第51話 王立図書館の司書シャクヤ
「蓮くん、ごめんね……さすがに蓮くんとの濃厚チューを人に見られたら恥ずかしいなって思って、周りの気配を確認したら、見つけちゃったんだ」
街道の向こうの木に隠れていたシャクヤがこちらに歩いてくる間、嫁さんがガッカリした様子で僕に謝ってきた。
「いや、15歳の女の子が見てる前で、やらなくてよかったよ」
そうしているうちにシャクヤが僕たちのもとまでやって来た。
「本当に申し訳ございません。お邪魔をするつもりはなかったのでございますが……その……お二人があまりにも仲睦まじくされておられましたので……わたくし……入って行きづらく……」
「ああ、いいのよ、シャクヤちゃん。私たちも誰もいないと思って油断してた。ちょっと恥ずかしいところ見せちゃったわね。ところで、また会えて嬉しいんだけど、どうして戻ってきたの?」
「あ、あの!もしよろしければ、わたくしも、お二人にご同行させてはいただけないでしょうか?」
「「え?」」
シャクヤの言葉に夫婦そろって疑問符を投げかけてしまった。
嫁さんがさらに聞く。
「どうして?聖峰に用事があるんじゃなかったの?」
「はい。それが最初の目的だったのでございますが、お二人にお会いしたことで、本当の目的に辿り着いたのでございます」
「どういうこと?」
「お二人は、”異世界”から来られたのでございますよね?」
「「え!!」」
今度は、夫婦そろって感嘆符を飛ばした。”異世界”という言葉を僕たち以外の人間から初めて聞いたのだ。そして、僕はこういう時に必ず警戒心を持つ男だった。
「な、なんでシャクヤちゃんが――ふごぉっ」
「百合ちゃん、ちょっと待ってて。僕に話をさせて」
嫁さんが変なことを口走らないよう、僕は彼女のほっぺたを右手で掴み、口を閉じさせた。
両サイドから僕の指で頬を挟まれ、口を尖らせる嫁さんがマヌケでかわいい。また、今気づいたことだが、若返った嫁さんのほっぺたがプニプニしていて、いつまでも触っていたくなる心地良さだった。
「おむっ、おむぉっ、おぉおっ」
嫁さんが何事かを訴えているが、僕はシャクヤとの会話を優先した。
「シャクヤ、何を言っているのか、よくわからないけど、”異世界”ってのは何のことだ?」
「異世界というのは、その名のとおり、この世界とは異なる世界のことでございます。お二人とも、そこからいらしたのでございますよね?」
「どうして、そんなふうに思ったんだ?」
「はい。まずは、お二人のご様子とお話の内容が、わたくし達の感覚とは大きく異なるものでございました。また、レン様がユリカお姉様のことを”勇者”と呼ばれていたこと。そのとおりに、お姉様が魔族をものともしない強さであられたこと。それらを総合致しまして、お二人が異世界から召喚されてきた勇者様ご一行であると考えたのでございます」
理路整然と語るシャクヤの言葉に納得するものを感じる僕。しかも、この子の人柄を僕は既に知っている。信頼してもいいとは思うのだが、念には念を入れて、あえて意地悪をしてみた。
「僕が、百合ちゃんを”勇者”と言ったのは、この子の強さを称えてのことだよ。そして、僕がそれだけ、この嫁さんのことを好きで、尊敬しているということでもある。シャクヤの言う異世界なんて、僕たちは全く知らないな」
僕の今の言葉は、白を切ることによって、シャクヤの出方を窺うとともに、先程の家族会議で掲げた”嫁さんしか愛さない”というアピールをシャクヤに伝える意図もあった。
どうも、この子の様子からは、僕への好意があふれ出しているように感じたからだ。勘違いであれば、それで済むし、当たっているとしたら、牽制になる。
そして、それを聞いた嫁さんの声は、何を言っているのかわからないが、とても喜んでいる様子だ。
「おむほっ?おむぉっおっ!」
ところが、シャクヤからは何事もなかったように冷静な言葉が返ってきた。
「いいえ。ユリカお姉様の強さは、この世界のものではございません。なぜなら、異世界から召喚された者でない限り、人間がレベル50を超えることはないのでございます」
「えっ」
僕は返答に窮した。天然な不思議少女だと思っていたが、シャクヤの方が一枚上手だった。
彼女の言うことが本当なら、嫁さんの強さは異世界転移者であることを証明してしまうし、嘘だったとしても、僕にはそれを確認する術が無い。
「ほとんどの方々はご存じないことですが、”勇者”とは、全て異世界から召喚された方のことを言うのでございます。人間の強さの限界値であるレベル49を超える者。それを召喚するのが『勇者召喚の儀』でございますから」
何も情報がない僕は、シャクヤの説明に納得せざるを得ない。
手の力をゆるめたため、嫁さんが僕の手をどけて、しゃべり出した。
「んもうっ、蓮くん、シャクヤちゃんのこと信用してあげなよ。ほんとに疑り深いんだからぁ」
