親友について
拠点の厩舎には、幾頭かの馬たちが寂しそうにこちらへ向いて嘶いた。ここ最近、彼らにおやつをあげているからか、すっかり懐かれてしまった。ハルは、彼らの主人ではないのに。ハルは、自分で相棒であるアランの体を洗っている最中だ。葦毛の馬だから、少しで汚れがついていると目立つものだ。それに、他の子たちよりも、汚れに対して敏感で、汚れていることを嫌っているような気がする。馬も、自分の見栄えを気にしたりするのだろうか。
一通り体をふいてやって、最後にぬるくなった水を駆けてやると、ハルが離れる前の体を震わせて馬房に水滴をバラまいた。せめて、外に出てからしてほしいのだが、これももう何度目かのことだから、それほど気にはしていないかった。
「それじゃ、また来るね」
最後に、アランの鼻を撫でてやると、名残惜しそうにアランは顔に馬面を近づけてくる。こうして彼と触れ合える時間が、今ではすごく貴重なものの様に思える。
厩舎を後にしたハルは、馬の世話用の作業着から私服に着替えて、拠点のロビーへ向かった。みんな仕事で出払っていて、人気はほとんどなかったが、珍しくリベルトが残っていた。彼はいつだって現場に出向いて仕事をするタイプの人だ。資金繰りなんかは、息子のレリックや時折クラウスたちがやってきて手伝っている。ただいまは、レリックが本調子ではないため、こうして団の拠点に団長が常にいるわけだ。
「よぅハル。食うか?」
そう言って勧められたのは、干した山葡萄だ。ドライフルーツだというのに、甘みがほとんどなくて、酒のつまみにはなるらしいのだが、つまみ食いするにはちょっと考え物だ。
「いただきます。」
嫌いではないのだが、甘くないブドウを食べている感じだ。酸味があるわけではないので、口の中に味のしない実がいつまでも残ってしまうのだ。ただ、干して硬くなった果肉を噛む感覚は、ガムを噛む感覚に似ていることから、ハルはよくこの干しブドウを食べていたのだった。
「今日も馬たちの世話、ごくろうだなぁ。」
「部屋で退屈しているよりはいいと思って。」
別に誰かに言われたからやっているわけではないし、馬たちとの触れ合いは嫌いじゃない。仕事を休んでいるのだから、何か手伝いをしなければと思い立っての行動だ。
「最近、良くない噂が、街中に広まっているそうですね。」
「噂、で済めばいいがなぁ。俺は現実問題として起ころうとしているんじゃねぇかって思ってる。お前の件もあったしな。」
「・・・。」
ハルは、沈黙を紛らわす様に干し葡萄を口に含んだ。
噂と言うのは、アストレア王国が大規模な軍隊を編成しているという話だ。彼の王国は、何年か前までは、実際に東の国々と戦火を躱しており、前王が戦死するまで戦争状態だった。前王が亡くなり国が衰退してからは、そんな気配は全くあらず、王国の終わりとまで言われていた。だが、ここへきて王国が軍備を整え、再び戦争の火ぶたを切ろうとしているという噂が流れ始めた。火の無い所に煙は起たない。噂には必ず出所が存在するはずで、その根本は決して作り話ではないものだ。
「最近義兵団がざわついているのもそれだろう。近々、俺たちにも何らかの要請が来るだろうさ?」
「要請、ですか?」
「あぁ。この街が戦争に関わる時は、俺たちも戦わざるを得ない。俺たちが自由に活動できるのも、全部ミズハのおかげだからなぁ。あいつために、旗をあげてやらなきゃな。」
ハルの想像する戦争は、近代兵器が闊歩する機会の戦いか、何万と言う人員が戦場でぶつかるものだ。だが、こちら側の世界では、それ至るほどの文明力はないのだろう。武器や食料があって当たり前の戦争は、この世界にはない。まるで小さな箱庭で行われるのではないかと思うほど、小さな戦争だ。
「まぁ、安心しろ。俺たちはお前さんを見捨てたりなんかしない。お前さんが王国には戻らないって言うなら、いつまでも一緒だ。おっと、別に戻りたかったら、戻ってもいいんだぜ?」
「・・・戻らないですよ。あそこに、私の居場所はありませんから。」
「そうか。・・・アストレアは、・・・もう、滅ぶだろうなぁ。今更戦争なんて起こしたって、連中に手を貸そうって奴が、どれくらいいるか。」
国が滅ぶということを、ハルは実感できるほど理解していない。日本では、そんなこと信じられなかったから、考えもしなかった。国が滅んだら、国民はどうなるのだろうか。王都に住んでいる人々は、周辺都市へ流れるのだろうか。王国で名をとどろかせている貴族たちは?何を頼りに生きていくのだろう。
