第9話 夜の散歩デート
「『ブラック・サーペント』を倒したそうで、すごいじゃないか。人は見かけで判断してはいけないということだな」
バーリーさんから紹介された討伐隊の隊長、『アッシュ』さんは、太い声で静かに話す、落ち着き払った人だった。
「はじめまして、蓮と言います」
「アッシュだ。よろしく」
二人で握手を交わす。
自然とやってしまったが、握手の文化はあるらしい。
「ところでレン、いきなりだが、明日の討伐隊に参加してみないか?」
「え?僕たちが?」
「そうだ。『ブラック・サーペント』を倒すほどの実力者であれば、是非とも助力をもらいたい。もちろんプロのハンターとしての依頼だ。報酬の取り分は働きに応じて分配させてもらう」
「と、討伐ですか……」
一瞬、考えた。
僕はともかく嫁さんが参加すれば、相当な戦力になることは疑いない。それにモンスターを狩るということが、どういったものなのか、学習するには実際に見せてもらうのが一番手っ取り早いであろう。とてもありがたい話だ。しかし、そんな危険な事柄に嫁さんを巻き込んでしまって良いのだろうか、と。
「私、やりたいなっ」
すると、後ろから嫁さんが話に参加してきた。
料理を運び終えて、みんな席に着くところだったのだ。
「あ、紹介します。僕の妻の百合華です」
「はじめましてっ。百合華です」
「綺麗な奥方だね、アッシュです。よろしく」
三人の挨拶をが済んだところでバーリーさんが大きな声を上げる。
「さぁ、では、みんなそろったところで始めようじゃねぇか!料理が冷めないうちにな!俺の命の恩人、レンとユリカを讃えて、乾杯!」
「「乾杯!!!」」
話は途中で打ち切られ、食事が始まった。
子ども達は特別な日でない限り食べられない御馳走にありつけたので大喜びだ。
嫁さんもおいしそうに食べている。
というか、見ているとどんどん食べる。子ども達の旺盛な食欲に負けじと、大皿の料理を取り合っている。確かにおいしい料理ではあるが、それにしても呆れるほどの食欲だ。いつもの3倍は食べているだろう。
少しは遠慮しようよ、と言おうと思ったが、ストローさん達、女性陣は料理を褒められて、まんざらでもない様子だ。結局、食卓は大騒ぎとなり、爆笑に包まれながらの食事となった。
「ねえちゃん、ほんとに面白いな!」
バーリーさんが豪快に笑うとアッシュさんも頷いた。
「賑やかな女性だな。久しぶりだよ、一般家庭でこんなに笑った食事は」
「ところで、アッシュさん、先程のお話ですが……」
僕は討伐隊の件に話を戻した。
「うむ、討伐隊への参加、考えてくれるか?」
「実はあの黒蛇を倒したのは僕じゃないんです。妻の方なんです。ですから、参加するなら二人がいいんですが」
「なに!そうなのか?」
アッシュさんは、かなり意外そうな顔をした。
最初に村の入り口で出会った青年たちも驚いていたが、いったい何だろうか。僕が倒した、という話は信じられて、嫁さんが倒した、という話だと、なぜこれほどまでに驚くのだろう。
なんとなく、この世界の人たちに接してから違和感があったのだが、この辺りから自分でもそれを意識するようになった。
アッシュさんが視線をバーリーさんに移したので、バーリーさんもそれに応える。
「ああ、俺も『ブラック・サーペント』が倒されたところは見てねえんだ。なんせ、そんとき俺はあいつの腹の中にいたんだからな。しかし、ねえちゃんの剣さばきは本物だ。それはこの目で見た」
「そうなんですか……」
アッシュさんはしばらく考え込んでいたが、再び僕に話し出した。
「他ならぬバーリーさんからの紹介だ。無碍にはできない。君の奥さんが強いのも確かなのだろう。しかし、女性が討伐隊に参加するとなると他のメンバーの士気に関わるんだ。レン、君も分かるだろう?」
