日常に訪れたひととき
季節の移り変わりは、人の流れを生み出すものだ。
完全に春を迎えたルーアンテイルには、活気こそ満ちているものの、殺伐とした雰囲気が漂っていた。と言うのも、正装に身を包んだ義兵団が、街のあちこちに出歩いているからだ。正装というからには、当然腰に得物を携えて、その表情からは険しさを感じられる。そんな者たちが街中の至る所へいるのだから、住民たちは何事かと身構えてしまうだろう。
そんな街の中を歩いていると、目立つ人間は余計に目立つものだ。何もしていないとしても。義兵団の人たちは、必ずハルを見てきた。視線を向けては、すぐに外す。目立つのは慣れているが、こうも見られ続けているとどうにも落ち着かない。
(どうこうしようって感じじゃないけど、多分、私のことを知ってるんだろうなぁ)
視線からそれくらいことはわかる。それは、こちら側で得た技術ではなくて、元居た世界で嫌と言うほど身に付けられてしまった癖だ。完全にわかるわけではないが、人の視線から何を考えているかわかる人間は、そう少なくないらしい。
理由はともかく、人が他人に視線を向け、すぐに外すのは、何らかの接点があるからだ。知り合いだからこそ気まずくなってすぐに視線を外したりする。それと同じで、彼らもハルに関しての何らかの情報を得ているからこそ、こちらに視線を向け、悟られないようにすぐに外している。
考えられるのは、ミズハが義兵団に通達したとかだろう。義兵団はルーアンテイルでの警察のような立ち位置だ。その長であるミズハが、ハルがどういう人物であるのかを伝えれば、彼らの態度も頷ける。だが、それをする理由は、少々面倒くさいものだ。
そもそも、普段はこんなにも大規模な警備を行っていないのだから、それだけで異常事態と言うことになる。警備をする理由は、治安維持が目的ならば、一般人からすればそんなものは必要ないだろう。ルーアンテイルは平穏そのもの。この街は、人同士のいざこざこそあれ、窃盗や殺人と言ったことは、滅多に起こらない。少なくともハルがこの街へ来てからそう言った事件は見聞きしたことはない。だが、こうも殺気立った義兵団がいると、何か事件があったのではないかと危惧している者もいるだろう。
今日ハルが街へ出たのは、単なる気まぐれであった。前の仕事の怪我もほとんど完治し、そろそろ次の仕事へ行かなければと考えていたところ、愛刀が折られてしまったことを思い出したのだ。自分の身を守ってくれていた、大事な道具だったのに、こうもあっさり壊れてしまうだなんて。魔法士が相手だったとはいえ、少し名残惜しく感じた。剣先が砕けて、原形はとどめているが、鞘にも噛み合いが悪く、しっかりと収まらない。先を削ってナイフの様に使えるかもしれないが、どの道新しいものにしなければこの先、不安が残るだろう。
そんなわけで、剣を新調しようと、以前世話になったあるバスの元へ向かっていたのだ。主通りは人が多く、義兵団もたくさんいて落ち着かないから、裏道を通ることに敷いてた。この街の裏道は、完全に迷宮そのものだ。レンガや石造りの建物に囲まれていて、日の光はほとんど差し込んでこない。主通りの喧騒が遠くから聞こえるけれど、人気はなく、様々な臭いが入り込んでいて、不衛生な感じもする。だが、日本では決して見られないものだ風景でもあり、ハルはアングラな雰囲気は嫌いではなかった。とはいえ、こういった場所では、やはりと言うべきか、面倒で変な男たちが居座っていたりする。ハルがちょうど角を曲がった時だ。彼らは道の先で屯していた。目が合った瞬間には、嫌な予感がしてすぐに引き返そうとしたのだが、間が悪かったのか、男たちはすぐにハルへ向かってきた。
「よぅ、お嬢さん。こんなところでなにしてるんだよ。」
すぐさま逃げ去ることもできたのだが、来た道を戻って遠回りするのも憚られたので、無視して強引に突っ切ろうとした。だが、男たちは、そうはいかないと言わんばかりに割って入ってきて、ハルの行く手を阻んできた。下手に絡めば向こうの思うつぼだから、早めに手を腰の剣に添えておいた。
「この髪、染めてんの?きれいじゃん、白なんて。老人の白さとは全然ちげぇな。」
