第13話 世界最強の勇者

この世界に来て以降の嫁さんには珍しく、その声はかなり焦っていた。


「どうしよう……人の気配が……どんどん消えていく……」


木だけでなく、炎と煙に包まれて、森の状況は全くわからない。しかし、嫁さんには、周囲で死んでいくハンターの気配を感知できるのだ。


これまでパワー任せで、どんな強敵にも怯まなかった嫁さんだが、これだけの乱戦に巻き込まれたのは初めてだ。状況が複雑すぎて、頭の整理もできていない可能性がある。


「でも、蓮くんだけは絶対に守る。死んでも守るから!」


「百合ちゃん……」


嫁さんは最優先事項として、僕の命を守ることを第一と決めていた。本当は他のハンターも助けたいのだが、その間に僕が襲われることを最も恐れていたのだ。


主人公とヒロインの立ち位置が完全に逆転した状況だが、僕自身、嫁さんの力に頼る以外、この場を乗り切る手段が無い。


すると今度は『スカイ・ウルフ』が2体、上空から飛び掛ってきた。


「ああ、もう!ごちゃごちゃと!」


目にも止まらぬスピードで空中の狼を叩き落す嫁さん。

やはり、2体の狼も一撃で絶命している。


「気配が多すぎて、よくわかんない!」


おそらく自分の身を守るだけであれば、嫁さんがこれほどイライラすることもなかったのだろう。しかし、この大混戦の状況下で、夫である僕を守り切ることに多少の焦りを感じているようだ。


「百合ちゃん、落ち着いて」


「蓮くん、ごめん。私が行きたいなんて言わなければ、こんな危ないことにならなかったのに」


「何を言ってるんだ。行くと決めたのは僕なんだから」


「あっ、リーフ!」


「え」


「今、リーフが見えた!リーフ!!リーフ!!!」


しかし、リーフが嫁さんの声に気づくことはなかった。見えたと言っても、嫁さんの気配感知と視力のおかげなので、実際はかなり離れていたのだ。


「無理だよ。遠すぎる」


「どうしよう。みんな死んじゃうよ」


「百合ちゃん、落ち着いて聞いてくれ。君はね――」


僕は嫁さんの両肩に手を置き、冷静になってもらうために、ある説明をしようとした。


しかし、その瞬間、僕の背後に何者かが立った。

嫁さんが目を大きく見開く。


「えっ」


突如、姿を現したその巨体は、熊のモンスターだった。


『サイレント・グリズリー』


熊のくせに隠密行動を得意とし、獲物の背後から突然襲い掛かるのを常套手段としているモンスターだ。先程、討伐隊右翼班が退治した時は、経験豊富なハンターが先にこの熊を発見し、先手を取って倒していたのだ。


今、その熊が背後にいきなり現れた。多数の気配に気を取られていたため、嫁さんもこの瞬間まで接近に気づかなかったのだ。


最愛の夫の背後に突如出現した巨大熊。

それを目撃した嫁さんの戦慄はどれほどのものであろうか。


「だめっ!!」


『サイレント・グリズリー』は振り上げた右手を僕たち夫婦に速攻で振り下ろしてきた。だが、それよりも遥かに速く、嫁さんは僕の身体を持って背後に回し、熊の前に立って剣を抜いた。


一瞬の出来事であった。

熊の右手が振り下ろされる前に、抜かれた剣は横になぎ払われ、熊の胴体を両断していた。


シュンッッ!!