「は、はぁ……」
正直、何がダメなのか理解できない。
仮にハンターが全員男性だったとして、そこに紅一点の嫁さんが加わることが、そこまで悪いことなのだろうか。むしろ歓迎されないのだろうか。
話がこじれてしまったので、バーリーさんが申し訳なさそうに言った。
「いや、すまないな、アッシュ。俺もお節介を焼いちまったみたいだ。お前を紹介すれば、何か、あんちゃん達の役に立つんじゃないかって思ってな。あんちゃんも悪かった」
「いえ、そんなことは……お気持ちはありがたいです。でも……」
僕が恐縮しているところに、隣で食べながら話を聞いていた嫁さんが口を挟む。
「私、迷惑なのかな?だったら私は遠慮しとこうか?」
「え、いやっ……」
その言葉を遮る僕。
正直に言おう。嫁さん抜きで僕だけが参加するなどありえない。
それでは、死にに行くようなものだ。情けない話だが、今の僕は嫁さんの強さに頼る以外に生きる道が無いのだ。このまま僕一人の参加が決まることだけは、絶対に阻止しなければならない。よって、ここは僕がキッパリと言い切るしかない。
「僕たち夫婦は一心同体です。行くなら二人一緒でないとダメです。もしそれが無理と言うなら、すみませんが今回の話は辞退させていただきます」
ちょっとカッコつけて言ってみた。
すると、騒がしかった食卓がピタッと止まる。
全員が僕の方を向いていた。
言い終わってから後悔した。
何てセリフを口走っているんだ僕は。
「蓮くん……」
嫁さんが嬉しそうな恥ずかしそうな何ともいえない表情で顔を赤らめている。
ああ、しまった。本当に何てセリフを口走ってしまったんだ僕は。
「いや、すまない。そこまでの想いで旅をしているとは思わなかった」
アッシュさんが何か気まずい感じで謝ってきた。
やめて。余計に恥ずかしい。せめて笑ってくれた方が楽になる。
「ガハハハハハッ!あんちゃん、ほんとすげえなぁ!俺は今ほど、あんちゃんをすげえと思ったことはないぞ!」
バーリーさんまで何か感心している。
すみません。ただの失言なんです。そろそろ勘弁してください。
「ママぁ、”いっしーどーたい”ってなに?」
最年少のチェリーが母親に質問をした。
ごめん。ほんとやめて。ここで意味を解説されたら完全にトドメ刺されるから!
「わかった。二人での参加を認めよう。というより誘ったのは私の方なんだ。むしろ、こちらの非礼を詫びたい。すまなかった」
アッシュさんが本題の方へ話を戻してくれた。
いろんな意味で助かった。
「あ、いえ、ありがとうございます」
「ただ、他のハンターと同じ隊というわけには、いかなくなる。本当にすまないが、後方から見学するような形を取らせてもらおう。それでも構わないだろうか?戦果を上げるには不利になるが」
「いえ、むしろその方がありがたいです。僕たちもこの地域のハンターがどんな狩りをするのか、知りたいので」
「そうか、ありがとう。では、明日の早朝、戦闘準備を整えてギルド支部に集合してくれ」
食事会はお開きとなり、アッシュさんは宿に戻った。
その後、僕たちが泊まる部屋の話になった。バーリーさんの家は広めではあったが、子ども達もいるので空いている部屋が無いという。
次男夫婦が部屋を空けて子ども部屋で寝る、と言い出したので、僕は慌てて止めた。さすがにそこまでご厄介になろうとは思わなかった。
「子ども達さえ良ければ、子ども部屋で寝泊りさせてください。寝床があるだけでも僕たちは十分ありがたいですから」
何度か押し問答をしたが、ようやく折れてくれた。
子ども達は奇妙な来客を面白がっていたので喜んでくれた。
さらに風呂があるという。
この地域は温泉が湧くようで、各家庭で温泉に入れるというのだ。
日本でもないのに風呂に入れるのはありがたい。
