第一章 最強すぎる嫁と異世界サバイバル

第1話  目覚め

広がる青空。

山の中腹に開けた小さな台地。

少しだけ肌寒さを感じる湿った空気。

遺跡の崩れた跡。


その傍らにある木陰で僕は眠っていた。


誰かの膝枕で寝ていたようだ。

日差しの中、目を開けるとその女性は優しく微笑む。


「蓮くん、起きた?」


「え」


一瞬、誰だか分からなかった。

声の感じ。自分への話し方。

間違いなくこの女性はウチの嫁さん、百合華である。

――だが、若い。

10代後半の女の子に見えるのだ。


「ゆ……百合ちゃん?」


「うん、そうだよ」


事態を理解できないまま、僕は目の前にいるかわいい女の子の顔に手を伸ばし、その頬に手を触れる。


「ははは……いくら夢でもこれは無いだろ……」


いくら嫁さんのことが好きだからって、10代JKみたいな嫁さんの夢を見るとか、どんだけ僕は妄想が激しいんだ……。


「もう!夢じゃないよ!蓮くん!起きてってば!」


「えっ」


ハッキリと意識を取り戻した僕はバッと起き上がり、周囲を見渡す。

先ほど説明した風景が広がり、他に人はいない。


「え、え……、えぇぇぇぇ……」


「私と同じ反応してる」


若い嫁さんがその様子を見て、クスクスと笑う。

よく見ると彼女の格好もおかしい。

鎧を着ている。

どこか見覚えのある綺麗なデザインの鎧だ。


ちょうど太ももの箇所は鎧の金属で覆われていなかったので、先程は膝枕をできていたようだ。


「………」


ここはどこだ?さっきまで自分は何をしていた?

いろいろありすぎて頭が追いつかず、言葉も出ない。

こういう時はあれこれ騒ぐよりも冷静に状況分析することが大切だ。


嫁さんの格好に気づいた僕は、次に自分の体に目を向ける。

ローブのようなものを身に纏い、近くに小さな杖が転がっていた。


オンラインゲーム『ワイルド・ヘヴン』の装備だ。


「…………」


数秒間、考えにふけった。


「百合ちゃん……百合ちゃんだよね?」


僕が落ち着くのをじっと待っていた嫁さんが答える。


「うん、百合華だよ。蓮くんも……蓮くんだよね?」


嫁さんの反応から僕はすぐにあることを察した。


「今、僕の顔どうなってる?」


嫁さんも用意がよく、腰に差してある剣を抜き、刃の表面を僕に向けてきた。


「ほら」


鏡代わりの剣に映った僕の顔もまた10代の頃のように若返っていた。

実に懐かしい。この感じは確か高校生の頃。17歳前後だろうか。


「ええと……ちょっと整理しよう。まずこの姿と格好は『ワイルド・ヘヴン』だね」


「うん」


「確か『ワイルド・ヘヴン』の主人公設定は17歳だったっけ」


「うん」


「百合ちゃんは戦士で、僕はおそらく賢者」


「うん」


「でも『ワイルド・ヘヴン』にこんなマップは無かった」


「うん」


「よし、では仮説1。これは夢である」


「たぶん、違うかな」


「どうして?」


「ほっぺた、つねったら痛かったもん」


「もうやったのか……」


「あとね、少しお腹すいてきた」


「なるほど。でも、そういう百合ちゃんが出てくる夢を僕が見ているという可能性もある」


「それ言い出したらキリが無くない?それに夢なら、覚めて終わりだから何も困らないでしょ?」


「確かに……うん、そうだね。夢なら別に問題視する必要は無い。じゃあ仮説1は一旦置いといて、仮説2だ。僕たちはオンラインゲーム『ワイルド・ヘヴン』の世界に入り込んでしまった」


「うーん、どうだろうねぇーー。たぶん違うと思う」


「まぁ、現代社会にそんな技術があるわけないし、リアルすぎるよな」


「それにね、さっき私、してきちゃったから」


「何を?」


「ちょっとトイレに行きたくなって、そこの岩の陰でおしっこしちゃった」


「……なるほど。生々しい現実」


「さすがにゲームの中でトイレは再現しないと思うんだよねぇ」


「ということは、今ここで僕たちはちゃんと生きてるということだ。そして同時に”夢”の説も消える」


「うん」


「では、仮説3。これはものすごく大掛かりなドッキリである」


「でも私たち、若返ってるよ。そんな技術無いでしょ」


「秒で論破されたな。では、仮説4。これが一番考えられないんだけど、これしか説明できない」


「うん」


「僕たちはゲームの設定そっくりに姿を変えて、どこかの世界に飛ばされてきた」


「たぶん」


「…………」


「…………」


議論の後、数秒間、沈黙して見つめ合う二人。

そして、僕は絶望感とともに頭を抱えて、しゃがみこんだ。


「ウソだろ……これ、異世界ファンタジーじゃないか……」


実際に自分がこういう状況に置かれると絶望しかない。


どうしてこんなことになった?

どうやって帰る?

