第40話 白金蓮の憂鬱⑧

今頃、嫁さんは苦境に立たされているかもしれない……というのに、僕、白金蓮は、ローズと手を繋いでいた。


暗闇の中、薄明かりだけで階段を降りているためだ。


ついさっき聞こえた、何かが崩れるような音が非常に気になる。嫁さんのマナを探知する宝珠からも弱弱しい光しか検知できない。今にも消えてしまいそうだ。


足元に気を配りながら、僕たちは急ぎ足で階段を降りていった。ところが、階段を降りきる直前でローズが足を止めた。


「レン、下にキメラがいる。こいつらは動いているぞ」


「まさか、さっきの音で起きてしまったのか?」


「何にしても次のヤツは、あたしが倒す。明かりを照らしてくれ」


「わかった。遠隔で照らすぞ」


僕は階段の下を宝珠の遠隔発動で照らした。

そこには、3体のキメラがいた。


「レン、風魔法を頼む。あたしが階段の下に行ったら、君は先に行ってくれ」


「わかった。それと、この照明魔法も君に渡しておくよ」


照明の宝珠をローズに渡し、【身に纏う追い風ドレッシング・ウィンド】を掛けると、彼女は階段の手すりを飛び越して下に着地した。キメラは急に出現した魔法陣と光に目を奪われており、ローズへの反応が遅れた。


ローズがすぐに1体を撃破する。


僕はその間に彼女の後ろを通り過ぎ、先の通路へ入った。

そのときだった。


「れーーんくーーん……」


遠くから嫁さんの声が聞こえた気がした。


「え、百合ちゃん?」


「レン、通路の向こうから人の気配を感じるぞ!君の奥さんじゃないのか?」


「ああ、今、声が聞こえた気がした!」


「行ってやれ!この先からはモンスターの気配はしない」


「ありがとう!」


僕はダッシュで駆け抜けた。


マナ探知の宝珠を確認すると、先程よりもわずかであるが、光が強くなっていた。何があったのかは、わからないが、今にも消えそうだったマナが少しばかり回復したのかもしれない。


その光が斜め前の方向から、どんどんこちら側へ近づいてくる。彼女がこちらに向かって来ているのだ。


ついに嫁さんに会える。

暗闇の中でまさに希望の光を見つけた気持ちだった。


「蓮くーーん!蓮くーーーーん!!」


今度はハッキリと聞こえた。嫁さんの声だ。しかも、元気な声。すぐそこにある曲がり角の向こうから、彼女のよく通る声が響き渡ってきたのだ。


「百合ちゃん!百合ちゃん!!」


僕も思わず、声を上げた。

心が震える。


こうして無事に二人が再会できることをどんなに夢見たことか。別れてから24時間しか経っていないにも関わらず、まるで数週間も離ればなれになっていたかのような、そんな気持ちで僕の胸は躍った。


「蓮くんっ!!」


嫁さんの声がすぐ近くから聞こえた。

曲がり角に来ると、向こう側から、しなやかな体つきの人影が現れた。嫁さんだ。


彼女は何も言わずに僕の胸に飛び込んできた。


僕もガシッとそれを受け止める。

体が自然と反応するようにギュッと抱きしめた。


この瞬間をどれほど待ち望んだことか。命の危険を冒してまで、ここに来て本当に良かった。


「百合ちゃん!会いたかった!二度と会えないかと思った!とにかくごめん!全部、僕が悪かったんだ!君のことを愛している!!」


思わず、素直な気持ちが出てしまった。もはや恥ずかしいとか照れくさいとか、そんなことはどうでもいい。今は嫁さんと生きて会えたことに何よりも感謝したかった。


彼女は僕の胸の中で震えていた。僕を抱きしめ返すのだが、強すぎる力を遠慮しているのか、あまり力が入っていない。それともそれほど疲弊しているのだろうか。


考えてみれば、この世界に来てから、嫁さんのことを抱きしめたことは一度も無かった。この点については、元の世界でも、ここ最近はしばらく抱き合っていなかったのだから、仕方ないとも言えるだろうか。


