刺客

この地方では珍しい、大きな嵐が訪れた。大雪を目にしたことはあったけれど、暴風、大雨、雷と言ったものを見るのは初めてだった。自室の窓から、遠くの平野に雷が落ちるのを何となく見ながら、退屈な日々を過ごすことが多かった。嵐は既に三日も続き、こんな天気では仕事へ行く者たちもおらず、今出ている者たちを除けば、ほとんどが拠点に集まっていた。アンジュも帰っていて、部屋にいてもそれほど寂しさは感じなかった。

「すごい雨だねぇ、ほんとに。」

「私の故郷でも、こういう天気はありましたけど、二日もすれば去っていきましたから、こんなに長いのは初めての経験です。」

日本の台風は、規模こそ大きいものの、その早さゆえにすぐに日本列島を通り過ぎて行ってしまう。島全土を覆い尽くすような台風であっても、実際にその大雨にあたるのは24時間にも満たない。それに、陸に上がった台風は急激に小さくなって低気圧に変わってしまう。台風の寿命は短いのだ。それに比べ、今の嵐は、強さこそ台風に及ばないが、長く停滞しているため、質の悪いストーカーのように感じる。雨は強まったり弱まったりするが、決して止むことはない。雷も連続して落ちることはなく、忘れた頃に時折空が光ったりするから、気が散ってしょうがなかった。

別段困っているわけではないのだが、こうも雨が続くと生活に支障が出るのは当然だ。洗濯物はやや生乾きの匂いが残るし、生活に必要な品が不足すると、雨の中を出かけなくてはならない。

ハルは、雨が嫌いと言うわけではない。むしろ、部屋にこもって薄暗い雲を眺めながら、時折瞬く雷の柱を目で追うのを好ましく思っている。普段はお目にかかれない大自然の力に穏やかな感動を覚えているのだ。だが、雨の中に買い物に出て行こうという気になれるかと言われればそうではない。風も強いから、濡れるということを防ぐのは不可能に等しい。濡れることを良しとしても、濡れた後の処理も面倒くさい。テレビシーエムのような濡れて空に叫ぶような青春臭い感性は持ち合わせていなかった。

とはいえ、出かけないわけにもいかないのが人間の辛い所だ。生きているだけで何かしら必要なものが出てくる。この世界の日用品は、向こう側よりも充実していないが、無いよりはましである。ましてやここは商業都市。街自体がコンビニのようなものだ。広すぎて目当ての物になかなかたどり着けないのが欠点だが。

雨具を着こんで外に出ようとしたのだが、降りしきる雨を目の前にして、気が変わりかけてしまった。やっぱりやめようという気が刺してしり込みするが、なんとか拠点を経つことが出来た。嵐だというのに、街中にはそれなりに人が出ている。飲食店は、そこそこの客が入っているようだったが、雑貨屋の中は閑散としているようだった。あいにくお目当ては雑貨屋の方だったので、濡れた雨具などを気にせずに買い物に臨むことが出来た。欲しかったものはなんて事の無い紐と帯だ。防具、と言っていいのか微妙だが、今後戦闘の際には腕と足に帯を撒こうと考えているのだ。単なる布を巻いた程度で何が防げるというのかと思うだろうが、繊維が荒く切れにくい素材を使うことで、存外斬撃を防ぐことが出来たりするものだ。もちろん角度や刃物が降られる速度にもよるだろうが、無いよりはましである。軽鎧を着こむことも考えたのだが、馬に乗って移動することもあるし、すばやく動けなくなるのはハルとしては痛手でもあった。今まで致命的な怪我を負わずにいられたのも、必死で逃げ回ったり、急所を外してきたからだ。動きが阻害されるのは不安になる。もっとも、その程度で生き死にが変わるとは思えないが、身に纏っているだけで安心感は増すものだ。

買い物のさなか、相変わらず人の視線を感じていた。エイダンではないようだが、彼と同じ形をした剣を吊るした義兵団が店の前で腕を組んでいた。こちらに視線を向けてはいないが、意識が向いているのを隠せていないのだ。この雨で人が少ないから身を隠すこともできない。見た目は大分若い。もしかしたら、ハルと同じか、あるいはもっと子供かもしれない。義兵団の入団年齢はいくつなのだろうか。人のことは言えないが、義兵団も命を懸けた仕事だろうに。

お目当ての物が買えて満足したが、監視をされていることに腹が立ち、店を出る間際、着いてきていた青年に睨みを利かせていった。向こうは、あからさまに驚いた様子を見せて、すぐに離れていった。

(まだ子供じゃん・・・。)

驚き方と言うか、なんというか、密偵としてのそれっぽさが見られない。まだ新人なのだろうか。あんな子供でも義兵団に入ろうとした理由は何なのだろう。雨具を着なおして再び水雫が落ちる世界へ身を投じる。雨具にたたきつけられた雨音がフードの中で反響して非常にうるさいのだが、しばらく歩くうちにハルの意識は自分を追いかけてくる数人の影に向いていた。普段からここまで自分を付け狙う相手の気配を探りはしないが、エイダンと再会してからは意識して探るようにしている。街へ出るたびに、どこに自分を見ている義兵団がいるのか探っていたのだ。ドラマの様に簡単に行くとは思っていなかったのだが、集中していれば意外と素人でも見つけることが出来るようだ。

