第39話 白金百合華の冒険⑧
「シャクヤちゃん!そこから逃げて!」
白金百合華は、シャクヤに大声で呼び掛けた。シャクヤは百合華の戦う様子を見守っていたが、その呼び掛けで、背後からキメラが迫り来るのに気づいた。
「えっ」
シャクヤの他にウィロウとカメリアもいる。逃げようと思っても、とても間に合わない。気配の動きから、百合華もそのことがわかった。
(動いて!動いて!私の体!)
シャクヤたち3人が今にもキメラに襲われようとしているのに、マナが枯渇し、自分の体が言うことを聞かない。
元来、病弱だった百合華にとって、それは初めて味わう感覚ではない。むしろ、とても馴染み深い、そして、悩まされ続けてきたものだった。
(これじゃ……いつもの私だ……何もすることができなかった、今までの私だ……)
――この瞬間、百合華は自分自身の半生を思い出した。
10代の前半まではスポーツ万能少女として、何でもこなし、特に好きだった野球には夢中になって取り組んだ。
将来の夢はスポーツ選手になるか、スポーツ選手のお嫁さんになることであり、それは必ず叶うものと信じて疑わなかった。
そんな彼女は中学時代に全盛期を迎える。学校の部活の他、地域の女子野球チームにも所属し、エースとなって活躍した。その成績は都内でもトップクラスだった。
器量も良く、明るい性格で周囲を笑顔にする彼女は、学校でも1、2を争うほどモテたが、スポーツに夢中だった百合華は特に彼氏を欲しいとは当時思っていなかった。
ところが、全てが順風満帆であると思っていた矢先、突然、病で倒れたのだ。急性の心不全であった。この時、生まれつき心臓に不整脈を持っていたことが判明した。
発見と対応が迅速だったため、一命を取り留めたが、そこからの百合華は全く正反対の性格になってしまった。
心臓が正常に動かなくなるということは、どんなに呼吸をしても血液が正常に巡ってこないため、酸素が足りない状態となる。唐突に襲い掛かった”死”の恐怖を彼女はゆっくりじわじわと味わうこととなったのだ。
その体験は、百合華の心に強烈なトラウマを植えつけた。
激しい運動はできなくなり、スポーツは諦めた。本来であれば、健康な心臓のためには適度な運動が必要でなのであるが、何事にもとことん突き詰めて頑張ってしまう性分の彼女は、運動をするか、全くしないかのどちらかしか選択できなかったのだ。
また、運動を見るのも嫌いになってしまった。運動で活躍する人を見るたびに悔しさと嫉妬で心がいっぱいになってしまうからだ。
暗く、塞ぎ込んでしまった百合華だったが、なんとか次の目標を見つけた。自宅からすぐに通える高校に入ろうと決意し、猛勉強して、お嬢様学校として名高い近所の女子高に入った。
しかし、それが仇となった。レベルの高い進学校にギリギリで入学したため、勉強に全くついていけなくなったのだ。
性格はますます暗くなり、人生に絶望したような女子高生が誕生してしまった。この頃から、難しい話には拒絶反応を起こすようにもなった。
かつて、夫の蓮が「オタクの僕の高校時代は灰色だったな」と語ったことがある。だが、百合華は負けじと言い切った。「私はブラックだったよ」と。
この可哀想なメインヒロインは、その後も短大に行ったり、社会勉強としてアルバイトをしたりしたのだが、頑張ろうと決意して無理をするたびに心臓の発作を起こし、倒れた。
その結果、いつ倒れるのか、という恐怖によって外出することも控えるようになってしまった。
そうして、短大を中退し、家に引きこもって無為の生活を送るようになった。ただ、女手一つで百合華を育ててきた母親を助けたい、という一心で家事手伝いだけは励むようにしていた。
やがて、友人からの結婚報告が相次ぐようになる。
ますます置いてけぼりを食らったような気持ちになり、塞ぎ込んでいた百合華だったが、20代後半になって一念発起し、婚活を開始した。母親も見合い相手を何度も見つけ出してくれた。
出会う男性は、最初は百合華の容姿に顔を輝かせるのだが、病気のことを話した途端に表情が曇るのを百合華は見逃さなかった。
それが例外なく続いてしまったため、逆に男性に対して警戒心を強める結果となってしまった。
そんな精神状況が続く中、百合華は、白金蓮という一風変わったタイプの人間と出会ったのだ。
「外に出なくても、いっぱい楽しいことはありますよ」
という一言で、いっきに興味を持ってしまった。何より、病気を抱えた自分に対し、憐れむことも蔑むこともなく、同じ目線に立って親身に話を聞いてくれる姿勢に感銘を受けた。
この時から、彼女本来の明るい性格が再び開花したのである。
――その結果、気がつけば結婚していたのだ。
(これじゃ、蓮くんに出会う前の私だ……蓮くんのことが大事だから、危険な目にあわせたくなくて、一人で頑張ろうと思っていたのに……私、蓮くんがいないと何もできない……!)
