英雄の証

先ほどよりも雨脚が強まったルーアンテイルを、ハルはエイダンに手を引かれながら歩いていた。半ば強引に連れ出されてしまったが、彼はどこへ向かうか言ってくれなかった。行けばわかるということらしいけれど、彼が何をしようとしているかなんて見当もつかなった。

自分が何者かであるかの証明など、不可能だ。それこそ自分のことは自分が一番よくわかっている。ここではない向こう側の世界から来た高校生。なぜか魔法が使えたり、生まれつき白い髪を持っているけれど、まぎれもなくハルは、赤羽遥あかばねはるなのだ。だが、それはハルの主観であって、客観的に見ればハルが何者であるかは誰にもわからない。それを証明すものは存在しない。唯一、向こう側の遺品として、制服のポケットに入っていた生徒手帳がそれにあたるかもしれないが、この世界では役に立ちはしない。

だからこそ疑念が募る。疑うことを覚える。もしかしたら自分は、赤羽遥ではないのかもしれないと。この世界に来る途中で、自分という存在は、まったく違うものに変わってしまったのではないか。それこそ、異世界の住人として生きていけるように、そういう風に成り代わってしまったのではないか。記憶だけを赤羽遥のものとし、それ引き継いだアカバネハルが今の自分なのだとしたら、今ここにいる自分は、この世界の住人なのではないだろうか。記憶にある両親の間に生まれたのではなく、・・・。

「ねぇ、エイダン。手、放して?自分で歩けるよ。」

ハルが、弱弱しくもそうやって声をかけると、彼は後ろ目にちらっと見ただけで、その要求に沈黙を以って答えた。手を離せば、逃げ出すとでも思っているのだろうか。ハルにはそんなつもりは毛頭ないが、街中を手を引かれて歩くのは、ちょっとばかし照れくささがある。

いったい何が彼をそこまで動かしているのか、どうしてムキになっているのか。ハルにはわからない。

・・・もう何度、わからない、を口にしただろう。わからない、知らない、それは恐怖そのものだ。わからないものを人は恐れ、拒絶し、排斥しようとするものだ。だが、彼は、エイダンは知っているという。ハルのわからない、をどうして彼が知っているのだろう?



着いたのは、何の変哲もない住宅街にある、一軒の小さな家だった。あまり来たことない地域だから、一人だったら迷子になるだろう。玄関口に家主の家名らしきものが掘ってあるのだが、この世界の文字は読めない。誰が住んでいるのかを想像することもできなかった。

エイダンは迷いなく玄関についているドアノッカーを鳴らした。家の中からわずかに人の声がしたかと思うと、すぐに一人の女性が姿を現した。

女性は、ハルを見やると、しばらく知らない人として見ていたようだったが、雨具に隠れるハルの白い髪を見た途端、はっとして駆け寄ってきた。

「あの時の、お嬢さん!?」

「えっ?」

「突然お邪魔して申し訳ない。訳あって、あなたにお会いしなければと思って。」

エイダンの言葉には、小さく会釈をして答えていた。どうやら二人は面識があるらしい。いったいどういう関係だろうとみていると、女性はハルに向き直って苦笑いのような、切ない表情をして、口を開いた。

「・・・いつか、またお会いできたらと思っていたの。覚えていないかしら?」

そういわれても、ハルには見覚えのない顔だった。この辺りに来るのも始めただし、人違いなのではと思ったのだが、そうではないらしい。」

「そうよね。無理もないわ。直接お話したわけではないもの。キサラといいます。あの時、私も奴隷として売られようとしてたのよ。」

「奴隷?」

奴隷ということは、もしやあの砦の牢屋に捕まっていた者の一人だろうか?それならば、覚えていなくとも不思議ではない。あの時、人数なんて数えていなかったし、何より、暗い土壁の牢屋だったのだ。手元も確認できないほどの空間で、人の顔なんてまじまじと見てはいなかったのだから。でも、だったらどうして、このキサラという女性はハルのことを覚えているのか?

「私にとっては、あなたの輝きが、あの場所から解放してくれたのだと、思っているの。きっと、同じルーアンの人だろうから、また会えるだろうと思って、義兵団の方にも話をしていたの。できることなら、お礼を言いたいって。」

なぜ?自分は、礼を言われるようなことはしていない。むしろ、ハルもともに逃げられたことを喜ぶ立場にあるのに。ハルには彼女の言いたいことがわからなかった。困惑して、何を言えばいいかわからず、エイダンに助けを求めるように視線を投げかけた。

「彼女は、あの戦いのあと、俺たち義兵団のもとに来てな。あんたの所在を知らないか尋ねに来てたんだ。どうしても、礼を言いたいってな。」

「・・・私、何もしてないわ?」

ハルは、ただソーラを助けたい一心で、ただそれだけを目標にあの時は動いていたのだ。ほかの人の命よりも、自分の命よりも、あの小さな友達のために、全てを賭していたのだ。

