第15話 邪悪な気配

討伐隊の隊長、アッシュの判断は正しかった。


この場の誰一人、知る由も無いが、『キメラ』の推定レベルは40。国家の英雄クラスの猛者がいなければ太刀打ちできない相手だ。レベル20台を中心に編成された討伐隊では時間稼ぎにもならないのだ。


アッシュの号令によって、全員が一目散で逃げ出した。

それを見たリーフとダチュラも必死に追いかける。


しかし、またもや中央班の逃げ道を塞いできたものがいた。先程の2体目となる『マッスル・ラビット』である。今は亡きディフェンダー班長を無視してここまで跳躍してきたのだ。


完全に挟み撃ちにされてしまった。


それを見たダチュラはついに足を止めてしまう。


「そんな……こんなの無理よ……」


生死の境にいて、既に男性のフリをすることを忘れている。

後ろからはキメラが近づいていた。


「ダチュラ!諦めるな!!」


ダチュラの手を引っ張り、走るリーフ。


「最後まで走るんだ!!」


「リーフ……」


(この人と一緒に生きたい)


そう思って再び走り出すダチュラ。


しかし、一度立ち止まったためか、気が緩んでしまったのか、彼女は足元を確認していなかった。

木の根っこに足を取られ、ダチュラは転んでしまった。


「あっ!」


「ダチュラ!」


リーフはダチュラの手を取り、すぐに起き上がらせる。

しかし、その間にキメラはすぐそこまで近づいていた。

3つ存在する頭の中央、ライオンの顔が大きく口を開けた。

何かをやろうとしている。


それに気づいたリーフは、咄嗟の判断で、ダチュラが躓いた根っこの持ち主である、目の前の大木の陰に彼女を押し込んだ。


ライオンが咆哮する。


それはダチュラが大木に隠れるのと同時であった。

獣の口から放たれた雄叫びは、口内で空気を圧縮し、衝撃波となった。


まだ隠れきっていなかったリーフはその衝撃波をまともに食らい、遥か彼方まで吹き飛ばされてしまった。

一瞬のことで、ダチュラは何が起きたのか理解できない。


「リ……リーフ………?」


リーフが飛んで行った方角に目を向けると、そこには大岩に叩きつけられ、血を吐き出しているリーフの姿が見えた。


「リ…リ……リ………」


リーフ!と絶叫しようとしたダチュラだったが、すんでのところで口を手で押さえた。

大木の横をキメラが通り過ぎようとしていたのだ。


キメラの頭は3つともリーフを見つめている。体が巨大なせいか、すぐ横にいるダチュラは目に入っていないらしい。


恋人が殺されたかもしれない。

死んでいなくてもこれから食べられてしまうかもしれない。


しかし、恐怖で体が動かない。


今、動けば気づかれて間違いなく殺される。

ダチュラは、ただ息を殺したまま、涙を流す以外になかった。


(誰か……誰か……!リーフを助けて……)


いるはずもない助けを求めて、ひらすら祈るしかない。

そんな絶望的な状況の中、ダチュラは頭上に何かがいるのを感じた。

キメラの頭とは違う別の何かが。

ダチュラはゆっくりと上を向いた。


(さっきの……青い蛇!)


キメラの尻尾である青蛇が、大木の反対側から顔を覗かせていたのだ。

キメラの頭には気づかれなかった。しかし、尻尾に発見されてしまったのだ。


青蛇が大きな口を開ける。

蛇に喰われてしまう。

ダチュラの恐怖は最高潮を迎え、叫び声を上げてしまった。


「きゃあああぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」


3つの頭が一斉にダチュラを見る。

それぞれが口を開けた。

もう次に何が何をやってくるのか、見当もつかない。


もはや隠れている意味は無いと悟ったダチュラはリーフの方へ走り出した。


(リーフ!死ぬならリーフと一緒に!)


ただそれだけの想いで恐怖にすくんでいた足を動かした。

必死にリーフのもとまで行こうとする。

しかし、そこは既にキメラの間合いであった。


キメラの右側、ワシの嘴がダチュラを襲った。


グチャッ!