百合華がこの世界に来て以降、ずっと心配をしていたのは夫のことだった。
心臓の心配が無くなり、無敵の肉体を手に入れた百合華は、水を得た魚のように活発な性格を取り戻したが、逆に全く力を持たずに転移してきた夫のことが常に気がかりであった。
討伐隊でリーフを亡くした時、夫はリーフの死を悲しみ、その死の責任を自分に負った。もちろん百合華もその気持ちは同じであり、自分の力不足を嘆いたが、悲しみに暮れるダチュラを目の当たりにして、彼女はもう一つ別のことを考えたのだ。
――もしも、夫が同じように死んでしまったら――と。
それは想像するだけで身を引き裂かれるような思いだった。もはや自分が自分でなくなってしまうのではないかと思われた。
また、討伐隊で最初にモンスターに包囲された際も、夫の命を危惧するあまり、取り乱してしまった。あの時、最初から落ち着いて対処できていれば、もっと多くの命を救うことができたであろうし、リーフも救えたかもしれないのだ。
そのように考えた百合華が出した結論は、”夫に危険なことは一切させない”ということだった。それをうまく説明できなかったため、時には、冷たい態度のように受け取られてしまったのだ。
(蓮くん……ごめん……結局、私一人じゃ何もできなかったよ……蓮くん……蓮くん……!)
凶悪なキメラがシャクヤに迫ろうとしている。時間にしてあと数秒だ。
もはや万策尽きた。
百合華がそう思った時だった。転んでうつ伏せになっていた百合華は、床で輝く宝珠に気づいた。ずっと首に掛けていた、夫からもらったペンダントだ。
(そういえば、このペンダント、蓮くんが魔法を入れてくれてたんだ。何の魔法だか聞いてもいなかった。どんだけギクシャクしてたのよ、私たち!とにかく試してみるしかない。おねがい!蓮くん!)
百合華は祈るような気持ちで宝珠を発動させた。
すると、心地よい風が身の周りを包み、体が軽くなった。
それは【
(え、すごい!体が軽くなった!)
彼女の夫、白金蓮はプレゼントする際、攻撃魔法を渡しても意味が無いことを理解し、エンハンス系の魔法を登録しておいたのだ。もともと超高速で行動できる妻に必要とは思われなかったが、万が一にも役立つことがあるとすれば、攻撃ではなく補助魔法だと考えていたのだ。
(これなら、動ける!)
百合華は力を振り絞り、ロビーからシャクヤが隠れていた通路へ超高速で移動した。そして、シャクヤの眼前に迫っていたキメラを一撃の下に粉砕した。
「よかった。間に合った……」
ガクンと体の力が抜け、シャクヤに寄り掛かる百合華。
「お、お姉様……」
「ごめん、シャクヤちゃん……どうもマナを使いすぎちゃったみたいで……」
「わたくし達のために申し訳ございません……どうかお休みください」
「ううん。もう少し大丈夫。これね、ウチの旦那がくれたペンダントにいい魔法が入っていたの。こんなところまで私のことを考えてくれていたのか、って思ったら、ちょっとだけ元気が出てきた」
そう言って、百合華は自分の足で立った。
「マナは精神の影響を受けるものですから、心が元気になれば、マナが回復することもありえますわ。きっと愛の力でございますね」
シャクヤが感慨深く言った。
「キメラの数はかなり減らしたけど、私が戦える時間も残り少ないわ。こうなったら、みんなで走り抜けて脱出しましょ。敵が来たら私が食い止めるから、シャクヤちゃん達はとにかく走って」
「かしこまりました」
どこかで見ているであろう魔族の動向が気になるが、今はそれ以外に最善の道は無かった。
百合華は3人を連れてロビーに入り、吹き抜けになっている2階への階段を駆け上がった。1階の気配は消えきっていないため、百合華は最後尾を走る。
階段を登りきったところで、ふと、頭上に気配を感じた。
「みんな!走って!」
既に走っているが、さらに速く、という意味で叫ぶ百合華。
次の瞬間、天井が崩れて落ちてきた。
シャクヤ、ウィロウ、カメリアの3人は2階の奥まで走ったが、百合華は再び足がもつれてしまった。
「あっ」
ドッガガガガァァン!!
落ちてきた天井の瓦礫に百合華が押し潰された。
振り返ったシャクヤは驚愕した。
「ユ、ユリカお姉様!!」
下敷きになった百合華は瓦礫に邪魔されて見えない。
そこに天井に開いた穴から2体のキメラが落ちてきた。
ズッシイイイィィン!!
瓦礫の上にキメラが落ちたことで、さらに百合華は押し潰されたはずだ。
シャクヤは愕然とした。
「そ、そんな……お姉様が……」
いくら、呑気者のシャクヤとて、この事態に平静でいられるはずがない。ガクガクと体が震えている。
そして、さらに1人の魔族が降りてきた。シソーラスである。
「ンフ、ンフ、ンフフフフフフ……つ、ついにやりましたよ!い、いくら化け物のように強いと言っても、戦い続けていれば、げ、限界は来ますよねぇ。マナが、こ、枯渇しましたね。実験体を無駄にした甲斐が、あ、ありました!」
天井裏から百合華の様子を観察していたシソーラスは、彼女がよろける姿を見て、ここを最大のチャンスと捉え、トドメを刺しに来たのだ。
「し、死体を確認したいところですが、この瓦礫をどけるのは大変ですね。こいつらは、こ、細かい命令を聞いてくれませんからねぇ」
そう言って、シソーラスは瓦礫の上を歩き、その中を覗き込んでみる。
その瞬間、目の前にあった瓦礫の破片が突然、自分の顔に飛んできた。
ガンッ!