しかし、風呂に入る順番は決められており、一家の主が先に入り、次に男性陣、その次に女性陣と子ども達、ということらしい。これまた、まるで昭和初期の日本のようだ。
今日は客人として、一番風呂をいただいた。
嫁さんは夕食の後片付けを手伝ってから入るという。
丸二日の汚れを綺麗に落とし、夜の庭で一人休憩することにした。
心から安堵した気持ちだ。昨日の今頃は、異世界に来た不安で押し潰されそうだった。そこから比べれば、たった一日でなんという違いであろうか。
夜空の星を眺めながら感慨に耽っていると、嫁さんがやってきた。
彼女も風呂に入ったようだ。
「家で温泉なんて贅沢だね。この世界にもお風呂があってよかったよぉ」
火照った体で僕のすぐそばに立つ嫁さん。
「ね、ちょっと散歩しない?」
「そうだね。夜の村も見ておこうか」
二人で夜の散歩デートになった。
嫁さんは髪を隠していないが、夜なので見えにくいから問題ないだろうか。
歩きながら、妙にくっついてくる嫁さん。
姿が若いせいで、湯上がりの彼女が妙に艶かしい。
気持ちが高ぶりそうになるのが照れくさいので、冷静さを装って僕は尋ねた。
「どうした?」
「いやぁ、蓮くんがあんなこと言ってくれるなんてねーー。あの蓮くんが」
「う……」
先程食事の席で口走ったセリフのことを言っているに違いない。
「ストローさん達がね、あんな旦那はめったにいるもんじゃない、絶対に手放しちゃいけない、って何度も言ってたよ」
「言いながら笑ってたんでしょ?」
「ううん。真顔で褒めてた」
「いや、そっちの方が恥ずかしいわ」
「こっちでは珍しいことなのかもね」
「うん。どうも、ここに来てから抱いていた違和感の正体がわかった気がするよ」
「どんな?」
「ここは男と女の立場がハッキリしている」
「そだね」
「もっと言えば、男性優位の社会だと思う」
「やっぱ、そっか」
「食事の席もよく考えたら、男性陣が全員、上座の側である奥に座ってた。僕と百合ちゃんを並んで座らせたのは、客人として迎えてくれたからだと思う。風呂の順番も決まっていた」
「そういえば、そうだったね」
「そして、討伐隊のあの様子。百合ちゃん、もしかしたらこの世界は、君にとって、すごく生きづらい世の中かもしれないよ」
「でも、私そんなに気にしてないよ」
「そう?」
「うん、それでもここの人たちが”いい人”であることに変わりないもん。ちょっと文化が違うだけって思えば、問題無いかな」
「そうか。百合ちゃんがいいと言うなら、僕は何も言わないけど……」
「大丈夫だよ。それより、蓮くん、これ」
嫁さんは手に持っていたものを見せてくれた。
懐中時計だ。
「旦那に時計をプレゼントするお嫁さんってどう?」
「最高だよ」
「腕時計は無かったけどね」
「十分だよ。嬉しい」
嫁さんからこんなプレゼントをもらったのは、もしかすると初めてではないだろうか。
「ふふ、いつも働いてくれている蓮くんに何かプレゼントしたいって、ずっと思ってたんだ」
「そうか、黒蛇を倒したのは百合ちゃんだもんね。これは百合ちゃんの稼ぎで買ったんだ。ありがとう」
「金貨1枚したけどね」
「え、たっか!じゃあ、今日二人でお金ほとんど使っちゃったってことだよね?」
「大丈夫でしょ。牙1本であれだったんだから、明日はもっといっぱいお金もらえるでしょ?」
「それはそうだけどね……僕も本を買ったし……でもこれからは、お金の使い方に気をつけよう。こっちの経済感覚に慣れないとあっという間に破産するかもよ」
「そだね。あっ、あとこの世界ってカレンダーが無いみたいだよ」
「え?」
「今年は蓮くんが言うとおり、13月があるんだって。でもカレンダーが無いんだよ。不思議だよねぇ」
「もしかして、曜日が無いのかな?」