だが、こうして抱きしめた彼女の体は実に細かった。若返った影響か、肌触りや、頬に触れる彼女の髪の毛も少し感触が違う。


背も少しだけ縮んだように感じる。無敵の肉体を手に入れたと思っていたが、こんなにも華奢な女の子だったのか。


僕はいっそう愛らしさを感じ、彼女を抱きしめる両腕にさらに力を込めた。


「蓮くん……」


彼女が僕の名前を呼んだ。


――だが、ここでおかしなことに気がついた。

嫁さんの声が耳元ではなく、前方から聞こえたのだ。


僕は胸騒ぎを感じながら、前を向いた。

そこには、死んだ目で僕を凝視する嫁さんが立っていた。


「え……」


血の気が引くとは、まさにこのことだ。


なんということだろうか。

僕は人違いをしていたのだ。

人生最大級といっても良い、このタイミングで。


「なに……してんの……ねえ、なに……してんの……蓮くん……あなた……なに……してんの……」


もはや語彙力が崩壊した嫁さんは、同じ言葉を何度も繰り返し、目が死んだまま僕に呪いのような声でつぶやき続けている。


すぐに僕は抱きしめていた人物を離した。

それは綺麗なブルーの髪をした美少女だった。

顔を耳まで真っ赤にして、目が虚ろになっている。


「だ、誰!?」


つい口から疑問の声が出た。

そもそも抱き着いてきたのは、この子の方からだった。


「わ……わたくし……わた……くし……は……」


のぼせ上がっている、とでも言えば良いのだろうか。

顔から蒸気が出てきそうな状態で、何も話すことができそうにない。


「ご、ごめんね。あとでちゃんと謝るから」


仕方なく謎の美少女は置いといて、嫁さんの方に駆け寄った。


「百合ちゃん……あの……」


「……なに……してんの……」


思考回路が止まったかのように嫁さんは同じ言葉を繰り返す。


「ごめん。とにかくごめん!今のはただの間違いで……その……」


薄暗い照明しか無かったのも理由の一つだが、もはや何を言っても言い訳にしかならないだろう。今は、謎の美少女がもともと持っていたと思われる光の宝珠が、廊下に転がっており、そのお陰で周囲はよく見えている。


「蓮ぐん……わだしね……ざっぎね……死んじゃうかもってね……思ってね……ぞじたらね……蓮ぐんの気配がね……じてね……」


ようやく話をはじめた嫁さんは、泣きべそをかいている。


「なのに、なんで……なんで目の前で……別の女の子をハグしてんのぉぉ……これ、なんの拷問よぉぉぉ……」


人目もはばからず、マジ泣き状態になった。

その顔を見た瞬間、僕はすぐに嫁さんを抱きしめた。


「ごめん!ほんとごめん!今のもごめん!昨日もごめん!全部ごめん!君に会いたくて、ここまで来たんだ!」


「バカ!バカバカバカ!蓮くんのバカ!!」


「うん。僕がバカだった!だから、今はとにかくここから脱出しよう。あとでいくらでも謝るから!」


「うあ゛ーーーーんっ」


「…………」


僕は少しでも説得しようとしたが、感情が爆発してしまった嫁さんはなかなか泣き止まず、僕の胸にしがみついたままだった。


今、この時だけは、子どものように泣かせてあげるのも彼女のためなのかもしれない。そう思い、このまま黙って抱きしめ続けることにした。


そこに後から追いついてきたウィロウという盗賊と、もう一人の女性が来た。僕に泣きついている嫁さんの様子を見て、何か信じられないものを見たかのように驚いている。


「ウィロウっていうのは、お前か?」


僕が聞くと、彼は何も言わずに頷いた。

そして、もう一人の女性が代わりに答えてくれた。


「はい。この人はウィロウです。私はカメリアと言います。魔族に連れ去られたところを、この人と、そこのユリカさんに救っていただきました。この人はしゃべることができないので、申し訳ありません」