「ぐあぁっ!!」
破片が頭に当たり、血を流して転げ落ちるシソーラス。
「あぁーー失敗しちゃったぁ……力が入っていれば、今のでやっつけられたのに……」
瓦礫の中から聞こえてきたのは、百合華の声だ。
「残念だったわね。マナは枯れちゃったけど、私の体が頑丈なことには変わりなかったみたいよ。ね、魔族さん」
「い、生きているのですか!?その状態で!バ、バカな!そんな人間が、い、いるはずが!」
シソーラスは脅えながら後退りしている。
「お、お前たち、その人間を瓦礫ごと、つ、潰しなさい!動けない今のうちに叩くんですよ!」
そう言い残して、シソーラスは去ってしまった。
キメラ2体は、瓦礫に乗っかったまま、その瓦礫を叩き続けた。
「シャクヤちゃん、今ので私も力を使い切っちゃったみたい。私のことはいいから逃げて。こいつらが私を相手にしている間は追ってこないから」
「で、ですが……!」
瓦礫の中から聞こえる百合華の言葉にシャクヤは即答できない。
「いいから行って。ウチの旦那が私のことをね、”勇者”だって言ってくれたの。だから、どうせなら最期は勇者らしいことをしたいのよ。おねがい。あなたまで死んでしまったら、私が来た意味が無くなっちゃう」
「は……はい!」
シャクヤは涙を流しながら走った。
少し先にいたウィロウとカメリアも走り出す。
百合華がほとんどのキメラを引きつけて倒してくれたおかげで、そこから先にはキメラが全くいなくなっていた。
瓦礫に埋もれた百合華は、キメラ2体から瓦礫ごしに殴られ続けていた。普通の人間であれば一撃食らっただけで即死するような攻撃力だ。
(あーーぁ……蓮くんと喧嘩したまま、こんなことになるなんて……私が死んだら、蓮くん泣いちゃうかな……)
夫が泣く姿を想像した途端、やるせない気持ちになる百合華。
(やだ……やっぱりこんなとこで死にたくないよ……蓮くん……最後にもう一度会いたかった…………仲直りもしないまま死んじゃうなんて、最悪すぎるよ……蓮くん!蓮くん!!)
涙ぐむ百合華が願い続けると、なんとなく夫の気配を感じることができた。
(あれ……なんか……蓮くんの気配を感じる……私の妄想が生み出したのかな……そうそう、こんな感じ……この温かい気配……いつも私のことを考えてくれて……ちょっと口うるさい……蓮くんの気配だ……)
意識が混濁しているのか、と最初は考えた百合華だったが、自分でも驚くほど意識がハッキリしていることに気づいた。
(あれ!?違う!)
そう思った瞬間に瓦礫を押しのけて立ち上がっていた。
ガバッ
「これ!蓮くんだ!本物の蓮くんの気配だ!!」
瓦礫から頭だけ出した状態で叫ぶ百合華。
キメラ2体も一瞬ビックリした様子で、彼女の頭を見つめた。
百合華は2体のモンスターからガン見されていることに気づく。
「あ……」
わずかな沈黙の後、2体のキメラから同時に殴られる百合華の頭。
ドガッドゴッ!
しかし――
「いったいわねぇ!コブが出来たらどうすんのよ!!」
茫然とするキメラ2体。
残念ながら、この場には誰一人ツッコミを入れられる者が存在しないが、そもそも普通の人間が食らえば、跡形も無く消し飛んでいる程の破壊力である。コブが出来る出来ないの話ではないはずだ。
そして、次の瞬間、百合華を押さえつけていた瓦礫の山が、一斉に弾けてキメラたちに次々と激突した。
わずかだが力を取り戻した百合華が、瓦礫を勢い良く押しのけたのだ。そのまま2体のキメラは、瓦礫とともに弾け飛び、壁に激突して絶命した。
「キャスト・オフ」
”脱皮”を意味する、特撮ヒーローの名台詞を言い放つ百合華。それは夫の気配を感じ取った彼女に心の余裕が生まれたことを表していた。
結局のところ、百合華には全身にかすり傷がついたくらいで、怪我というほどのダメージは無かった。彼女はすぐに高速で走り出し、シャクヤの気配を辿って、あっという間に追いついた。
「シャクヤちゃん!蓮くんが!ウチの旦那がここまで来てくれてるのよ!」
「えっ」
先程、死に別れたと思ったのに、ピンピンした姿で元気に追いついてきた百合華を見て、驚いていいのか、喜んでいいのか、さすがの天然娘も複雑だ。
「もう大丈夫よ!あの人が来てくれたんだから!」
「は、はい!!」
シャクヤはそれ以上何も言わず、ただ目に涙を浮かべていた。
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