今回も店を出てすぐに気づくことが出来た。だが、ハルはかなり焦っていた。自分を追う影がおそらくだが、義兵団ではないのだ。距離感なのか、追い方なのか、何かはわからなかったが、単純に怖いと感じた。急いで逃げれば、何事もなく振りきれるかもしれないが、ハルはあらゆる可能性を鑑みて、あえてマイペースで帰ることにした。人が少ないとはいえ、公衆の面前で人攫いをするようなことはしないだろうし、目立つ行動をすれば、今度は義兵団が駆け付けると思ったからだ。仮に襲われても、剣は無くても魔法がある。以前の様に全身に火を纏わせれば、手を出せるものはいないはずだ。

帰り道がこんなにも緊迫するとは思っていなかったが、これまで幾度と経験してきた死線と比べれば、大したことはなかった。いつ何が起きてもいいように心構えをする。仕事の時と同じで、それが街中で起こったというだけだ。ただ、相手の目的が読めない以上、こちらから何をすることもできないのは面倒くさかった。追手の気配は拠点に帰り着くまで感じていたが、帰った途端ぱたりと消えた。ようやく背後を振り返ってみると、ハルを見ている人物は誰もおらず、通りすがりの数人がいるだけだった。気のせいと言えば気のせいなのかもしれない。だが、これまでそんなことはなかったので、少なくともハルを狙う何者かがいると考えるのが妥当だろう。それに心当たりがあればなおさらだ。

ハルはすぐにリベルトに掛け合った。追手がいるかもしれないことを伝えると、リベルトと一緒にいたレリックは、目の色を変えて数人の仲間たちを呼んできた。

「つけてたのはどれくらいだ?」

「わかりません。でも、追われてたのは間違いないと思います。かなり後ろの方を保ったまま・・・ずっと。」

買い物をした店から、ここへ帰ってくるまでの道のりを詳細に離した後、リベルトの指示のもと、仲間たちが雨のルーアンテイルへ駆り出した。

「外には義兵団の連中が監視網を張り巡らせている。手を出そうとすれば、まず連中に見つかるはずだ。」

エイダンから話を聞いていたハルは、そのこともあってそれほど警戒せずにいられたのだが、想像以上にリベルトはそのことを重く受け止めたようだ。

「この街で自由には動けないだろうが、それでも訳の分からん連中が街に来てるってんなら、ちょっと痛い目に遭わせてやんないとな。」

「でも、何もしなければ害はないんじゃないですか?」

自分のために動いてくれる仲間たちはとても頼もしいが、わざわざこちらから出向く必要はないのではないかとハルは考えていた。確かに日本では、頭のおかしい人がいれば、関わらないが吉だった。かかわりをもって、言い争いや喧嘩になって、仮にそれで勝ったとしても、客観的に見ればそんな騒ぎを起こしてしまった時点で、自分も頭のおかしい人の仲間入りだからだ。

だが、リベルトたちの考えは、そういうものではないらしい。

「この街に入り込んでる時点で、何者だろうとミズハのやつに喧嘩売ってるってこった。俺たちはミズハの軍隊じゃあねぇが、それでもこの街の厄介事を振り払うために動く理由がある。」

そこのところ、ハルはまだよく理解していないところだった。鷹の団はルーアンテイルの私兵ではないが、ルーアンテイルに属するあらゆる組織、ギルドはルーアンテイルを守る義務があるそうだ。鷹の団も、ファルニール商会も、その責を担っているらしい。

「それにハル、お前さんには狙われるだけの理由がある。そして、その相手が王国である可能性は限りなく高い。以前の奴隷商との戦いを覚えているか?奴らが、人攫いをしていたのも、王国の貴族だか王族だかがそそのかしたからだと聞いている。この街の住民が狙われているってだけで、冷え切った戦争が始まっているんだよ。」

「だから、相手を懲らしめるんですか?」

「それもあるが、とっ捕まえれば、情報を聞き出せるかもしれないだろう?」

相手が何者なのか、それを知らなければ戦いになんてならない。戦争といったリベルトに対し、ハルは自分が抱いていた危機感を改めた。自分のだけの問題だと思っていたのだ。自分が王国から狙われているから、鷹の団に迷惑をかけてしまう。そんな程度低いことで済む話でないのだと。戦いは水面下で起こり始めていたのだ。

「でも、街中に隠れているのを捕まえるのは難しいんじゃないですか?」

「ふん。そうだなぁ。この天気だし、追手を追いかけるのは、効率が悪い。・・・だが、手がないわけじゃねぇ。」

そう言いながら、リベルトはハルの方を向いてにやりと笑った。何となくだが、こういうシチュエーションをハルは知っているような気がした。この後に言われる策も、想像がつくというものだ。



