第12話 異変
「変……っていうのは……?」
急に背後を気にしはじめた嫁さんに、僕は尋ねた。
「私たち、モンスターを倒しながら、ボスを包囲しているんでしょ?なのに後ろの方からたくさんの気配がする」
「気配って、モンスターの?」
「うん」
「まさか、逆にこっちが包囲されているってことか?」
「そんな感じ」
「いや、しかし、モンスターにそんな知性があるんだろうか」
「そんなのわかんないけど、少しずつ囲まれてきてるのは事実だよ。最初は逃げ出したモンスターが、こっちの様子をビクビク窺っているんだと思ったけど、気がついたら、その数が普通じゃなくなってるの」
「多いの?」
「今まで出てきたモンスターの3倍くらいいる」
「そんなに!?」
「どうしよう?蓮くん?」
「まるでモンスターを指揮するヤツがいるような状況だ。みんなに知らせよう」
「うんっ」
僕と嫁さんは、先行している右翼班を追いかけた。
ちょうど右翼班は、大型モンスターを討伐したところだった。
ヒグマの2倍はあるような熊のモンスターだ。
ディフェンダーであるリーダーが囮となり、攻撃を引きつけている間にシューターとアタッカーによる連携攻撃で倒したのだ。
その後方にリーフ達がいるので僕は叫んだ。
「みんな聞いてくれ!背後からモンスターに囲まれている!!」
「え!どういうことだ?」
リーフが反応する。
「これは罠だ!僕たちは誘い込まれているんだ!すぐに中央の班と合流した方がいい!!」
すると、その声を聞いていた右翼班のハンター達が突然、大笑いした。
「おいおいおいおい!にいちゃん!そんなバカな話があるか!モンスターが罠を使ってくるわけがねえだろうがっ!」
「後ろにいるのが怖えからって、どうせつくなら、もっとマシな嘘つこうぜ!」
どうやら彼らは冗談だと思っているようだ。
「いや、違うんだ!本当に囲まれているんだよ。今までの数の3倍だ!」
「おい、君、アッシュ隊長の推薦だから付いて来てもらったが、あまり意味も無く騒ぎ立てるのなら、帰ってもらうぞ」
班のリーダーに至っては、こちらに忠告してきた。
「違うの!本当なのよ!このままじゃ、全部の班がヤバいんだから!」
嫁さんも必死に訴える。
するとハンターの一人が怒声を浴びせてきた。
「いい加減にしろや!!こっちが優しくしてりゃあ、女まで出しゃばって来やがって!俺たちはこれから最後の大捕り物をやろうってんだ!邪魔するなら、おめえらから殺すぞ!!」
なんということか。
いっきに全員、殺気立ってしまった。
居たたまれなくなったリーフが口を出す。
「ま、待ってください。彼らはこんなことを冗談で言う人たちじゃありません。もう少し聞いてあげた方が――」
「リーフ!お前まで何を言ってるんだ!常識で考えろや!!」
「あ、いや……」
せっかく助け舟を出そうとしたリーフだったが、彼の訴えは、最後まで言い切ることもできずに、かき消されてしまった。
さらに別のハンターが憤怒の声を上げる。
「もう我慢ならねえ!!どこの馬の骨だか、わからねえ野郎が女連れで乗り込んできやがって!俺たちの狩りを侮辱しやがる!!!おい、班長よ!こいつら、やっちまうけどいいよな!!」
僕も我慢の限界だった。人が善意で教えてやっているのに、こいつらは人を愚弄することしか知らないのか。
ここにいる全員が命の危機に晒されているんだぞ。
「っんもう!!!!!こんなことやってる場合じゃないのよ!!!!!!」
ここでついにウチの嫁さんが吼えた。
空気が震える程の大音量だった。
ハンター達の怒気をも吹き飛ばすような強烈な叫び声が、一同を圧倒した。
予想外の出来事に全員の声がピタリと止まる。
呆気に取られて、感情の高ぶりも幾分、押さえられた様子だ。
次にこの沈黙を破ったのはリーダーだった。
「君たち、実際にモンスターに囲まれているとして、その証拠はあるのか?」
冷静なる言葉である。
既にハンター達の態度に血液が沸騰しそうになっていた僕だったが、このように言われれば、こちらも社会人だ。僕は心を落ち着かせて答えた。
「見せられる証拠はありません。しかし、僕の妻は、モンスターの気配を察知する能力があります。それを信じていただけませんか」
