」


「それを今、考えて答えを出したのか?」


「はい。間違っていましたか?」


「いや、正解だ」


「ああ、よかった」


今の問題は、小学生の頃に紹介される応用問題だったと記憶している。計算の仕方を工夫することにより、いちいち電卓を叩くよりも高速な計算をすることが可能になる、とても有名な問題だ。


だが、それを自分で見つけ出して計算する、というのは、数学の才能があるということだ。


「お前はセンスがいい。磨けば光るものがある。商売を始めるに当たっては、僕がいろいろ教えてあげよう」


「本当ですか?ありがとうございます!」


思いのほかオリーブは喜んでいる。


「反応がいいな。オリーブは学問が好きか?」


「ええ。ずっと興味がありました」


「なんでお前みたいなのが、盗賊をやってたんだよ……」


「すいやせん」


「あとは、お金に関してだな。お前たちの中で一番義理堅いのは誰だ?」


「うーーん。それもオリーブですね。こいつ、いちいち細かいんですよ」


と、エルム。


「そうだろうな。よし。では、今後、僕がいない時のお金の管理は全てオリーブが行え。銅貨1枚たりとも無くなるようであれば、オリーブの責任だ。もっとも重要な役回りだけど、できるか?」


「はい。喜んで」


オリーブも元気に返答する。


「まずは、最初の仕事であるローズ殿の荷物運び。それの報酬や、その後、何にお金を使ったのか、その収支はしっかりメモを取り、管理しておくんだぞ」


「はい」


この後、簡単な帳簿の付け方をオリーブに教えた。


僕の場合、学生時代は工学部だったため、数学や物理は高度な勉強をしたのだが、簿記の付け方などは逆に知らなかったりする。なので、簡略化したやり方を教えた。


「よし、では、オリーブにこれを渡しておく。村に行ったら、これでみんなの服を新調しろ。今の汚い格好では、人の信用は得られないからな」


そう言って僕は金貨1枚を渡した。


「えっ!き、金貨!?いいんですかい!?」


「これは先行投資だ。あとで、お前たちの働きで返してもらう。決して飲み代なんかに使うんじゃないぞ」


「はい!!」


話をしているうちに、基本的に風呂嫌いの男たちは、既に風呂から上がりはじめていた。湯上がりの彼らと話をしていると、嫁さん達の風呂も終わったようだ。


「蓮くん、ありがとね。すっごく気持ち良かったよぉ」


湯上がりの嫁さんが、これまた艶かしい。


「あんた達もお風呂に入ったら、少しはいい男になったじゃない」


風呂上がりでさっぱりした男たちは、嫁さんに褒められて恐縮している。


「あとは湯上がりに冷たい牛乳一杯。なんてできたら最高だね」


と嫁さんが言うと、後ろからローズが声を掛けた。


「ユリカ、それなら、これをあげよう。冷たくはないが、今朝、採れたばかりだ」


「え、ミルク?ありがとう」


僕はそれを見て愕然とした。


おいコラ、”女剣侠”。人の嫁さんに何を飲ませようとしているんだ。


何一つ疑うことなく器のミルクを飲み干す嫁さん。そして、その横ではローズがこちらに視線を送り、ニヤリと笑った。


この女……ワザとやってるんだろ。人に自分の母乳を飲ませるのを面白がってるな。悪趣味にも程があるぞ。


近づいてきたローズが僕にそっと囁いた。


「これで話しやすくなっただろ?」


「……うるさい」


飲み終えた嫁さんが満足そうに言う。


「ぷはぁっ!なんか不思議な味だねぇ……あっ、蓮くんにもあげればよかった。ごめん。全部飲んじゃったよ」


「ああ、いいんだよ僕は」


