第24話 夫婦喧嘩

異世界生活8日目。


この日も快晴であった。

旅は順調に進んだ。午前中に1度だけモンスターに遭遇した。


といっても先に嫁さんが探知してしまい、『スカイ・ウルフ』が単体で迫って来ると告知する。おそらく群れからはぐれた1体が、たまたま僕たちを見つけてしまったのだろう。


既に図鑑で調べておいた。

スカイ・ウルフの推定レベルは8。

一人前のハンターなら問題ない相手だ。


嫁さんに頼んで、僕の魔法を試させてもらうことにした。スカイ・ウルフの動きは逐一、嫁さんが報告してくれる。


まもなく出現したスカイ・ウルフは、姿を見せると同時に【風弾・三重陣エア・ショット・トリプル】を食らうことになった。


このモンスターにこの魔法は威力が強すぎたようで、可哀想なスカイ・ウルフは、全身が四散してしまった。


「しまった。やりすぎたか」


「魔法の威力を高めることもできるのね。すごいわね、レンは」


ダチュラが感心している横で嫁さんが言った。


「でも、私が敵の動きを教えてあげたからだよね?怖いから一人では戦わないでね」


「う、うん……」


僕は渋々返事をした。

嫁さんの言うとおりなのだが、言い方が冷たくないか?


