第26話 白金蓮の憂鬱①

僕、白金蓮は、嫁さんが急斜面に落ちていったのを確認した後、ダチュラと二人で待つことにした。


あの程度で、大怪我するような子でないことは十分知っている。なんせ高度数千メートルまでジャンプし、落下してきてもピンピンしていたのだから。鎧が砕けたにも関わらず、肉体は無傷というのは、もはや本末転倒であろう。


彼女はこちらの気配を察知できるのだから、しばらく待っていれば、冷静になった嫁さんがひょっこり戻ってくるはずなのだ。


すると、急斜面の下の方から地響きのような空気の振動を感じだ。鳥たちが一斉に飛び立っていくのが見える。


あ、これは嫁さんだな。下で何かしているらしい。

叫び声っぽく聞こえたけど気のせいか?

なんにしても生きてることは間違いない。大丈夫だろう。


そう考えながら、ふと横を見るとなんとダチュラが泣いていた。


「え、どうしたんだ、ダチュラ?」


「だって、二人の喧嘩は私とリーフのことが原因でしょ」


「あ、いや、その……」


全てがそうではないが、喧嘩のきっかけになったことは事実だ。ダチュラを目の前にして心無いことをしてしまった。


「二人のことは友達だと思ってるから、私たちのことで夫婦喧嘩しちゃうなんて悲しすぎるよ」


「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」


「私だって、全部ふっきれたわけじゃない。だけど言わせて。あなた達二人が喧嘩したってリーフは帰ってこないの。だから、彼のことで二度と喧嘩しないで」


静かに語ってくれたダチュラだったが、僕の胸には重く響いた。


「そうだね。本当にごめん。君にもリーフにも失礼だった」


「ちゃんと仲直りできる?」


「うん。するよ」


「わかったわ」


「そうだ。涙はこれで拭いてよ。僕じゃなくて百合ちゃんが用意してくれたものだけど」


僕はハンカチを取り出して、ダチュラに渡した。


「ありがとう」


「ああ、ちょっと待って。ダチュラ、軽くお化粧してるね。上手に拭かないと崩れちゃうよ」


流した涙が彼女の口元にまで届いており、薄く塗られた口紅が崩されそうだったのだ。気を使ってハンカチを受け取り、そっと涙を取り除いてあげた。よく考えると、この時とてもダチュラに接近していた。


「レン、こんなふうにユリカにも優しくしてあげなよ」


「そうだね。最近、してなかったかもしれない」


と、僕が反省した瞬間のことだった。


急斜面の下から上空に向かって何かが高速で飛び出した。そして、そこには嫁さんの悲鳴が混じっていたように感じた。


「え」


嫌な予感を抱きながら、斜面の方を見たが既に何も無い。

急いで上方を見上げた。今にも消え去っていく人影をギリギリ発見することができた。


「百合ちゃん!」


「え、どういうこと!?」


「何やってるんだ、あの子は!」


「ちょっと、あれ、ユリカなの!?」


ダチュラも困惑しているが、僕の動揺も負けていない。


最悪の展開だ。


しかも、今回は斜めに飛んで行った。このままでは遥か遠くの地へ着地するだろう。そうなれば、さすがの嫁さんでも僕の気配を追うことはできないはずだ。こんな異世界で二人が離ればなれになったら、どうやって再会するんだ。あの方向音痴の嫁さんと。


「追いかけなきゃ!」


「ちょっ!ちょっと待ちなさいよ!レン!」


ダチュラが僕の腕を引っ張る。


「ダチュラ!説明は後でするから!」


「そうじゃなくて!森に入ったらモンスターに見つかる!死にたいの!?」


「いや、でも!」


「それじゃさっきのユリカと一緒じゃない!」


「え……」


言われて僕も気がついた。何をやっているんだ僕は。


「結局、ユリカのことになるとレンだって慌てて同じことするんじゃないの」


「ごめん……だけど、まずい……まずい……どうするどうする……」


おそらく今の僕は顔面蒼白だろう。焦りを紛らわすためにグルグル歩き回りながら考え込んでしまう。


「今、飛んでったのはユリカで間違いないの?」


「うん。あれは百合ちゃんだ。前にもあったんだよ。そのときは雲の上までジャンプしてた」


「うそでしょ」


「ダチュラには本当のことを言うよ。ウチの嫁さんの強さは完全に常識を超えたものなんだ。ドラゴンすらも一撃で倒すし、人やモンスターの気配を全て感知できる。そして、ちょっと力を入れてジャンプしただけで雲の上まで行ってしまうんだ」