「う、うん。シャクヤ、一つ聞かせてくれないかな。もしも僕たちが異世界から来た者だとしたら、君は僕たちをどうするつもりなのかな?」
「はい。お二人が目的を果たされますように、ご助力申し上げたいと思っております」
「……それだけ?」
「はい」
僕はシャクヤの顔をじっと見た。知り合ってから24時間も経っていないが、どうもこの子は抜け目ない性格をしている。
ただの心優しい女の子だと思っていると、強力な魔法を隠していたり、天然な子だと油断していると、論理的な思考回路を持っていたりする。
僕は次第にシャクヤに顔を近づけていった。
「あ……あの……なんでございましょうか?」
しっかりとシャクヤと目を合わせて、僕は聞いた。
「それだけじゃないよね?シャクヤにも何か目的があるね?」
顔を赤くしたシャクヤが目を逸らした。
「は……はい……申し訳ございません。わたくしも目的がございます」
やっと白状した。
初心な女の子なら効き目があると思い、目を見つめて話したが、効果はてきめんだった。ここは大人の余裕を持った僕の勝ちだ。
「どんな目的なんだ?よかったら聞かせてよ。僕たちを手伝ってくれると言うなら、僕らも君のことを手伝ってあげていい」
「そこは、秘密なのでございます。申し訳ございません」
「蓮くん、あんまり意地悪しちゃ可哀想でしょ?シャクヤちゃんは私たちの味方になってくれるって言うんだから、優しくしてあげなよ」
嫁さんから、たしなめられてしまった。
「あの、まだお話しすることはできないのですが、時が来たら、お二人にお願いしたいことがございます。それまでは、勇者様にご健在であっていただきたいので、わたくしも微力ながら、ご助力、差し上げたいと思います。いけませんでしょうか?」
何か、必死の願いが込められているようなシャクヤの話しぶりに僕も心を和らげた。
彼女に笑顔で語りかける。
「うん。意地悪言ってごめんね、シャクヤ。むしろ、僕の方こそ、”勇者”の情報は喉から手が出るほど欲しいんだ。一緒に来てくれると助かるよ」
「ありがとうございます!」
「ところで、ローズ達はどうしたんだ?」
「ローズ様には、今回依頼した分の報酬をお支払いしまして、お別れして参りました。なんでも、ローズ様の故郷は南の『シュラーヴァスティー』にあるそうで、ガヤ村でしばらく休息を取られたら、一度そちらに寄られるとおっしゃっておりました」
「なるほど。それでシャクヤだけ戻ってきたんだね」
「はい。お二人とご一緒なら、護衛は不要だと思いましたので」
「うん。確かに」
「じゃあ、三人で楽しく行きましょ!」
嫁さんの明るい声で、ようやく『商業都市ベナレス』への旅路が再開した。
道中でも僕はシャクヤに質問した。
「さっき、『勇者召喚の儀』って言ってたけど、僕たちを召喚したのは、シャクヤではないんだね?」
「はい。わたくしは、勇者様の召喚が行われる可能性を察知しまして、”占い”を致しましたところ、聖峰グリドラクータに異変が起こるという予見が出まして、それに従って、調査に参ったのでございます」
「占い?」
「わたくしには、秘密の”占い”がございまして、結構当たるのでございますよ」
「へーー。それも秘密なんだ」
「ですから、お二人が、こちらの世界に来られた時、最初に聖峰グリドラクータにいらしたのではございませんか?」
「うん。そのとおりだよ」
「シャクヤちゃん、すごいわねっ」
シャクヤの推理に僕と嫁さんは二人で感嘆した。
「ね、蓮くん、私、前から思ってたんだけど、シャクヤちゃんて、蓮くんとタイプが似てるんだよね」
「そう?」
「まぁ!ほ、本当でございますか?」
嫁さんの言葉に僕は疑問符で答えたが、シャクヤは食いつくように反応した。
「話は合いそうな気はするけどね。さっきから聞いていて、とても頭がいい」
「レ、レン様からそのように言っていただけるなんて……」
「ところで、僕たちを召喚した人間に心当たりはあるのかな?」
「それは……あるにはあるのでございますが、確証がございませんし、少々、申し上げにくい相手ですので、差し控えさせていただきます」
どうにも秘密の多い女の子だ。
「ただ、『勇者召喚の儀』はとても大掛かりな術式ですので、大規模な魔法を実行できる施設が必要となります。術者も一人ではなく、複数名で行うものでございます。また、日時も決まっておりまして、皆既日食の瞬間でなければ、行使できません」
「皆既日食?もしかして、9日前にもあった?」
「はい。ございました」
「なるほど。だから、僕たちが来た最初の日は新月だったんだ」
「どういうこと?」
嫁さんが質問してきた。
「皆既日食は、新月の日にしか起こらないんだよ」
「え、そうなの?」
「地球と太陽の間に月が来て、太陽を隠すのが日食。てことは、その時の月は全て陰になるでしょ?」