昼食を済ませた後も旅は快適だった。


ただ、昼食時に嫁さんを見ると、少し眠そうな顔をしていた。心配になったので声を掛けた。


「百合ちゃん、夕べは眠れた?」


「うん。大丈夫だよっ」


いつもの感じとは少し違う。何か無理をしていないだろうか。

僕は念を押した。


「お願いだから、無理はしないでよ。何かあったら言ってね」


「うん。平気平気っ」


どう考えても無理をしているように見える。

それならそれで、どうして相談してくれないのだろうか。

もやもやしながらも旅を進めることにした。


しかし、午後の道中でついに事件は起きた。

嫁さんが急に立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回し始めたのだ。


「え……なに?……どこ?」


一人つぶやく嫁さんに僕も声を掛ける。


「百合ちゃん?どうした?」


「今……どこからか……『たすけて』って声がしたの……」


「え?」


「この辺じゃない……ずっと……遠くの方から……」


よくわからないが、何かあったらしい。

とりあえず状況把握のため、ダチュラにも確認を取る。


「ダチュラ、君は何か聞こえた?」


「ううん。何も聞こえなかったわ」


「あっ!!」


嫁さんが声を上げた。


「また聞こえた……やっぱり……『たすけて』って言ってる」


「僕には何も聞こえないけど、どこから聞こえてくるんだ?」


「わからない。ずっと遠いところ……遠すぎるから方角もよくわからない……」


「…………」


さすがにどう反応すれば良いのか、僕も沈黙してしまった。


「私、ちょっと行って来る!」


そう言って、突然、嫁さんが動き出そうとした。

嫌な予感がしていた僕は、すぐにその手を掴んだ。


「待ってよ、百合ちゃん。どこに行く気?」


「わからない。でも行かなきゃ」


「一人で行く気か?冗談じゃないぞ。君一人で行ったら帰って来れないだろう」


「蓮くんの気配を確認しながら行くよ。だから大丈夫」


「だったら僕も行く!」


「蓮くんは来なくていいんだよ!」


「なんでだよ!!」


お互いの声がだんだんと強めになってきた。

僕のことを不要と言った嫁さんに対して、つい僕も声を荒げてしまった。


「僕は要らないって言うのか……どれだけ僕が努力をしてきたかも知らないで……」


「ごめん。そうじゃなくて、その……でも早く……」


「それでも行くって言うのか。行ってどうするんだよ!場所がどこかもわからないのに!!」


「でも早くしないと、またあの時みたいに……あっ」


言いかけて嫁さんは途中で止めた。

そうだ。まさに今、僕が手を掴んでいる状況はあの時と同じだ。


「なんだよ。あの時って」


思わず声が震えてしまった。


「違う。そういうことじゃなくて」


嫁さんの言葉を言い訳のように捉え、僕はついに怒りの感情を出してしまった。


「違わないだろ!そう言いたいんだろ?リーフの時と同じだって。そうだろ!僕が彼を見殺しにしたんだって、そう言いたいんだろ!!」


まずい。自分でも抑えが利きかなくなっている。

嫁さんにこんなキツい言い方をしてしまうのは初めてのことだ。


「そんなこと言わないよ!思ってもいないよ!」


嫁さんも必死に訴えてきた。


「言ってただろ!僕がいるのに気づいてたくせに!ダチュラと二人で話していた!」


「あれだって違うんだよ!」


「だったら説明してくれればいいだろ!」


「蓮くん、怒ってたからこの話もしたくなかったんだよ!」


「怒ってないよ!だから言ってみろよ!」


「怒ってるじゃない!やめてよ!!私、蓮くんの怒ってる声、聞きたくない!!!」


「なんだよ、それは……結局、僕が悪いってことなのか……だったら全部言ってくれよ!!」


「だからもう怒んないでよっ!!!!!!!」


嫁さんの口から、まるで衝撃波のような叫び声が発せられた。どこかの戦闘民族が最大パワーを発揮した時も、きっとこんな感じの衝撃が生まれるのだろう。


もはや何が善い悪いではなく、ただの感情のぶつかり合いとなっていた。ここまで関係を拗らせたのは二人が出会って以来、初めてとなる。


しかも、超パワーを身につけた嫁さんの怒りの雄叫びは凄まじい迫力を持っていた。聞くものを震え上がらせずにはおかない覇気があった。


しかし、夫としてのプライドというものか、僕も決して怯まなかった。

負けじと大声を張り上げた。


「怒らせてるのは君だろ!!!」


そこからは数秒間、二人で睨み合いが続いた。

夫婦そろって目を血走らせ、「フーー、フーー」と息を荒くしている。


可哀想なのは横であたふたしているダチュラだった。なんとか仲裁に入ろうとタイミングを見ていた彼女だったが、鬼気迫る嫁さんの迫力とそれに負けまいと必死に食らいつく僕の姿に圧倒されていた。


(ダメだ……この夫婦喧嘩には、何も言えないわ……)


嫁さんは目を赤くして、涙を浮かべていた。


その涙は、マグマのように煮え滾っていた僕の心に水を掛けるような効果をもたらしたが、その水はあっという間に水蒸気となる。出来上がるのは目の前を覆いつくすほどの靄だ。


僕は掴んでいた嫁さんの手を離した。

そして、夫婦で言い争った後、誰もが口走るあのセリフを吐いた。


「だったら、もう好きにすればいいだろ……」


要するに僕も理性が全く利かない状態になっていた。

突き放された嫁さんも今度は困惑しながら、ムスッとした顔で言う。


「……じゃ、じゃあ行って来る」


歩き出した嫁さんを見て、僕は再び呼び掛けてしまう。


「いや!やっぱりダメだ……」


「なによ!どっちよ!」


「君一人じゃ心配だから止めてるんだ!どうしてわからないんだ!」


「私だって、一人でも大丈夫だよ!バカにしないでよ!!」


「バカにしてるのは君の方だろ!!!」


「だから、そんなに怒んないでよ!!!!」


この様子をご覧になっている方々には本当に申し訳ない限りだが、何の解決にも向かわない不毛な議論が夫婦の間で何度も繰り返されていた。夫婦喧嘩などというものは、本人たちにとっては真剣であっても他人から見れば本当にくだらないものだ。


しかし、ここで変化が起きた。


少しずつ遠ざかりながら、こちらを向いてプンプン怒っている嫁さんが叫んだちょうどその時、彼女の体が突然よろけたのだ。


「え?」


その瞬間、何かに気づいたダチュラがついに口を開いた。


「ユリカ、そっちはダメ!」


だが、既に遅かった。

嫁さんは口論に夢中になり、道のすぐそこが急斜面になっていることに気づかなかった。そこはちょうど茂みになっていて、足元を隠していたのだ。


ズルリと足を滑らせた嫁さんは、そのまま急斜面を勢いよく転がって行った。


「え、百合ちゃん!?」


慌ててその場に駆け寄るが、ダチュラが後ろから止める。


「レン、ダメよ。危ないわっ」


よく見ると、ほとんど崖のように思える急斜面だった。

こんなところを嫁さんが落ちていったのか。

血の気が引く思いがした。

しかし、お陰で頭を冷やすことができた。


「なんてことだ……僕は忘れていた……あの子のドジっぷりを……」


「ど、ど、ど、どうしよう。レン……」


ダチュラの方が僕よりも動揺している。


「大丈夫だよ。百合ちゃんはこれくらいじゃビクともしない。ここで少し待っていよう。きっと自力で上がってくるよ」


「なんなの……あなた達、夫婦は……」


落ち着いている僕にダチュラは呆れていた。

これが予想もしない事態へと向かうことを、この時の僕は考えもしなかったのだ。

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