「えええぇぇぇぇぇ、確かに変だな、とは思ってたけどそんなレベルなの?」


「うん。おそらくこの世界で彼女を倒せる存在はいない」


「でも、あの勢いで飛んで行ったら、落ちた時死んじゃうわよ」


「それも大丈夫。前回も傷一つ無かったから」


「ええええぇぇぇぇぇぇ……」


「問題は、あの子が極度の方向音痴だってことなんだ。今までずっと僕と一緒だったから良かったけど、はぐれたらどうなるか予想もつかない」


「なんで、そんなところだけ普通なの!!」


ダチュラも思わずツッコまずにはいられなかったようだ。

話をしているうちに僕も冷静さを取り戻してきた。地図を広げ、コンパスを取り出す。


「ダチュラ、今この辺だよね?」


「うん。そう」


「飛んでいったのは、あっちだから北北西」


「そうだね」


「一瞬のことだったから微妙だけど、ジャンプの勢いは前回と同じくらいだった。そこから概算してみよう。

高度4000メートルまで到達したと仮定すると、

およそ28.5秒。

ジャンプから地面に着地するまでの時間は、

その倍で57秒。

空気抵抗はとりあえず考えない。

地面からの角度が60度だったと仮定した場合、

滞空時間57秒間で描かれる放物線は……」


「……何を言ってるの?」


「水平方向におよそ9キロメートル」


「はい?」


「ここから北北西に9キロ行ったとしたら、北側ルート付近に着地することになる」


「え、うん。え?なんでそんなことがわかるの?」


「今、計算したんだ」


「計算て……」


「仮定に仮定を重ねているから全く正確ではないけど、目安にはなる。ダチュラ、僕たちがいる南側ルートと北側ルートが合流するところは、どこかに無いのか?」


「無いわね。二つのルートが交わるのは商業都市ベナレスの直前になるから」


「つまり、北側ルートに向かうには、先にベナレスに行くか、引き返してガヤ村に戻るかして、そこから北側ルートに入らないといけないのか」


「その間にユリカが移動しちゃうんじゃない?」


「うん。彼女がどう動くのかを予測しないといけない」


「ユリカが強いなら、森を抜けてこっちまで戻ってくることはないの?」


「僕らの気配を感知できた場合はそうするかもしれない。でも、さすがに遠すぎるから無理だと思う。あの方向音痴が闇雲に森に入ったりしたら、それこそどんな方角に向かってしまうかわからない。もしも彼女がそんなバカな選択をしてしまったら、僕はお手上げだ」


「ひどい言われようね」


「まずは百合ちゃんが北側ルート付近に着地したという前提で、そこから考えてみよう。周りに何も無ければ、きっとどこに進めばいいのかもわからないはずだ。でも北側ルートの街道を進んでいる人の気配を探知できれば、合流すると思う」


「なるほど」


「そこで出会った人についていくことで、ベナレスに行くか、ガヤ村に戻るか、どちらかが可能になる」


「それだと、誰に会ったかによってどっちに行くかが決まっちゃうんじゃない?」


「うん。半々の確率だ」


「どうしよう……」


「そこで、今度は僕たちの都合の話なんだけど」


「うん」


「正直言うと、今回のベナレスまでの旅は、百合ちゃんがいてくれたから決行したんだ。僕の力だけでは、この危険な地帯を通り抜ける自信は無い」


「え、そうなの?レンはユリカほど強くないの?」


「僕のレベルは16だったでしょ。あのとおりだよ」


「そうなんだ……」


「だから、まず僕たちは村に引き返すしかない。そして、そのことに百合ちゃんが気づいてくれれば、彼女だって村に向かうと思うんだ」


「あ、そうか」


「あの子は最初はパニックになるだろうけど、落ち着けば、きっと僕のことを心配する。そうすれば、僕たちが村に戻ったと考えるはずだ。もしも、出会った人がベナレスに向かう場合は、街道を反対方向に進めばいいし、それでも不安な時は、村に向かう人が来るのを待てばいいんだ」


僕がここまで考えをまとめると、ダチュラが笑い出した。


「すごいわね。話が繋がっちゃった。あんな大喧嘩した後によくそこまで奥さんのことを考えられるわね」


「いや、まぁ……」


「じゃ、村に戻りましょう」


「うん。迷惑掛けてしまうけどいいかな?」


「しょうがないわよ。旅にトラブルは付き物だもの」


「ごめん。ありがとう」


なんとか方針が定まり、せっかくの旅路を僕とダチュラで引き返すことになった。意気揚々と出発しておいてまた村に戻るなんて、かなり気まずいものがあるが、背に腹はかえられない。


