第36話 白金百合華の冒険⑦

「うっ……!」


百合華は奥の部屋を覗きこんだ瞬間に目を閉じて顔を背けた。中には陰惨な光景が広がっていたのだ。


シャクヤに目を向けると、彼女は泣いていた。

百合華は彼女をそっと抱きしめる。


「あんなもの見ちゃったのね……ビックリしたわよね……」


「あ、あ、あんな……こと……ひどすぎます……」


奥の部屋は魔族が行う研究室になっていた。

そこでは、モンスターを扱った数々の実験だけでなく、ごく最近行われたであろう人体実験の残骸があったのだ。目を覆いたくなる惨劇であった。


百合華は魔族が切断して置き去りにした左腕を見た。


「あの左腕……あいつのじゃなかったんだ……人のものを自分にくっつけてたのね……」


「あ……あの方々は……まだ……生きていらっしゃるのでしょうか……」


「ううん。気配でわかる。この中にはもう生きている人もモンスターもいない」


「それは……よかった……というべきなんでしょうか……」


「わからない……わからないわ……」


討伐隊の折、森で多くの生き死にを体験した百合華であったが、ここで見たものは、それを遥かに超える凄惨なものだった。


不意打ちでそれを見てしまったシャクヤも可哀想だが、本当に哀れなのは、生きたまま実験台にされた当人たちであろう。いくら盗みを働いたからといっても、あまりに過酷な仕打ちであった。


シャクヤを励まそうと抱きしめる百合華であったが、彼女自信も震えていた。


(蓮くん……!蓮くんっ!!会いたいよ!今すぐ会いたい!!皆を守らなきゃいけないのに、私の心が折れそうだよ……!)


いかにレベル150の最強勇者になったとはいえ、中身は平和な時代を生きてきた、ただの専業主婦だ。他の3人を守るために気丈に振る舞っているが、内心は今すぐ夫に泣きつきたい心情であった。


(でも、今は私しかいない!私が頑張らなきゃ!)


百合華は自分で自分を奮い立たせた。


「行きましょう!こんな恐ろしいところは、とっとと逃げ出すのよ!!」


「はいっ!」


ウィロウに案内をさせ、百合華たちは地上を目指した。廊下に出て階段を駆け上がると、城の1階部分に出る。そこから、玄関口にある吹き抜けの2階へ通じる階段へ向けて急いだ。


しかし、ロビーの広間直前で百合華が足を止めた。


「止まってウィロウ!この先はヤバいわ!」


先を進んでいたウィロウも慌てて止まる。


「さっきは点々としていたモンスターが集まっている。この先の広間で待ち伏せているわ。地下でなければ、もっと早くわかったのに……あんた、他の階段は知らない?」


ウィロウは首を横に振った。


「そう。じゃ、私が全部やっつけるから、ここで3人とも待ってて。あ、そうだ。シャクヤちゃん」


「はい」


「もしも万が一のことがあったら、シャクヤちゃんも戦うことができるわよね?」


「えっ!」


急に言われたシャクヤは一瞬、面食らったが、落ち着いて答えた。


「……ご存知でしたか」


「うん」


「そうです。わたくし、魔導書の心得がございます」


「しかも、かなり強いでしょ?」


「え、ええ……それなりに……」


「じゃ、いざって時は自分で自分の身を守るのよ。私に援護は必要ないから」


「それが、その……わたくし、不器用と申しますか……上位魔法しか使えないのでございます」


「どういうこと?」


「生まれついて魔法の才能があったようなのですが、一番最初に覚えたのが上位魔法でして……大人たちからは、それはそれは感心されました」


「それ、すごいことよね?」


「はい。ただ、どういうわけか、わたくし、下位の魔法が使えないのです。何と申しましょうか……攻撃するときは、全力の攻撃しかできない女なのでございます……」


「なるほど……だからかぁ……私ね、最初にあなたに会った時、こいつらをやっつけたでしょ?」


百合華はウィロウを指差しながら話を続けた。


「あれは、あなたを助けたんじゃないの。こいつらを助けたのよ。あのまま放っておいたらシャクヤちゃん、こいつら殺しちゃってたもんね」


「そ、そこまでおわかりになった上で……!?」


「うん。そういう気配がビンビン伝わってきたのよね。きっとシャクヤちゃんの力が強いもんだから、遠く離れた私にまで心の叫び声が聞こえてきたのよ。”人殺しはしたくない。助けて”って」