「ほんと、こんな風に自分の髪で遊んで。親は泣いているだろうなぁ。」
「どいてください。」
ハルの態度は頑なだった。決して男たちの会話には乗らず、先を目指すことだけを考えていた。だが、そんな態度で女に目をつけた男たちをどうにかできるはずもなく、とうとう一人がハルの体に触ろうとしてきた。伸ばされた腕を平手で弾くと、男は驚いた表情をして固まっていた。
「次、そういうことしたら、問答無用で斬ります。」
毅然とした態度をとって、手を伸ばしてきた男は怯んだが、他の男たちは調子に乗るばかりだった。
「おいおい、情けねぇなぁ。こんな子に脅されてびびってるなんてよぉ。」
「う、うるせぇなぁ。」
「なぁお嬢ちゃん。別に喧嘩しようってんじゃねぇんだ。楽に行こうぜ?」
「私は、あなた達と遊ぶ気はないので・・・。通してもらえますか。」
そう言って、間を通ろうとする素振りを見せても、男たちは決して道を開けてはくれなかった。
「まぁそう焦りなさんな。俺たちは、別に人攫いじゃねぇんだから、食事くらい付き合ってくれてもいいじゃねんね?」
「そうそう、奢ってあげるよ?楽しく欲しいものも買ってあげるからさ。ねぇ?」
ねっとりとした口調に、ちゃらちゃらした態度は、元居た世界にも一定数いた人種だ。高校生になってすぐ、同じような経験をしたことがあるが、あの時と今では状況も心境も全く違う。自分の身の守り方も知らない子供であれば、怯えて何も出来なくなっていただろうが、生憎今のハルは、そんなか弱い少女ではない。
「怪我をしたくなかったらどいてください。私は本気です。」
そういいながら、剣を鞘から少しだけ引き抜く。きらりと刃の輝きを見せつけるようにして、片足を一歩引いた。いつでも抜刀と同時に剣閃を食らわせられるように。
「その辺にしておけ!」
閉鎖された裏路地に突如鋭い男の声が響く。
「あんだぁ?おまえ。」
「義兵団だ。裏道とはいえ、よからぬことを考えるのはやめておけ。」
「げっ、何でこんなところに・・・。」
「今は知っての通り、警戒態勢を敷いている。目が光っているうちに下手なことはさせないぞ?」
ハルは、義兵団と名乗った青年の声と、振り返ってみたその顔に安堵を覚え、抜きかけていた小剣を鞘に戻した。
義兵団は、普段からルーアンテイルの治安維持に努めている。そんなことはこの街に住んでいれば、誰もが知っていることだ。彼らは常に首から地笛、天笛を携えていて、何かあれば他の兵がすぐさま駆け付けるだろう。街の中で問題行動に足りうることをしてしまえば、牢に送り込まれなくとも、何らかの罰則が与えれられしまう。少額の罰金や、場合によっては城砦街での労働を命じられることもある。もっとも、ただのいざこざでそこまでされることはないだろうが。
男たちは何事もなかったかのように、ハルに仲良さげな言葉を駆けて行きながら、そそくさとどこかへ行ってしまった。
「ありがとう、助けてくれて。」
「あんたも大概だぞ?あのまま剣を抜いていれば、俺はあんたを取り締まらなくちゃいけなかった。」
彼の名前は、エイダン。かつて、奴隷商の砦で共に戦い、囚われたハルを精神的に支えてくれた青年だ。あの時とは違って、義兵団の制服に身を包んだその姿は、まるで別人のように見えたが、ハルと対して変わらない年齢ゆえの表情のあどけなさで、すぐに彼だと気づいた。
「一応、脅しだけにするつもりだったんだけど?」
「それはそれで問題だろう。まぁいいさ。何も無いならそれでいい。あの男たちも、本当に遊びであんたに声を掛けただけだろうからな。」
遊びと言う言い方が癪だが、実際そうだったのだろう。自分が遊びで男に声を掛けられるような女だとは思っていなかったから、それに関しては驚いていた。もっとも、白髪を綺麗だと言ったのは本心なのかもしれない。年老いて髪が白くなるのとは訳が違う。そして、この異世界においても髪が白い人間はいない。珍しいものに目が行くのは当然だし、興味を持つのもまた然り。今更、そんなこと気にもしないが、後をつけられていたのは、正直気持ち良くない。
「義兵団は、どうして私を監視しているの?」