「うーーん、よくわからないけど、そうなんだね」
「レン様のそのような難しいお話が、わたしくどもの知識とは異なります。やはり違う世界から、いらしたのでございますね」
シャクヤが感心して僕に言うが、嫁さんがいち早く付け加える。
「シャクヤちゃん、この人は、ウチの世界で見ても変な人なの。コレを普通だと思わないでね」
「”コレ”って……」
それにしても、思わぬ情報源が獲得できたものだ。
そして、シャクヤもまた、異世界の存在を本気で信じている。
僕は、そんな彼女にさらに質問することにした。
「ところで、シャクヤ、召喚された勇者が元の世界に戻る方法はあるのかな?実は、それが僕たちには最も重要なことなんだけど」
「それには、二つの説がございまして、魔王を討伐された勇者様は、元の世界に帰られるとお聞きしております」
「もう一つは?」
「あるいは、聖峰グリドラクータの頂上に、”異世界に通じる門”があると噂されております」
「あの山の頂上か……」
「ただ、どちらもについても、わたくしは懐疑的に受け止めております」
「どうして?」
「仮に勇者様が異世界にお帰りになられたとして、それを確認する術が、わたくしどもには無いからでございます」
「なるほど。そのとおりだ」
「また、聖峰グリドラクータについて言えば、頂上まで登った人間は歴史上、存在しておりません。謎に包まれた山なのでございます」
「つまり、頂上に行くまでに何かに阻まれると?」
「そのようでございますね」
「どちらも一筋縄ではいかないということか……それにしても、シャクヤ、君はどこでそんな情報を手に入れたんだ?」
「それは……わたくしは王立図書館に勤めておりますので、そこで様々な書物を読んだのでございます」
「だとすると、王国の偉い人は、みんな今の話を知っているのか?」
「いいえ。ごくごく一部の人間だけでございます。わたくしが詳しいのは、その他に家庭の事情もございまして」
「家庭の事情?」
「はい。今はそれ以上、申し上げられないのですが」
「そうか」
「『勇者召喚の儀』について、詳しくお知りになられたいのでしたら、わたくしが、王立図書館にご案内致しましょうか?」
「え?読ませてもらえるの?」
「わたくしがご紹介すれば、可能だと思います」
「それは、ありがたい!」
「では、ベナレスに着きましたら、そのまま『ラージャグリハ』の王都『マガダ』までご案内して差し上げます」
「あ、いや……ちょっと待って」
急転直下、勇者召喚についての情報が舞い込んできたため、当初考えていたプランを変更してもよくなった。
元の世界に戻る足がかりとするべく、情報収集するため、ハンターギルド本部のある『ベナレス』に向かうことにしていたのだが、『勇者召喚の儀』の仕組みを知ることができるのであれば、旅の目的に大きく近づくことになる。
しかし、話が急すぎて、逆に胸騒ぎもするのだ。
「蓮くん、ハンターギルドはどうするの?あとエルム達のこともあるけど?」
話を聞いていた嫁さんも心配している。
「うん……とりあえず、今は生活基盤を整えることに専念しようか。シャクヤのお陰で先の見通しも立ったけど、もう少し慎重に事を進めたい」
「そだね」
「それに……ちょっと僕のわがままなんだけど……」
「なに?」
「街に着いたら、少しのんびり休みたい。ずっと気が休まらずに来たから、正直、心身ともにヘトヘトなんだ……」
「あ、そっか。ごめん。気づかなくて」
「だいたい僕は、こっちに来る前も一週間、働き詰めで、やっと明日休めるって思ったら、この世界にいたんだよ?そろそろ土日休みが欲しいところだ」
「そだね。蓮くん、たっぷり休んで」
「百合ちゃんは平気なの?」
「私は、健康になったせいか、逆に超元気!」
「うらやましいな……」
「それに私はずっと、ミス・オールサンデーだったからね」
「結婚してるから、ミセスね」
「ということで、シャクヤちゃん、ウチの旦那様を休ませたいから、王都に行くのは、少し待ってもらえる?」
「かしこまりました。それでは、落ち着かれましたら、いつでもおっしゃってください。わたくし、お二人を王都にお招きするのが楽しみでございます」
「ありがとね」
こうして、急展開であったが、僕たちが『異世界召喚』された事実を確認することができた。嫁さんの向こう見ずな人助けのせいで、とんでもない寄り道になってしまったが、結果的に僕たちは目的に大きく近づけたのだ。
不思議少女シャクヤを旅の仲間に加え、僕たち夫婦は、商業都市『ベナレス』を目指した。
そして、彼女との出会いは、僕の魔法研究に大いなる革新をもたらしてくれるのだった。
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