「感服致しました……」


「で、強い魔法しか使えないのが、どうして問題なの?」


「ここは地下ですし、見たところお城の保存状態はギリギリのようでございます。このような場所で、威力の高い魔法を使えば、お城が崩れて、わたくし達が生き埋めになってしまうかもしれません」


「なーーるほど」


「あ、ですが、至近距離でモンスターに真正面から命中させられれば、お城を傷つけずに済むかもしれません」


「それ、シャクヤちゃんは無事で済むの?」


「いえ、上位魔法は至近距離で使えば、自分も巻き込まれてしまいますので……」


「じゃあ、ごめん。今のはナシ。モンスターは全部、私がやっつけるから、シャクヤちゃんは二人と一緒に隠れていて」


「はい。申し訳ございません」


「いいのよ。万が一の話をしただけなんだから。ちょっと旦那のマネをしてみただけ。私がいれば大丈夫」


3人を隠れさせた百合華は、光の宝珠をシャクヤから借り、ロビーに出た。そこには5体のキメラがウロウロしていた。それぞれ異なるモンスターの合成体である。


「さっき下にいたのも、そうだけど、森にいたキメラより少し弱いわね」


百合華がしゃべると一斉にキメラが振り向いた。

あえて、自分に注目させたのだ。


「じゃ、悪く思わないでねっ」


百合華の姿が消える。彼女お得意の高速戦闘に入った。



――そして、その様子を天井裏から覗き見るのは魔族の男。

彼の名は『シソーラス』と言った。


推定レベルは38。

コウモリの特性を持ち、超音波を利用して暗闇でも自由に動くことができる。その能力のお陰で、百合華のレベルには遠く及ばないものの、地下における気配感知に限って言えば、彼女よりも上手であった。


さらに望遠機能のある魔法を使い、遠くのものを観察することもできる。森にいた時は、それを使ってモンスターに指令を出したり、人間たちを観察したりしていた。彼はそこで百合華を発見したのだ。


自身が作った多数のキメラのうち、最高傑作のキメラの性能を試そうと森の討伐隊を利用したシソーラス。しかし、尋常ならざる力を持って、その最高傑作をあっさり撃退した人間の女性。当初はその強さに狂喜し、関心を持ったものだが、なんと百合華は観察者である自分の存在に気づき、追いかけてきた。


慌ててその場を飛び立ち、退却したはずだったのだが、それでも位置を特定してきた彼女は、あろうことか石を超音速で撃ち込んできたのだ。


いかに超音波で物体の飛来を感知できる能力があろうと、音速を超えて飛んでくる物を捉えることは不可能だった。


幸いにも、石は狙いが逸れて大木にぶつかったが、今度は大木が粉砕し、その破片が爆風のように飛んできた。そこで彼、シソーラスは左腕と左羽の一部を吹き飛ばされてしまったのだ。


人間の放った石ころ一つで魔族たる自分が左腕を失った。

それはシソーラスにとって驚愕すべきことであり、耐え難い恥辱であった。


だが、それ以上に恐怖した。二度とあの人間には出会いたくない、と。


なんとか逃げ帰ってきたシソーラスは、遺跡の入り口に住み着いている人間を捕らえ、一人の人間からは左腕を奪って自分に移植してみた。それは成功とは言いがたいものであったが、何も無いよりはマシであろうと我慢した。そして、しばらくの間、遺跡から出ずに傷を癒すことにしようと考えていた。


それがどういうわけであろうか。

あれから数日しか経っていないにも関わらず、彼女は自分の居場所を突き止め、大事な研究室にまで足を運んできた。さらにせっかくの実験素材であった人間のメスまで奪われてしまったのだ。