確信があったわけじゃないが、何となくそうなんだろうなと言う思惑がエイダンの登場で浮かび上がったのだ。案の定、彼は驚いたような顔をした後、しばらく黙り込んだあと、観念したように大きく息を吐いた。
「監視じゃない。警護だ。そう命じられている。あんたには監視されているようにしか見えないんだろうが、害を及ぼそうとしているわけじゃないんだ。」
エイダンはバツが悪そうにそう言うが、ハル自身彼らを疑っているわけではなかった。警護といからには、何者かがハルを脅かそうとしているということなのだろう。それについては身に覚えのないことなのだが、義兵団は何らかの情報を得て、そのように行動を映しているはずだ。要するにハルは、狙われているということだ。
「まぁ、ありがたいけど、そんなコソコソしなくてもいいんじゃないの?」
「別に隠密行動しているわけじゃないんだが、状況が状況なだけに、みんなピリピリしているんだ?」
「ふーん。」
エイダンの様子からして、詳しくは教えてもらえないのだろう。聞いたところで何か変わるわけでもないだろうから、何も言わないでおくけれど。とはいえ、このまま買い物の後をつけられるのも正直気まずい気持ちなのも事実だ。いくら人から見られることに慣れているといっても、ストーカーを許容するほどハルは気前が良くない。
「これからさ、剣を新調しに行くんだけれど、付き合ってよ。」
「は?」
「だめって言っても、着いてくるんでしょう?それに私、剣の良し悪しとか、よくわからないから。」
「いや、一応任務中なんだが。そんな急に言われてもな。」
「ほら、行くよ。」
エイダンの言葉を待たずに、ハルは踵を返して歩き出した。後ろの方で、大きなため息をつくのが聞こえたが、彼はすぐにハルの横まで駆け寄ってきた。
「街中の警護なんて、どうせ暇なんだし。少しくらいサボってたって何も言われないよ。それに、あなたが私に着いているのも、面識があるから。でしょ?偶然、居合わせても言い訳できるように。」
「・・・あんた、意外と聡いんだな。それに、なんだか雰囲気も少し変わったな。」
「そう?」
「以前のあんたは、言っちゃなんだが、子供っぽかった。」
「うーん。ちょっと、仕事でね。いろいろあったから。」
話せば長くなるし、うまく説明する自身もないから、苦笑いだけを返してハルは遠くを見つめることにした。不思議そうにエイダンはこちらを見てきたが、彼の仕事も自分と似たようなところがある。察してくれて、静かにハルに着いてきてくれた。
目的地であるアルバスの武具店は、相変わらず客はおらず、店内には無数の得物が散らばっていた。
「こんなところに武器を扱ってる店があるとはな。よく来るのか?」
「まさか。剣が折れたのは、これが初めてだから。今回で2度目。」
腰に挿してきた小剣を鞘ごと帯から抜き、剣先の砕けた愛刀をエイダンに見せた。彼は心底驚いたような顔をして、その不自然に折れた剣を眺めていた。
「これ、・・・どうやったらこんな折れ方を。」
彼も日常的に剣を扱っているだろうから、それの異常さがすぐにわかっただろう。さすがに砕けたということにまではたどり着かなかったが。魔法と言うものが人の想像の外にあるというのは、こういうことを言うのだろう。
「すみませーん。」
店の奥にいるであろう、店主を呼びつけると、相変わらず個性的な髭を生やしたアルバスが姿を現した。
「ほぅ?いつかの娘っ子じゃぁねぇか。男を連れてくるとは、なかなかだが、ここは遊びに来る場所じゃあないぜ。何の用だ?」
「剣が・・・砕けてしまったので、新しいの買いに来ました。」
アルバスにも、その小剣の有様を見せると、彼は神妙な表情になり、労しそうに折れた剣の腹を指先で撫でた。
「こいつぁ、・・・屑鉄にしかならねぇな。いらねぇなら、銅貨10枚で買い取るが?」
「お願いします。」
アルバスは、小剣と鞘を受け取ると、ゆっくり剣を収めて、懐に持っていた綱で剣と鞘が抜けない様に縛った。以前の様子から、ハルは彼が好きではなかったが、役目を終えた武器を大事そうに仕舞う姿をみて、少しだけ認識を改めた。
「あれは、お前さんの役に立ったのかい?」
「・・・はい。・・・何度も救ってもらいました。」
「そうか。・・・・選んだら、また呼べ。これの屑鉄代と一緒に精算してやる。」
