命の報酬
パルザンの街の警備体制は、鷹の団の本体が到着したのと同時に解かれることになった。そして、セツの診療所は、賑やかになった。一足にさきに治療を終えていたハルは、仲間たちの看病を手伝いながら、その戦いの壮絶さを思い知らされていた。戦いには勝ったものの、死者3名、重傷者多数と言う結果は、素直に喜べる勝利ではない。ましてや、再起不能なまでに体を壊された者もいて、まともに傭兵としてやっていけない者もいる。実質引退ということだ。それくらいの重傷者が何人もいたのだ。みんな、命があるからそれでいいと口々に言っていた。確かにその通りだが、日常生活に支障が出るほどの傷は、きっとこれからも苦労するのだろう。
医術士のセツも、初めての傷跡に困惑しているようだった。魔法が生み出した傷跡は、まともな処置では治せないほど深く、複雑なものだった様だ。治療室から絶えず痛みに堪える声が聞こえていた。改めて、魔法と言う力の大きさを、ハルは認識せざるを得なかった。
戦った魔法士たちは、全部で30人ほどだったことがわかっているが、アストレアの魔法研究機関には、もっと多くの魔法士たちがいるのだろうか。恐ろしいのは、彼らの思想だ。魔法を武器としてとらえ、そのためには才能ある子どもを攫うことすら厭わない。もしも、王国が本気で魔法士の軍隊の結成を目論んでいるのなら、周囲の都市や国々にとって、とてつもない脅威になりうるだろう。魔法士の才能を持つ者が少ないがゆえに、それを独占されてしまえば、対抗する手段はなくなってしまう。仮に魔法の才能があったとしても、訓練しなければ、結局はただの人間に過ぎないから、対抗手段とも呼べないのかもしれない。
ハルは、ルーアンテイルの首長ミズハに、身の保証を契約してもらっている。だが、もしアストレアが本格的に侵略をし始めた時、ルーアンテイルの力だけでは対抗できないのではないだろうか。ハルが、白髪の君としてその身を狙われているのは、今も同じのはずだ。いずれ自分も、ルナみたいに追われるようになるのではないかと、思わざるを得なかった。現に自分は、氏名手配までされているのだから。命を狙われていないだけましというべきか。だが少なくとも、今回の一件で、自分に相応の価値があることを認識することが出来たのだ。それが、王位後継者としてのものなのか、魔法士としてのものなのかはわからないが、王国がハル自身を欲している理由が分かった。そして、きっとこれからは、もっとあからさまな、大きな戦いが待ち受けているだろうと、ハルは予感していた。詳しいことはわからない。だが、向こう側の世界から連れ去ってまでしてきた連中だ。もう、ルーアンテイルでさえも安全な場所とは呼べないかもしれない。
仲間のほとんどが、セツに安静を言い渡され、ある程度無事なものは、依頼の終了のために、リンダの元を訪れていた。場所は、パルザンの街の領主、ウルガンドの別邸だ。レリックが代表として、比較的軽傷で済んだハルも同行していた。まだ、激しい動きをするのは難しいが、普通に生活が送れるくらいには回復していたのだ。肩の傷もそれほど痛まなくなって、むしろ、仲間たちには少し申し訳ないくらいだった。
「今回の依頼、無事に送り届けてくださったことに、感謝しております。」
リンダの言葉は、きっと本心からものだと思う。だが、それを受け取れる程、自分たちは仕事を完遂できなかったのだ。
「いえ、・・・我々は、今回の依頼は、失敗と見ています。旦那様を守ることが出来なかった。奥様と、娘さんを守れたからと言っても、その事実だけが全てです。今回の報酬、前金も全て、お返しさせていただきます。」
昨日のうちに、みんなで報酬は全て返すということを話し合った。前金は、依頼が失敗した際にもある程度の利益としてもらえるようにする保険だ。命を懸ける以上、それくらいしなければ、商売として成り立たない。例え依頼が成功しても、無傷で終えれるわけではないのだから、前金を貰う権利は十分にあるだろう。だが、鷹の団は、顧客への信頼を失わないために、失敗したときは報酬を受け取らないことにしているそうだ。それが、鷹の団としての矜持らしい。
傭兵と言うものは、命を懸ける、という言葉を売り文句に、その気になればいくらでも値を上げることが出来る。故に、金取りとして忌み嫌われることもあるそうだ。無法者の集まりと称されても仕方がない一面を有している。だからこそ、ある程度のけじめをもって臨まなければならないのだ。鷹の団にとっては、その矜持こそがそれにあたる。依頼主に対する最大限の誠意だ。
