火は陰る
不思議な熱だった。全身を覆うほどの火が、身体を焼いているのに、皮膚は爛れず、炭と化すこともなく、無限に燃え続けている。服は、裾や袖が僅かに黒焦げているようにも見えるけれど、決して原型を失くすことはない。
ミランダの言っていたように、まさに魔力を燃料として、火が燃え続けているの。体中から溢れた魔力がどれだけ持つかわからないが、それでも十分すぎる力だった。
「火の魔法だと!?それに、火を放つのでもなく、操るのでもなく、自分自身が火になるなど。正気の沙汰じゃない。」
男はぶつぶつ何かを言っているが、ハルの耳では聞き取れなかった。
「行くぞ!」
掛け声と共にハルは大きく地面を蹴り、無防備で男へ突っ込んでいく。守るものはもうない。仮に男が破砕の魔法でハルの全身を砕こうとしても、どうやったってハルに触れなければならない。ハル自身はそれほどでなくとも、この火は正真正銘の炎そのものだ。近づくだけで皮膚がひりひりと焼け、触れようものならただでは済まないだろう。
火を纏った折れた小剣は、まるで鞭のように炎がつき纏い、一振りするだけで、散弾のように火の粉が飛び散っていく。そのいくつかの火の粉が男の皮膚に触れると、ジュッという、音をあげて皮膚が焼け焦げていた。
「くっ、幻術でもない。我々の常識を遥かに超える魔法だと!?一体、貴様は何者だ?そんな魔法の使い方をして、どうして立っていられる?」
男が言う通り、今もこうして体が燃えているということは、常に魔力を消費し続けているのだろう。魔力は生命力そのもの。ミランダが言っていたように、使い続ければ外傷や、その他要因とは別に命を縮める原因となる。だが、ハルはそんなものを気にする必要が無いのだから。今経っているのは、ほとんど意地のようなものだ。
剣を振り、拳を伸ばし、逃げる男にどこまでも追撃をしていく。当然男は、火のダルマが突っ込んできているようなものだ。距離を取り、どうにか避けようと必死だったが、舞い踊る炎と火の粉を躱しきることは出来ていなかった。
(攻めて、・・・攻めて、攻めて攻めまくる。足を止めるな!動きを止めるな!)
既に限界はとうに迎えているだろうが、それを念じ続けた。あと少しだったのだ。少しずつ、少しずつ男との距離を詰めている。あと一歩早く、もうワンテンポ早く。その小さなロスを埋めることで、男の動きに追いつける。
左手の炎を横薙ぎに掃って、体の回転を利用して、火を纏った剣をさらに横薙ぎにする。左右に交わす男は反撃の隙も無いほど、逃げる一方だったが、男とて身体能力に優れているわけではない。そして、ある時足を踏み外し、ついに体制を崩した。
「しまっ!?」
「そこだぁ!」
ハルはすかさず男の脳天を狙って、火を纏った剣を振り下ろした。最後の抵抗として、男は硬化させた腕を盾にして、その刃を受け止めた。瞬く間に、火は男の腕を焼き始め、赤く爛れさせていく。男は呻くような声を出しながらも決して硬化の魔法を解かなかったが、どちらにしろそのままでは、火は体にまわっていく。ハルは、絶対に逃がさないように、剣を男の腕に押し付け、逃亡も反撃も許さなかった。男の両腕が燃え始めた時、ついに男の腕から魔法が解けた。その瞬間、剣の刃が男の腕を引きさいた。
魔法を自分で解いたのか、あるいは、火傷の痛みに耐えられなくなり、解けてしまったのか。どちらにしろ、もう手遅れだったのだ。ハルから離れて腕の火は収まったものの、その手は見るも無残な状態になっていた。
「くっ、くそ。こんな、ところで・・・。」
「終わりよ。私も、お前も。」
互いに生き絶え絶えで、互いの命は限界まで擦り減っている。だが、戦いの優勢はハルにあった。
「ふざけるな!我々は、王国を、・・・代表する、魔法士だぞ。貴様のような、小娘に・・・。」
男は、尚もそうやって息巻いてきたが、ハルの白い髪の毛を見た途端、表情を引きつらせた。
「・・・まさか、そんな。」
「なに?」