大きな嘴でダチュラが貫かれた。

――そう思われた瞬間、血しぶきを上げて吹っ飛んだのはワシの頭の方だった。


「………え」


恐る恐るダチュラが振り返ると、そこには見知った女性が一人、毅然と立っていた。


「ダチュラ、リーフのところに急いで。まだ生きてるわ」


「ユ、ユリカ……」


「早く、急いで!」


急かされたダチュラはリーフの方へ再び駆け出した。

助けてくれたのは自分と同じ女性ではないか、大丈夫なのか、などと疑問に思うことはなかった。不思議と安心できる響きがその声にあったのだ。


白金百合華は、キメラを睨みつける。

リーフの危機を気配で感じ取り、白金蓮のもとから、いっきにここまで駆け付けてきたのだ。


リーフが機転を利かせてダチュラを助けなかったら、あるいは、ダチュラの時間稼ぎがもう少し短かいものだったとしたら、おそらくこの場に転がっている死体は2人分だったはずである。


「なんて邪悪な気配なの……あんた、この世界の自然の生き物じゃないでしょ」


頭を一つ、ぶっとばされてしまったキメラは、悶えながら怒り狂っている。

ライオンの口が大きく開き、咆哮の衝撃波を出した。


グアオォォォンッ!!


衝撃波を真正面から受けた百合華だったが、髪とマントがなびいただけで、その体はビクともしない。

強いて言えば、その胸が大きく揺れたくらいだ。

百合華が衝撃波を全て受け止めたため、後ろのダチュラには全く影響が無かった。


全く動じない獲物に対し、一瞬、怯んだキメラだが、そのまま大口を開けて百合華の方へ押し出してきた。喰おうとしているのだ。


「今ので力の差を理解できないの?人を殺すことしか知らないのね。可哀想に」


そう言う百合華の右腕が一瞬、消えたように見えた。


次の瞬間、ライオンの頭が消し飛ぶ。

百合華のパンチが速すぎて、目に見えなかったのだ。


最後に残ったヤギの頭に百合華は問う。


「あんた、顔がいっぱいあるけど、全部潰さないとダメ?」


キメラは左前足を振り上げる。

そして、後ろからは尻尾である青蛇が頭上から襲い掛かってきた。


「そう。じゃあ、ごめんね」


百合華は軽く跳躍した。

同時にヤギの頭と青蛇の頭が吹っ飛ぶ。

そのままキメラの真上に来た百合華が、その胴体を蹴った。


全ての首を失ったキメラがグシャッと潰れて地面に倒れ臥す。


ダチュラは走るのに夢中で、それを見ていない。

リーフのもとまで駆け付けると、瀕死の重傷であった。

あばらが背骨もろとも折れており、内臓に刺さっていると思われる。

どう考えても致命傷だ。


うろたえて百合華の方を見る。

そこにはキメラの残骸だけが残されていた。


「え……」


いったい何が起こったのか、ダチュラは理解できない。

すると、すぐ横から声がした。


「これヤバい。どうしよう……」


「えっ」


百合華が既に隣に来ていたのだ。

リーフの様子を見て、動揺している。

ダチュラには、もう何が何だか分からない。


「蓮くんは今は……」


百合華は到着前からずっと夫の気配を探知し続けていた。

今はここに向かっている途中だ。

モンスターは全て自分が倒してきているので、無事に走っている。


「私じゃリーフを助けられない。もうすぐ蓮くんが来るから、待ってて」


ダチュラに告げた後、百合華はさらに周囲に目を配る。


先の方に逃げているハンター達はモンスターに囲まれて苦戦していた。特にその中心には、兎のモンスターと対峙しているアッシュが傷だらけで応戦している。


結局のところ、俊敏なマッスル・ラビットを相手に、包囲網を突破することは無理だったのだ。マッスル・ラビットの横を通り過ぎようと思えば、その素早い一撃で蹴り殺され、立ち向かっていっても、歯が立たずに蹴り殺された。


なんとか互角に渡り合っていたトゥイグも既に負傷し、アッシュは一人奮戦していた。


(くそっ!マッスル・ラビットを倒さない限り、前に進むことはできない。しかも、後ろからは名前も知らない化け物が追いかけて来る!)