「しかし、それでは大損では?」
「もともとゼロか十かの仕事です。皆覚悟を以って取り組んでいますので、お気になさらないでください。」
治療費は、ルーアンテイルに使いを頼んで、拠点に帰ってきているであろう他の仲間たちに、助っ人を頼むしかないだろう。ハル一人のだけの治療費はそれほどでもないだろうが、今回参加した全員分となれば、かなりの出費になるはずだ。
だが、リンダは思いのほか食い下がらなかった。
「ではこう致しましょう。」
リンダは救えの上に置いてある、銅貨が詰まった二つの袋を取り上げた。一つは前金の、もう一つは完了報酬。彼女はそれを一つの袋にまとめ、そこから天秤を使ってきれいに三つに分配し、そのうちの二つ分の銅貨をこちらに差し出してきた。
「・・・これは?」
「あなた方への、正当な報酬です。私と、娘の・・・。」
「それは・・・いけません。依頼内容では、対象ごとの報酬ではありません。ましてや、依頼主本人を守れなかったのです。我々に、受け取る権利など。」
「でしたら、私のお気持ちとして受け取ってください。」
リンダは頑として譲らなかった。ハルは、口を挿むようなことはしなかったけれど、懐かしい光景だと思っていた。日本でも来客が用意してくれた、いわゆるつまらないものを押し付け合うようなことはよくあることだ。気持ちだからと、ハルの母親も、適当な理由をつけて渡そうとしてた。本当につまらない問答だと思っていた。もらえる物は貰ってしまえばいいし、こんなことになるのは目に見えているのだから、わざわざ用意しなければいいのにと、何度思ったことか。
けれど、今回は現実的な理由がある。
「お互いに、大きすぎるものを失いました。私もあなた達も。これはあなた達に必要なものだと思います。どうぞ受け取ってください。」
命の対価なのだ。そして、何を言っても、人が生きる上でお金は必ず必要になる。それをプライドでつけ返すことは出来ても、損をするのは自分たちだ。こんな世界だからなおさら、より現実的に物事を診なければならない。レリックは、おずおずとその袋に手を伸ばし、頭を垂れながらそれを受け取った。彼の中にどのような葛藤があったかはわからないが、きっと、怪我をした仲間たちのためを思って、プライドを捨てたのだろう。
心のどこかで、鷹の団は常勝の集団だと思っていた。死を恐れず、時に愉快に突き進む彼らの背中は、ハルには頼もしすぎて、そんな彼らでも、こんな事態になるのだと思い知らされて、複雑な心境だった。この世界は、それほどまでに残酷だったのだ。元居た世界との文明の差とか、魔法があるからとか、そう言うんじゃない。人が生きる世は、本来、こういうものなのかもしれない。ハルは、この時初めて、自分がいた世界が特別であったことを実感したのだった。
翌日から、まともに動けるものは、ウルガンドの計らいで宿屋に泊まる事となった。さすがにセツの診療所に十五人もの人数は入りきらなかったから、みんなほっとしていた。パルザンの街は、とても静かな街だった。平原の田舎町と言った感じで、建物もそれほど大きなものはなく、いかにも平和そうな街だった。領主のウルガンドは、かつてはアストレア王国を援助する立場にあったそうだが、何年か前に縁を切り、今ではルーアンテイルや、その他の商業都市と交流をしているらしい。パルザンは主に織物を主産業としていて、街の至る所に服屋があり、街を歩き回るだけで、ハルにはいい気晴らしになっていた。もともと異世界と言うだけで、真新しい物ばかりなのだから、好奇心が刺激されるのはどこへ行っても同じだ。だが、旅行気分で来たわけではないから、見て楽しむ程度だった。頭の中では、今回の件をずっと振り返っていた。ずっと気がかりだったことがあって、気になって仕方がなかったのだ。気づけばハルは、街の外門を出て、人に見つからない街の外まで来ていた。そして、心の中で、火を思い浮かべる。戦っている時の様に、荒々しい感情を呼び起こし、左手に火を纏って見せた。あの時とは違い、揺らめく火は優しさに満ちているように見えた。その輝きと熱は、ハルの心の内をゆっくりと温める様な気がして、しばらく燃える自分の手をじっと見つめてしまっていた。
