第2話 ドラゴン襲来
「ド、ド……ドラゴン!?」
異世界で、しかも魔法が使えるのだから、当然モンスターくらいいるだろう。
それは脳裏によぎっていたのだが、自分が大して強くないとわかった矢先、どう考えても最強の部類であろうドラゴンに遭遇する。
今まで生きてきた人生の中で、これほど死の恐怖を味わったことはなかった。
実はこのドラゴンが、異世界からやってきた勇者様を迎えに来た使者だった……などというオチでも無い限り、僕らは殺されるだろう。
そして、そんなご都合主義の展開に期待するわけにもいかない。こちらは自分だけでなく、大切な嫁さんまで同伴しているのだから。
「百合ちゃん!逃げよう!!」
「う、うん!」
二人は全力で走り出した。
「グゥオォォォォン!!!」
背後からドラゴンの雄叫びが聞こえた。
圧倒的な威圧感に押しつぶされそうになり、全身に悪寒が走る。猛獣に襲われる時の恐怖とはこういうものなのか。
雄叫びの轟音が止むか止まぬかのうちに、さらに背後から熱い何かが押し迫る。
ドラゴンが吐き出した炎のブレス攻撃だ。
当たれば間違いなく全身黒焦げになって即死だろう。
だが、幸いなことにここは山の中腹。
山の標高は相当高いようで、山頂が雲の上まで伸びており、確認することができないが、僕たちが逃げた方向は、反対に山を下る側だった。
走り逃げると、すぐに下への段差があった。
そこを飛び下りることでブレスを避けられた。
頭の上を高温の熱風が通り過ぎる。熱さを感じながら背筋がヒヤッとした。
だが、安堵する暇は無い。そのまま走り続ける。
先程までいた台地を下りると林に囲まれた山道が続いている。
初めて訪れた山を全力疾走で下りるなど、危険極まりないのだが、ドラゴンに追いつかれることを考えれば、こっちの方が百倍もマシだ。
「蓮くん、あの子、怒ってるね。何がいけなかったんだろ?」
走りながら嫁さんが声を掛けてきた。
「いや……わからなっ……」
息を切らしながら答えようとするが、この状況で声が出るわけがない。
だいたい舌を噛みそうで怖い。
「私たちがあそこで騒いだのが、いけなかったのかな?岩を壊したのとか?あ、私がおしっこしたのを怒ってるのかな?」
嫁さんよ。鎧を装備して走っているのに、なぜそこまでしゃべることができるんだ。今はただ逃げるのに集中しようよ。
「はっ……ひっ……」
とにかく急げとジェスチャーで応え、必死に走り続ける。しばらくしたところでドラゴンが追ってこないことに気づいた。
どうやら林に囲まれているお陰で僕らを見失ったらしい。林をブレスで焼くような理不尽な行いをすることも無いようだ。
それにしても、こんなに全力疾走したことなんて、何年ぶりだろうか。
体が若くなったせいか、かなり走ることができた。
しかし、それでも体力には限界がある。
ようやく安心できたので僕は足を止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……百合ちゃん……体……大丈夫?」
「うん、平気平気。蓮くんこそ大丈夫?」
見ると、嫁さんは全く息切れもせずにケロッとしている。汗一つかいていない。
僕だけが汗だくで息も絶え絶えだ。
「なんとも……ないの?こんなに走った……のに心臓……大丈夫?」
「なんかね、この世界に来てから、私、すっごく調子がいいんだ」
「そ、そうなの?じゃあ、薬なくても大丈夫?」
「うん、たぶん平気」
「そうか……」
ぜいぜい言いながら話す僕と、平然としゃべる嫁さん。
薬も無く異世界にやってきて、そこがかなり心配だったのだが、大丈夫なのであれば、こんなに嬉しいことはない。異世界に来て健康体になったというのは、どうも腑に落ちないところではあるが。
「それなら良かった……薬が無い状況下で百合ちゃんをどうやって守ろうか、ずっと心配してたんだよ」
「ふふ、ありがと」
「そして、今気づいたんだけど」
「うん」
「まずは水源を探そう。水が無いと人間、生きていけない」
「そっか。そだね」
今さらではあるが、全力疾走で喉が渇いたお陰で、自分たちがサバイバル状況に置かれていることに僕は気づいたのだ。
確か、人間は食べるものが無くても数週間は生きられるらしいが、水を飲まないと数日で死んでしまうのではなかったか。
少なくとも1日水を飲まないだけで脱水症状になり、相当危険なことになるはずだ。嫁さんにそんなことはさせられない。
「山だからどこかに小川があると思う。下りながら探していこう」
「知らない世界に二人きりって寂しいね。他に人いないのかなぁ」
「普通の異世界転移ものなら、誰かに会えるもんだけどね……」