アルバスはそう言って、また奥の方へ入っていってしまった。
「そっけない店主だな。」
「まぁ、ね。私も、あんまり好きじゃない。」
隙ではないが、彼にも鍛冶師としてそれなりの矜持があるのだろうに。ここに置いてあるたくさんの武器は、全て彼が拵えたものなのだろう。そのすべてに思い入れがあるかはわからないが、それでも、きっとなにかあるのだろう。ハルは何も言わず、店内を見て回ることにした。後ろにエイダンが着いてきているが、彼も何も言わず、壁に掛けられた武骨な武具たちを見て回っている。ガチャガチャと壺の中に刺さっている無数の剣を抜いては戻しを繰り返し、元の小剣と同じくらいのサイズの剣を見つけた。手に持った感触は、使い慣れたものと違っていて、違和感しか覚えなかったが、ハルには良し悪しなんてわからないから、エイダンに助言を求めることにした。
「ねぇ?どういうのがいいと思う?」
「どうって言われてもな。剣は、自分を守るため、そして何より、誰かを守るためのものだ。」
「・・・それって義兵団の信念みたいなもの?」
「いや、俺が勝手にそう思っているだけだ。剣は道具だが、信頼できなければ使いものにならない。あんたが安心して命を預けられる武器を選べばいいんじゃないか。」
彼の言うところはもっともなのだが、ハルとしては、純粋に質の話をしてほしかった。とはいえ、質を求めればきりがないし、予算的な問題もある。エイダンの言うように、直感でこれだ、と言うものを選ぶべきだろう。
なおもガチャガチャやっていたのだが、どれもしっくりこなかった。この際長さや重さなど、前と近寄っていなくとも構わないから、いろいろ手に取ってみたのだが、全部別物の様に感じてしまうのだ。
「随分迷っているな。」
「うまく言えないんだけど、どれもすごく頼りない感じがして・・・。」
持った感触が、剣を持っている、という感じがしない。初めて武器と言うものに触れた時の重厚感とでもいうのだろうか。重さはさして変わらないのに、どれも薄っぺらくかんじてしまう。軽く振り回してみると、それがより顕著に感じられる。だがやはり、感覚としてのズレはわかるのだが、それがどうしてなのかがさっぱりわからないのだ。
「頼りない、か。ちょっと、それ見せてみてくれ。」
エイダンは、ちょうどハルがハルが持っていた直剣を指して言った。彼は、鍔の辺りを入念に見つめると、少し考え込んだ後、自分が腰に挿している義兵団の立派な剣を抜いて見せた。
「これ、持ってみろよ。」
差し出されるがままに、彼の剣を手に取ってみた。見るからに業物のような風体をした直剣。刃だけでも1メートルはあるだろうか。もっと瞬間に圧倒的な重みを感じて、すぐに両手で柄を持った。おそらくハルの身の丈には合わない得物だろう。だが、不思議と以前の小剣と同じような安心感を覚えた。長さも重さも、まるで違うというのに。
「しっくりくるだろう?」
「うん。どうして?剣幅だって全然違うのに。」
「たぶん、重心の違いだな。この店の、特に、あんたがさっきから見てた剣は、どれも柄から剣先まで全て鉄で出来ていた。一つの鉄塊からいわゆる十字剣を作り出し、柄となる部分に革や布、紐を撒き、刃を研げば完成する。けど、俺たち義兵団が使っているのは、刃と鍔を異なる部品として作り、鞘は木材で出来ている。当然刃と鍔も異なる鉄塊から作られ、それらを組み合わせて完成するんだ。根本的に剣としての構造が違うし、柄が鉄以外で作られているから、重さも重心も異なる。あんたが使っていた剣は、それと同じ構造をしていたんだろう。だから、剣先が軽く感じていたんだろうな。」
構造的な説明をされれば、ハルでも何となく理解はできた。ただ、その説明の通りだと、ハルが求めている品はこの店にはもうないということになる。見ただけじゃわからないから、エイダンに品定めを手伝ってもらいながら、前の小剣と同じタイプの剣を探したのだが、結局見つからなかった。
「最近じゃぁ、木材の値段も上がり続ける一方だ。それに比べ、鉄鉱石なら、質はともかく安く大量に変えるからなぁ、それに一本一本丹精込めて作るより、低品質でも数を売った方が割にあうのさ。」