「たぶん、それ。カレンダーが無いと曜日がわからない、って言ったら、キョトンとされちゃった」
「休みの日とか、どうやって決めてるんだろう……サラリーマンの立場からすると信じられん……」
「だよねーー」
「あ、そうだ。せっかく時計が手に入ったんだから、百合ちゃんの脈を測ろう」
「え、今やるの?」
僕は立ち止まって、時計を見ながら嫁さんの脈を測った。
「今日も安定してる。1分間で脈拍65回。安定してる時の百合ちゃんと変わらない。つまり、1分の間隔もほとんど地球と一緒ということだ」
「は?今、実験してたの?私の脈で?」
「いや、ついでに」
「ふーーん」
「僕の脈拍も普段と変わらない。地球とほぼ同じ1分だよ」
「それはよかったねーー」
僕が実験を開始し、考察を始めたので、嫁さんは急に冷たくなった。
「時間の単位が同じってのは、とてもありがたいことだよ。この世界も1日は24時間だと言うけど、実際の体感時間がズレてたら大変だ。もしも24時間が実際は18時間分だったり、逆に30時間分だったりしたら、体のリズムがおかしくなるでしょ?」
「そっか。確かにそうだね」
具体的な問題点を挙げると、嫁さんも少し興味が湧いたようだ。
「それに1秒が地球と同じ1秒なら、速度計算も簡単になる」
「ほほーー」
「百合ちゃん、ちょっとそこに立ってみて」
「ほい」
僕は道の途中にあった木の前に嫁さんを立たせた。
「百合ちゃんの身長が165cm。百合ちゃん3人分で495cmか。ちょうどいいな」
「何が?」
「そこの木の枝がちょうどいいんだ。この石を地面すれすれから上の枝まで投げられる?」
「私、昔、野球でピッチャーやってたんだよ。コントロールは任せてよ」
「じゃ、合図するから、お願い」
「りょ!」
合図とともに嫁さんが小石を投げる。
約1秒で木の枝まで届き、同じく1秒で地面に落ちた。
「うん。約5メートルを約1秒ずつ。地球の重力とほぼ一緒だ」
「え!そんなこと計算してたの?」
「重力の強さによって、重力加速度が決まるから、計算してたんだよ」
「何、言ってるの……」
「昨日、百合ちゃんが空から落ちてくる時、地面に向かってどんどん加速したでしょ?」
「うん。ジェットコースターどころじゃなかった。ものすごかったんだよっ」
「モノが自由落下する時は常に星からの重力を受けている。だから、常に加速しつづけるんだ」
「それは知ってる」
「その加速度は常に一定で、重力の強さによって決まるんだよ」
「ああ、なるほど」
「加速度を2回、積分すると距離を出すことができる。
h=1/2×g×tの2乗
という計算式だ。
hは高さ、gが重力加速度、tが秒ね。
そして、地球上ではgは約9.8m/秒なんだ」
「あのね、蓮くん、積分とか言われた時点で、私もう無理だから」
「早い話が、1秒間に約4.9メートル、モノは落ちる。
あとは2秒、3秒と数える度にその2乗倍、
つまり4倍、9倍と落ちる距離が延びていくんだ」
「ふーーん、じゃあ、10秒間落ちたら?」
「100倍の490メートル」
「うわぁ……」
「今、だいたい5メートルの木の枝から、1秒掛けて石が落ちてきたから、この星の重力も地球とほぼ同じってことがわかったんだよ。正確に測定するには機械を揃えないと厳しいけどね」
「よくもまぁ、思いつくよね、そんなこと……」
「いや、普通でしょ」
「普通じゃないよっ」
「そうかな……」
「あれ?でも、おかしいよ。モノが落ちるのって重さは関係ないの?」
「え?」
「いや、ほら、重いものの方が落ちるのって速くなるでしょ?」
「百合ちゃん、それ本気で言ってる?」
「違うのっ?」
「百合ちゃんは打ち上げられたボールが野球ボールかソフトボールかで、待ち構える位置を変えたりする?」