不思議な火だ。魔法であることはわかっているのに、今ではまるで自分の体の一部の様に感じる。初めて魔法を使った時は、魔法そのものを知らなかったから、ほとんど無意識のうちに使ってたんだろう。けれど、ミランダからその存在を聞き知り、自分でも幾度か試すうちに、自然と発動できるようになってきている。慣れたからなのか、怖いという感覚も無くなり、制御も容易くなっている。
魔法を使い続けると、魔力が亡くなり、身体に害を成すとミランダは言ってたが、こうして体の一部を燃やし続けているというのに、そんな兆しは全く感じられない。むしろ、その火を見ていると、心が静まっていくような、そんな感覚になっていくのがわかる。決して自分を傷つけることのない火。暖かくて、優しい熱は、懐かしささえ感じる。こんなことが出来るなんて、向こう側にいた時は思いもしなかったのに。日本人、いや、向こう側にも魔力はあるということだろうか。だが、人類の歴史から見て、魔法と言う力が存在した実証はないし、ありえない話だ。現に、今こうして燃えている左手の現象を、どう説明する?非科学的な現象、としか説明のしようがないだろうに。たったそれだけで、向こう側には魔法は存在しないと証明できるはずだ。
では、ハルだけが魔力を持って生まれてきたのか。そもそも、いつからこの魔法が使えるようになったのだろうか。運命によって、生まれた時から魔法の才能があったとして、いつから人は魔法を使えるようになるのだろう。もっと早くにこの現象を目のあたりにしていれば、向こう側でも魔法を使うことが出来たのだろうか。アストレアの賢者、ジーグの言葉は今でも忘れない。自分は、こちら側の世界で生まれるはずだった。それも未だに理解が及ばないが、こちら側の誰かの子供であったというのは、間違いないのかもしれない。魔法の才能は遺伝すると、ブリガンドが言っていた。この世界の誰かが、いや、その当人はもうこの世にはいないのかもしれないが、何らかの方法、おおよそ魔法の力で、向こう側で生まれるように仕組んだ。向こう側の両親の元に。
そうしなければいけなかった理由でもあったのか。それだとすると、もしかした自分はその時から狙われていたのではないだろうか。魔法の才能を持つ子供として。もし、17年も前から、王国が魔法士を欲していたとしたら、自分が狙われる理由にも納得がいく。17年も追い続けても理があるほどの価値が自分にあるのかは別だが。それでも王国は、ハルを欲していた。王位継承者にするというのは建前で、もっと何か、大きなことに利用されようとしているのかもしれない。この火の力が、関係しているのだろうか。
(だって、異質すぎるよね?)
ハルは、手だけでなく、全身の火が回るイメージをした。あの時と同じように、火で自分を包み込むように、身体から溢れている魔力に火をつけるイメージを。瞬く間に火は体中を覆い、文字通り火だるまとなった。だが、やはり衣服や体は燃えないし、暖かさはあっても、熱さは感じない。身体に違和感もない。体力が消耗していく感覚も。あの時は、外傷や連日の行軍によっての疲れなどがあったため、満身創痍だったが、それさえなければ、自惚れかもしれないが、きっと無限に火を纏えるような、そんな気がしたのだ。そして、その火は触れたものを全て燃やしてしまうくらいに高熱を帯び、またその火を伝染させていく。火の性質は変わらないまま、ハルだけは害さない火。気力も体力も充実している今なら、草原を焼野原に変えることも、緑豊かな山を焼き払うことだって難しくないと思えてしまう。それこそ、街や都市を壊滅させることだって・・・。
アストレアの魔法士たちは、自らを戦争の道具として見ていた。その道具を量産できるように子供を攫い、魔法士を兵士として育て上げようとしていた。だとすれば、大きすぎる力を持った兵士は、戦争を左右する道具、兵器として見られるのではないだろうか。
その結論に至った時、ハルは寒気がして無意識のうちに火を静めていた。自分が兵器だなんて、考えただけでも恐ろしかった。ハルは無理やり思考を切り替えようとした。そんなのは空想だ。なんの根拠もない、ただの空想。ハルは、ただの空想であることを強く願った。
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