第31話 白金蓮の憂鬱④
僕、白金蓮は、倒れかけたローズさんを受け止め、抱き合う形となった。
赤い髪がフワッと乱れて、女性の香りが漂ってくる。
僕とローズさんの身長はほぼ一緒なので、お互いの全身が触れ合ってしまう。
ウチの嫁さんと僕とでは身長差があるので、抱き合ってもこういう体勢にはならない。
なんだこれは。背の高い女性を抱くとこんな感じなのか。これはかなりドキドキしてしまうぞ。
「ああ、すまない。実はここ2日、依頼主を追って夜通しで走ってきたんだ。ちょっと立ち眩みしてしまった」
「すみません。それなのに僕が驚かせてしまったんですね」
モデルのようなローズさんの顔がすぐ横にあり、耳元で囁かれるように話をされる。
僕はドギマギしながらローズさんを座らせた。
「レーーン、顔が赤いよーー」
横でダチュラが冷やかすように言った。
「え、いや、違う。これはその……」
慌てる僕にダチュラがクスッと笑う。
「まぁ、ユリカには内緒にしといてあげる」
「あぁ、うん……」
なんだか、まずいところを目撃されてしまった。
「しかし、本当に驚いたよ、レン。あんな魔法を開発してしまう人間がいるとはね。君はすごい男だ。明日はよろしく頼むよ」
「はい」
「それと、これからは仲間なんだから、かしこまった言い方は無しだ。タメ口で話してくれ。その方が、あたしも楽だ」
そう言われると、悪い気はしない。
実年齢で言えば僕の方が年上なのだ。
「そ、そうか。じゃあ、よろしく、ローズ」
「ああ、よろしく頼むぞ、レン」
その様子を見ていたダチュラが、もぞもぞしながら話し出した。
「あの……ローズさん、それにレンも……ちょっと聞いて欲しいんだけど……」
「ん?」
何やら言いづらそうな雰囲気のダチュラが意を決して言った。
「実は私、レベル21なんです」
「「え?」」
僕とローズが同時に驚いた。
「恋人のリーフにも黙っていたんです。本当の私のレベルを。ずっと騙し続けてしまったんです」
「恋人に気を使ったのかい?」
ローズが優しい声で尋ねた。
「はい。彼とは幼馴染で、昔からよく遊んだり喧嘩したりして、剣の訓練も一緒にやっていました。私も勝ち気で負けず嫌いでしたから、本気で鍛錬していました。そうしたら……」
「恋人よりも強くなっていた、と」
「はい。一緒にハンターを目指そうと駆け落ちした時には、既に力の差ができていました。きっと私の本当のレベルを知ったら、リーフもショックを受けると思って、私のステータスを見せる時は、昔のステータスを見せるようにしていたんです」
「なるほど。【
「私は、リーフに嘘をついたまま、彼と永遠に話せなくなってしまいました。そのことが私の心にずっと深く刺さったままで、どうしたらいいか悩んでいたんです」
「そうだったのか……」
「このまま故郷に戻って修道女になるのもアリかなって思っていました。でも、レンが努力して強くなろうとしているのを見て、そして、憧れのローズさんに出会えて決意が固まりました」
「うん」
ダチュラはそのまま勢い込んで言った。
「ローズさん、私を弟子にしてください!」
「は!?」
ローズは変な声を上げた。かなり予想外だったと見える。
「いや、待ってくれ。弟子だなんて、あたしは考えたこともないよ」
「荷物持ちでも何でもします。私に強くなる方法を教えてください」
「無理だ。あたしは人にものを教えられるタチじゃない」
「リーフの分まで私はハンターとして生きていきたい。それが、彼に嘘をついたまま守ってもらった私の責任だと思うんです。そのためにローズさんのような強い女性を手本にしたいんです」
「うーーん……」
「お願いします!」
「ダチュラ、ちょっといいかな」
「はい」
「まず、その死んだ恋人のことだけど」
「はい」
「その死に際のことはさっき聞かせてもらった。そこで思うんだが、おそらくダチュラが本当のレベルを教えていたところで、彼は君を守って死んだだろう。そのリーフくんが本物の男なら、きっとそうしたはずだ。違うか?」
「……いえ。そのとおりだと思います」
「つまり、何が言いたいかと言うとだね。死んだ恋人のために、なんて理由でハンターはやるもんじゃない、ということだ」
「……………」
「この世界は、勝つか負けるか、という世界じゃない。勝つか死ぬか、という世界なんだ。死んだところで骨も拾ってもらえない。そういう世界だ。そこに男女の違いは一切関係ない」
「……………」
ダチュラは何も言えなくなってしまった。
それを見ながらローズは続ける。その声は決して冷たいものではなかった。
「いいかい。弱いヤツがハンターになって強くなる。それは間違いだ。強いヤツがハンターになるんだ。だから女性は敬遠される。それでもハンターになりたいと言うのなら、ダチュラ、君は今いくつだ?」
「……17です」
「17歳でレベル21か。センスは申し分ないな」
「え……」