いつの間に店内に戻ってきていたアルバスが、面白くなさそうにそう言った。確かに、一人でこれだけの数の武器を作っているのは大変なことだろうが、最高の一振りを作り上げることも相応の労力を必要とするのだろう。商売は、熱意だけでは成り立たない。
「それに、今後のことを考えて、たくさん武器を蓄えて置こうってわけだ。あんた達義兵団が高く買ってくれるだろうからな。」
にやりとアルバスは笑ったが、ハルにはその意味がよくわからなかった。横目でエイダンの表情を伺ったが、顔には出していないようだが、僅かに動揺しているように見えた。
「我々の力になりたいと考えているのなら、正当な値段を要求することを勧める。首長の顔は広いぞ。売り手などいくらでもいる。」
「へっへっへ。ご忠告どうも。」
アルバスは屑鉄代だけをおいてまた、店の奥へと引きこもってしまった。
「何の話?」
「・・・あんたにも、いずれ耳に入るさ。それよりどうするんだ?気に入ったのが無かったんだろう?」
「うん。とりあえず、引き上げようかな。」
剣が無いから、と言うわけではないが、しばらく傭兵の仕事は休もうと考えていた。身体もまだ本調子ではないし、仲間たちの傷も癒えていないため、手ごろな仕事が回ってくることも減るだろう。それに、剣が無くともできる仕事はある。荷車の御者とか、馬の世話とか。それに今は、もっと知りたいことがあったから、それをできるうちにやっておきたい。暖かくなってきたから、外へ出るのも容易になるだろうし、今のうちに試せることは試しておきたかった。
「これから、ご飯食べに行くんだけど、一緒にどう?」
「おい、任務中だっていっただろ。」
「顔見知りにじろじろ見られているのを知りながらご飯食べろって?」
「それは・・・。」
口の中でもごもご言い訳を述べているうちに、ハルさっさと歩きだして、主通りへ続く細道へ入っていった。どうせ彼は自分から目を離せないのだから、着いてくるだろうという算段だ。そして案の定、彼は着いてきた。
「何食べる?」
「あんたって意外と強引なのな?」
「そう?年の近い友人って、少ないから。気負わずに話せる相手って、すごくありがたいの。」
実際、彼の今の立場を利用して、無理やり食事に誘ったこと自体は本心だが、決して下心が無かったわかなじゃない。ストレスの発散。こちら側に来てから、ずっと大変な思いをしてきた。日頃の鬱憤や、辛い戦いには、自分でも知らず知らずため込んでいたものがあることを最近になって自覚し始めていた。死を間近にして、尚も奮い立たせる精神力があっても、それは、単なる防衛本能に過ぎず、何かを耐えているという事実は変わらない。人間が涙を流すのは、痛みや心のストレスを和らげるためだと言われている。怪我をしたときも、辛いことがあっても、涙を流すことによって耐えようとしているのだ。しかし、人間は過度な喜びや、心が動かされた時でさえ、涙を流す。つまり、ストレスとは激しい感情の揺れに反応して、人間にダメージを与えているのだ。生と死の間際を何度も経験し、死の予感と生き残った安堵感は、ハルの想像以上に精神的疲労を及ぼしていたのだ。
主通りに着くと、お昼時に相応しい、香ばしい焼き物の香りが漂ってきた。賑やかな喧騒に紛れて、何かが鉄板の上で焼ける音が混じっている。
「私、この辺りの事、よく知らなくて。」
「ルーアンは広いからな。たくさんの飯所や、酒屋がある。全てとは言わないが、どこへ入っても、うまいもんが喰えるはずだ。」
エイダンの助言通り、臭いにつられてはいった料理屋は、人で賑わっていた。店員に案内されて、適当な席に座り、注文をした。文字が読めないので全てエイダンに任せっきりだが、彼は快く引き受けてくれた。
「そう言えば、あの後、どうなった?」
「うん?」
「奴隷所たちとの戦いの後、私は傷の手当てで寝かされてたから。」
「あぁ、生き残った奴隷商は、グレイモアの有力者に引き渡したよ。あの街も一応、アルバトロス首長の息のかかった都市だ。労働者組合の件も含めて、協力的だったよ。」
あの戦いは、砦内ではリベルトたちが大暴れし、正面では統率された義兵団に奴隷商たちは手も足も出なかったという。もちろん犠牲者が無かったわけではないらしく、戦闘後に命を落とした団員が数人いたそうだ。
