禍々しい渦と、決心
真っ暗闇の空に無数の火がぱっと浮かび上がり、きれいな弧を描いて王国の拠点へと降り注いだ。火矢はゆっくりと刺さった地点から火を大きくしていき、薄暗がりの拠点を少しずつ照らし始めた。やがて、煙の臭いが辺り一帯に充満し始めると、人の気配が丸太柵の向こうで無数に蠢くのがわかった。
ハルは、拠点の南側の丸太柵の前に立ち。左手に意識を集中させていた。後ろには、それぞれ得物を抜いて突入の瞬間を待つ味方が控えている。
ハルの左手が火に包まれると、その腕を大きく空に掲げた。火は、徐々に大きくなりながら、球体を形成していった。火の玉はハルの手に乗っかるような形で、乱回転を起こしながらその体積を広げていく。すでに拠点の中から怒号や慌ただしい声が聞こえてくるが、今さら彼らにはどうにもできないだろう。外で巨大な明かりがともっているのを見て、彼らはどんな思いをしているのだろうか。
ハルは、自分の背丈ほどの火の玉を作り出し、それを起用に丸太柵へ投げつけた。火の玉は、渦を巻きながら丸太柵の根元へ落下し、ぶつかった瞬間、球体の中に凝縮されていた炎が激しい火の粉と共に爆ぜた。熱風がハルの体に向かってきたが、それくらいの熱量には、もう慣れっこだった。爆ぜた勢いで、刺さっていた丸太はそう崩しに倒れたり、あるいは一瞬で炭と化したり。道を開くには十分な威力だった。
火の玉は、丸太柵だけでなく、拠点内の天幕にも燃え移っており、最初の火矢もあって、すでに拠点内は火の海になりつつあった。
ハルが崩した丸太柵から、簡素な鎧に身を包んだ何者かが燃えながら飛び出してくる。
「かかれ!」
そんな彼を、ハルの後ろで控えていた部隊が襲い掛かる。一人、また一人と、逃げ場を失った王国兵らしき者らが飛び出してくる。そのたびに、彼らは同を剣で貫かれ、手足を斧で叩き落されていく。ハルも、石弓を構え、火の中で悶えている人影に向かって、その矢を射ていた。ある者は、勇猛にも果敢に剣を振りかざしながら突っ込んできたが、その剣が届く前に、矢が届く。石弓を持っているのは、当然ハルだけではない。ある者は、燃えながら矢を射てきたが、木製の矢は火の中ではやくにただず、その燃えカスがこちらに来ることはなかった。
やがて、周囲の丸太柵がほとんど燃えて崩れ始めた頃、いよいよこちらから中へ入ることとなった。中は既に、いくつも焼死体が転がっていて、かろうじて火の手を逃れた者もいたが、物の数ではなかった。
「いたぞ!怪物だ。」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。例の黒い体の怪物が三体ほど、たったまま待機していた。すぐに魔法士たちも突入してきて、浮遊魔法でその体を浮かす。不思議なことに怪物は全く持って動きを見せない。両手をぐったりとさせながら、首も垂れている。まるで、スイッチの切れたロボットのように。
(・・・・。)
そういう風に比喩できるのは、ハルだけだ。他のものは、ここぞとばかりに武器を怪物の体に突き刺していく。あれが、あの状態が、ロボットのようだなんて考えもしないだろう。でも、本当に意思がないような状態に見える。
今回の目的は、敵拠点の殲滅。余計なことを考えてはいけない。魔法士たちに怪物を調べさせるチャンスだとか、そういうのは考えなくていい。仮にあの怪物が、自分たちでも御せる存在なのだとしても、今はすべてを殺めることだけを考えていればいいのだ。
背後から物音がしたのに気づいて、ハルはとっさに小剣を後ろに切り払った。案の定、王国兵の鎧を着た兵士が今に襲い掛かろうとしていた。
「くそっ!死んでたまるか、死んでたまるか!!」
兵士は無我夢中で剣を振り回していたが、それは訓練された剣術には見えないし、ハルの目からしても、素人の動きだった。剣筋が読みやすく、剣の大きさ、重さで劣っていても、受けきり、はじき返すのは容易だった。