「あんたからしてみればそうだろうさ。自分にできることをやっただけって思ってるんだろう?でもな、それをできる人間がすべてじゃないんだ。自分にできることをやる、できないことはやらなくていい。それすらもできない人間はいるんだ。」

そういってエイダンは、申し訳なさそうにキサラを見やった。

「・・・あの時の私は、ただ恐怖におびえるだけの羊みたいな感じだったの。エイダンさんが、義兵団が助けに来てくれていることを知っても、どうせ、助かりっこないって思ってた。あんなに暗い牢屋の中で、食事だってまともに取れない状況で、生きる希望なんて見いだせなかった。奴隷になって、私を買った人に、媚びを売って、どうにかして生きていかなくちゃいけないんだって、ずっと思ってた。・・・そんな時に、あなたが現れたの。暗闇の中でもわかるくらい真っ白な髪を持っていて、燃える瞳で、奴隷商人たちを射殺すかのような瞳を持ったあなたが。」

「燃える瞳?」

「自分の顔だから、わからないんでしょうね。あなたの目、暗闇だと、少しだけ輝いて見えるのよ?」

そんなことあるのだろうか?彼女の言う通り、自分の顔を見ることはできない。鏡でも持っていれば別だが。でも、今までそんなこと言われたことがない。向こう側にいた時も。

キサラの言うことに、エイダンも頷いて答えた。

「初めて見たときは驚いたがな。本当に、まるで瞳の中で火が燃えているように輝くんだ。」

「そうなの。私、話しかけこそしなかったけれど、正直見惚れてたわ。とても美しい瞳だって。」

でも、だから何だというのだろう。この目も髪も、生まれ持ったものに過ぎない。特異なものとして見られるのは、もうずっと慣れている。彼女が言いたいことがハルにはわからなかった。

「あなたが牢屋に放り込まれてから、私は、あなたを見ていたわ。あきらめていないあなたも、きっと、私のように暗闇に飲まれるはずだって。でも、ちがった。火は大きくなるばかり・・・。あなたは輝きを失わなかった。勝手かもしれないけど、私はあなたが希望だと思った。この、一見子供にしか見えない女の子が、私たちを光のある元へ導いてくれるって。・・・バカみたいな妄想でしょう?でも本当にそうなった。あなたが、私たちの英雄になったの。」

キサラは、感極まったのか、ぽろぽろと涙を流し始めた。しかし、その表情には笑みが見て取れた。ハルは、自分は無力だと思っていた。ソーラを助けることだけでも、力が及んでいたかどうかわからない。たった一人の友達を助けることすらままならないちっぽけな存在だと。命も精神も、全てを賭してようやく運命を変えられるのだと。

だが、いつから自分は、こんなにも大きな存在になっていたのだろう。人の心に火を灯せるほどの、大きな存在に。

「キサラ?お客さんかい?」

キサラの家の奥から、落ち着いた男性の声がした。彼女と同じくらいの年齢の、旦那と思われる男が、腕にまだ小さな赤子を抱きながら、こちらを覗いていた。

「ミリアム。ちょうどよかった。あのね、・・・こういう言い方はちょっと変かもしれないけど、私と、この子の英雄、ようやく会えたの。」

キサラがそういうと、ミリアムという男性は、慌てて玄関から飛び出し、ハルのもへ駆け寄ってきた。そして、子供が落ちない程度に頭を下げてきて、

「ありがとう。ありがとう!。君が、彼女と息子の命の恩人なんだな。ありがとう。本当に、ありがとう!」

そういいながら、豪快に泣き出すものだから、ハルは、圧倒されてしまった。キサラも、ハルの手を取って、わずかに体を震わせながら、声にならない感謝を口の中で言っていた。

「あなたがいてくれたから、私はこの子を産めたのよ。ハルさん。あなたは、私たち家族の、・・・英雄なの。」



キサラと、ミリアム。二人が落ち着きを取り戻すまで、しばらくかかったが、一生分の感謝の言葉をもらう前に、ハルとエイダンは、幸せな家族に別れを告げた。

「あの人、牢屋にいた時から・・・。」

「あぁ。身籠っていたそうだ。」

牢屋の中が暗かったからか、それもと単に捕まっていた人に関心を持たなかったからか、そういう人がいるとも思っていなかった。

「あんたのことを探し始めたのは、子供が生まれてからだったよ。義兵団の屯所にも、子供を抱いてきていたからな。」

「・・・。」

本当に、ハルは何もしてない。彼女は、自分に希望を見出したといっていたが、そんなの彼女のエゴでしかないじゃないか。英雄だなんて・・・。英雄・・・。

「・・・あなたにも、見えたの?」

「ん?」

「私が、・・・私のことを、英雄だって。」

隣を歩くエイダンは、決してこちらを見てはいなかった。ハルも、ただ前をむいて歩きながら、なんとなく、そう聞きたくなったのだ。

「そうだな。・・・、いや、やっぱり俺には、ただの女の子にしか見えなかったよ。どこにでもいる、ありきたりな街娘だって。あんたの、いろいろな面を知ってしまったから。」

