芽生えたこと

フェロウ一家の護衛の仕事から、早数日。

しばしのパルザン滞在ののち、軽傷者は先にルーアンテイルへ帰る事となった。宿泊費など馬鹿にならない出費なので、そう言った判断が下されたのだ。重傷者はパルザンで療養しながら、ルーアンテイルからの応援を待つこととなった。さすがに、数日で感知する怪我ではないため、荷馬車は手配して迎えに行くという算段だ。

ハルも、怪我こそしたものの、傷は浅く体力も持ち直したので、先に変えることとなった。帰り際、リンダとルナに見送りをされることになった。リンダからは、最大限の謝意を受け、ルナからは小さな抱擁をいただいた。それなのに、ハルは頭を下げることしかできなかった。彼女達二人を守ったが、ブリガンドを守れなかったことへの罪悪感のようなものが、そうさせていたのだ。自分に非があるとは思えないけれど、それでも、鷹の団は依頼主を守れなかったのだ。それが事実であり全てだ。どうしようもない状況だったとしても、それだけは間違えてはいけない。だが、幼いルナには、そんな理由は想像もつかない。

「また、会えますか?」

名残惜しそうな表情のルナをみて、何も言わずに別れようとしていた自分を改めた。

「もちろん。私が、パルザンに来ることはないかもだけど、何か縁があれば、どこかで会えるよ。」

そう言って、彼女の頭を撫でてやると、ルナはようやく笑顔を取り戻した。

先にルーアンへ帰るのは、僅か5人。生き残ったうちの三分の一だ。それに、馬に乗れるというだけで、片腕を大きく損傷したグルードもいる。彼も、本来は重傷者組のはずだったのだが、本当に腕だけのなので、問題ないという。セツはかなり怒っていたが、一応処置は完了しているから、無理をしなければ傷が開くこともないそうだ。

そんなこんなで、先に帰路についた一行の足取りは、今までよりも断然ゆっくりとしたものだった。本来であれば、都市間を移動する速度などこんなものだ。馬が歩く速度は人間よりも早いが、背に揺られているだけならのどかなものだ。誰からも狙われているわけでもない。美しい平原の街道をアランに揺られるだけ。旅と言うのはこういうもののはずなのだ。まだ、季節的に春真っただ中で風がやや冷たいが、それでも風の音だけが身を切り裂いていく静かな時間に一時の安らぎを覚えた。明るい空が、嫌に眩しく見えて、流れる雲を見ていると、ひとの顔に見えたり、何かの形に見えたり、次々に変容していく。往路が嘘のように神秘的な時間だった。

一行は、パルザンで買い込んだ携帯食料や干し肉をかじりながら、昼は黙々と進み、夜は適当な場所で小さな団欒をしながら、7日程かけてルーアンへ目指した。団欒と言っても、つまらない世間話や、身の内話程度だ。酒があるわけでもないし、それに、みんなそのような気分にはなれなかったのだろう。だが、そんなつまらない会話でさえ、儚く幸福な時間にさえ思えてくる。息をすることさえ許されなくなった仲間たちを想うと、何もかもが恵まれていると思えてくる。道中彼らの墓にもより、近場に咲いていた小さな花を捧げていった。こんな、どこでもない街道の外れでは、さぞ寂しい思いをするだろう。けれど、忘れることはないと思う。命を賭して、命を守ろうとした同胞を、きっといつまでもわすれないだろう。



帰って早々、パルザンに残っている組への応援が向かった。すでに団の本拠には、かなりの数の傭兵たちが帰っていて、リベルトにも事情はすぐに伝わった。相変わらず彼はあっけらかんとしていたけれど、その眉間には小さな皺が寄っているのが見えた。

ハルもリベルト少し話をした。よく生き残ったと、褒めてくれたが、正直自分は死んでいたはずだと、語ってしまった。肩の矢にあった毒の話や、自信の魔法の事。リベルトは真剣に話を聞いてくれて、その上でやはり褒めてくれた。

「お前さんは、ほんとよく、ここまで成長したなぁ。剣の腕もそうだが、戦士としての心構えがよぉ。」

「・・・でも、少し、寂しくもあります。あの頃の私は、どこへ行ったんだろうって。元の世界へ帰りたがってた自分が、いつの間にかいなくなってて。」

死が身近なものになりすぎて、それを知らなかった赤羽遥は、いったいどこへ行ってしまったのだろうと。きれいな洋服に身を包んだ遥は、いなくなってしまったわけではないのだろうが、胸の内の奥の奥に、引きこもってしまったのだろう。赤羽遥のままでは、きっと乗り越えられなかっただろうから。