「魔族が絡んでたのか。それは大変だったね。……ああ、この子のことは気にしないで。僕はこの子の夫だ。しばらくしたら、気が済むと思うから」


二人と話していると、さらに僕の後方からはローズがやってきた。無事にキメラを倒してきたようだ。


「おや、聞いてたよりも人数が多いな」


「あ、ローズ、ちょっとだけ待っててもらえるかな」


「ふっ、まぁ感動のご対面ってとこか」


嫁さんを抱きしめている僕を横目に、謎の美少女に目を移すローズ。


「おお、シャクヤ嬢、あなたも一緒だったか。本当によかった」


ローズの声を聞いて、我に返る謎の美少女。

なるほど。この子がローズの言っていたシャクヤって女の子か。


「ま、まぁ!ローズ様!どうしてこのような所まで?」


「あなたを助けに来たに決まっているでしょう。まったく……とんだ依頼主だ」


「そんな!このような危険なところにまで来てくださるなんて!それにどうやって、わたくし達の場所がわかったのでございますか?」


「このレンという男のお陰でね。彼がいなければ、ここまで来ることは不可能だった」


「そうでございますか……さすが、ユリカお姉様の旦那様でいらっしゃいますね……」


シャクヤという美少女が、何やらウットリした様子で僕を見つめてきた。

これはまずいぞ。変な誤解をされる前にしっかり謝っておかなければ。


「さっきはごめんね。全く悪気は無いんだ。暗くて嫁さんと間違えてしまって……償いは必ずするから」


すると、シャクヤは顔を赤らめながら言った。


「い、いえ!いえいえ!先程は、わたくしが悪いのでございます。あまりにも恐ろしいことが続いておりましたので、その、殿方の声が聞こえた途端に安心してしまったと申しますか……思わず跳びついてしまったのでございます……」


言いながら、再びシャクヤの顔が真っ赤になり、もじもじしはじめた。


「ただ……その……あ、あんなに力強く……殿方に抱きしめられたのは……初めてでしたので……」


これは完全にまずい。これなら痴漢扱いされて、嫌われた方がマシだった。

嫁さんを抱きしめいるにも関わらず、僕の顔が青ざめる。


「と!とにかくごめん!僕がドジだった!」


「ド、ドジ!?レン様もドジなのでございますか?」


「うん……本当にごめん……僕は時々、ドジを踏んじゃうんだ」


「まぁ……そうなのでございますね……」


シャクヤが柔和な笑みを浮かべた。なぜかは全くわからないが、今の会話でますます気に入られてしまったような気がする。

いったい何なんだ、この子は。


とにかくこの件については、あまり嫁さんの前で掘り下げたくない。

話題を変えて、脱出の話をしよう。

ところが、今度はローズが面白がって、話を盛り上げようとしてくる。


「なんだ、なんだ。暗闇で人の手を握ってきたかと思えば、今度はシャクヤ嬢か。レンは意外と、やらかす男なんだな」


「ローズ、君は黙っててくれ」


この子はどうも友達のようなノリで冗談を言ってくる。

女性ではあるが、僕の扱いも雑になってきた。


「蓮くん……この綺麗な人は誰……?」


ようやく僕の胸から顔を離した嫁さんが、今度はローズの存在を気にしはじめた。


「君がユリカだな。レンから話は聞いてるよ。あたしはローズ。このシャクヤ嬢の護衛を依頼された者だ。彼女を守ってくれて、感謝に堪えない。いつか、この礼はさせてくれ」


「あぁ、あなたが”女剣侠”さんなのね」


「それにしても、思っていた印象と違うな。こんな危険地帯に単身で乗り込んでいけるなんて、とんでもなく勇敢な女性だと思ったんだが……」


「ありがとう。今日はちょっと無理しちゃっただけよ。今、旦那の胸で泣いたら、スッキリしたわ」


一瞬、何かを疑った様子の嫁さんだったが、ローズの風格ある言動に、少し安心したようだ。ハンカチで涙を拭い、表情が柔らかくなった。それを確認した僕は嫁さんに声を掛けた。


「落ち着いた?」


「うん……」


大泣きして気が晴れたところで、今度は気恥ずかしそうに頬を赤くして、顔を背ける嫁さん。


「あのね……私も蓮くんに謝りたいことがあるんだ」


「うん。わかったよ。でも、それは後にしよう。今は外に出ることを優先して、それからゆっくり話そうよ」


僕が優しく語りかけると、嫁さんも笑顔で頷いてくれた。


「うん」


結局のところ、再会してから何も具体的なことを嫁さんと話していない。ただ、彼女を泣かせてしまい、抱きしめただけだった。それでも今は心から思う。僕たちは再び繋がったのだ、と。


「では、感動の再会も済んだところで、地上に戻ろうか」


感慨にふける僕の代わりにローズが仕切ってくれた。

ところが、嫁さんが僕の袖を掴んで止めた。


「待って、蓮くん。私と一緒に来てくれないかな?」


「え?」


「私、ここであの魔族をどうしても倒しておきたい」

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