最悪、人のいない世界ということだって、ありうるかもしれない。
しかし、この想像はあまりにも絶望的だ。だから、嫁さんには黙っておこう。
そう考えていると、嫁さんが妙なことにツッコんできた。
「”異世界転移”?”異世界転生”じゃなくて?」
「”転生”って生まれ変わることだから、これが”転生”なら、僕たちは日本で既に死んでることになっちゃうよ」
「え、それはヤだな」
「それに”転生”なら、赤ん坊として生まれてくると思うし」
「でも、そのままの姿で”転生”って呼んでるパターンもない?」
「そのパターンも多いね。ただ、僕たちは17歳の肉体で山奥にいた。”転生”と言うには不自然すぎる。だから、誰かの魔法によって召喚されたか、何か超自然的な力で”転移”してきたと考えられる。で、召喚された証拠は無いから、とりあえず”異世界転移”と言ったんだ」
「蓮くんって、ほんとそういうの考えるが好きだよね」
「好きで考えてるわけじゃないよ。ここからどうやって帰るのか。その答えを探すには、僕たちがここに来た原因を探さなくちゃ……」
「あっ!待って、蓮くん!」
歩きながら説明していると、唐突に嫁さんに肩を掴まれ、止められた。
「上!」
「え?」
気づけば、ずっと続いていた林がちょうど途切れて、上空からよく見えるようになっていた。
そこに待ち構えるようにドラゴンが降りてきたのだ。
僕たちを見失ったわけではない。
しっかり追っていたのだ。
林を傷つけずに済む場所を狙って、僕たちが出てくるのをずっと待っていたのだ。
「グゥアァァァァッ!!」
再び雄叫びを上げるドラゴン。
明らかに怒っている。
先程の僕たちの行動で何か癇に障ることでもあったのだろうか。
この世界に来たばかりでそれが何かを判断するには、あまりにも材料が足りない。
少なくともこのドラゴンには、僕たちを生かして帰す気はさらさら無いようだ。
背後の林に逃げ戻りたいが、とても間に合いそうにない。
万事休す。
どうしてこの事態を予測しなかったのか。自分の考えの甘さをひたすら後悔する。
せめて嫁さんだけでも逃がせるように何か手立ては無いものか。
しかし、考えをまとめる暇などありはしない。
体長十数メートルの巨体から、情け容赦なく炎のブレスが吐き出される。
巨大な炎の塊が僕の眼前に迫ってきた。
理由もわからず、原因もわからず、突然転移してきた異世界で、これほどあっさり僕らの人生は終わるのか。
こんな理不尽が許されてよいのか。
この怒りを僕はいったい誰にぶつけたらいいのだ。
――まるで走馬灯のようにそう思った瞬間、嫁さんが僕の前に立った。
「百合ちゃん!」
僕の心配の声には構わず、彼女は剣を抜き放ち、炎に向かって斬りつける。
「はっ!」
炎は左右に引き裂かれ、突風とともに雲散霧消した。
「マ……マジですか……」
感嘆しながらも嘆息することしかできない僕に嫁さんが言う。
「蓮くん、やっぱりこの子……すごく怒ってるね。可哀想だけど、やっつけるしかないかな?」
もはや頭がしっかり回らない。
兎にも角にも理解できることは、自分よりも嫁さんの方が遥かに頼りになるという事実だ。全て嫁さんに任せる以外にない。
「う……うん」
この一言を言うのが精一杯だった。
「りょ!」
僕の返事を聞いた嫁さんは了解の口癖とポーズをした後、ドラゴンの方に振り向き、その目を見る。
「ごめんねっ」
ドラゴンに向けての一言。
その声が僕の耳に入るまでの間に彼女の姿は消えていた。
「えっ」
ドッゴーーンッ!!
次の瞬間、僕の目に映ったのは、ドラゴンの足元からいっきに跳躍し、その顎にジャンピングアッパーを食らわせた嫁さんの勇姿だった。
「へ?」
自分の予想と現実との落差に開いた口が塞がらない。
完全に計算違いをしていた。嫁さんの強さはこれほどだったのか。
ドシーーーーンッ
そのままドラゴンは仰向けに倒れ、腹を見せた状態で気を失ってしまった。
なんともシュールな光景だ。
「えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」
もしも人間という生き物に目玉を飛び出させる機能が備わっていたとしたら、このとき僕の両目は確実に飛び出ていたであろう。
結婚5年。嫁さんと一緒になって以来、これほど驚いたことは初めてであった。
僕のこの反応は、異世界で無双する主人公の強さを目の当たりにしたモブキャラそのものである。
ここに来てようやく僕は悟った。
――この世界に選ばれたのは僕ではない。ウチの嫁さんなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます