戦争の性

全身に重りを付けられたような感じがした。腕を上げるのでさえ難しいくらい、体が動かない。目を開いているのに、その目は何も見てはいなかった。ただ目の前で、黒い人間が住民を蹂躙する様子を眺めているだけ、仲間たちが必死に彼の者を抑えようと、果敢に突っ込んでいるが、一人、また一人と返り討ちにあっていく。

すでに現場は惨劇と化していて、住民たちの多くは逃げていたが、怪物の餌食になった人たちが、何人もその場で倒れていた。

(起き・・・なきゃ。)

思考する力ももはや正常に働いていなかった。自分が地面に倒れていることさえ忘れて、ただただ手を伸ばすだけだ。

「ハ・・・ル・・・。無事・・・か?」

目の前に誰かがいる。しかし、その誰かも、声が途絶え途絶えでよく聞こえないし、そもそも、どこに顔があるのかがわからない。自分を呼んでいるのか、何を話しているのかが理解できなかった。

「しっかり、しろ。」

「・・・・エイ・・・ダン?」

口にした言葉は、無意識のうちに出ていた。自分の声を聴いて、ようやく何が起きているのかがはっきりしてきた。

「動けるか?立てる・・・か?」

彼は苦しそうに顔を歪めていた。まるでお手玉のように扱われていた彼の体は、表情以上に重症を負っているのだろう。だがそれはハルも同じことだ。手刀を食らった横腹から、激しい痛みが襲ってきた。意識を失っているときはまるで麻酔でも打たれていたみたいにおとなしかったのに。頭が鮮明になってくるたびに、体中の痛みが動き出したみたいだった。

「ケッホ、かっは。ごめ・・・。動け・・・ない。」

両腕を地面について、立ち上がろうにもうまく力が籠められない。殴られたときに、体のねじが飛ばされてしまったのではと思うほど、思うように動かない。自分の体じゃないようだった。

腕の下にエイダンの肩が回り込んできて、ハルはどうにか体を起こされた。そのまま立ち上がらせられて、彼は何も言わずに、その場を離れていった。

「どこへ・・・?戦わ、ないと・・・。」

「こんな状態の、あんたを・・・守りながらは戦えない。」

足手まといということだろうか。彼も似たような状況だと思うのだが、事実ハルは肩を借りてようやく立っているような状態だ。戦う気持ちばかりが逸って、からだの心配を忘れてしまっている。どうにか建物の影に身を潜めたのだが、あの怪物を野放しにするわけにはいかない。

「もう片方でも、あの黒い怪物が暴れているのだとしたら、二体も相手にしなくちゃいけない。俺とあんたと、お仲間たちだけでは手に負えない。増援を呼ばないと。」

「これだけ、・・・大きな騒ぎになれば、義兵団も、集まってくるんじゃ?」

ただでさえ住民たちが目のあたりにしているのだ。すぐにでも情報は街中に広がり、戦力は集まってくるだろう。

「それまで、時間を稼がないと・・・。」

エイダンは、意を決したように立ち上がり、そして、すぐに膝を折ってしまった。なおも苦しそうに息をしていて、辛そうだった。ハルは、わき腹を抑えながら、どうにか立ち上がることが出来た。ふらふらと足取りがおぼつかなかったが、エイダンよりはましだろう。

「私が・・・。」

「無茶だ。そんな体で!」

「あなたよりはましよ。剣を貸して。」

「冷静になれ。こんな状態じゃ、すぐにまたやられるぞ。」

「でも・・・。」

建物の影から、怪物がいたほうを見やると、周囲をきょろきょろとしている怪物が、じっと佇んでいた。人の姿をしているものの、その所作は獣に近い。言葉も話さないし、人間とは思えなかった。

怪物の周囲では、何人もの体が転がっている。彼らに息はあるのだろうか。なんにせよ、早くあれをどうにかしない限り、危険な状態だ。

「一瞬でもいいから、隙を作りたいの。」

「何をする気だ?」

策というほどのものじゃない。ハルは、左の手のひらに小さな火を起こして見せた。

「あんた、魔法が使えるのか!?」

「あいつの体に短刀を突き刺して、体の内側から、焼き殺す。」

あの怪物が何なのかは、わからないが、全身を焼き尽くされて死なない生物など存在しないだろう。問題は、どうやってやつに近づくかだ。剣だろうが短刀だろうが、突き刺すには至近距離に近づかなければならない。ただでさえ素早く、近づけばめちゃくちゃな力で暴れるあの怪物に、気づかれないように接近しなければならないのは至難の業だ。一度対峙しているからこそわかる。真正面から戦いを挑んでも返り討ちに合うことが。