「あれ?蓮くんは入らなかったの?」


「うん。あいつら風呂に入れたら、汚くなっちゃって……」


「あぁ……なるほどね。じゃ、私たち出たから、こっちに入れば?」


「そうするよ」


僕は一人遅れて女性たちが使った風呂に入ることにした。だが、その前にシャクヤが声を掛けてきた。


「あの、レン様」


「なんだい、シャクヤ?」


「その、わたくし、レン様のことをもっとお聞き致したく……」


「え?」


「先程、地下でレン様におっしゃっていただきました。あとで、じっくり、たっぷり、すみずみまで教えていただけると……」


タイミングが良かったのか悪かったのか、シャクヤのこのセリフは、周囲が沈黙した瞬間に響き、一同にまる聞こえとなった。全員がそれを耳にして、こちらを向いた。


待て待て待て。そんな言い方はしなかったぞ。

あと、なんでそれを若干モジモジして言うんだ。


「宝珠!宝珠のことだよね!」


「はい。レン様の不思議な宝珠のことを」


「わかった。お風呂入った後に教えてあげるよ」


「はい。お待ち申し上げております」


僕とシャクヤの会話が済んだ途端に、嫁さんが割って入ってきた。

そして、僕にくっつきながら言った。


「じゃあ、蓮くんっ、私、もう1回入るよ。一緒にお風呂入ろっ」


これまた嫁さんの声が、辺りに良く響き渡った。

一同が唖然とした顔で僕たち夫婦を凝視し、刹那の間、完全に沈黙した。


「ユ、ユリカ……さすがにそれは……」


ダチュラは顔を赤くしている。


「あたしも……二人がそこまで変態だとは思わなかったな……」


ローズですら、ドン引きしている様子だ。

正直、君には言われたくないという気分だが。


すぐそばにいたシャクヤに至っては、恥ずかしそうに手を口に当て、耳まで真っ赤にした顔で僕らを見つめている。


「あ……あれぇ……私、そんな変なこと言ったかなぁ……」


みんなの様子を見て、嫁さんも空気を読んだようだ。


「百合ちゃん、ここでは……アレみたいだよ……それにみんないるのにそれは……ねえ……。ともかく僕は一人で入るよ」


「あはははは……そだね……」


どうやら、夫婦といえども一緒に風呂に入るというのは、この世界ではドン引きされるほど変態と思われるようだ。本当に文化の違いは恐ろしい。もちろん日本にいたって、今の嫁さんのように人前であんなセリフはどうかと思うが。


どちらにしても今日の僕は一人でゆっくりと入浴したい気分だ。今日一日、命の危険を顧みずに戦い抜いた疲れを存分に癒したい。そう思って入浴したところ、ついつい長風呂になってしまった。


服を着て、外に出ると全員スヤスヤと眠っていた。あれほど話をしたかがっていたシャクヤも疲れが溜まっていたのだろう。ウチの嫁さんと二人仲良く熟睡している。


遺跡周辺はモンスターが生息していないから、問題はないだろう。

そう思い、全員を起こさないように気をつけて、僕も眠ることにした。




長い長い一日が終わった。

そして、異世界生活10日目。


目が覚めた頃には、7人の男たちがしっかり起きて、朝食の準備を整えていた。


「あんた達が早起きするなんて、やるじゃない」


嫁さんが褒めると、また彼らは恐縮していた。



いよいよ出発となった。


聖峰グリドラクータ調査のため、ガヤ村へと向かうシャクヤとそれを護衛するローズ。ローズに弟子入りしたダチュラ。そして、ブラック・サーペントの首を送り届ける”男衆”。ウィロウと結婚したカメリアも一人残すわけにはいかないので、彼らについていく。


