六章 真実を求めて

秘密の特訓

黒い怪物の襲撃から、早三日。以降、王国からの攻撃は一切なく、鳴りを潜めた戦争の感覚は、ルーアンテイルの民を疲弊させていた。いつ攻撃があるかわからない。初めて犠牲者が出た時から、次は自分が殺されるかもしれない。そういう思いに駆られながら、日々を過ごさなければならないのは、普通に生活をするだけで疲れるものだ。

この三日の間に、亡くなった人の葬儀が行われたり、補給部隊の第二陣が出立したりと、さまざまなことが起こっていた。何も起こらない時間でも、戦争は刻一刻と動いている。前線の状況が耳に入ることはなかったが、お互いにそう長く戦争を続ける理由はない。ルーアンテイルとしては、主戦場の小国連合との勝敗にかかわらず、少しでも王国の戦力をそげるのであれば、多少を無理をしても攻撃を仕掛けるはずだ。兵隊の数では、おそらく王国にはかなわないとみているそうだが、主な貿易を行っていたルーアンとの縁を切られたのだから、王国の生命線はとても脆い。

「だから、わざわざこっちから仕掛ける必要はないと思うんだけどねぇ。」

そうぼやくアンジェの表情は、どうしてか柔らかかった。

「今、義兵団の本体には、うちの精鋭方がついてるでしょ?団長たちがうずうずしてるんじゃないかって、レリック兄さんも言ってたよ。」

「ははは、確かにありえそうな話ですね。」

リベルトとて、何も考えなしに突っ込んだりはしないだろうが、後ろで手をこまねいているような人でもないのは事実だ。義兵団も巻き込んで前線を押し上げたりなんていうのは、ない話ではない。もっとも、鷹の団は、あくまで予備の部隊でしかないから、彼にどれくらいの発言権があるかはわからないが。

ここは、ルーアンテイルの南東の城壁塔。そのてっぺんで、ハルとアンジェは退屈だが、重要な任務に就いていた。時刻は既に深夜を回り、頭上には満月が煌々と輝いていて、満天の星空の元、主に東方向の監視を行っていた。もちろん、ルーアンテイルに近づくような連中がいれば、すぐにでも警報を鳴らすことになっている。ハルは、この日のために胡散臭い商人から仕入れた双眼鏡を覗きながら、アンジェとの愉快な会話に勤しんでいた。

「新しいやつ、どうだい?見える?」

「はい、結構度が高いので、遠くまで見通せますよ。」

信じられないくらい月明かりが強いので、こんな夜でも双眼鏡で星以外のものを見通すことが出来る。季節もようやく寒さが落ち着いてきたので、震えて見張りをしなくて済んだ。それでも、夜風に肌寒さを感じるので、コーシェを着て、中も厚着をしてきたのだった。

「そういえば、監視の坊や。ケガで補給部隊には参加しなかったんだってね。」

アンジェの言う通り、エイダンは怪物にやられた怪我がまだ感知しておらず、街で待機することになったらしい。彼の意外、部隊の人は出立してしまったため、彼は別任務に就くことも出来ず手持無沙汰で義兵団寮にいるという。

「暇だったら、稽古に付き合ってって言ったんですけど、断られちゃって。私じゃ相手にならないと思ってるんでしょうね。ちょっと気に食わないです。」

「まぁ、ちょっと不器用そうな子だもんね。あたしは嫌いじゃないけど。」

いつか剣術でぎゃふんと言わせるのが、今のハルの目標でもある。とはいえ、彼に打ち勝つには同じくらいの豪傑である、ラベットに勝てるくらいでないと、手も足も出ないだろう。そのラベットにだって、手も足も出ない状況では、いつになっても追い越せないだろう。強くなるのは、そう簡単なものではない。単純な技術であればなおさらだ。人を追い越すのは運や才能だってかかわってくるから、本気でやらなければ。

城塞塔の見張り代は、屋根こそないものの、二階構造になっていて、下の階には簡易的な寝床もあり、明かりに使える蠟燭や灯篭なんかが用意されている。しかし、二人は二階が石造りなのをいいことに、見張り代の真ん中に篝火を焚いていた。見張り代は周囲がレンガの壁に囲われているから、風で火が消えることもない。案外、快適な場所だった。アンジェは篝火に当たりながら、携帯食の干し肉をかじっていた。ハルはというと、同じく篝火のそばに座っているのだが、その左手を火にかざして、じっと明かりを見つめていた。

「おっ?やってるねぇ。ほんとにうまくいくのかい?」

いつものように手のひらに火をつけるイメージは考えないようにして、目の前の篝火の火を掴むような感覚を、なんとなくしている。

「今の私には、剣よりこっちのほうが、見込みがあると思いますので。」

「それ、自分で言う?」

実際、ありあわせの剣を腰に吊るしてはいるものの、剣よりも、魔法に磨きをかけたほうが、役に立てると思うのだ。自分の才能がどんなものか、まだよくわかっていないし、魔法の訓練なんて、場所を選ばないとできない。魔法にもよるのかもしれないが。街中で火を起こすわけにもいかないから、今はいい機会だった。

「でも、触れてもいない火を、自由に操るなんて、そんなことできるとは思えないけどね。」

「ははは、私も思い付きでやってるところありますから。できるかどうかは・・・まだ、なんとも。」

そもそも初めて魔法を使えたのだって、何がなんだかわからなかったのだ。ソーラを助けたい思いが、そのまま現象となったのだと解釈すれば、なかなかロマンチックな話だが、魔法というものが確立された世界では、単に偶然を招いたとしか言えないだろう。