縁のない者は、容赦なく見捨てられていく。名前も知らない人間を養えるほど余裕のある人間は、この世界にはいないのだ。
まだ日も登りきらぬ明朝。鷹の団の稽古場で、軽快な打撃音を鳴らしながら交錯する二つの影があった。
一人は、純白の御髪に、きらりと輝く汗を飛び散らせながら、何度も何度も果敢に相手に向かっていく。もう一人は、そんな彼女の攻撃を、まるで読んでいたかのように、いともたやすくはじき返す。稽古用の木刀を舞うように振るう彼の実力は、まぎれもない本物だった。だが、彼女はそんな相手に対しても臆することなく突っ込んでいく。木刀の角度を変え、踏み込む力に緩急をつけ、どうにか隙を作ろうとしていた。なにより、その表情は真剣そのもので、打ちのめされ中がらも、決して勝機を絶やしていなかった。
しかし、それも体がまともに動くまでの話だ。疲れ切ったその体は、ちょっとしたことで躓き、そのまま立ち上がれなくなってしまった。
「どうした?もう終わりか!」
彼、ラベットも息を絶え絶えに、声を張り上げた。彼もまた、決してあきらめない相手に本気で相対していたのだ。
「まだ、・・・いけます。」
ハルは、そう言いながらも、立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。膝から力が抜けて、踏ん張れずに、また倒れてしまったのだ。それを見たラベットは、大きく息を吐くと、
「いや、ここまでにしよう。無理はすんな。」
そう冷静に、振り上げた木刀を下げた。ハルの目には、尚も鋭い眼差しが残っていたが、ラベットの言葉で、自分も冷静に考えて、身体に負荷がかかりすぎていることを悟った。倒れたまま、木刀を無造作に転がして、天を仰いで大きく息をした。
「前よりはよくなったが、まだ甘いな。」
「はぁ、はぁ。一本も、取れなかったです。」
ラベットの腕はよくわかっていた。普段から剣二本を巧みに駆使して、相手を圧倒する剣技は、まさに才能の持ち主と言われていた。それが本来の剣術である、剣一本であってもその力は変わらない。彼は本当に強い人だ。だからこそハルは、そんな彼から少しでも技術を盗もうと、稽古の相手を頼んだのだ。
「まだ体も本調子じゃないんだろ?そんなもんだよ。」
あれだけの打ち合いをして見せたのに、ラベットは軽く汗をかく程度にしか見えなかった。ハルは、肩で息をするほど疲弊しているというのに。
「でもまぁ、悪くないんじゃないか?」
「え?」
「お前は十分強いよ。」
朝早くで、頭もまだそんなに回っていなかったから、それが慰めだったのか、褒めているのかよくわからなかった。もともとラベットとは、年も近いせいか話す機会は多かったので、人柄はよく知っているつもりだったのだが、そんな風に褒めてくれるような人だとは思っていなかったのだ。
言い方は少し悪いかもしれないが、ラベットはストイックな人だった。真面目で、まっすぐで、稽古も毎日のようにしていて、そして、自分に厳しい人。彼の相方であったドランが、対照的な人物だったから、余計にそう見えるのかもしれないが、彼がいなくなった今でも、彼の評価は変わらない。変わったところと言えば、すこし、元気がなくなったということくらいだろうか。ラベット自身、ドランをどう思っていたかはハルには想像もつかない。けれど、傍目から見ても仲のいい友人だったのは間違いないだろう。ドランが亡くなったと聞いた時の彼の表情は、今でも覚えている。血の循環が止まってしまったかのように真っ青な顔になり、しばらく言葉もないまま、空を見つめていたのだ。もちろん、仲間たちが死んで同じような状態になったのは、彼だけではなかったが、一際それが目についていたのだ。
あの仕事以降、ハルは、時々ラベットを稽古相手に誘っていた。純粋に彼の剣術を学ぶためだ。背丈もそんなに変わらないから、うまくいけば、自分も上達できると思たのだ。
「少しはラベットさんに追いつけましたかね?」
「どうだろうな。剣術でお前に負ける気はしないけど、戦闘は剣だけで決まるわけじゃないからな。」
彼はハルが魔法を使えることを知っている。だが、彼の言っていることはそう言うことじゃない気がした。
「あいつも、お前くらい向上心があれば、今もここにいられただろうに。」
「あいつ?」
「ドランだよ。・・・ほんと、なんで死んじまったんだよ。」
ラベットは、ドランの相方だ。ハルよりも何年か早く、この団にいるから、その悲しみは一番大きいのだろう。
「・・・ラベットさんは、ドランさんの幼馴染だったんですよね?」
「ああ。ガキの頃からの腐れ縁だよ。」