「ぐあっ!、や、やめろ。やめてくれ!」
両手で待ったをかける兵士にハルは、罪悪感を覚えながらも、必死に歯を食いしばり、その手を切りつけた。
「ぐわぁあああ!。嫌だ、死にたくない。頼む、殺さないでくれ!」
「っ・・・。」
身を退りながら、地べたを這いつくばって逃げていく兵士の背中から、ハルは小剣を突き刺した。鎧の境目の腰のあたり、鎖帷子が覗いている部分へ。脆い帷子を簡単に貫くと、わずかに血しぶきがあがる。同時に悲痛な兵士の悲鳴も。痛みにうめく男は、逃げることも出来なくなった。それでもまだ、息はあった。だから、後ろから兵士の顎を上げ、短刀でその喉元を掻っ切った。
咳のような声と同時に、兵士の口から大量の血が零れてきた。そのまま手を離すと、兵士の男は地面にうつ伏せに倒れ、動かなくなった。
それを確認した後、ハルは腰に刺さっている小剣を抜いて、彼を見向きもせずに味方の元へ戻っていった。剣を持つ手には生暖かい返り血がこびり付いて気になったが、もうしばらくの辛抱だった。その蹂躙が終わるまでの、辛抱なのだ。
空が白んできたころには、すでに火も弱まり始め、煙だけが空に昇っていた。
聞きなれた木材が燃える、パチン、という音が時折響いていて、ハルには妙に心地よかった。あたりを見回すと、体の一部だったものが転がっていたり、原型はとどめていても、動かない死体が点々と横たわっていた。今、ひとりひとり死亡確認を行っているところだ。火計を行ったから、死んだふりをしてやり過ごそうとするのは無理があるだろうが、それでも、どこかに隠れて逃れるということは、そう珍しくないらしい。もっとも、戦闘は既に終わっているから、そこまでやる意味はもうないと思うが、追い詰められた敗者が、最後の足掻きで道ずれにするなんてシャレにならない。徹底的にちゃんと殺さなければならないのだ。
ハルは、地べたに座り込みこそしなかったものの、実際どこかで座って休みたい気分だった。7人。7人もの人の命を、たった数時間のうちに奪った。彼らは戦う前から火に焼かれていたり、手負いの状態だったが、その命を突き刺せるのには、相応の体力がいるものだ。
人は脆い生き物だと、言葉の上でいうのは簡単だが、実際にその命が果てるまでにかかる時間は、想像よりも長いものだ。ましてや追い込まれた草食獣のように、抵抗してくる相手ならばなおさら仕留めるのには苦労する。ただでさえ、したくもない殺しをしているのだ。無地戦い抜いた安堵よりも、疲労感のほうが大きくて、余計に虚しい思いが襲い掛かってきた。これが、奇襲なんかではなく、本当の野戦であったら、その場にいる兵士たちはどんな苦しみを味わうのだろう。殺し殺されを目の当たりにしながら、命を狙い狙われをするというのは、きっと、正気ではいられないだろう。
「大丈夫か、ハル。」
声をかけてくれたのは、ラベットだった。振り返ると、それほど返り血の浴びていない軽鎧がやけにまぶしく見えた。やはり、彼の剣術は本物なのだろう。それほど疲れた様子は見られないし、装備に汚れやほつれがないのがその証拠だ。
「すごく、疲れました。夜通し動いてたからってのもありますけど。」
もともと寝る間も惜しんでここまでやってきたのだ。体力の限界はとうに過ぎているのかもしれない。すぐにでも地べたに寝転がって、眠りに付きたい気分だった。
「顔とか吹いておけよ?ひどい有様だぞ。」
「はい。手とか、もうべたべたで。」
すでに返り血は乾ききっているが、肌に張り付くこの感じは、決して慣れるものではない。小剣と短刀を握る手のひらには、まだ液状の血液がまとわりついていた。得物も血だらけのまま何度も切りつけてしまったから、刀身で固まってしまっている。刃こぼれも相当起こしているだろう。なにせ、人の肉や骨を、それで貫いたのだから。