超スピードでありながら、音も感じられない程、静かで鋭い斬撃。


この世界に来てから、初めて嫁さんは剣で攻撃したのだ。


だが、ここで全く想定外のことが起こった。

両断されたのが『サイレント・グリズリー』だけではなかったのだ。


モンスターのさらに向こう側、背景の森までもが切断されている。

そう。文字通り”背景”が全て一直線に両断されてしまったのだ。


――次元斬じげんざん――


と、後に名付けることになる嫁さんの『究極スキル』である。


対象を周囲の空間ごと斬り裂き、物体の結合そのものを事象ごと断ち斬る。

完全不可避の絶対的必殺スキルである。

もはやこれは人間技ではなく、神の領域に届くスキルだ。


上下に分断された熊は血しぶきとともに倒れ、切断された森の木々も次々となぎ倒されていく。


「な……何これ……」


やってしまった本人が一番驚いていた。無我夢中で振り放った一閃が、目に見えるもの全てを真っ二つにしてしまったのだ。無理もない。


嫁さんは脂汗をかき、何かに恐怖している。


「人……人は……いない……よかった……人は斬ってない……」


熊は倒したが、何かそれ以上に嫁さんは別のものを怖がっているようだ。


「蓮くん……私……」


嫁さんが何かを言いかける。

しかし、そんな暇は与えないとでも言うように、再び『ユニコーン・ボア』が1体、こちらに突進してきた。


嫁さんは表情が強張りながらも瞬時に猪の前に移動し、右手に剣を握ったままだったので、左の拳で猪を攻撃する。


拳が触れた瞬間、なんと『ユニコーン・ボア』は爆散した。


殴ったというレベルではなかった。とてつもない衝撃によって爆発するように破壊されたのだ。


「うそ……」


今回もやはり、やった本人が最も衝撃を受けていた。

嫁さんは愕然として、左の拳をじっと見つめ続けている。

僕はすぐに嫁さんの傍に寄った。


「百合ちゃん」


「来ないで!蓮くん!私、なんかヤバい!!」


嫁さんは脅えていた。

自分の力を恐ろしいと感じていたのだ。


「大丈夫だ。落ち着いて、百合ちゃん」


「ダメだよ!今、私に近づいたら、蓮くんだってどうなるか!」


「違う。君は今、僕を助けようと必死になっただけなんだ。ちょっと焦っちゃったんだよ。気にしてはいけない」


「でも、私……」


「ほら、助けられた僕は何ともないじゃないか」


そう言って、僕は再び嫁さんの両肩に手を乗せた。

落ち着かせるように嫁さんの目を見てさらに続ける。


「いいかい。よく聞くんだ、百合ちゃん。僕も今、確信した。君はこの世界で誰よりも強い。この場にいるどんなモンスターも、君は息をするように倒すことができる。百合ちゃんはレベル150の勇者なんだ」


「レ、レベル150?」


「そうだ。レベル150だ」


「それは、ゲームの話でしょう?私はここではレベル15だよ……」


「違う。ここでも150なんだ。このステータス表。もらった時から違和感があった」


僕はリーフから渡されたステータス表を嫁さんに見せる。

内容は以下のとおりだ。


登録名:ユリカ

タイプ:アタッカー

レベル:15

体力:198

マナ:105

攻撃:126

防御:107

機敏:150

技術:274

感性:912

魔力:101


「この表は、”桁あふれオーバーフロー”している。全ての桁を表示しきれていないんだ」


「蓮くん……なんでこんな時まで難しい話するの……」


いろんな感情が混じり合ってしまったのか、嫁さんが涙声になってきた。

僕は、自分の心を落ち着けて、なるべく優しく語りかけることにした。


「いや、ごめん。つまりね、このステータス解析の魔法を作った人は、レベルが3桁を超える人間がいるとは夢にも思っていなかったんだよ。レベルは2桁表示すれば十分。そういう前提だった」


「それでどうなるの?」


「レベルが150だった百合ちゃんは、最初の”15”だけが表示されてしまったんだ。そして、後ろの”0”は切り捨てられた」


「え、そうなの?そんなことなの?」


「そうとしか考えられないだ。見てよ。レベル以外のパラメーターについては、全部きっちり3桁でまとまっている」


「うん」


「レベルは2桁表示。それ以外のパラメーターは3桁表示まで。という前提だと考えられる」


「うん」


「そうすると、攻撃が126と書かれているけど、これは1260かもしれないし、12600かもしれない。文字通りの意味で、”桁外れ”の強さなんだ」


「えぇぇ……」


「機敏も150となっているけど、1500かもしれないし、15000かもしれない」


「ちょっ、ちょっと待って。それじゃ、私って何なの?いったい何なの?」


「落ち着いて。いいかい。君はレベル150だ。レベル60もあれば、”大魔王”や、それを倒す”伝説の勇者”とされるこの世界で、百合ちゃんはレベル150の勇者なんだ」


「それじゃあ、もう……次元が全然違っちゃうじゃない……」


「そうだ。でも、だからこそ、今まで百合ちゃんはどんな敵にも簡単に圧勝してきた。力を抜いてごらん。君はありのままでいい。そうすれば何でもできる。百合ちゃんは、魔王すらワンパンで倒す、”世界最強の勇者”だ」


「世界……最強……」


「そう。落ち着いてやればいい。君はどんなモンスターもアリンコを踏み潰すくらいのつもりで、簡単に倒すことができる。手加減することだってできる。全ては百合ちゃんの思い通りだ」