「俺と一緒に中へ潜入していた者たちも含め、10人の殉職者が出た。10人とはいえ、大きな痛手だって、隊長はおっしゃっていた。」
「そうだったんだ・・・。あなたの友人もいた?」
「まぁな。俺の隊は、100人近くいるが、全員と親しいわけではない。それでも、何度か食事を共にしたり、共に稽古に励んだ仲間たちだ。残念な思いはあったよ。」
「・・・。」
「けど、俺たちは命を賭してこの街の人々を守るのが使命だ。みんな、覚悟していたことだ。今更、野暮なことは言わないさ。」
そう語るエイダンの瞳には迷いがなかった。命を賭して、誰かを守る。ハルも、何度も口にしてきたことばだ。それなのに、自分の言葉よりも、意味も重みも、全く違うような気がした。死んで当然、とは言わないけれど、まるで、何かを守って死ねたのなら本望とでもいうのだろうか。常に死を恐れているハルとは大違いだ。戦うことに、誇りをを抱いている。まるで騎士の精神のようだ。
「強いのね。」
「あんただって強いだろう?」
「私は・・・。」
言葉に詰まって、何かを言おうとしたけれど、結局は自分の命が一番大事だということだ。自分でも、どうして強くいれるのかがハルにはわからない。まるで物語の主人公になったかのような自分の生き方が、理解できなかった。それに、仲間の死を受けて、次は自分かもしれないと考えてしまう。
ハルは、つい最近に、同僚が数人亡くなった件を話した。
「私もたぶん、紙一重で死んでいたと思う。その時はこんな風には思わなかったけれど、今はものすごく怖かったって思う。手が震えるくらい、鮮明に覚えてるんだもの。」
「・・・別に不思議じゃないだろう?17くらい・・・だっけか?俺も人のことは言えないが、恐怖心が無いわけじゃない。怖い怖いさ。それに、年を取って経験を経たからと言って、それが完全になくなるわけでもない。悲観するようなことじゃないだろう?」
慰めのつもりなのだろうか。確かに彼の言うことは心理かもしれないが、ハルにはどうしても納得しきれない部分があった。
元居た世界、日本では死の恐怖など感じたこともなかった。交通事故に遭うことだってないし、誰かに命を狙われることなんてない。日常生活で怪我をすることもなければ、親戚や知人の死を知っても、悲しくはなっても、その死を鮮明に理解する必要もなかった。命が終わるということを。
いずれ自分も寿命を迎えることはわかっていても、それに無常さは感じても恐怖を感じることはない。この世界ではそうじゃない。他人の死が、それほど親しくない同僚の死が、こんなにも強烈に自身に突き刺さるとは思ってもいなかったのだ。
仮に傭兵と言う仕事をしていなくとも、街の中でごく普通に暮らしていても、元居た世界と同じような心境にはならなかっただろう。この世界の過酷さは、どこにいても同じような気がしたのだ。
「ごめん。少し弱気になってるの。疲れてもいるから、余計に。」
「・・・傭兵なんてやめて、店の売り子でもすれば、そんな心配は無くなるだろうがって、前にもそんな話をしたな。」
「うん。いろいろ恩があるから、今すぐは無理かな。でも、どっちみちそういう仕事は、私には無理かな。」
「どうしてだ?」
「だって、ほら。」
ハルは、自分の髪を指でかき、ふっと舞わせて見せた。
「こんな目立つ髪、気味悪がられるでしょう?」
「人によってはそう捉えるかもしれないが、大抵は気にしたりしないんじゃないか?」
「どうだかね。少なくとも私は、この髪のせいで、人生狂わせられてるところあるから、何を言われても信用できないんだよね。」
今回の異世界転移もそうだが、日本にいた頃も、髪が白いというだけで様々な問題に直面してきたのだ。それは嫌と言うほど経験してきた。今更、気休めを聞かされても憎たらしいものには違いない。
「あんたの、両親も似たような髪を持っているのか?」
「ううん。これは、遺伝的なものじゃなくて、欠陥なの。
「欠陥?」
「ウサギとか蛇とか、時々真っ白い姿の動物がいるでしょう?目が赤くてさ。それと同じ。」