「いや、そんなこと意識したことないよ。角度と飛距離でだいたいわかるもん」
「でしょ?質量が大きいほど掛かる重力は大きくなるけど、質量が大きいのだから、その分、加速させるのに必要な重力も大きくなる。つまり、重力加速の計算上では、質量は相殺される。モノが落ちる速度に重さは関係無くなるんだよ」
「あれぇ、そうかぁ……私35年間、勘違いしてた……」
「ただし、空気抵抗の影響は受けるから、軽いものが遅く落ちるってのはあるよ。紙がヒラヒラ落ちてくるのとか」
「あっ、それだ!あぁ、なんかスッキリした」
「これは大事なことだよ、百合ちゃん。重力がほぼ同じなら、モノを投げた時の放物線も同じことになる。逆に違っていたら、僕たちの想像とは全く違う動きでモノが落ちてくるんだよ。自分自身の動作にも影響してくる」
「なるほど。これで私たちは、普段どおりの動きをしてもいいってことが分かったんだ」
「そのとおり。よくできました」
「やった」
「で、さらに分かったことがある」
「え、まだあるの?」
話を続けようとすると嫁さんがウンザリした顔をする。
もうお腹いっぱいということか。しかし、なおも僕は説明した。
「この星はだいたい地球と同じくらいの大きさだ」
「出た」
「何が?」
「いや、もう話が異次元すぎて、ついて行けない」
「これも大事なんだよ。なぜなら、この星がもしも地球の倍くらいあったら、空の色だって変わってるかもしれないんだから」
「え、どうしてそうなるの?」
「百合ちゃんは、どうして夕焼けが赤いか知ってる?」
「考えたこともないよ。夕日は夕日だから赤いに決まってるじゃない」
「まぁ、普通はそうか……夕日が赤いのはね、大気中に青い光の成分を吸収されたからなんだ」
「へぇーー」
「太陽の光には7色があるでしょ?」
「うん。太陽の光が分かれると虹になるんだよね」
「そうそう。その7色の光は色ごとに性質が違うんだ。青い色は空気に溶け込みやすく、オレンジや赤は溶け込みにくい。昼間の空の色が青いのは、大気に散乱した青い光を僕たちが見ているからなんだよ」
「へぇぇーーー」
「昼間は、僕たちと太陽が最も近づいた状態にあるから、光は最短距離を通ってくる。空気の層を通るのも最短。これが夕方に近づくと、太陽が傾いて光が斜めになる。その分、僕たちに辿り着くまでに通る空気の層が大きくなるんだ」
この点は、言葉だと難しいが、地球という円と大気という円を二重丸として描いてみると分かりやすいだろう。
「そうすると、青い光が散乱しつくして、残りのオレンジや赤の光だけが僕たちの元に届くというわけだ」
「だから、夕日が赤いって?」
「うん」
「ふーーん、それが世界が変わるとどうなるの?」
「もしもだよ?星のサイズが地球のサイズの2倍あったとしよう。さらに構成する物質が同じ割合だったとしたら、空気の高さも2倍ということになる(空気の量だと体積で8倍になるけど)」
「ふむふむ」
「すると太陽の光が地上に届くまでの空気の層が2倍ということになる」
「あっ」
「わかってきた?」
「なんとなく」
「あくまで可能性の話だけど、その場合、空の色が青ではなく、黄色とかオレンジになってもおかしくないんだよ」
「うわぁ、それ気持ち悪いなぁ……」
「逆に、地球よりもこの星が小さい場合、空の色が透明になるかもしれない。夕焼け空が青くなる可能性もある」
「青くなったら夕焼けじゃないよ……ただの空だよ……」
「そう。そして、そうなっていないということは?」
「……ということは?」
「地球とほぼ同じ」
「そか……」
「でね、ここからが重要なんだけど、星のサイズが同じで、重力加速度も同じなら、この星の質量も同じということになるんだ」
「あぁ、わからないけど、なんかわかる」