「なら、このままこっちで生きていくか?お前さんなら、無理じゃねぇと思うが。」

「・・・いいえ、やっぱり、元の世界には帰りたいです。いろいろと、やりっぱなしのことがありますし。両親だって、心配、していると思いますので。」

「そうだろうな。親御さんが一番悲しんでいるだろうさ。俺には、お前さんの境遇はさっぱりだがよ、お前さんならいつか戻れると信じてるぜ。根拠はねぇけどな。」

リベルトは、そう言って相変わらずの豪快な笑い声をあげた。彼はいつも通りだった。ハルにとってもは、それがありがたくもあった。団の拠点が家のように感じられる。生きて帰ってきたことの実感がわくからだ。

しばらくして、重傷者を迎えに行く隊が結成され、パルザンの街へと向かった。向こうに着くのはさらに数日かかるだろうから、多めの旅費と治療費を抱えていった。拠点に残ったハルは、アンジュのいない自室で一人の時間を過ごしていた。魔法士との戦闘中、彼らとの会話の中で、得られた情報を思案していたのだ。生き残ったら考えればいいことを、その多すぎる情報をまとめておきたかったのだ。

アストレア王国が、魔法士を集めている。それが単に戦争のためなら、とても恐ろしいことだ。一人を相手にするだけで、あれだけの脅威になりえるのだから、それが軍隊となって襲い掛かれば、どんな軍隊であろうと蹂躙されるだろう。同じ魔法士が相手となれば話は別だが。そもそも魔法士は数が少ないのだ。あれだけの数を集めている時点で脅威と言えるだろう。

魔法に関しての情報を確かめるため、ハルはルーアンテイルの魔法大学へ向かった。相変わらずこの施設も爆発の音や、口論の声がして騒々しかった。辺りが静かなだけになおさらだ。ちょうどよくミランダもその口論の中に混じっていたので、彼女を引きはがす様にして連れ出した。

「もう!ハルちゃん。良いところだったのに。もうちょっとあの石頭君たちをうんと言わせられたのに。」

「はぁ、そうですか。」

別に、無理やりミランダを連れ出すほどの事ではないのだが、人生のごちそうは肉か魚かなんて言うどうでもいい議論が決着をつけるまで待つほど、忍耐強さはないのだ。ミランダの私室に着くまで、肉の表面を香ばしく焼き上げた、いわゆるローストビーフについて散々力説されたが、今はそんなことどうでもいいのだ。魔法士なのだから、魔法に関してのことを議論すればいいものを。自分の好物であぁだこうだと、まるで子供みたいだった。

「それで、いったい何なの。こんな急に来て。」

「魔法に関する情報を提供しに来たつもりなんですけど。」

「あら、今まで何の音沙汰もなかったのに、何かあったの?」

ハルは、先日の戦いについて、ミランダへ話した。主に魔法に関しての、起きたこと、聞いたことを事細かに説明した。あの魔法士たちの言葉がどれくらい信憑性があるものなのかはわからないけれど、少なくとも実際に体験した身としては、ある程度間違いはないのだろう。

「・・・王国の魔法士が、それほどまでに成長していたとはね。」

しばし考え込んでいたミランダが、最初に漏らした言葉がそれだった。苦虫を噛んだような歪んだ表情をしながら、いかにも嫌そうにしていた。

「それに、戦うため、人を殺すためだけに、その力を伸ばすなんて、あの国は本当に・・・。」

「私からしたら、共感できなくはないですけれど。」

強い魔法を生み出す。人を殺めるためでなくとも、理解できることだ。とりわけ、ハルの様に命にかかわることがあれば、より大きな力を手にしようとするのは、短絡的だが理にかなっている。だから彼らを憎んではいないし、戦闘中激昂していたのも、戦いが苛烈であったがためだ。命を奪うことに対して、他意はないのだ。

「そうね。ハルちゃんのそういう思考は、褒められることはないけれど、決して万人に否定されるようなことでもないわ。私も、一平民としてはそう考えて当然だと思う。才能があればなおさらね。」

ミランダはそう言うが、それでも難しい顔をしたままだった。

「でも、やっぱり魔法士としては、ちょっと許せないわね。人を殺めるための魔法は、何も生み出せないから。それを可能とする魔法は、たくさんある。けれど、殺し以外の意味を持たせられないのは、・・・許せないわね。」