「も、もはや、あの人間から逃れる、す、術はありません。ここで何としても、た、叩いておかなければ、ワタシの研究は、え、永久に進めることができません!」


よもや、ただの偶然で百合華がここに辿り着いたとは夢にも思わないシソーラスは、城中に隔離して閉じ込めていたキメラたちを一斉に解放し、ロビーに集めたのだ。失敗作であるがゆえ、命令をあまり聞いてくれないキメラたちを。


だが、百合華はどれほど多くのキメラに囲まれても意に介さない。最初の5体をあっという間に片付けた後、さらにロビーに集まってくるキメラを次々と倒していた。


恐ろしいことに、その戦いぶりが速すぎて、超音波を駆使しているにも関わらず、シソーラスはその動きを捉えることができなかった。


「な、何なんですか!あの化け物は!あ、あんな、あんな人間がいるだなんて、き、聞いたことありません!」



――シソーラスが百合華を見て愕然としている頃、百合華も彼のことに気づいていた。


(見てるわね。あいつ……また森の時みたいに……でも、地下だと気配がボンヤリしていて、場所を特定できないな……)


気づけば、既に倒したキメラの数が20体を超えている。


「はぁ……はぁ……はぁ………どんだけいるのよ、もう……あれ?」


百合華は息が上がっていることに気づいた。まるで無限にあるかのように感じていた体力がいつの間にか消耗している。


(こいつら、そんなに強い?ううん。私は全く本気を出していない。ドラクエのスライムを倒すみたいな感覚で余裕で倒してるのよ。なのに、なんでこんなに疲れているんだろ?)


そう考えていると、さらにまたキメラが3体現れた。ロビーに姿を現すや否や、瞬時のうちに仕留められてしまうキメラたち。


すると、高速移動から戻ってきた百合華の足がもつれた。


「おっっとっ」


(ええぇぇっ!?なんか足に来ちゃってるんですけど!どうしちゃたの、私?)


しかし、休む暇も無く、さらにまた2体のキメラがやってきた。


(しょうがない。ちょっと体力をセーブしますか)


百合華は戦いの中で破壊された城内の置物の破片を拾い、出現したキメラに投げる。超高速で射出された破片は、キメラを1体ずつ粉砕した。


「はぁ……はぁ……」


その後もキメラが出現する度に破片を投げつけ、瞬殺していく。


(ヤバい。気づくのが遅かったかも……いつの間にか、ものすごく消耗してる……)


この世界に来て以来、初めて百合華は汗だくになっていた。そして、気づいた。


(こ、これは体力の消耗じゃない……マナだ!”マナ切れ”ってやつだわ!前に蓮くんがなったみたいに!)


マナは精神力に大きな影響力を受ける――魔法について勉強した白金蓮から教わったことだ。


百合華は思い返した。


そういえば、ここ最近はよく眠れていなかったことを。討伐隊でリーフを亡くして以降、夫との仲がギクシャクして心が休まらなかったことを。


そして、旅に出てみれば、”大奥”というワードが頭をかすめ、夫を誰かに取られてしまうのではないかと疑心暗鬼になっていたことを。


さらに悪いことには、宝珠へのマナチャージで大量のマナを消費していた。1つの宝珠に限界までチャージすれば、百合華はマナ総量の約10分の1を消費する。


村にいるときに4つ。その分もしっかり回復していない。先程もシャクヤの光魔法のためにマナを大量チャージしたばかりだ。


その上、この地下で目にした凄惨な人体実験の跡は、純真な百合華の心を容赦なく抉った。


もはや精神力の限界だったのだ。

”一人で頑張る”ことに疲れてしまったのだ。


(マズいわ。今ここで私が倒れたら、シャクヤちゃん達を助けられない……)


不安と焦りは精神力をますます消耗させる。

そこに新たなキメラが接近してきた。


(ちょっと!そっちからも来るの!?)


次のキメラはシャクヤたちを隠れさせた方面から来た。角度が悪いのでロビーにいる今の位置からは物を当てることができない。すぐに位置を変えようと百合華は動いた。しかし――


ガクッ


「あっ」


百合華が転んだ。足に力が入らない。


(そんなっ!)


キメラの気配はシャクヤたちにどんどん近づいている。

百合華は最後の力を振り絞って、大声で叫んだ。


「シャクヤちゃん!そこから逃げて!!」

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