「ハル、ちょっといいかい?」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。レリックだった。かろうじて原型を残している拠点の天幕の入り口から、顔をのぞかせていた。レリックの呼びかけに答え、ハルはその天幕の中へ入っていった。
「なんですか?」
「これ、見てごらんよ。」
そういってレリックが拾い上げたのは、何枚もの羊皮紙が挟まれた、本、のような冊子だった。火に焼け、冊子の周りは焦げて黒くなっているが、肝心の中身が読めなくなるほどではなかった。
「・・・指令書ですか?なんて書いてあるんです?」
「白髪の少女は発見次第、捕縛せよ。最悪その毛髪だけでも持ち帰ればよい。・・・。たぶん、ハルのことを言ってるんだろうね。」
「やっぱり、私を捕えて王族に仕立て上げるつもりなのかな・・・。」
「目的まではわからないけど、君を使って何かをしようとしてるのは明らかだろう。」
気になるのは、最悪の場合、この白い髪の毛でもいいから持ち帰れという、指令だ。そんなもの手に入れていったい何をしようというのだろうか。それに、この指令書の送り主のことについては、まだまだ正体がわからない。あいにく冊子にはそのほかの指令も書き記してあったが、軍事的なことばかりで、ハルに関係あることは書いてなかった。
「何か見つかったか?」
天幕に義兵団の人が入ってきた。この作戦を指揮していたのは義兵団だから、重要そうなものは、彼らに送検してもらわなければならない。ハルとレリックは、冊子を義兵団に押収してもらい、ハルの事情を少しだけ話した。おそらく義兵団にも、ハルのことについて話が回っているはずだ。義兵団の人は、これに関する情報をあとで提供してくれることを約束してくれた。
「実はね、何人か、捕虜を捕えたんだ。」
レリックが天幕から出ながら続きを話し始めた。
「殲滅が、今回の作戦の目的だけど、やっぱり情報を必要だと思うからさ。みんなにはああいったけど、義兵団たちと協力して、可能な場合は捕虜をとったんだ。」
「じゃあ、その人たちから、何か聞けるかもしれないですね。」
「まぁ、全員普通の兵隊だから、詳しいことを知っているかはわからないけどね。」
指揮官級の人物を捕えていれば、あの指令書に関する話が効けるかもしれないが、それでは期待はできないだろう。だが、確実王国は、ハル自信を狙っている。今までは、あやふやな感じだったが、今回のことではっきりしただろう。
「王国には、私の何かを利用したがってる人がいるのは、間違いないみたいですね。」
それが魔法の力なのか、それともまだ自分が知らない重大な秘密が自分にはあるのか定かではないが、あの国はそれを狙っているのだ。いや、そもそも国が狙っているかどうかすらわからない。この戦争はあくまで、王国と小国連合の戦だ。ハル一人を手に入れたいのであれば、ルーアンテイルと敵対などせずに、友好関係を築いたまま交渉する方が手っ取り早い。今までは、あの正体不明の国王と王妃が、自分を取り戻そうとしているのだと思っていたが、そうではなくて、王国の何者かが、ハルの力を手に入れようとしている可能性だってある。むしろ、その線のほうがしっくりくる。ハルは、向こうの主張を借りれば、一応王位継承権を持つ者とされている。そんな人間を迎えるのに、こそこそする必要などないはずだ。真正面からハルのもとに来て、王族として迎えようとするのは、誰の目から見ても自然なことだ。むしろそれを拒むハルが、良し悪しで言う、悪側になるのだから。王国としては、その方が都合がよかったはずだ。
(やっぱり、確かめなきゃいけない。)
いつかはしなければいけないと思っていたことだ。もう、逃げ続けたところで、この胸の靄は決して晴れてはくれないのだ。知りたいことを知らなきゃいけない。
「レリックさん。」
「ん?なんだい?」
「私、・・・王都に行こうと思います。」
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