ドランとラベットは、傍目から見ても対照的な二人だった。だが、ラベット曰く、ドランも昔からああだったわけではないらしい。ドランのそうじゃない姿を見たことないハルには、想像に難しいことだ。子供のころから傭兵や兵隊に憧れを抱いて、ようやくその夢が叶ったというが、鷹の団に入った途端、ドランは人が変わってしまったという。
「昔の夢を追い続けられるほど、甘い世界じゃないってわかってたけど、俺はそれなりに馴染めたし、才能もあった。けど、あいつはそうじゃなかった。」
強さよりも先に恐怖が前に出てしまう彼を、ラベットは決して攻めたりはしなかったが、日に日に怠けていくドランの姿に、憤りを覚えていったという。だが、それはよくある話だとハルは思った。
人は平等ではない。同じように育ったからと言って、同じように育つわけではない。才能の差は、時に友人関係ですら壊す要因となりうる。彼らは壊れこそしなかったものの、親友とは呼びずらい歪な関係だったのだろう。
「あいつ、お前の事、馬鹿にしてたんだぜ?何も知らないガキが来たって。正直言うと、俺もそうだった。初めて人を殺してしまった時のお前の表情をみて、ああ、こいつはもうだめだなって。こいつも、ドランみたいになっちまうのかなって、思ってた。でもお前が、すぐに吹っ切れて、翼竜に果敢に立ち向かった時、ドランのやつ、とんでもねぇ顔してたんだ。なんだあいつはって。なんでそんな顔ができるんだって、人のいないところで吐き捨ててたよ。」
ドランにとって、ハルは初めて後輩だったが、きっと、初めて味わった屈辱だったのだろう。比べてしまったのだ。同じ場所にいるはずの自分と、新人の少女を。結果、怯えてばかりのドランは、前へ進む機会を失い、少女は心に突き立てた決心によって、己が意思でどこまで突き進んでいってしまった。誰も口にはしなかったが、彼は一番不甲斐ない立場にあったと思う。彼こそ、誰かに守ってもらわなければいけない者だった。
「そんなあいつでも、前の遠征から戻ってから、躍起になってたよ。目標とかそう言うんじゃなくて、今のままじゃまずいって思ったんだろうな。毎朝稽古しようって言われたよ。でも、実際は3日に2日だったけどな。すぐにそんな真面目君になれるはずねぇんだ。」
「そうだったんですね。」
ハルは、彼が努力しているところを見ているつもりで吐いた。だが、やはり悪いイメージが板について、それほど頑張っているようには見えなかった。頼りない先輩という肩書も、結局拭いきれずだったし、そんな彼が、どんな気持ちで最期を迎えたのだろうかと思うと、複雑な気分だった。仕事だって、断ってしまえばよかったのに、依頼主ができるだけ多くと望んでも、拒む権利はあるし、辞退する暇だってあったはずだ。不真面目な人だったからこそ、軽い気持ちでいつ戻り仕事を受けてしまったのか、それとも、本気で臨んでいたのかわからない。
「寂しいですか?」
話をしながら一向にこちらを見ようとしないラベットに、ハルはそっと言った。
「当たり前だ。あんな奴でも、親友だったからな。生きていてほしかったよ。」
そう言う彼の言葉は、少し震えていて、見ようとは思わなかったが、きっと彼の目は潤んでいたのかもしれない。
親友と言う言葉は、ハルには羨ましくもあった。かつて向こう側にいた頃には、自分にもそう呼べる相手がいたはずなのに。今だって記憶の中でははっきり浮かび上がるのに、この世界のどこにもその人物はいないのだと思うと、悔しくもあった。
「さて、今日はこの辺にしとこう。明日もやるんだろ?」
ラベットは気持ちを切り替えたようで、木刀を肩へ担ぎ手を貸してくれた。ハルがその手をしっかりつかむと、頼もしい力で引っ張られ、それに甘えてハルは立ち上がった。
「はい。私は、まだまだですから。」
「なら、たくさん食わないとな。こんな細腕じゃあ、危なっかしくてしょうがねぇ。」
ラベットはそう言ってハルの腕を繰りっとつねってきた。アンジュにもさんざん言われて、なるべくたくさんの食べるようにはしているのだが、何分胃が小さいのゆえに、そうすぐに筋肉質になれるわけではない。とはいえ、先日粋な料理を出す店を見つけ、少しは足しになるだろう。あとは、監視してくる彼を口説いて、食事に誘えればなおいいのだが。
ハルとラベットは、木刀をしまい、稽古場を後にした。稽古場には他のものはおらず、涼し気な風が出たり入ったりしているが、二人がいなくなった後は、その風もぱたりと止んでしまった。
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