リーダーは黙ったまま周りのハンターたちと顔を見合わせる。
皆、怒りの表情はそのままだ。
「すまないが、証拠が無い以上、我々は今の方針を変えることは無い。そんなことで3つに分かれている班の足並みを崩すわけには行かんのだ。では、先を急ごう。他の班に遅れてしまう」
リーダーの言葉は冷たかった。
「そうですか……では、僕たち夫婦は撤退します。お世話になりました」
怒りと侮蔑の視線を一身に受けながら、僕はその場を去ろうとする。
リーフの顔が目に入ったので最後に声を掛けた。
「リーフ、君たちだけでも付いて来ないか?一緒に逃げよう」
リーフは困惑した表情で、ハンター達を見ながら言う。
「すまない、レン。君のことは好きだけど、みんなの判断を無視することはできないよ……」
「そうか…どうか無事で……」
そう言って、僕たちは立ち去る。
しかし、ここで嫁さんが口を開いた。
「……証拠なら、ある」
「百合ちゃん、もういいよ。ここの人たちは」
「証拠ならあるの!最悪な形で!」
嫁さんは震え声だ。半泣き状態で訴える。
「もう来ちゃってるの!みんな!早く武器を構えて!!」
この必死の叫びに少しでも素直に反応できたか、それでもなお新米女性ハンターの言葉と蔑んで耳を傾けることができなかったか、そのわずかな違いが、この瞬間、この場にいる人間の生死を分けた。
「ぐあっ!!!」
突然、ハンターの一人が、背後から長く尖ったもので串刺しにされた。
その背中に突進してきたのは、猪型のモンスターだ。
頭には一角獣のような長い角を生やしている。
『ユニコーン・ボア』と呼ばれるモンスターである。
その角を背中に突き立てられ、胸にまで貫通したのだ。
そして、それは1体だけでなく、10体以上が周囲から同時に突撃してきた。
警戒心を少しでも持っていたハンターは、この第一撃を避けることができたが、完全に油断しきっていた者は反応できず、この一瞬で即死、あるいは致命傷を負った。
いっきに場の様相が変わり、阿鼻叫喚の図となってしまった。
「みな、落ち着け!!陣を立て直す!中央に集まれ!!!」
目の前に証拠を突きつけられたはリーダーは、僕からの助言を聞かなかったことを悔いたはずだが、時既に遅し。しかし、なんとか冷静にこの場を対処しようと全員に大声で呼びかける。
だが、既に第二陣として、狼型のモンスターが40体以上、殺到していた。
『スカイ・ウルフ』
通常の狼の性質に加え、木から木へ跳躍することができ、森林での空中戦を得意とするモンスターだ。一人前のハンターなら1対1で後れを取ることはないが、複数に囲まれた場合は苦戦を強いられる。
それが戦場に多数飛び込んできたのだから、リーダーの声を聞く余裕は誰も持っていなかった。
大混乱である。
特に取り乱したのはシューター達で、そのうちの誰かが炎の魔法を無闇に発動したらしい。こぼれ弾によって森に火がついた。
ますます事態は深刻となった。怒声と悲鳴、絶叫と断末魔が入り乱れ、ハンター同士もお互いの所在を掴むことができない。しかも、火に囲まれてもモンスター達は怯まなかった。
そうした中、僕は魔導書を開いて一人身構えていた。
煙の向こう側で、人影の頭がいきなり消え去るのが見えた。巨大な熊のような影に頭部を吹っ飛ばされたようだ。
背筋が凍りついた。
次の瞬間には自分の身にも何が起こるかわからない。
そんな僕のところにも、ついに大きな影が近づいてきた。『ユニコーン・ボア』が突進してきたのだ。
でかい。
どう考えても僕の魔法程度では致命傷にならないだろう。
目か、あるいは角を狙って【
そう考え、決意を固めたところで、嫁さんが僕の目の前に現れた。
彼女は無言のまま、突進してくる『ユニコーン・ボア』を右手の裏拳で横向きに殴る。
巨大な猪は右方向へ思いっきり吹っ飛ばされ、さらにもう1体に激突。そのまま2体まるごと吹っ飛んで、大木に叩きつけられた。『ユニコーン・ボア』2体はそのまま事切れた。
「蓮くん、ここから離れないで!私が全力で守るから!!」
彼女の声からは、いつもの余裕を感じられなかった。
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