そもそも帰る手段はあるのか?

あと、なんで夫婦一緒なんだ?


考えても答えなど出るはずが無い。しかし、理数系の性分なのか、あれこれ考えずにはいられなかった。


そんな僕の落胆をよそに、嫁さんは先程から、はしゃぎ回り、こちらに呼びかけていた。


「ねえねえ、蓮くん!それより見てよ、これ。……ほら、これ!ねえ、蓮くん!見てってば!ほら!」


やっと彼女の様子に気づいた僕は、嫁さんが大きな岩をあっさり剣で切断しているのを目撃した。まるで豆腐を切るような具合だ。


「……はい?」


「ほら、ほらほら!」


どうやら、自分の力を見せたくて仕方がないらしいウチの嫁さん。

切断した大岩をさらに細かく切り刻む。

最後はパンチで粉々に砕いてみせた。


「あ、グーでも行けた!すごいでしょ、蓮くん!蓮くんも何かやってみてよ」


そうか。ゲームの設定が僕たちの肉体に生きているのだとすれば、ゲームでできることを再現可能かもしれない。


この状況をすんなり受け入れて、遊んでいる嫁さんの緊張感の無さには半ば呆れるところだが、ここは状況把握のため、自分に何ができるのかを知る必要はある。


これはもしかしてアレか。

異世界に来た主人公が無双する展開か。


「え、えーと……じゃあ僕は魔法を使えるのかな……」


「うん、やってみて!」


腰のベルトを見ると横に魔導書のようなデザインの本がぶら下がっている。

止め具のボタンをはずし、魔導書を取り出してみた。


本を開こうと思うと、ひとりでにページがめくれる。開かれたページには魔方陣が描き込まれていた。


お、これは本当に魔法が使える展開じゃないか。


「じゃあ、やってみるよ……【風弾エア・ショット】!」


中身は35歳のサラリーマン。

目の前に右手をかざして魔法名を叫ぶ自分に気恥ずかしさを感じないわけがない。

これで何も出なかったら、僕はバカ丸出しじゃないか。


ブオォォォッ


そんなことが頭の中をよぎっていた刹那、魔方陣が光る。

かざした手のひらには風が集まり、渦を巻いて前方に発射された。


バシィッ!


飛んでいった風の弾丸は岩に当たり、ほんの少しの傷をつけて消えていった。


「やったね!蓮くん!」


「すっげぇ!本当に出た!!」


はしゃぐ嫁さんと大人気なく喜ぶ僕。


いや、だって実際に魔法が出たのだ。

そりゃ誰だって興奮するであろう。


しかし、興奮しつつも威力はさほどでもない。

生身の人間に当たったら間違いなく大怪我を負わせるだろうが、強敵を仕留めるような性能とは思えない。


「とは言っても、百合ちゃんのようにはいかないな……」


「もっと上位の魔法は?」


「そうだね。今のは下位魔法だから、中位魔法の【爆風弾ブラスト・ショット】を使ってみよう」


再び構える。

魔導書のページが自動的にめくれ、別の魔法陣が現れた。


「【爆風弾ブラスト・ショット】!!」


つい乗り気になってしまった。

今度はかなり勢い込んで叫んでいた。


「…………」


しかし、何も起こらなかった。

虚しい沈黙が場を支配する。

……とてつもなく恥ずかしい。


「……ぷっ!」


横で噴き出す嫁さん。


「いや、百合ちゃんが、やれって言ったんでしょうが!」


「ご……ごめん……蓮くん……すごいカッコつけてたから……」


必死に笑いを堪えながら謝る嫁さん。

逆にそれが悔しくなる。


「くっそぉ……【風弾エア・ショット】!【風弾エア・ショット】!!」


最初の下位魔法を連続して使ってみる。

こちらは問題なく使えるようだ。

ということは、僕のレベルが低くて上位の魔法を使用できないということか。


「よく考えたらさ、百合ちゃんの戦士はレベル最大だったと思うんだけど、僕の賢者は全然使ってなかったと思うんだよね……」


「そうだね。蓮くんの賢者、弱かったと思う」


ということは僕は弱キャラでこんな世界に来たのか。

最上位ですらない、ただの中位魔法も使えないなんて悲しすぎる。


「なんか納得できないから、とりあえずもう一回だけ試しておこう。【爆風弾ブラスト・ショット】!!」


今度は落ち着いて魔法を呼び出す。


次の瞬間、背後から一陣の風が吹いた。


「え」


一瞬、魔法が発動したのかと思ったが、狙っていた効果とは全く違う。

後ろの方から突風が吹いてきたのだ。


「れ、蓮くん、上!上!」


「上?」


嫁さんに促されて上空を見上げる。

予想外の光景に僕の思考は一瞬凍りついた。


巨大な翼。太い尻尾。長い首。角と牙。

頑丈そうな鱗に覆われた巨体。鋭い眼光――


――空から飛行してきた巨大なドラゴンが、羽ばたく風とともに僕らのもとに降り立とうとしていたのだった。

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