「君を弟子にするかどうかは、あたしが決める。でも、今じゃない。あたしが見込みが無いと決めたら、即刻ハンターをやめさせる。それでいいのなら、あたしについておいで」
「は、はい!」
「ただし、本当に見込みが無いと判断したら、絶対にやめさせるよ。有無は言わせない。その覚悟はあるかい?」
「はい!ついて行きます!」
目に涙を浮かべて、元気良く返事をするダチュラ。
二人のやり取りを見ていて、このローズという女性の実直さに心打たれるものがあった。
さすが、”女剣侠”と呼ばれるだけあって、一本気で真っ直ぐな性格をしており、義理と人情に厚い。
「まったく……あたしだって、まだ21歳なんだ。弟子なんて早いよ……」
最後にそう嘆くローズは、チラリと僕を見て、言った。
「レン、君は弟子じゃなくて仲間だ。そこはよろしくな」
「あぁ、うん」
「では、そろそろ寝よう。そうだ。焚き火で温めておいたミルクがあるんだ。よかったら飲んでくれ。よく眠れるぞ」
「へぇ、ありがとう」
男勝りな言動のローズだが、こんなところに気が利くとは、やはり女性だ。
温かいミルクを飲んでみると、少し薄味だがほんのり甘い不思議な風味だった。牛乳以外のミルクはほとんど飲んだ記憶がないが、何の動物から搾ったのだろうか。
よく考えると、モンスターのことばかり気に掛けていて、この世界の動物についてはあまり調べていなかった。何の家畜か?など、怪しまれそうなので聞くに聞けない。
「……おいしいね。疲れが取れる心地だ。ダチュラはいいのか?」
ダチュラは座り込んだままだった。
相変わらず涙もろいようで、流してしまった感激の涙を拭いている。
「私は今、胸がいっぱいだからいいわ」
「そう。ローズは?」
「あたしはもういいんだ。レンが全部飲んでくれ」
「じゃあ、遠慮なくいただくよ」
せっかくなので、器にあったミルクをありがたく飲み干した。疲れた頭と体に心地よく響くようだった。
そのまま3人とも寝床につく。
危険地帯につき、1人ずつ交代で番をしながら眠った。
そして、夜が明けた。
異世界生活9日目。嫁さんのいない初めての朝を迎えた。
いよいよ森を突き抜ける強行軍を行う日だ。途中、交代で番をするために起きたが、それ以外は熟睡することができた。気合いは十分だ。
顔を洗うために川の方に下りる。
川に近づいたところで、坂道の影から女性の声がした。
「ひゃっ」
聞き覚えのある声。ローズだ。
ビックリして振り向こうとしたが、視界の隅に肌色が見えた。
ここで瞬時に思い留まった。
待てよ。肌色に小さな悲鳴。
もしかして、これは、異世界でよくあるラッキースケベ状況に遭遇したのではないか?
普通の異世界ファンタジー主人公なら、ここで何も考えずに振り向いて、ひと悶着やからすところだろう。そして、現実に女性の裸を覗いてしまえば、その後は気まずくてどうしようもないはずなのに、一発殴られるくらいで、全てがチャラになってしまうのだ。あれはいったいどういう理屈なのだろう。
だが、そうはいかない。
こちらは社会人で既婚者なのだ。
この場合、全く何も見ずに引き返すのが、大人として最もあるべき行動だ。
それにあのローズから殴られたら、おそらく無事では済まない。
「あ、ごめん。着替え中だったか?すぐ戻るよ」
僕はそう言ってローズの方を見ることもなく、方向転換しようとする。
ところが、その瞬間、何か生温かい液体が僕の顔に飛んできた。
ピュッ
ぴちゃっ
「えっ!」
驚いて、顔に手を当て、付いたものを見る。
手には白っぽい半透明の液体がついていた。
そして、反射的に液体が飛んできた方角を向いてしまった。
そこには、全く予想外の光景があった。
ローズが胸をはだけて、右の乳房を両手で搾っていたのだ。
「なっ!まさか!!今のは……」
驚愕した僕はつい大きな声を発したが、言い終わる前にローズはその俊足で数メートルの距離をいっきに縮めて来た。そして、両手で僕の口を押さえる。
「大声を出すな!ダチュラはまだ寝ているか?」
小声だが、必死の叫びだ。
僕は口を押さえられてしまったので、うんうんと頷いた。
「頼む。昨日、あんなカッコつけて話をした手前、あの子にだけはこんな情けないところを見られたくない」
いや、それよりも僕に対して、おっぱい丸出しなんですけど。
「このことは他言無用で願いたい」
僕は了解したという意志を伝えるために、何度も頷いた。しかし、ローズがなかなか手をどけてくれないので、僕は彼女の胸を指差した。
「うん?……あっ!」
ローズは慌てて僕の口から手を離し、はだけていた服を元に戻した。
「すまない。見苦しいものを見せてしまった」
ローズは顔を真っ赤にしている。
見苦しいなど、とんでもない。男としては眼福ものだ。
「いや、こちらこそ申し訳ない。まさか君がいるとは思わなかったんだ……」
それにしても、裸を見たどころの騒ぎではない。