ハルはその時、初めてミランダと言う女性の本性を見た気がした。今まで、魔法にしか興味のない変なお姉さんとしか見ていなかったけれど、意外と信念のようなものを以って魔法士をやっているのだと気づかされた。もっともそれは、単に彼女を知らな過ぎただけからかもしれないが、それでもどこかで軽い人間だと思い込んでいた。まぁ、魔法にしか興味がないというのは、間違いないだろうが、それでも年相応の大人である事に驚いたのだ。

「まぁ、そんな話はどうだっていいわ。それよりも、火を全身に纏ったですって?」

「はい。力を強くする、というか、大きな火を作ろとしたら、そうなっていました。あ、熱くはなかったですよ。むしろ、少し心地いいくらいで。」

起きたことを言葉にするのはそう難しくないが、うまく伝えられていないような気がした。何せ、現実的に考えて、身体が燃えて熱くないというのは可笑しなことなのだから。

「となると、短時間とはいえ、急激に魔力を消耗したことになるわね。身体に変化はなかった?」

「変化?ですか。」

「魔力の変質、って言うんだけどね。人は魔力が少なくなると、当然、その魔力を回復させようとするの。ある程度は自己回復力があるけれど、身体に損傷があったり、体力が低下していると、別のものから補おうとすることがあるわ。どこから、っていうのは、説明が難しいから省くけど、そうやって他所から補った場合、もともとあった魔力が影響されて変質されることがあるのよ。」

「つまり、今まで使えた魔法が使えなくなるってことですか?」

「そこまではいかないけれど、魔力が変質したことで、魔法の種類や性質が変わったりするの。場合によっては、魔法が使えなくなることだってあるわ。

魔法が使えなくなる、と言うことに、さして危機感は感じないが、しかし、あの戦いの後も、何度か試しに火を起こしているから、彼女変質には至っていないと思うのだが。

「でも、それなら、新たに魔法が使えるようになっている可能性もあるってことですよね?」

「あら、察しがいいわね。頭の良い子は大好きよ。ハルちゃんの言うように、それが原因で、新たに魔法を習得できた例があるわ。だか、ハルちゃんもなにか違う力が目覚めたんじゃないかって思ってね。」

可能性としてなくはないという話だろう。だが、火の魔法だって、どういう原理発動しているのかさっぱりわからないのだ。感覚的なものだから、それに気づくまでその変化はわからないということだ。

「なにかそれらしい進展があったら、教えてほしいわ。」

「わかりました。それと、ミランダさん。一つ質問があるんですけど・・・。」

「何かしら?」

今回の件で一番の疑問点。ずっと気がかりだって、腑に落ちない点があった。今日はそれを確かめに来たのだ。

「魔法を打ち消す魔法ってあるんですか?」

ハルがそう言うや否や、ミランダはすぐに真剣な表情へと変わった。そして、またしばらく考え込むように腕を組んでいたが、しばらくして、視線をこちらへ向けてきた。

「・・・対抗魔法の事かしら?」

「対抗・・・魔法?」

「ハルちゃんの言う、打ち消すっていうのがどういう意味で言っているのかはわからないけれど、対抗魔法は、一つの魔法の効力に対して、反対効力を及ぼす魔法をぶつけることで、魔法そのものを相殺することをいうの。」

反対の効力ときくと、最後に戦った魔法士の男も似たようなことを言っていた気がする。たしか・・・。

「それって、反転魔法の事ですか?」

「どこでそれを聞いたの?」

ハルは、戦った相手の魔法士が話したことをそのまま返した。

「なるほどね。確かに反転魔法を使えば、魔法を打ち消すことが出来るわ。反転魔法っていうのは、単純に効果が逆転したものだがら。つまりそれは、魔力そのものの性質が逆転したものなの。」

「えーと?つまり・・・。」

「わかりやすく言うとね。さっき話してくれた、王国の魔法士が使ったていう、硬化の魔法と破砕の魔法。魔法で硬くしたものを、魔法で砕く。こういう風な効力が相反する場合、お互いに魔力だけを消費して、結果、事象としては何も起きないのよ。」

「火に水を掛けたら消える、みたいなことですか?」

「まぁ、見た目でいえばそうね。でも、魔力はしっかりと消費されるから、発動そのものが阻害されるわけじゃない。あくまで、魔力と魔力がぶつかった結果、お互いが効力を打ち消し合うこと、それを可能にする魔法を対抗魔法と呼ぶわ。つまり、魔法には必ずではないけれど、対抗手段が存在するのよ。」

