瞳の由来

「ここへは誰も来なぁい。誰も私たちに気づかなぁい。」

義兵団の格好をした男はゆらりと剣を抜き放ち、雨水が滴る剣先を突き付けてきた。

「その小さな短刀で抵抗するというなら止めはしないけど、きれいなお顔に傷がつくことになるかもよぉ?」

気持ち悪い、その言動もそうだが、雰囲気からして常人とは思えないものを持っているような気がした。それは、強敵としてのただならぬ何かというわけではなく、いわゆる変態的な空気がそうさせているのだろう。しかし、変態と言えど笑いごとにできることではない。立ち居振る舞いからして男は剣術に長けている。それに、・・・この不可解な空間は恐らく、魔法によるものだ。雨の中、精一杯の大声を発して、耳には反響して聞こえていながら、誰一人として仲間が駆け付けていない。周りが異様に静かなのも、偶然ではないだろう。

「また、魔法士・・・。」

「おやぁ?幼そうな顔をしている割に、何も知らないお嬢さんと言うわけでもないみたいだねぇ。そうさ、この空間の全ての音は、どれだけ轟音だろうと外へは聞こえない。どれだけ大声で助けを呼ぼうとお仲間はやってこないんだよ。」

ハルは、男から目を離さないように周りを見回した。雨が降りしきる裏道であることには変わりない。目に見えない魔法の空間が自分たちを覆っているのだろうか。以前戦った、外傷を与える様な魔法とは違って、厄介だが、対処法が無いとは思えなかった。

「さぁ、痛い思いをしたくなかったら、大人しく私に着いてくるといい。その短刀を捨てなさい。」

「・・・お断りします。」

ハルは毅然と断り入れると、男は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。この状況で抵抗してくるとは思っていなかったのだろう。相手が翼竜のような化け物ならともかく、人間と対峙して失意するほどハルの心は小さくはない。

しっかりと短剣を握り、左手にいつものように力を込める。もう何度目か知れない感覚を呼び起こし、その手に火を灯す。光の少ない裏道で、その火は夜闇の月のように、煌々と輝きを放っていた。

「あなたこそ、私の火に触れたら、大火傷じゃすまないですよ。」

燃えた手で短刀の背を指でなぞると、火は短刀に燃え移り、刃渡り数センチの短刀はハルの腕程の長さのある炎の剣へと変化した。

「魔法・・・。」

「ええ。王国の魔法士さんには、さぞ馴染み深いものでしょうけど。」

揺らめく炎に雨粒がぶつかるたびに、水が蒸発する音がする。しかし、火は消して弱まる気配を見せず、ハルの腕ごと燃え続けていた。

男は拍子抜けしたような顔で、目を細めていた。その視線は、まっすぐにハルの両目を捉えている。

「話を聞いた時は、ほとんど信じてはいなかったが、まさか本当に、伝説に相まみえるとは。なんと幸運なことか。」

「伝説?」

「そうとも。どうして君のようなお嬢さんを捕えなければならないのかと疑問に思っていたのだが。龍の瞳があるとなれば、どんな手を使ってでも手に入れねばなるまい。」

そういいながら男は、地面を蹴りあげ襲い掛かってきた。火をまとっているとはいえ、男の剣とハルの短刀の質量の差は大きい。まともに受けてしまえば、得物をはじかれてしまう。最悪、そのまま腕を切られてしまうかもしれない。振り下ろされた剣に対して、ハルは刃を受け流すように短刀を滑らせて打ち合った。雨が降っているせいか、男はあまり火を恐れてはいないし、リーチの長さで力押ししてきている。だが、彼の剣術はそれほど鋭いものはない。やはり本職は魔法士であり、武器の扱いはそれほどでもないのだろう。剣戟を交わし、あるいは受け流しているうちに、男の息が上がり始めた。

「得意の魔法は、使わないのね!」

彼がよろめいた一瞬にハルは炎を鞭のように薙ぎ払い、男の顔めがけて火が吹き荒れた。

「捕まえられるものなら、捕まえてみなさいよ!」

「ふっふっふ、美しいだけでなく、健気で勇敢。いいですね。実にいいですよぉ!」

ふらつく足取りで繰り出される男の剣は、すでに力がなく、短刀を両手で抑えるだけで受けきれた。

(やっぱり、戦闘で使える魔法はないみたい。だったら・・・。)

仲間たちの力に頼らずとも、自分一人で状況を打破して見せる。そう思い、ハルは攻勢へでた。短刀を強く握りしめ、ありったけの火を刀身へと送り込むイメージをすると、鞭のようにしなっていた炎が大きく成長した。これだけ大きな火であれば、濡れた体に触れても弱まることはない。周囲の温度差によって強い風が起こり始めている。

「加減はしないわ。いくぞ!」

「龍の瞳の力、これほどとは!」

短くも、巨大な短刀を振り下ろしながら、なおもハルは男の表情をうかがっていた。狂気、とでもいえばいいのだろうか。彼は笑っていたのだ。すでに観念したのか、剣を振り上げることもしない。目の前に迫る巨大な炎を恍惚とした目で見つめていたのだ。

炎の剣がたたきつけられたとたん、一層大きな蒸発音がすると、一体に大量の水蒸気が巻き上がった。男は悲鳴とともに、倒れこみ、そのまま地面を転がっていた。そして、周囲で何かが崩れていくような音がしている。そこには何もないのに何かの気配が消えていっているのだ。

(魔法の・・・檻?)