「そうか……今まで私、普通にやってたんだ」


「うん」


「わかった……わかったよ、蓮くん!」


嫁さんの顔がパアッと明るくなった。


「私、ちょっと混乱してた。こんなの、私にとっては、なんてことない」


「そうだよ。百合ちゃん」


「私は死なない!」


「うん」


「蓮くんも助けることができる!」


「うん」


「みんなを全員助けることだって、簡単にできるんだ!」


「うん。え?」


落ち着いた途端、いっきに大風呂敷を広げる嫁さん。

僕はさすがにそこまで言ってないんだが。


すると次の瞬間、本日3体目となる『サイレント・グリズリー』が現れた。


嫁さんの背後に突然、姿を見せる。

僕がそれを確認した時には、既に熊の右手が嫁さんに振り下ろされていた。


パシッ


振り返ることもなく、その右手を自分の右手で優しくキャッチする嫁さん。

攻撃を受け止めたとは思えないほどの自然さであった。


「悪い子ね。森のクマさんは、女の子を見逃してあげるものよ」


そう言って右手を捻ると、熊の巨体がグルグルと回った。


熊は空中で何回転もした後、頭から地面に勢いよく叩きつけられた。

そのままピクリとも動かない。


「このクマさん、隠密行動が得意みたいだけど、落ち着いてみれば、全然気配を消せてない。大丈夫だ」


嫁さんは目を閉じて、すーっと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

深呼吸をすること十数秒。


「よしっ!見えた!」


パッと目を開けた嫁さんが僕の目の前から姿を消す。

すると、あちらこちらからモンスターの悲鳴が聞こえた。


「ギャッ」


「グァッ」


「ガウアッ」


短い断末魔が断続的に耳に入る。

嫁さんが目にも止まらぬ速さで周囲のモンスターを1体ずつ倒しているのだ。


そして、それらが聞こえなくなったところで、僕の前に再び姿を現す嫁さん。


その手には負傷しているハンターの一人を抱えており、空中から軽やかに地面に降り立った。


「この人、まだ生きてる。炎に囲まれてたから連れて来たよ」


ハンターは気絶している。全身は傷だらけの上、右腕を失っていた。着ている服で止血されているところを見ると、自分で応急処置した後に気を失ったのかもしれない。嫁さんはハンターを木の根元に座らせた。


「まさか、全部、倒したの?」


「うん。落ち着いて集中してみたら、モンスターも人も、みんな気配がわかったんだ。地面の形や木の姿までわかるから、どんな順番で動けば効率良く倒せるか、そんなことまで自然と理解できちゃった」


「これがレベル150の実力か……」


広範囲に何十体といたはずのモンスターを1分と掛からずに全滅させてしまった嫁さん。しかも、人を傷つけないよう、超高速移動による各個撃破だ。自分で彼女に説明しておきながら、実際に目の当たりにすると驚嘆する強さだった。


「あっちにも生きてる人たちが集まって戦ってたから、助けてきたよ。でも、リーフとダチュラがいないんだ」


「この場合、賢明な人間なら、中央の班と合流しに行っていると思う」


「アッシュさん達の班だね。どっちの方にいるの?」


「気配は察知できても、方向音痴は直らないんだね。あっちの方だよ」


「そっか」


数秒間、その方角を見つめる嫁さん。


「いた。わかるよ。リーフとダチュラの気配だ。アッシュさんもいる」


「よかった。生きていたか」


「あ、でもヤバい!こっちよりも強い敵が来てる!」


「え」


「向こうの方がピンチだ!えっと……こっちの方は……大丈夫。もうモンスターはいない。蓮くん、私、行ってくるよ!」


「ちょっ、ちょっと待って!」


僕は慌てて嫁さんの手を掴んだ。

焦りながら聞き返してくる嫁さん。


「どうしたの、蓮くん?」


「さっきは、ああ言ったけど、これ以上、君が命を懸ける必要は無いよ」


せっかく命拾いしたところに、さらに死地へ飛び込もうとする嫁さんを僕は夫として放っておけなかった。しかし、嫁さんは拒絶する。


「そんなの関係無いよ。リーフたちがやられちゃうっ」


「待って。それに君の強さを目の当たりにしたら、彼らが今度は何を言ってくるか、わからない」


「それもどうだっていいよっ!私は全然気にしてないから!」


「君のことが心配なんだ」


「大丈夫だからっ!急がないと!お願い!手を離して!」


「百合ちゃん!」


「あっ!リーフが!!!」


「え」


「リーフがヤバい!!蓮くん、手を離して。私行く!」


真剣な嫁さんの声に、僕は思わず掴んでいた手を離した。


「ありがとう。私が途中のモンスター全部やっつけて行くから、後から付いて来て!」


そう言って、超スピードで中央の班へ向かって行った嫁さん。


その姿が見えなくなってから後悔した。

どうせ行かせるなら止める意味もなかったのに、と。

僕は今、嫁さんの邪魔をしただけだったのでは、と。


とはいえ、もたもたしている時間も無い。取り残された僕は気を取り直し、後ろで気を失っているハンターに【治癒の涼風ヒーリング・ウィンド】を掛けた。


やはり、”マナ切れ”を起こしてふらついたが、こういう時のために懐にしまっておいた『マナ・アップル』を取り出し、ひとかじりする。


そして、右腕以外の傷が回復して正気を取り戻したハンターに告げた。


「ここのモンスターは一掃した。あっちに生存者がいるから、合流して消火作業に当たってくれ。僕は中央の班の応援に行く」


僕は嫁さんの後を追って森の中を駆け抜けて行った。

途中に点在するモンスターの死骸を避けながら。

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