彼ら全員と、ここでお別れになる。

商業都市『ベナレス』に向かうのは、僕と嫁さんの二人だけだ。


「ごめんね。ユリカ。勝手に決めちゃって。私が一番辛かった時に一緒にいてくれたこと、一生忘れないから」


「うん。元気でね」


ダチュラが嫁さんに挨拶を済ませた。


「ダチュラ、約束してた”水の宝珠”だ」


「え、本当に作ってくれたの?」


「うん。迷惑掛けちゃったし、謝罪とお礼だよ」


「そんなことないけど、嬉しいわ。ありがとう」


そして、ローズにも僕は宝珠を渡した。


「ローズ、君には何から何まで本当にお世話になった。これは、せめてものお礼だ。【身に纏う追い風ドレッシング・ウィンド】の宝珠。よかったら、もらってくれないか」


「なんだって!あの宝珠をくれるのか!」


「うん。君の戦いに役立っていたから」


「役立っていたも何も、これがあるだけで、あたしの戦いはレベルを5段階上げられるんだ。大金をはたいてでも譲って欲しいと思ってたくらいなんだ!」


「よかった。ぜひ使ってくれ」


「ああ、大事にするよ!レン!男からもらったプレゼントで、これほど嬉しいものは今までに無い!」


「大袈裟だなぁ。でも、気に入ってくれてよかった。じゃあ……」


と言って、僕は握手しようと手を出したが、ふと思うところがあって言い直した。


「……あ、そういえば、ハンター流の挨拶ってあるのかな?」


「あるぞ」


「よかったら、それをやろうか。教えてくれ」


「……へぇ。あたしにそれを求めてきた男は初めてだな」


「そうなのか?みんな見る目が無いんだな」


「そうだな。じゃ、いくぞ」


そう言うと、ローズは僕に接近し、体を正面からくっつけてきた。ハグをするような体勢になった。


「えっ」


「ほら、このまま左手で相手の背中を軽く叩くんだ」


左手だけで行う簡易型のハグ。それが、この世界のハンター流の挨拶だったのだ。もっとカッコいいヤツを想像していた僕は、面食らって、顔が熱くなってしまった。挨拶が終わると、慌てて離れた。


「ご、ごめん!本当に知らなかったんだ!こんな挨拶だとは!」


「なに、今さら顔を赤くしているんだ、君は」


ローズがクスクスと笑っている。

そして、背後からは恐ろしい視線を感じた。


「へぇーー。仲いいねぇ……」


言うまでもなく嫁さんだ。

その嫁さんの方へローズが向かった。


「ユリカ、君が”勇者”として名乗りを上げる時が来たら、あたしも駆けつける。あたし達はもう戦友だからな」


「うん。ありがと」


二人もハンター流の挨拶をした。


「ただし、金にならない戦いはしない主義だから、そこはよろしくな」


「ふふ、現金だね」


さて、ずっと何も言わないまま、じっと僕たち夫婦を見つめ続けているのはシャクヤだ。僕は彼女にも宝珠を渡した。


「シャクヤ、ゆっくり話をできなかったから、代わりにこれをあげるよ。興味を持っていたよね」


「こ、これは?」


「ちょうどいい光を出して照明になる宝珠だよ」


「はぁぁぁぁぁ」


恍惚。と言って良さそうな表情で宝珠を見つめるシャクヤ。


「大事に致します!レン様だと思って一生涯、大事に致しますわ!」


「あ、うん。そこまで……思わなくても……」


嫁さんもシャクヤに別れを告げた。


「シャクヤちゃんも元気でね。私たち、ベナレスってとこにしばらくいると思うから、気が向いたら寄ってみて」


「はい。必ず参ります」


「あっ!そうだユリカ!そして、レン!」


最後にダチュラが大きな声で叫んだ。


「あなた達、夫婦には、これだけは言っておかなくちゃ!」


「「え……」」


真剣なダチュラの声に僕と嫁さん二人がギクッとした。お互いに心当たりもあるからだ。


「あなた達は絶対に人がいるところで、夫婦喧嘩しちゃダメ!もう二度と!絶対によ!」


「「あ、うん……」」


「もしも街中であなた達が喧嘩してご覧なさい。死人が出るわよ!いい?わかってる?」


「「ごめんなさい……本当に」」


「わかれば、よろしいっ」


夫婦共々、声を揃えてダチュラに謝罪する。

これが最後の挨拶となった。


僕たち夫婦を残して、彼らはガヤ村へ旅立った。

それを見送った後、嫁さんが急に叫んだ。


「はぁぁーーぁ、今、すっごくライン交換したい!」


「え」


「せっかくみんなと友達になれたのに、連絡手段が何も無いって、つまんないよ!蓮くん、スマホ作ってよ!」


「無茶言うなよ」


「システムエンジニアなら、作れるんじゃないの?」


「人を”何でも屋”みたいに……パソコンのパの字もない、こんな世界で、僕には何もできません」


「えぇーー」


「……さて、みんな見えなくなったね」


「うん」


「やっと二人きりになれた」


「うん……」


「ゆっくり話そうか」


「うんっ」


僕と嫁さんはお互いに見つめ合った。

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