「人間にも、そんな風に生まれてくることがあるってことか。珍しいっちゃ珍しいんだろうが。」
エイダンは胡散臭そうに苦笑いを浮かべていたが、実際珍しすぎて信じられないのも無理はない。向こう側でも、アルビノを患った人はごく少数だったから。ただ、このアルビノも、本当にアルビノなのか、今では定かではない。この世界に存在する、白い髪を持つ種族とやらがいるらしいのだが、今ではその妄想も現実の様に思えてくる。
そうこう話しているうちに、頼んだ料理が運ばれてきた。豪快な肉料理とシチューのようなスープ、焼き立ての黒パンがそろってテーブルに並ぶ。正直日本の食パンに慣れたハルからすると、黒パンはあまりおいしくは感じないのだが、こちら側の人たちは結構好んで食べる人が多いのだ。
「お気に召したか?」
「ちょっと、多いかな?」
シチューも肉もおいしそうなのだが、肉料理の方のボリュームが想像以上だった。レストランで出てくるステーキとは比べ物にならない。まさに肉塊をそのまま火に放り込んだかのような料理だ。脂身がほとんどなく、肉の臭みも刷り込まれた香草で消えてはいるが、そもそもこんな肉の塊を目にするのも初めてだから、見ているだけで胃もたれしてきそうだ。
「ここらへんじゃ結構有名な料理だぞ?」
「そうなんだ。」
エイダンは迷いなく焼けた肉にナイフを突き刺して、料理を解体し始めた。その様子を傍目で見ていると、どうやら、肉の塊は中が空洞になっており、そこにはオートミールのような別の料理が入っていた。
ハルも彼に倣って、肉にナイフを差し込み、それを確かめると、少し安堵した。量的には想像と何ら変わっていないが、料理としての重たさはそれだけで大分和らいだ気がする。入っていたオートミールらしきものも、匙で口に運ぶと、ハーブ類のつんとした鼻に抜ける香りと共に素朴な麦の味わいが口いっぱいに広がっていく。ハッカのように少しきつめの味わいだったが、切り分けた肉と共に食すことで、油の重たさを感じずに調和のとれた料理だった。
「この辺りには、よく来るの?」
「まぁ、同僚たちと食事に何度かは。それ以外は、城砦街で済ませてるから。」
「えっ?城砦街に住んでるの?」
「義兵団の寮はあっちにあるからな。」
日本でいえば都会暮らしと言ったところだろうか。月いくらくらいの建物に住んでいるのだろうか、なんて考えてしまう。もっとも、この街じゃ軍人のようなものだから、身分的な意味でも上の人物なのだろう。
「普段、何してるの?」
「剣の稽古に、隊の連携。時には任務で街を出ることもある。この間も、南のセイオウトウという街まで遠征に出かけていた。」
「ふーん。義兵団も大変なんだね。」
「まぁな。・・・・・・ハル。」
「うん?」
食事の途中だが、エイダンは急に真剣な目つきを見せたかと思うと、匙とナイフをおいた。
「俺から詳しい話は出来ないんだが、あんたにとっても、この街にとっても、これから大きな戦いが起こる。」
「・・・それって・・・。」
「あんたみたいな真面目な人には、少し酷な現実が待ち受けているかもしれない。・・・奴隷商との戦いで見てきたあんたの姿は、そんな現実でも霞まないものだと俺は思っている。」
突然何を言い出すかと思えば、含みがあって、けして真実を語らない。けれど、何かを伝えようとしていることはわかった。ハルは、自分を真面目な人間だとは思ったことはないけれど、彼こそ、本当に真面目な人間と言うことだろう。
「あーあー、何言ってるか全然わからないなぁ。ごはん中なんだから、もっと楽しくなるようなこと話してよ。」
そうやって、らしくもなくお茶らけてみると、エイダンも表情を改めて大げさに手を両手を挙げたあと、
「そうだな、そうするとしよう。」
そういって、何事もなかったかのように食事にもどった。それを機に、ハルは彼の話を聞きたくなり、いろいろと聞いてみることにした。エイダンは嫌がっていたが、ハルの話をすることを交換条件にようやく子供の頃の話をしてくれた。他愛もない話だが、ハルにとって、久しく感じていなかった楽しい食事の時間になったのだった。
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