「1日の時間も1年の周期もほぼ同じなので、自転周期、公転周期もほぼ同じ。さらに惑星の大きさも質量もほぼ同じ」
「ほとんど地球だね」
「そう。だけど、夜空の星の配置が違う」
「そっか」
「さらにこれ、この大陸の地図なんだけど、全く知らない形をしている」
「ほんとだ」
「ということで、ここは地球とは全く違う星だけど、生活環境という点では、地球とほとんど同じ感覚で過ごせる。特に星の質量が同じだとしたら、星の構成もほぼ同じだと考えていいと思う。魔法という未知の現象がありながらも、それ以外の物理現象は全て僕たちの常識が通用するんだよ」
「へぇーー、すごいねぇー………」
「感情こもってないよ」
「いや、すごいよ。宇宙まで話が広がっちゃって、すごいとは思うけど、結論としては?」
「僕たちは何も気にする必要はない、ってこと」
「だよね……」
「え、なにその、聞いて損した、みたいな顔は……」
「べつに~~」
難しい話を聞かせすぎたせいか、嫁さんがスネてきた。話題を変えないと機嫌を損ねてしまいそうだが、本当に話しておかなければならない本題は、ここからなのだ。
「あのね、話が長くなってしまったけど、これまでのことを通して、僕は百合ちゃんを叱らないといけないんだよ」
「へ?どうして?」
「君が昨日やった大ジャンプ。あれはもう絶対にやっちゃダメ。ここが地球と同じ環境なら、尚の事、禁止だ」
「ああ、危ないもんね。でも、あれ以上高いところから落ちても、私の体はダメージ無かったと思うよ?」
「そうじゃない。あれ以上高いところに行くこと自体が、ヤバすぎるんだよ」
「あっ!そうか!宇宙まで飛んでっちゃったら大変だね!」
「それもあるけど、それ以前の時点で危険なんだ。百合ちゃんは昨日、雲の上まで行ってたでしょ?雲の高さは天候によって様々に変化するんだけど、少なくとも上空5000メートルは超えていたと思う。飛行機が飛ぶのが、だいたい高度1万メートル前後。つまり高度10キロメートル。それを超えたら、人体が受ける影響は計り知れないんだ」
「え……そうなの?」
「雲の上まで行ったら寒かったでしょ?」
「うん。ものすごく冷えてた」
「高度5000メートルなら、まだよかったかもしれないけど、高度1万メートルまで行けば、地上と比べて気温が60度以上、下がることになる」
「うっそ!」
「さらに、それより上に行くと、対流圏を過ぎて成層圏に行ってしまうから、空気の性質が変わってしまうんだ。具体的にはオゾン層がある」
「オゾン層っていいヤツだよね?確か、紫外線を防いでくれるんだっけ?」
「そう。地上にいる生物にとっては、無くてはならないものだ。だけど、オゾンそのものは人体には毒なんだよ」
「えぇっ!?」
「それにオゾンというものは酸素が分解されて生成されるんだ。だから、酸素濃度も薄い。そもそも空気の密度が下がっているから、呼吸ができるかどうかも、わからない」
「えぇぇぇぇぇぇ…………」
話を聞いているうちに嫁さんの顔が青ざめてきた。
「わかった?少なくとも高度2万メートルまで行ったら、人体にどれほどの影響があるか未知数なんだ。無事でいられる保証はどこにも無い。だから、あの大ジャンプは絶対禁止。いいね?」
「うん……わかった」
「それなら、よかった」
「でもね、蓮くん……」
「なに?」
「それ、もっと早く言ってほしかったぁっ!私、そんな、おバカな死に方したくないよぉ!」
「はははは……そうだね」
長い長い説明になってしまったが、ようやく嫁さんに身の危険を伝えることができた。規格外のパワーを持ってしまった嫁さんの行動範囲は、地球規模で心配しないと命に関わるのだ。
すると、ここで別の賑やかな声が聞こえてきた。
「おい、リーフ!こっちにも酒を持ってこい!」
「こっちにゃ、肉が足りねえぞ!」
ギルド支部の隣にある酒場兼宿屋だ。