やはり、彼の言い回しが、ハルには気に入らなかった。

「でも、あんたは間違いなく英雄だ。主犯を討ち取り、弱者に希望を与えた。例えあんたに、その気がなくとも。あの人達にとっては、あんたが王族であるかどうかなんて関係ない。何者であろうと、あの人たちの英雄であることには変わりないはずだ。」

ハルは足を止め、エイダンに視線を投げかけた。

「それが、あなたの伝えたかった事?」

「自分でも不器用なのはわかってる。うまく伝えられたかはわからない。いや、伝わらなくてもいい。俺は、あんたに前を向いていてほしいだけだ。前を、向くべきなんだ。」

彼のまっすぐな視線が、まっすぐにハルを捕えてきた。期待だろうか、心配だろうか、それとも同情か、哀れみか。彼の真意は計り知れないが、そのやさしさに自分が救われていることを認識せざるをえなかった。

「考えるなとは言わない。本当のこと、あんた自身もわからないんだろう?だったら、全部憶測にしかならないんだ。そんなことに時間を使うより、これからあんたがどうするかを考えればいいじゃないか。例え王族なのだとしても、そうじゃない生き方を願ったのだとしたら、それが君にとってのすべてだ。」

彼の言葉を聞いて、ハルは、目が覚めたような感覚になった。

考えることを、放棄してはならない。考えなければ、人は幸福になどなれはしない。より良い未来を望んでいるなら、考えて、考えて、考えて、最善の道を選ぶしかない。だが、考えすぎてもいけない、考えすぎれば、人は道に迷う。迷い続けると、人は成長できなくなる。ずっとそのままだ。だから、時には最善でなくとも、選ばなければならない。望んでいない道を歩くことを。

「・・・希望がないことと、絶望することは違う、だったよね。」

「あぁ。」

「あなたには、私が絶望しているように見えたのね。」

「あぁ。」

「まだ、歩みを止めるときじゃない。」

「あぁ。あんたの目にはまだ、光が見えているはずだ。」

「光、・・・か。」

エイダンはおもむろに自分の腰から剣を鞘ごと抜いた。それをハルに渡してきた。

「なに?」

「古くから、剣を持つ者は、自身の信条に誓いを立てるという。俺たち義兵団も入隊するときに、そういった誓いの議を行ってきた。あんたにその気があるなら、ここで立てて見せろよ。」

「・・・人の剣でもいいの?」

「形式的なものだ。大事なのは、それを言葉にして、あんたの心に刻むことだ。」

ハルは、少しだけエイダンの剣を見ながら迷っていたが、それを受け取った。柄に手をのせ、一息でその重たい剣を抜き放つ。以前にも持たせてもらったが、ハルには少しばかり重い剣だった。けれどその重さは、暴力的なものではなく、確かな手ごたえを感じるような、そんな重みだ。

ハルは大きく息を吸って、剣を地面に突き立てた。

「私は・・・。」

大層なことは言えない。うまい言葉が思いうかばない。だが、気持ちは正直だ。正直な気持ちを、誓いの言葉に変えてしまえばいい。

「私の名前はアカバネハル!私は自分がわからない。何者なのかを知らない。この世界のことも、どうやって生きていけばいいかもわからない。だけど、・・・私は生きたい。生きて、生き延びて、足搔き続ける。誰にも邪魔はさせない。他の誰にも、私を侵させない。私は絶対に、光を見失わない!」

(元の世界へ帰るまで・・・。)

誓いの言葉としては、軽い言葉かもしれない。自分が、自分でありつつければそれでいいと思っただけだ。でも、エイダンが言ったように、大事なのは言葉にすることだ。その気持ちを忘れないように。

「汝の剣が、生涯折れぬことを祈る。」

「なに、それ?」

「誓いを立てた者への言葉だ。剣は心。そして、その心に誓いを立てたのだから、剣が折れぬ限り、誓いは守られる、という意味合いだな。」

「そっか。」

ハルは、エイダンに剣を返し、眼のふちを手で拭った。泣いたわけじゃない。泣いて乾いた涙をぬぐったのだ。また一つ自分は、変わることが出来たのかもしれない。

「ねぇ、あなたは、どんな誓いを立てたの?」

「なんだっていいだろう?」

「ちょ、人の誓いは間近で聞いてて。ずるい。」

「そのうち教えてやるよ。」

ようやく彼の表情に普段の明るさが戻ってきた。鏡がないからわからないけれど、きっと自分の顔も明るくなっているといいと思った。

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