途中、抽象的過ぎて理解が追いつけなかったが、頭の中でイメージすることは出来た。だが、ハルが聞きたかった事とは、少し違うようにも思えた。要するに、魔法は魔法でどうにかできるという話をミランダはしてくれたのだろうが、そうではなくて、魔法そのものを打ち消す力のようなものがあるのではないかと考えているのだ。

ハルは、戦いのさなか、不自然だと思ったことをミランダに話した。自分は何度も破砕の魔法を食らっているはずなのに、何も起きなかったこと。人を死たらしめる魔法の毒を食らったのに、なんの後遺症もなく生きていることを。

「それは・・・、本当に破砕の魔法をくらっているの?」

「そのタイミングは何度もあったはずなのに、一度もやられることはなかったんです。同僚の人たちは、それで何人も大けがして、亡くなった人もいるのに。」

自分だけが、魔法による外傷を受けなかった。そのことがずっと気がかりだったのだ。

「仮に魔法を打ち消す魔法なんてものがあったら、その魔法自体を自身で打ち消してしまうんじゃないの?」

「確かに・・・。でも、だったらなんで・・・。」

「戦闘中に集中力が散漫になって、発動に失敗したとかね。」

「矢の毒は、どう説明するんですか?」

「それは、・・・あれよ。矢に付与するのを失敗したのよ。」

「・・・魔法に対する、耐性があるとか?」

「そんなのありえ!・・・。検証したことはないけど、おそらくないわ。人類が魔法の研究を始めて数百年。人によって効力が変わるなんて話なら、誰かが気づいているでしょう。そんな話は聞いたこともないし、何より、それが本当なら、ハルちゃんのお仲間も怪我度合いにばらつきがあるはずでしょう?」

「そう、ですね。」

大怪我を負った仲間たちは、骨を砕かれ、周辺の筋肉から出血していた。致命傷かどうかは、完全に怪我をした場所によって変わっていた。ハルの推測通り、人によって異なる魔法の耐性があるならば、怪我そのものに違いがあったはずだ。

「魔法の発動の失敗はよくある話よ。命懸けの戦いなんて言う極限状態ならば、その頻度も増すんでしょうね。でも、それは考えても仕方がないことよ、ハルちゃん。確かに確証はないし、私も確かなことは言えないけれど、魔法は万能の術ではないの。一番初めに、そのことを教えたはずだけど?」

ミランダにもわからない事を、ハルが考えたところで、答えは出るはずもない。それに、生きていたのだから、自分がなぜ死ななかったのか、なんていうことは気にする必要もないことだ。ただ、運が良かったと思えばいいだけなのだから。

「とりあえず、その話はもうおわり!今はそれよりも、王国に強力な魔法士を抱える組織があるということね。」

「そういえば、アストレア王国の研究機関は無くなったって、前に言ってませんでした?」

「ええ、そうよ。私が知る限りではね。でもまさか、魔法を武器として扱い、挙句の果てに、子供を攫って魔法士に仕立て上げようだなんて・・・。堕ちるところまで堕ちたっていうのは、本当だったのね。」

ミランダは誰に言うでもなくそう言った。

「ハルちゃんも、これから大変ね。」

「なにがですか?」

「なんでもよ。いろいろ、情報ありがとうね。」

「うん?」

最後は煮え切らない様子のミランダに、ハルは仄かな違和感を覚えたが、聞くことは聞いたから、これ以上長居する気にもならなかった。

火の魔法に関して、今後もちょくちょく使用しながら、どんなことが出来るのかと言うのを知らせること約束し、ハルは魔法大学を後にした。帰り際、大学から破裂音が連続して聞こえてきて、かなり驚いたが、以前も同じようなことを経験したため気にしなかった。

ミランダにはああ言ったものの、ハルとして決して納得しているわけではなかった。ミランダとて、この世界の全てを知っているわけではないのだから。確証の無い単なる勘だが、あの時は、何か違う力が働いたと思うのだ。それがわかったところでなんだということになるが。でも、ハルは心の中で思っているのだ。自分は、自分が思う以上に特別な存在なのではないだろうかと。それが自分の運命を狂わせているのだと。

元の世界へ帰るという目的は今まで通り探すが、それ以上にハルは自分を知らなければならない。異世界であるこちら側でも異質な存在である自分を。

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