今やろうとしているのは、こんなことが出来るんじゃないかという想像を、試しているところだ。具体的には、自分で火を起こすんじゃなく、すでにある火を手足のように操れないかというものだ。同じ火を扱うということで、魔法ならできそうな気もするが、実際何をどうすればいいかわかっていない。火に手を近づけて、なんとかそれをいつもの魔法のように、大きくしたりできないものかと、念を送っているのだ。

そんな様子を、アンジェは暖かな視線で見守っていた。

「ハルってば、相変わらずだね。」

「なにがですか?」

「そういう姿勢、強くなろうと、一生懸命でさ。」

「うーん、私、そんなでしたっけ?」

思い返せば、はじめは強くなりたいなんて考えもしなかった。ただ恐れるばかりで、自分が弱い人間以上の存在ではないと思っていた。成り行きといえば、悪く聞こえるが、そうせざるを得なくなったのだ。強くならなければ、きっと今頃、気が狂ってどうかしていただろうに。

「ほんとは、こんな風には、なりたくなかったですけど。」

「でも、ハルがそうなりたいと望んだんだろう?」

「・・・そう、ですね。強く、カッコよく、そうなりたいって思ったのは事実ですね。」

「ふふ、これからが楽しみだね。剣士に魔法士、次は何になるんだい?」

そんなホイホイいろいろとできるようになったら、人生楽できるのかもしれないが、現状行き詰っている状態だ。ただ、こうして訓練を続けているのも、何も目的がないというわけではない。戦争が始まってしまったから、このルーアンテイルに閉じ込められているような状況だが、この戦争が終わったら、やりたいことが出来たのだ。目標といってもいいかもしれない。そのために、新たな魔法の習得、いや、もっと強くなる必要があるのだ。誰に助けてもらう必要もないくらい。それこそ、一人で生きていけるように。

ハルは、再び篝火に手を近づけて集中した。火を、手で掴むようなイメージを思い浮かべながら、その火を、自分の手で操れるように。



城壁塔の見張りの任務は、内容こそ重要なものだが、実際はとても暇な仕事だ。アンジェと交互に仮眠をとりながら、都市周辺の警戒を行うのだが。城壁塔は、おおよそ百メートル間隔くらいで立っており、そのすべてに都市防衛部隊が見張り役としてついている。夜の仕事もあって、お互いの仕事ぶりはほとんど見えやしない。夜中ずっとさぼっていてもわからないくらいだ。ただ、ハルは魔法の訓練もしながらなので、特に退屈だと思ったことはない。静かな夜は、鼻歌でも歌って自分の世界に浸るに限るのだ。

今日も、篝火の火が小さく静まってきたころから、塔の柵に寄りかかりながら、思い浮かんだ旋律を適当に口ずさんでいた。風向きによっては、隣の見張りまで、聞こえるかもしれないが、そんなことは気にはしない。時折、眼下の平原に目を向けながら、酷く平穏な時間を過ごしていた。戦争をしているとは思えないくらい、平和な時間だ。何かをしなければならないという焦燥もおこらない。昼間、慌ただしい空気になっている分、その反動なのか、嫌に静かに感じるのだ。もっともこの仕事が始まってからは、昼間は寝ているから、その騒々しさもよく見てはいないのだが。昼夜が逆転した生活も案外、悪くないもだった。

「晴れていれば、満天の星空。ほんと、きれいな世界。」

向こう側とは比べ物にならないほど、穢れのない世界。だけど、こんな世界でも、戦争は起こるし、今もどこかで人が死んでいるのだろう。

元の世界へ帰るという目標は今でも変わらない。それを成すために何をすべきなのか。いまだにそれはわからない。けれど、一つだけ、最初からわかっていることがある。自分をこの世界に連れてきた人が、あの王国にいるということだ。

あの時は、ただただ逃げ出したい一心で、それどころではなかったけれど。あのお城にこそ、一連のことの犯人がいるのだ。

「・・・。はぁ。」

この戦争が終わったら、その犯人を見つけたいと考えていた。いつまでこの戦争が続くかは、わからないが。でも、いつまでも、自力で元の世界へ戻るなんて意地を張っているよりも、手っ取り早く、そして確実な方法だ。当人に問いただして、素直に答えてくれるかはわからないけれど。必要であれば、力づくででも聞き出せばいいのだ。今なら、そんな非道をする覚悟だってある。今までは、誰かのために力をふるってきたが、今度自分のために、全てを使いたいのだ。元の世界へ帰るために。

「・・・元の世界か。もうすぐ、一年近くなるのか。」

気づけばそれほどの年月が経っていた。帰る見込みがないのは今も一緒だが、帰りたいという意欲は、あの時ほど大きくはなかった。

元のいた世界で、平凡な高校生として、やがては大学生になって、そして、社会人になって。そういう人生を歩むはずだった。それが普通あと思っていた。けれど、この世界に来て、普通が普通でなくなってしまった。今この瞬間、両親の目の前に現れることが出来たら、二人はどんな顔をするだろうか。体中傷だらけで、返り血で変色した白い髪や、平然と武器を持つ姿を見て、どんな思いをするのだろうか。両親であれば、きっと、どんな姿の自分だろうと、変わらず接してくれるとは思うが、変わってしまった自分自身が、そんな二人の元に戻ることをためらってしまいそうだ。

元の世界へ戻るという目標は、ある意味願掛けのようなものなのだ。それを失ってしまったら、ハルは、この世界で、生きる意味をなくしてしまうのだから。

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