男が作っていた音を遮断する空間が消えるのがハルには感じられたのだ。目にも見えず、匂いもせず、物理的にも存在しない。魔法がそういうものだというイメージはあるものの、実際にそれを感じ取れたことには驚きだった。

雨のおかげで、地面を転がった男は、黒焦げになる前に、火が沈下していた。だが衣服は、焦げてぼろく崩れ、皮膚がただれる程度には燃えていた。意識は失っているようだが、念のためハルは、男のが握っている剣を足蹴にして放させた。

剣が転がる音が、雨が降る街に高らかに響くと、周囲で待機していた仲間たちが、続々と集まってきた。

「ハル!っ・・・大丈夫か?」

慌てた様子で仲間たちが寄ってくる。どうやら本当に先ほどの一部始終に気づいていなかったようだ。いったいあの魔法の檻の外からはどのように見えていたのか。

「大丈夫です。どうやら、また魔法士だったみたいです。」

油断していたといえばその通りだが、想定外の出来事にみんなの士気が下がっていることをハルは感じていた。今まで常勝だったため、こういったことが立て続けにあると、そうなるのも当然だ。

男は意識こそなかったものの、死に至るほどのやけどではなかったようで、すぐに縄にかけ、義兵団へ突き出した。

仲間たちととともに、団の拠点へ戻るさなか、その足取りはゆっくりとしたものだった。

今回の一件は、今後起こるであろう大きなうねりが、すぐそこまで来ているのではないかという疑念を膨らませたのだ。王国とルーアンテイルの戦争が、すぐそこまで迫っていると。義兵団に密偵を差し出した以上、この年の長であるミズハにも、この事件については伝わるだろう。年内に王国の手先が紛れ込んでいるのであれば、すぐにでもネズミ狩りが始まるかもしれない。どんどん小競り合いが増え、そうやっていつの間にか、大きな戦いに発展していくのだろう。

戦争というものを知らないハルでも、それがいかに恐ろしいことかは、よくわかっているつもりだった。



拠点に戻ってから、リベルトには多くの質問をされた。襲ってきた男の特徴、どんな話をして、何を言っていたか。ハルは、男が巡回している義兵団と同じ格好をしていたことや、ハルがおおよそで分析した魔法の特徴、にらみ合っている最中の会話など、事細かに説明して見せた。

「ハル、その男は確かに龍の瞳って言ったんだな?」

リベルトは何度もその言葉を聞いてきた。

「はい。龍の瞳の力って・・・。戦っている時だったんで、何を言ってるのかはわからなかったですけど。」

「・・・ふむ。それは、なんつうか・・・。」

リベルトは顎を撫でながら、眉根を寄せて深く考え込んでいた。彼らしくない表情で、初めてこんなに考え込んでいるところを見たかもしれない。

「何か、知ってるんですか?」

「・・・いや、な。龍の瞳ってのは、このあたりじゃ結構有名なおとぎ話に出てくる宝の名前だった気がする。」

「おとぎ話?」

「あぁ、・・・レリックがガキの頃、読ませてやったことがあるんだが。」

近くに本人もそれに気づいて話に加わってきたが、何せ二十年近く前の話だろうから、レリックは覚えていなかったのだ。

「親父が本を読んでくれたことは覚えてるけど、内容まではなぁ。」

「お前、読み終わる前に眠っちまってたもんなぁ。」

まぁ、子供というのはそういうものだ。よほど印象深いものでなければ記憶には残らないだろう。

「でも、単なるおとぎ話なんですよね。」

「いや、それがな。おとぎ話なのはそうなんだが、・・・そこに出てくるお姫さんがいるんだ。それが白い髪を持つ娘だったんだ。」

「えっ・・・。」

「お姫さんは、王国の王子と結ばれてめでたく結婚っていう、まぁありきたりな話なんだが、結婚の証としてお姫さんが王子に、自分の宝である龍の瞳という宝石を渡すんだ。」

「そんな話が?・・・。」

「ハル、正直に言うぞ。俺はお前さんと初めて会ったとき、そのおとぎ話のことを思い出していた。だが、髪の色が白いってだけで、何の関連性もないと思っていたんだ。何よりお前さんのことを信じてたからな。」

だが、リベルトは、新たな共通点を見つけてしまったため、いぶかしんでしまっているのだろう。

「俺は、お前さんが何者だろうと、今更気にしないさ。俺たちの大事な仲間だ。ただ、今後起こりうる事態のためにも、聞かせてくれ。本当に俺に隠していることはないんだな?」

「私、隠し事なんて!・・・。」

「わかってる。落ち着けハル。いいか?王国の手先はもうすぐそこまで来ている。ミズハは明日にでも義兵団を招集し、戦支度を始めるだろう。俺たちも、この都市を防衛するために一役買わなきゃいけなくなる。だが、敵の目的がお前なのだとしたら、それ以上の準備をしなくちゃいけなくなる。

そのおとぎ話はな、もともとアストレア王国の古い伝承を基にした話なんだ。俺は、もう、単なる偶然とは思えない。お前さんが本当にアストレアの王族じゃないか。それを真実にしなくちゃいけないんだ。」

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