「二人同時に襲い掛かって、・・・隙を見てあんたが短刀を突き刺す。いや、無理だろうな。さっきも、あんたのお仲間と共に、仕掛けていたのに、ひと振りも当たらなかった。とんでもない戦闘の心得を持っている。」

仮に短刀を突き刺せたとしても、火を纏うまでにやられてしまったら意味がない。その時間まで稼がなくてはならないのは、作戦として不可能だ。

こんな時、リベルトや後衛隊のベテランたちがいてくれたらと、思わずにはいられない。彼らなら、あんな化け物相手でも、きっと、何らかの策を講じたり、それこそ、正面からの殴り合いだってして見せるかもしれない。

騒ぎを聞きつけて、団の拠点で待機しているレリックや、アンジェ達が駆けつけてくれれば、まだ勝機も見いだせよう。だが、ここにいるのは、手負いの義兵団と見習い傭兵の二人しかいない。その二人も、ついさっきコテンパンにしてやられた直後なのだ。

「何か、方法があるはず。あいつの、あのめちゃくちゃな力を封じ込められれば・・・。」

「・・・。」

エイダンが、何かを考え始めていた。体の痛みに表情をゆがめながらも、わずかな可能性を探っているのだ。もともとハルは、頭を使って戦うタイプじゃない。気迫と思い切りの良さで今まで戦ってこれたのだ。作戦なんて思いつきもしない。

「ハル、建物の屋根に乗れないか?」

「えっ?」

「奴は、視界にとらえている限り、攻撃をすべて避けきってしまうだろう。だから、見えないところからの攻撃なら・・・。」

「高所から、奇襲するってこと?」

「落下中に火を纏って、重力の力も利用してのしかかれば、あの怪物だって地面に倒れ伏せるだろう。俺が餌になって、あんたが建物から飛んでいける付近まで誘導する。そして、あんたがとどめを刺してくれ。」

彼の思いついた作戦は、理解はできたものの、あまり賛同できるものではない。自分が囮になって、仕留めやすい場所へ誘導する。それ自体が、難しいことだ。それまでの間にいったいどれくらい、彼はあの怪物の攻撃を食らってしまうのか。そうなったとき、エイダンが無事でいられるとは思えない。それに、高所から飛び降りるといっても、それだってうまく着地できなければ、こっちは軽い怪我では済まない。無防備な状態で、怪物の真ん前に身を晒すことになる。

ハルは、首を振って否定した。

「ダメ、やっぱりやるなら二人で同時によ。」

結局は、あの怪物の猛攻を何らかの方法で防がなければならないのだ。だとすれば、二人で攻撃を分散していくしかない。

「正攻法でやっても、こんな状態なんだぞ?まともに戦えるわけないだろう。」

エイダンのいら立ちが伝わってきた。それくらい自分たちは追い込まれているということだ。力が及ばず、増援も見込めない。ただ逃げることはできても、そんなことをすればあの怪物が、今度はどこへ向かうかわからない。犠牲者が増える一方だ。

ハルも追わず声を大きくしてしまいそうになったが、その時、誰かの大声が聞こえてきた。

「来るな!化け物ぉ!!」

それは、震えた叫びのようだった。体の血の気が引いていくのを感じながら、怪物がいたほうを見ると、倒れていた住民の一人だろうか。その一人が恐怖に染まった顔を浮かべながら、怪物に目を付けられていた。

「まずい!」

こうなってしまっては、もはや作戦など考えている暇はない。ハルもエイダンも、すぐに飛び出していった。エイダンは剣を、ハルは短刀を抜きながら、左手に火を起こした。

「こっちだ化け物!」

先にエイダンが突っ込み、ハルもそれに続く。エイダンの声にくるりと振り返った化け物の両目がこちらをみた。エイダンが右から、ハルは左広がって、左右から挟み撃ちにした。エイダンの剣戟を躱したところ、ハルが短刀を突き刺す。だが、まるで後ろが見えているかのように軽やかな身の来なしでバク転を披露し、するりと二人の間を抜けていった。

(次が来る!)

もはや小細工を考えている暇はない。怪物の動きは人間離れしている。一手先、さらにその先を読みながら、戦うしかない。

案の定、怪物の拳がハルの顔面目掛けて飛んできた。体をねじってハルは、どうにか拳を躱していた。いや、かわし切れていなかった。ハルの白い頬に、赤い一筋の血痕が浮かんできた。

(次を、躱さないと!)

相手の動きを見てから躱すのでは遅い。だから、怪物の拳が届かない距離に下がるしかない。無我夢中で後ろに飛び退り、それを予測していたエイダンが横やりを入れていた。

(取った!)

