五章 動き始めた俗世

王とは

その男は、長く待たされていることに対して、イラつきを覚え始めていた。煌びやかに飾られた応接室に閉じ込められてかなり経つが、一向に目的の人物は姿を現さない。彼の者の使用人からは、少しすればこちらに来れるという話だったが、あまりにも遅すぎる。部屋に飾られている大型の砂時計を、試しに使ってみたのだが、既にそれを5回も繰り返している。そのころから、おそらく目的の主は、こちらに合う気が無いのだろうと思い始めきたのだが、堪忍袋の緒が切れそうになった時、そのものはやってきた。

「ようやくか!」

男は思わず叫んでいた。怒気を含んだ声で。だが、その者は飄々とした表情で、大きくため息をついてきた。

「大きな声を出さないでくれるかな?私は、君と世間話をするほど暇じゃないんだ。お引き取り願おう。」

「待て!ルーアンテイルの首長、ミズハ殿よ!私はアストレア王国の使者として参った、クレスティアと言うものだ。貴公に我が王より言伝を携えている。心して聞き給え。」

「嫌だ!」

「貴公に・・・い、嫌ぁ?いや、嫌とはなんだ、嫌とは。こんなにも客人を待たせておきながら、なんだその態度は。」

「私がいつ君を招いたのかね?」

「そういう意味じゃない!子供じみた態度はやめていただきたい。国王陛下より、重要な。」

「お前ら、嫌い。帰れ。」

「おっ、少しは話を聞けぇ!」

というやり取りが、応接室を囲っている使用人たちの耳にまで聞こえていたのだが、彼らは必死に笑いをこらえていた。

アストレア王国の使者、クレスティアは国王からの要請を以ってルーアンテイルにやってきていた。都市の首長ミズハ・アルバトロスに謁見を申し込んだのだが、ミズハ自身は、その謁見を断っていた。というのも、王国とルーアンテイルの関係と言うのは、非常に面倒くさいものなのだ。

かつて、アストレア王国は、強大な軍事力を持つ侵略国家であった。侵略対象は主に東の国々で、一時期は戦わずして、敵国を降伏させるほどの戦力を有していたため、当時の国王の野望は大陸全土をアストレアの領土にすることだったと言われている。だが、時の流れは残酷なもので、一国の、たった一代の王がどれだけ尽力しようとも、大陸全てを攻め滅ぼすには、時間が足りなかったのだ。寿命を全うした王が逝去すると、国力は落ち、戦線の維持もままならなくなり、奪った領土は奪い返される、と言うことを繰り返していたのだ。王国とは、王の有能さこそが物を言う国だ。無能な王の代は、侵略どころではなく、国力を維持するだけでも精一杯で、侵略国家とは程遠いものだった。そんなアストレア王国だが、数十年前に戴冠した先代国王によって、侵略戦争に終止符が打たれた。彼の王は、侵略ではなく和平の道を歩もうと努力していた。長年の戦争による国家間の遺恨を解消しようと、王はその生涯を費やしたのだ。もちろん、全てがうまくいくわけではなく、時には争いに発展することもあったが、一つ、また一つと東の国との和平を結び、彼の理想は、大陸全土に行き渡ろうとしていた。しかし、ある日のこと。王は命を落とした。和平を拒んだ国からの報復戦争で戦死したのだ。そのままアストレアは戦力不足による敗戦が続き、自国領土を明け渡すことで、降伏に至った。それ以降アストレアは、衰退の一途を辿っており、今もなおその名声と国力は落ち続けている。

一方、古くからルーアンテイルという都市は、商業を生業として多くの人が行き交う大都市だった。かつては、アストレアの貴族を名乗る者が街を統治していたが、ある時期から当時名を馳せていた商業組合、今なおこの都市を営んでいるアルバトロス一族が代表となった。彼らが都市運営に携わってからは、王国の属都でありながら、徐々に独立に向けた動きがあり、やがて王国領土内に存在する初めての独立都市となることになった。正式な独立が認められた後も、王国とは商業を通じて繋がっており、現首長のミズハも、先代の国王とも面識があった。王国と都市の友好関係は良好なものだったのだが、それも、彼の王が生きていればこそだった。先代の王が戦死してからというのもの、王国はルーアンテイルへの態度を急変させた。領土内にあるがゆえに、国の都合のいいようにできると思っているのか、戦争への資金援助を求めてきたのだ。援助というのは名目上で、実際は見返りの無い搾取だった。都市の莫大な財産で武具やら食料やらを集めさせようとしていたのだ。アルバトロス一族は、死の商人になることに対して、文句はなかったのだが、理の無い取引に応じるような忠誠心は持ち合わせていなかった。結果、王国は戦争維持の資金、兵力、食料など、あらゆるものが足らなくなり、侵略国家とは名ばかりのものとなったのだ。