業を煮やしたアッシュは、決死の覚悟で、スキル『弾丸加速』を使う。


(一か八か、この一撃でカタをつけなければ、どっちみち全滅だ!)


百合華が目撃したのは、その一撃が放たれた瞬間であった。


(え!アッシュさん!それヤバい!)


アッシュの『弾丸加速』を百合華はもちろん見たことがない。しかし、レベル150の百合華は、その動作の意味を瞬時に理解した。アッシュと兎の様子から、これから、何が起こるのかを容易に想像できるのだ。


全く隙の生じていない兎モンスターに超加速して飛び込むアッシュ。

おそらくこのままでは、双方の攻撃がお互いに致命傷となるであろう。


(このままじゃ、相討ちになっちゃう!)


さすがにこの距離では百合華といえどもアッシュの加速に間に合わない。

百合華は瞬時に判断し、右手のそばに落ちていた小石を拾った。


(間に合え!)


兎に向かって小石を投げる。

この一連の動作だけでも目にも止まらぬ速さであったが、百合華の手から離れた小石は、さらに常軌を逸した速度で飛んで行った。


キュイイイイィィィン!!


音速を超えた小石は小さなソニックブームを発生させ、奇怪な音を出した。

空気抵抗で減速しつつも、そのまま凄まじい速度で兎の頭に命中した。


ドッパアァァンッ!!!


とてつもない衝撃によってマッスル・ラビットの頭部が爆裂した。

弾丸を遥かに凌駕する速度で叩きつけられた小石は、その運動エネルギーによって徹甲弾のような破壊力をもたらしたのだ。その代わり、小石もまたその威力で粉々に砕け散った。


アッシュの突撃が兎の胴体を貫いたのは、その直後である。


「な、なに?」


倒れた兎を見て、不思議に思うアッシュ。

自分が仕留める前に頭が勝手に吹っ飛んだのだ。

名のあるハンターであるアッシュがそれに気づかないはずはない。


「いったい誰が……」


一方の百合華は、彼女なりに考えることがあった。


(あれ?おかしいな……胴体を狙ったのに、ちょっと上に浮いた。あっ、野球と同じか。石に回転がかかって浮いたんだ。空気の抵抗もかなりあるみたい。今のは命中したから良かったけど、昨日、もっと蓮くんに教わっておくんだった……)


周囲には、まだバラバラになったハンターが個々にモンスターと応戦している。多勢に無勢で、今のままではさらに死人が増えてしまうだろう。


(空気抵抗でブレるなら、今度はもう少しゆっくりコントロール重視で投げよう)


そう考えて、百合華はさらに小石をいくつか拾い、一つ一つ投げた。


パァンッ!パァンッ!パァンッ!


ゆっくりと投げたはずだが、それでも弾丸以上の速度だ。

全てモンスターに命中し、一撃で息の根を止めた。


(よし、これなら行けるっ)


気を良くした百合華は、さらに小石を拾い、軽く跳躍した。

体を捻りながらの宙返り。その間に気配でロックオンしたモンスターをまるでガンマンのように次々と投石で撃ち抜いていく。


小石を投げること合計23個。

わずか十秒足らずで辺りにいるモンスターを一掃してしまった。

1体1体、移動して倒した時よりも遥かに効率が良かった。


「ふぅ。これで、ここのモンスターは全部やっつけたかな」


生き残ったハンター達は呆然としていた。

突然、モンスターが何かに射抜かれて死んでしまったのだ。


ダチュラは百合華のすぐそばにいたのだが、瀕死のリーフを心配して泣いているだけで、その活躍に目を向けることはなかった。

結果的にこの場にいる誰一人、百合華がモンスターを倒したことを知らずにいた。


「あっ、来た!蓮くん!」


百合華が叫ぶ。

彼女の見る方角から、急ぎ足でやって来た白金蓮が現れた。

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