ところが、出発しようと思ったところで、ダチュラが制止した。


「レン、止まって」


「え」


「ユリカのようにはいかないけど、私たちが来た方から不穏な気配を感じたの」


「女の勘ってやつか?」


「経験から来る勘って方が正解ね。ほら、今、あっちの枝が動いた」


ダチュラの指差す方向で、森の木々がザワザワと動き始めた。


「何か来るわ」


現れたのは討伐隊の時にも見た『ユニコーン・ボア』だ。図鑑による調べでは、推定レベルは18。僕のレベル16より高い。


僕は緊張した。嫁さんのいない初めての戦闘だ。


「宝珠でいけるか」


そう言って僕は【風弾・三重陣エア・ショット・トリプル】を発動させた。

巨大な風の弾丸がユニコーン・ボアの頭部に当たり、血が噴き出た。

怯むユニコーン・ボア。


「よし、効いてる!」


続け様に【風弾・三重陣エア・ショット・トリプル】を連発する。

3回目でユニコーン・ボアは動かなくなった。


「すごいじゃない、レン。普通、自分より推定レベルの高いモンスターに勝つことはできないのに」


「よかった。これなら村に戻れる。先を急ごう」


「いや、待って。こういう時が一番危ないの」


「え」


「敵が1体だって誰が言った?むしろ1体でも見つかったってことは、他のヤツにも見つかってる可能性を考えないと」


「なるほど」


ダチュラの忠告に従い、周囲の様子を確認する。すると、ユニコーン・ボアの後方、森の奥からさらに別の影が出現した。大型の熊だった。


「あれは……『サイレント・グリズリー』だったか。推定レベル22」


「いや、違うわ。あれはさらに格上。『ファイティング・グリズリー』よ」


説明するダチュラの声が強張った。


「ファイティング?推定レベル26か」


「名前どおり好戦的なヤツで、真正面から襲い掛かってくるのが大好きなの。あれはヤバいわ。たぶんレンの魔法でも無理」


「逆に逃げたら、どうなる?」


「あいつは臆病者を許さない。ものすごいスピードで追いかけて来るわ。怒り狂ったツメに襲われて瞬時におしまいよ」


「どっちもおしまいじゃないか」


「死ぬ前に愚痴を言っていい?」


「どんな?」


「あなた達が大声で喧嘩したもんだから、モンスターが寄って来ちゃったのよ。今、軽く恨んでる」


「ごめん」


「冗談よ。命の恩人だもの」


「謝罪ついでに、ここも僕の魔法で何とかするよ」


そう宣言した僕は、宝珠に登録しておいた自分の風魔法を使った。


身に纏う追い風ドレッシング・ウィンド


僕とダチュラの体が風に包まれる。

この魔法はオンラインゲーム『ワイルド・ヘヴン』では回避率を上げるための魔法だったが、この世界では違う効果になったのだ。


「風が推進力となって、3倍の速度で動けるようになる。荷物は一度諦めて、これで逃げよう。効果時間は1分だ」


「やるじゃない」


「僕が攻撃して怯ませる。それを合図に走るぞ。せーーのっ」


風弾・三重陣エア・ショット・トリプル】を熊に向かって発射する。


ファイティング・グリズリーは大きな風の弾丸を両腕で受け止め、弾き飛ばした。確かにダメージには繋がらない。これでは間違いなく勝てないだろう。


そして、それと同時に二人で後方に走り出した。村に戻るには反対方向だが仕方ない。それを見たファイティング・グリズリーも激怒して追いかけて来た。


「は、速い!」


ダチュラが自分のスピードに感動するが、熊も負けていない。


「でも、あいつも速いな!」


「走るのに集中して!」


全力疾走で駆け抜ける2人の人間と1体のモンスター。

追いつかれることはなさそうだが、振り切れる様子も無い。


「ヤバい。こっちの体力が……」


「あ、魔法が」


ダチュラが心配する。魔法の効果が切れそうなのだ。

しかし、それはもう一度掛ければいいだけの話だ。


再び【身に纏う追い風ドレッシング・ウィンド】を使う。

走りながらでも魔法を使えるとは、宝珠はなんて便利なのだろうか。


「はぁ、はぁ、これであと1分持つよ」


「やった。あいつもついに体力が切れたみたいよ」


1分以上、走ったところでようやくファイティング・グリズリーの速度が衰えてきた。


よし、うまくいった。このまま走れば、振り切れる。


そう思ったところで、前方に思いもかけないものが現れた。


「「え!」」


僕とダチュラは驚きの声を上げた。

街道を歩いてきた別の旅人がいたのだ。

しかも女性一人である。


あっという間にその女性を通り過ぎてしまったが、このままでは今の女性が熊に襲われてしまう。


「ちょっ、あの!」


僕とダチュラはすぐに足を止めた。

引き返して女性を助けなれば、僕らが殺すようなものじゃないか。


だが、勢いがありすぎるため、僕たちは地面を数メートルほど滑った。既にその間にも、女性の前にはファイティング・グリズリーが立ちはだかっている。


これでは間に合わない。


「す、すみません!逃げてください!!」


必死に叫ぶ僕。

その声が届いたのか否か。

僕の目に飛び込んできた光景は、その疑問をどうでもよいものにした。


女性は剣を持っていた。それを引き抜くや否や、熊に向かって振り下ろす。

彼女よりも遥かに大きな体を持つファイティング・グリズリーが一刀両断にされた。


「え……」


女性は、ウチの嫁さんと同じように、その長い赤髪を隠すこともしていない。剣についた血を振り払いながら、凛とした姿でこちらに微笑みかけた。


「ちょうどよかったよ。人を探してたんだ。あんたら、白い服の女を見なかったかい?」

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