現在アストレア王国は、国王不在のまま内政が行われており、また、多くの臣民が王都から離れて行っているため、ルーアンテイルにも多くの移民が行われている。彼らの受け入れ先も、ルーアンテイルがどうにか用意しているという状態なのだ。王国との関係は悪化し続けているのも当然というものだ。

「ミズハ殿、我が国の新たな王が誕生することとなったのだ。貴公にも、是非王都へ出向いていただき、新王にお力添えをしていただきたい。」

「い・や・だ、と言っている。君もわからない人だなぁ。」

「くっ、それでも栄えあるルーアンテイルの首長か。そのように無下にするようでは、王国属都から外すよう進言してもいいのだぞ!」

クレスティアはずっと頭に血が昇っているかのように顔を真っ赤にしていた。属都から外すというのは、ミズハに対して脅しになっていないのだ。そもそも属都と言うのは、国の庇護下にある都市のことだ。ルーアンテイルを害そうとするのは、王国を相手にするのと同じということである。だが、ルーアンテイルは、もはや王国に守ってもらうような小さな都市ではない。王都以上の人口を抱え、あらゆる産業がこの都市で行われている。今更王国から見放されようと、ルーアンテイルの価値は揺るぎはしないのだ。

「そうなれば、晴れて独立国として名をあげるのも悪くないかもね。」

ミズハは不敵な笑みでそう言ってのけた。

「そんなものを我が国が許すとでも?貴公らが所有する、義兵団、だったか?高々数百の兵士で、我が国と戦争でもするおつもりか?」

「私の精鋭を侮辱するのかい?それに、かつては数万の軍勢を抱えた王国軍も、今やたったの三千兵のみ。そんな規模でこの巨大な都市を攻め滅ぼすだなんて、笑わせてくれるねぇ。」

「貴公、堕ちるところまで堕ちたか?王国で独立都市を名乗っていられるのも、我が国が貴公らに王都との商取引における関税を撤廃したからだ。ルーアンテイルと王都での交易を盛んに行えるように。その自由がなくなれば、貴公らの交易商はみな・・・。」

「潰れるとでも?」

「当然だ!この街で生産された品の大半が、どこへ流れているかなど幼い子供でも知っていることだ。独立都市とは、本来王国のような後ろ盾があってこそ成り立つ。それがわからない貴公ではないだろう。」

ルーアンテイルで行われているあらゆる産業は、他都市から素材となる原材料を取り寄せ、加工し、そしてそれを再び他都市に流すというものだ。衣服であれば、繊維等を糸に加工し、服に仕立てる。道具であれば、良質な鉄鋼を取り寄せ、腕利きの鍛冶職人らが、それを叩く。この都市にはそう言った職人職や、生産職が多いのだ。そして、それらの買い手が都市を支援していた、アストレア王国が独占していたのだ。・・・かつては。

ミズハからしてみれば、クレスティアの言うことは、理解できていないわけではない。だがそれは、この都市がまだ王国との関係を気づき始めた頃の話だ。当時は王都の人口も多く、質の良いルーアンテイル産の品を買い付ける顧客がたくさんいた。しかし、王国の衰退と共に人口の減少と、富裕層が少なくなったことで、高価な品を買うものなどいつの間にかいなくなっていたのだ。時の流れを読めなくして、商売人は生きてはいけない。アルバトロス一族は、このことを見越して商売の相手を変えていたのだ。王国はもう、蜜をため込んだ木ではない。内側から腐り始め、やがては倒れる樹木だと。

「クレスティア殿、私は商人だ。政治家ではない。この都市の商品が売れるなら、買い手がどんな悪党だろうと気にはしないのだよ。逆に言えば、どれだけ善良な顧客だったとしても、一銅貨も払えない相手と商売をするつもりはない。あなたは、・・・いや、あなた方はどうやらまだ気づいていないみたいだから、我々を従わせられる余裕があるのだろうが、この際はっきりと言っておこう。アストレア王国は、すでに滅びの道を辿っているのだよ。」

ミズハは冷静だった。けして、王国を侮っていないし、馬鹿にしているわけでもない。だが、彼の目にはもう侵略国家の面影すら見えず、皮の切れ端で繋ぎとめている、倒れかかった大木のように見えているのだ。当然クレスティアは激昂する。彼はどこまでも王国の臣民なのだろう。

「そうか・・・。貴公、自国の民を危険にさらしてまで我が国との交流を絶とうというのだな?」

「王国がこれからもよい取引相手であれば、交流を絶つつもりはありませんよ。しかし、あなた方は変わってしまった。先代の国王殿下が亡くなられてから、我々に求めるばかりで、対価を払うことを忘れてしまった。我々を傀儡か何かだと勘違いしてしまっている。そんなものたちにくれてやる品は、私の懐には存在しないのですよ。」