討伐隊に参加するハンターが大勢宿泊しているというが、その人たちだろう。数多くのハンターが集まったためか、店の外にまでテラス席を設け、賑わっていた。
そのハンターがひしめく中を駆けずり回っている一人の青年の姿が見える。
「はいっ!はいっ!」
彼はハンター達からやかましく指示されて料理や酒を運んでいた。
ところが、果物を一つ落としてしまい、それがコロコロと転がった。
このままでは近くの泥の中に落ちてしまいそうだ。
だが、既にそこには嫁さんが立っており、果物を拾った。
今まで僕の隣にいたはずなのだが、まるで瞬間移動だ。
「はい。どうぞ」
「す、すみません」
「大変ですね」
僕も近づいて声を掛けると、その青年は苦笑しながら答えた。
「ハンターの先輩たちが多すぎて、店の人では回りきらないんですよ。僕は下っ端なので、手伝いをやらされているんです」
そう言って、青年はいそいそと酒場に戻っていった。
嫁さんが呟く。
「あの人たちと明日は一緒に戦うんだねぇーー」
「不安になった?」
「ううん。活気があっていいんじゃない?」
「そう。ならよかった」
僕たちは来た道を帰ることにした。
「そうそう。僕たちがこれから旅をするのも希望が見えてきたよ。帰れる可能性が、いくつか見えてきたから」
「……そうなの?」
ここで僕は昼間に調べた『勇者』と『魔王』のことについて話した。
「つまり、蓮くんは、私がこの世界に『勇者』として呼び出された。だから、『魔王』を倒したら帰れるかもしれない、って考えてるの?」
「うん。ただ、その前に呼び出した本人を探し出して、その理由を聞くのが先だね。呼び出す原理も調べたい」
「蓮くんも一緒に呼ばれたのは、どうしてかな?」
「百合ちゃんの仲間として呼ばれたのかも」
「弱いのに?」
「弱い、は余計だ」
「ごめん。でも私は蓮くんが一緒に来てくれて、よかったよ」
「本当に?」
「ほんと、ほんと」
嫁さんは僕の隣にピッタリとくっついてきた。
「石ころ一つ投げただけで、宇宙のことを語り出しちゃう変な人だけど、私が考えつかないことをいつも考えてくれる。私一人じゃ、どこかで野垂れ死んでたかもしれないもん」
「僕だって、君一人で来させなくて本当によかったと思ってるよ」
「一心同体だもんね」
「それ、今言う?」
「ふふふ、私は嬉しかったよ」
照れながら嫁さんの顔を見ると、彼女もこちらをじっと見つめている。
星空の下、薄い光の中で嫁さんの顔だけが輝いて見えた。
気づけば二人の顔は至近距離にあった。
そっと唇を彼女の口元に近づける。嫁さんは目を閉じた。
だがしかし、ふと、ここで気がついた。
すぐそばに小さな女の子がいたのだ。
円らな瞳でこちらを凝視していた。
話をしているうちにバーリーさんの家の庭まで着いていたのだ。
「あれ、チェリー、どうしたんだ?」
「きにしないで」
いや、気にするよ。女の子って小さくても、マセてるよな。
嫁さんが彼女に声を掛けた。
「チェリーちゃん、一緒に寝ようか」
「うん。ねる」
チェリーを抱きかかえて家の中に入る嫁さん。
「また今度だね」
去り際に僕にそう言って、ベッドに入っていった。
なんとなく浮かれ気分になったが、子ども達と一緒の寝室だ。嫁さんとイチャイチャするなんてしばらく無理だろう。今になって宿を占拠しているという討伐隊を恨めしく思った。
そのまま、僕も子ども達のベッドに入る。何度か小さな足に蹴飛ばされたりはしたが、この世界に来てから初めての安心した一夜を過ごしたのであった。
しかし、僕はこの時、理解していなかった。
この世界がどれほど理不尽で過酷な世界であるのかを。
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