追手を追いかけるのは難しいが、何かを追っている追手を見つけるのは容易いものだ。その何かが味方であればなおさらだ。と言うわけで囮作戦を決行したのだった。囮は当然ハル本人だ。囮作戦は、キャラバンで遠征に行く際にも使われる作戦の一つだ。何人かが決死のしんがりを務め、少しでも時間を稼ぐ作戦。囮となったものの命は保証できない。そういうものだ。作戦として話には何度も聞いて覚えたが、実際に経験したことはなかった。

今回の囮作戦は少し趣向が違う。ハルが囮となり、ハルを狙っているという輩を、仲間たちが追うというものだ。二重の追いかけっこにだから、ハルの負担もあまりないし、そもそも街中だから、大きな戦闘になることもないだろう。再び雨の中へ繰り出したハルは、すぐに自分を追う何かに感づいた。買い物の時より雨脚がるよ待っているため、それが義兵団なのかそうでないのかまではわからなくなっていたが、予想通りにハルをぴったりと着いてきた。示し合わせた道順でハルは主通りを避けた裏道へと入っていった。相変わらず人気の全くない裏通りは、怖いくらいに寂しい場所で、煉瓦や石造りの建物にあたる雨粒の音だけが響いていた。

予定の位置まで誘導したハルは、思い切って後ろを振り返った。そこには、腰に剣を挿して、雨具を着こんだ義兵団が立っていた。

「どうしてこんなに人気者になったんだか」

ぼやくハルに対して、義兵団の男は苦笑いを浮かべた。

「おっと、見つかってしまったか。これは失敬。」

男はかなりあからさまな態度を取っているが、それがいかにも子供をおちょくるような態度で、ハルは呆れてしまった。しらを切るにはあまりにも無理があるだろうに。拠点を出てからすぐつけてきていたくせに。

「珍しい髪だから、ついね。見とれちゃって。」

「下手な時間稼ぎはいいんで、単刀直入にすませましょうよ。」

ハルは、懐に隠していた短刀を取り出した。

「おいおい、何を言ってるんだ。別に私は怪しいものじゃ・・・。」

「よく言いますね。あなたが何者か知りませんが、何であれ自分の身を守ろうとするのには十分なくらい怪しい動きだと思いますけどね。」

ハルは少しずつ男との距離をじりじり離していくのに足して、男は平然を装いながら自然に歩み寄ってくる。正直気持ち悪い動きだった。ただのストーカーじゃない。向こう側なら変態呼ばわりしても遜色ないだろう。

「来ないでください。」

「いやいや、離れると話にならないだろう?」

「あなたと話をする気はありません。」

「まぁまぁ、そう邪険にしなくともよいではありませんか。」

ここへきて強攻策へ出るということだろうか。男からは焦りは感じられないから、急いでいるわけではないだろうが、この場で捕らえられる自信があるのだろう。見た目はごく普通の義兵団のような恰好をしている。剣も吊るしているし、腕や足に甲冑も着込んでいるようだ。短刀で相手をするには些か不利な状況だが、生憎ハルは一人ではない。大声を上げるだけ、すぐにも仲間たちは駆け付けてくれるだろう。

「もっとよく、近くで見せてくれませんか?一目でいいのですぅ。」

キモい・・・・、かつての自分ならそう吐き捨てていただろう。だが、この世界では言葉で人を傷つけることは、それほど致命傷にはならない。本物の刃物で、身体的外傷を負わせられてしまうのだから。

ハルは大きく息を吸い込んで、天を仰いで大きな声を挙げた。

「泥棒ぉぉぉ!!!」

大雨が滴る空気を切り裂いて、ハルの声は裏道に反響して響き渡った。男は意外な行動をとったハルに面食らって目を丸くしていたが、すぐに冷静になって再び気持ち悪い笑顔を取り戻した。実際、泥棒ではないのだが、ハルが一番叫びやすい言葉がそれだったのだ。仲間たちには適当に言葉を叫ぶからと伝えているから、あれだけ大きな声を挙げればすぐに駆け付けてくれるだろう。そう、思っていたのだが・・・。

「・・・?」

「急に大きな声を挙げちゃダメじゃないか。人が寄ってきたらどうするんだい?まぁ、ここへは誰も来れないんだけどねぇ。」

男の物言いに違和感を覚え、ハルは耳を澄ました。雨音と、雨音に、雨音しか、その耳には入ってこない。主通りの喧騒や、そのほかの雑音すらも聞こえない。いつからだろうか?まるで、防音の施された密室に男といる様な雰囲気に感じる。ハルは嫌な予感がしてきていた。おびき出したつもりだったが、相手も無策ではなかったのかもしれない。

「さぁ、そのきれいな御髪を見せておくれ。」

男は歩みは酷くゆっくりで、そしてその声は、なまめかしく、べっとりとしていて、空間に渦巻くように響いていた。

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