「・・・初めから王国のために協力する気はないみたいな言い方ですな。」

「そう言ったつもりです。元より、協力などしたことありませんが。」

徹底的な対話の拒否。そもそも王国が使いだすのだって、数年ぶり事であったのだ。今さらどの面下げて友好関係があるなどと思えるのだろうか。

「新国王の戴冠と言っていましたが、それも一種のポーズでしょう?先代は、妃を娶ってはいない。王家の血筋は完全に途絶えてしまったはずです。私の聞くところによりますと、どこの生まれかもしれない色物の小娘を王に仕立て上げようとしていた、なんていう噂もありますが?」

「噂ではない。我々は、新たな正統王家を建て、アストレア王国を存続させるのだ。」

「言っておきますが、彼女は渡しませんよ。」

「構わない。貴公がその気なら、王国は力ずくで新王を救出するのみだ。」

話が噛み合わなくなっていることに、使用人たちも気づいていた。ルーアンテイルとアストレアは、そう言う関係なのだと。けれど彼らは、恐れなど抱いていない。彼らはこの都市の王を信じているのだ。

「やはり無駄な時間だった。あなたとの謁見が無ければ、事務処理の十や二十を減らせたというのに。」

「・・・ルーアンテイル首長、ミズハ殿。もう後戻りはできませぬぞ。」

クレスティアの言葉に、ミズハあくびをして返した。もはや言葉は必要ないということだろう。テーブルに置かれた小さな鈴を鳴らした。すぐに、謁見室に使用人がやってきて、クレスティアを帰らせようとした。

「恥を知れ!」

部屋を出る寸前、クレスティアがそう怒鳴り散らした。一瞬、その場が氷ったように静まり返ったが、誰もそれを気に留めず、彼はそのまま使用人に連れられて、ミズハの館を追い出されていった。

「よろしかったのですか?」

ミズハの傍に寄ってきたレイバスが、神妙な面持ちで聞いてきた。

「いずれはこうなっていたことだ。先代には申し訳ないが、あの国には、一度滅んでもらった方が助かる。」

「一応ハル様へお伝えしておきましょうか?」

「そうだな。しばらくはルーアンテイルからでない様にしてもらわないとな。それと義兵団も、これから忙しくなるぞ。」

「すでに隊長の方々へ連絡を回しております。」

「助かるよ。」

ミズハはそのまま謁見室を後にした。次に向かうべき場所は自室だ。そこで、今後の予定を決めなくてはならなかった。しかし、自室までの道中、部下たちが自然と彼の後をついてくる。

「まずは、北のヒノエ国だ。武器の生産を急がせる。都市の職人の派遣準備をしておいてくれ。」

「はい。」

一番後ろに着いた使用人が道を外れて離れていく。

「次に、食料だ。王都とここの位置関係からして、東側の街道は戦場になりうる。南か、あるいは西の大都市から兵糧を確保したいな。」

「グレイモアはいかがでしょう?」

「あそこはダメだ。クラウスから話を聞いたが、必要な物資を集められないだろう。新しくなった領主とやらとも、コネが無いしな。」

「でしたら、昨今農作物の生産が著しい、南のセイオウトウはいかがでしょう?」

「ふむ、小さな街だが、ルーアンテイルからの距離も近い。いいだろう。」

「はっ。」

また一人、列を離れて去っていく。

「それと、東の小国連合にも使いを出しておいてくれ。大きな戦争にはならないだろうが、兵力は必要だ。」

「かしこまりました。」

またまた一人の部下が、離れていく。ミズハはそうやって、自室に戻りきる前に、ありとあらゆる指示を部下たちに下し、いずれ訪れるであろう戦いに備えようとしていた。

誰もが、戦争になるということを良くは思っていない。それは、ミズハ当人も同じであった。彼は商人であり、自信が利益になることにしか行動しない。部下も、使用人たちも、それを良く知っている。つまり、王国が滅びることで利があるということを、みんな信じて疑わないのだ。誰もそれを咎めようとしない。上に立つものだからこそ、戦争と言うものでさえ、躊躇ってはいけない。ミズハはそういう男だった。全ては、ルーアンテイルの発展のために。

自室に着いたミズハは、部下たちがまとめておいてくれた書類に目を通す、一つ一つ、抜かりないように、間違いがあればすぐに人を呼び、すぐに訂正を促す。傍から見れば雑務のような仕事でも、彼には大事なおもちゃのようなものだ。少しの傷もつけたくない、大切なことなのだ。

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