気まずいにも程がある。
だが、どうしても確かめなければならないことがあったので、僕は顔を背けたまま尋ねた。
「ローズ、君は子どもがいたんだね」
「ああ、うん」
「家に預けているのか」
「いや、街の教会に引き取ってもらっている。実家を飛び出してきているから、今さら頼ることもできなくてな」
「今、いくつなんだ?」
「1歳と2か月だ」
「だから、母乳が出るのか……」
「2年前のことさ。ある街でちょっとしくじって大怪我を負っちまった。そのとき、通り掛かった貴族の男が助けてくれてな。屋敷まで連れて行って看病してくれたんだ。実業家の男だった。まぁ、なんというか、初めて会うタイプの男だったんで、そこでつい気を許しちまったんだ」
「子どもができたのに、なんで結婚しなかったんだ?」
「あの人には既に奥さんが3人いた」
「3人?」
「あたしは、何番目かの奥さんになるなんて、まっぴらごめんさ。あの人のことを好きにはなったけど、縛られたくなかったから、何も告げずに彼のもとを去ったんだ」
「そうなのか……大変だな……」
今、なんとなくわかった。この子は”ヤンキー”なのだ。
初めて会った時は、その強さと貫録に感服したものだが、生き方や考え方が、僕たちの感覚で言えばヤンキーだ。こんな子が一夫多妻制のこの世界で、4番目の奥さんなど務まるはずがない。きっと家の中で女同士の骨肉の争いが起こってしまうだろう。
大人になって丸くなったヤンキーあがり。
あまり得意なタイプではないが、そう考えると付き合いやすい。
「だいたい、あたしは結婚ってものがイヤなんだ。どうして女は結婚すると家に入らなければならない?男ばかりが働いて、女は家にいろとか、何様だ?あたしより強い男なんて、この世で幾人もいないだろうにさっ」
「ローズはこれから、お子さんをどうするつもりなんだ?」
「今はお金を稼いで、いつか一人で生活できる家を持つ。あたしがハンターをやっているのはお金のためさ。あの子のためなら命は惜しくない」
「命は惜しくない……か。母は偉大だな」
「心残りがあるとすれば、この手であの子を育てられていないことと、毎朝、母乳を搾らないと胸が張ってどうしようもないことだ」
「そう。それだ。ひとつ確認させてくれ、ローズ」
「なんだ?」
「昨日、君が出してくれたミルク……あれはまさか……」
「ああ、あたしのだ」
ちょっと照れながら言うローズ。
そして、愕然とする僕。
ガックリと膝を落とし、思わず叫んでしまった。
「あああああ、やっぱりか!!ちょっと!なんてことしてくれたんだよ!!」
「すまない。おいしくなかったか?」
「味の話なんか、するか!僕はこれを嫁さんに何て説明すればいい?他人様の母乳を飲みました、なんて言えるわけないだろう!」
「勘違いするなよ。別にあたしだって、やましい想いで飲ませたわけじゃない。ただ、捨てるのはもったいないな、と思っただけだ」
「だったら自分で飲めばいいじゃないか」
「いやぁ、自分の乳を自分で飲むとか、どんな羞恥プレイだよ」
「他人に飲ませるのも羞恥プレイだろう!」
「バレなければ問題ないと思ったんだ。そこはすまない。騙してしまったな」
「まいった……。これって不倫にならないよな……」
「君は本当に紳士なんだな」
「そうしてきたつもりだよ。今日までは」
「ならば、君の奥さんに会ったら、あたしから謝っておくよ」
「うん…………いや、ダメだ。それはダメだ。かえって不誠実になる。僕から話さないといけない」
「そうか。難しいな、女というものは」
「君も女だろ……」
「だが、レンがそこまでショックを受けるとは思わなかった。本当にすまない」
「あぁ、うん……」
思いもかけないローズの秘密を知ってしまい、さらに、とんでもない事件に巻き込まれたことで動揺した僕だったが、気づけばローズとは友達のように話していた。
「……仕方ない。この件については、あとで考えるよ。これから命懸けの旅なんだ。ダチュラを起こして出発しよう」
「レン、まだ待ってくれ」
「なんでだ?」
「まだ右しか搾ってない。左も搾りたいんだ」
「ああ、そうか。早くしてくれよ」
「よかったら手伝ってくれてもいいぞ?」
この場を去ろうとする僕にローズは笑いながら言った。
紳士ぶる僕をからかっているのだろう。
「やるわけないだろ!」
「あ、あと、そうだ」
「なんだよ」
「あたしの母乳は、うまかったか?」
「言うか、バカ!」
その後、気を取り直してダチュラを起こし、朝食を済ませ、森を突破する強行軍を開始した。
出発前にローズが僕に聞いてきた。
「改めて聞くがレン、ここからは命の保証ができない強行軍だ。君は奥さんのために命を懸ける覚悟があるんだな?」
「無論だ」
「いい男だ。では行くぞ」
ここからは本気の戦いだ。
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