彼の剣が、まさしく怪物の脳天を叩き切ろうとしている光景を間近に見ていたからこそ、そう思えた。だが、怪物の目玉がぎょろりとエイダンのいるほうをとらえたの見て、嫌な予感がしていた。ハルはとっさに、後方へ下がろうとしていた勢いを殺し、可能な限り早く怪物に飛びついていた。正確には、怪物が拳を作っている、エイダンが斬りかかろうとしている反対側の腕に向かって。

二方向からの同時攻撃に、ついに怪物も対処しきれなくなったのか、エイダンの剣を躱さず、手づかみで剣を止め、エイダンを殴ろうとしていた反対の腕の甲には、ハルの短刀が突き刺さっていた。

手に握る短刀から、生き物の肉を貫く感触を確かに感じながら、ハルは力の限りの炎を生み出した。

怪物の首をつかみ、ありったけの火力を集中させた。すぐに怪物は炎に包まれていった。だが、燃えながらも怪物の拳はまっすぐにハルの腹に向かって飛んできた。

再び意識が飛ばされそうになるのを、歯を食いしばって堪えながら、されるがままに吹き飛ばされた。

「ハル!」

怪物に火が付いた時点で離れていたエイダンが、すぐに駆けつけてきてくれたのだが、ハルにはその言葉は聞こえていなかった。胃の奥から、液体が溢れ出てきて、それを吐き出してしまった。幸いというべきか、液体は血ではなく、単なる胃液であったが、先ほどとは違った息苦しさで異様に苦しかった。

ひとしきり吐き出した後、ハルは火に包まれている怪物だったものを睨みつけた。間違いなく、火に包まれている。肉が焼ける匂いもするし、火の中にある黒い塊は、ピクリとも動かない。

「死んだか?」

なおも剣を構えながらエイダンは警戒していたが、火の中から動きは全くなかった。

「へっへっへ、死んだ。死んだぞ!怪物め。ざまぁみろ!」

怪物の向こうで、起き上がっていた住民の男性が、ひきつったような笑みで高らかに言った。彼の気持ちは、よくわかるのだが、油断しないでいてほしいものだ。ましてや、本当に敵が死んだかどうかわからないうちは、なおさらに。

案の定、奴は動き出したのだ。火の中でうずくまるようにしていた黒い塊が。

驚くのもつかの間、怪物は住民の男性に向かって駆け出し、男性が逃げ出す間もなく、その胸倉をつかんで、持ち上げて見せたのだ。

「や、やめろ、放せ!、あっ熱い。熱い、死ぬ!うわ、ぐっ、うおああぁぁぁ!。」

足をじたばたとさせ、胸倉をつかんでいる腕を叩いたりしても、怪物にはびくともしなかった。怪物を包んでいた火は、そのまま男性にも燃え移り、彼の悲痛な叫び声が、その意識が尽きるまで響きわあっていた。

火が効いていないのだろうか。怪物の黒い肌は、焼けているようにも見えるが、まるで動きが悪くなっている様子もない。熱さなど全く感じていないというのは、もはや生物の域を超えているではないか。ハルには、目の前の光景が信じられなかった。

エイダンも言葉を失っているようだった。男性の焼死を見届けた怪物は、その体をそのまま地面に捨て置き、こちらへと向きなおった。

もう、二人に打つ手はない。火で死なないのであれば、首を落とすか、体をばらばらに切り分けるしかないだろう。しかし、二人にそれをやってのける体力はないし、仮に万全の状態だったとしても、あの身体能力の前に成す術もなくやられるだろう。

逃げるしかない、そう思ったとき、怪物の体が突然ふわりと浮き上がった。

「ぐぇ?お?あ?」

奇妙な声を上げながら、怪物はたった数メートルほど浮いたあたりで静止した。

「撃て!」

凛とした響きの号令がしたかと思うと、無数の矢が怪物めがけて飛んでいった。数十、いや、百本近い木製の矢が、矢継ぎ早に怪物に刺さっていく。その間、怪物はうめき声一つ上げなかったくせに、最後の矢が刺さったあたりで、空中で体をぐったりとさせて動かなくなった。

「構え!」

先ほどと同じ声の号令がかかると、槍を持った義兵団たちが、怪物の落下地点に集まってきた。そして、浮いていた怪物が前触れなく、重力したがって兵士たちのもとへ落ちると、彼らは無慈悲にその体に槍を差し込んでいった。何度も何度も。さらには剣を取り出し、手足と首を切り落としたのだ。

その残忍な光景は、無慈悲にもハルの視界に映ってはいたが、何の感情も湧き上がってこなかった。

そこには、以前であった時とは違い、分厚いローブに身を包んだミランダの姿があった。

「ミランダ・・・さん?」

彼女の後ろには、何人もの分厚いローブを纏った人たちがいて、そんな彼らを囲うよう義兵団が集っていたのだ。

「遅くなった、ごめんなさいね。まさか、ハルちゃんが戦っていてくれてたなんて。」


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