男はハルの目を凝視していた。その赤く、まるで瞳孔の奥で星が輝いているかのような、鋭い瞳を。そして何かを悟ったのか、ふっと口元を微笑ませた。
「りゅう・・・の、ひと・・・・か。」
何かを言っていたが、ハルには聞こえなかった。そんなことより、早く決着をつけようと剣を振りかぶっていた。尚も男はどうにか逃げようとしていた。だが、躱せる距離ではなかったし、右手をハルの首めがけて伸ばしてきたが、ハルはその手を左手でいなし、小剣を男の腹に突き刺した。狙うは腎臓の辺り。火を纏っていなくとも、そこを刺されれば、尋常ではない激痛を起こし、大量の出血を促せる。痛みだけ意識を失うくらいの、人体の急所だ。
刺した瞬間、生暖かい血しぶきが返ってくる。だが、男もしぶとく尚も腕を伸ばし、こちらを睨みつけていた。相手が生きているのなら、惨くとも最後までやるべきだ。剣を突き刺したまま、男に足をかけ、身体が崩れる勢いを利用して、男を地面に剣事突き刺す様にして倒した。頭部を打ち付け、衝撃で意識は飛んだだろう。最後に剣を捻じりながら引き抜いて、男は動かぬ屍となった。火に返り血が当たるたびに、水が蒸発する音がして、それほど汚れることはなかったが、剣を持つ手は血でドロドロだった。
火が燃えるパチパチとした音が、やけに心地よく感じる。燃えているのが自分自身であることを除けば、静かな落ち着いた時間に思えた。
(終わった・・・。)
ハルは天を仰ぎ、そのことを実感した。荒ぶる感情が静まり、それと共に、身体に纏っていた火が沈んでいく。魔力が尽きたのか、それとも自然と魔法を止められるようになったのか。火は、爪先や衣服の裾に僅かな焦げ跡を残して消えていった。
生き残った。そういう実感はなかった。肩に刺さった矢はどうしてか燃え尽きず、今なお刺さったままだ。羽が焼け落ちて短くなってはいるが。それでも、痛みは引かないし、背中を覆うべったりとした感触は、血が乾いてできたものだろう。
このままこの死体と一緒に、横になってしまおうかと思った。体力の限界、あと1秒だって動いていたくない。身体に入った毒が、どれくらいで命を奪うのかわからない以上、どこまで頑張ればいいのかという、終わりの見えない道行が、ハルを絶望させていた。殺すなら、すぐに殺してくれればいいものを。死ぬことよりも、死ぬまでの間が一番苦しいというのは、的を得た言葉だ。
「ハルお姉さん!」
自分を呼ぶ声がして、振り向くとルナが駆け寄ってきていた。見るも無残なハルの姿をみて、怯えているのか、言葉を失っていた。
「・・・う、・・・うぐ。」
幼い彼女からしてみれば、泣きたくなるのも当然だろう。だけど、今は泣いている場合じゃない。せめて安全な場所へ身を隠さなければ。
「泣いちゃだめ。まだ、追手が・・・来るかもしれない。アランは?」
「あ、あっちで。」
そう言ってルナは、岩場の奥の方を指さした。
「行きましょう。パルザン・・・。街に、・・・・いかないと。」
朦朧とする意識をどうにか起こして、ハルはルナを連れてアランを探した。岩場の奥のおく、青々と茂った草が生える林にアランは、寂しそうに首を垂れていた。道草を食っていた訳じゃない。アランはハルを認めると、顔をあげて駆け足で近寄ってきた。
「ごめんね。転ばせちゃって。ケガはない?」
ハルはざっとアランの様子を確認して、どこも怪我をしていないことを確かめた。主人が弱っているのがわかるのか、アランは仕切りに頬ずりをしてきた。
(これも、あとどれくらいしてあげられるだろう。)
このまま街へ直行したいのだが、その前に矢の痛みをどうにかしたかった。人はどれくらい痛いみに絶えることが出来るのか。以前もそのようなことを考えた気がするが、考えを巡らせている時間はない。アランの手綱と、ルナの手を取って木が一層生えて身を隠せそうなところ探す。少なくとも、しばらく無防備な状態で居ても、襲われないような場所だ。実際、血痕を残してしまっているため、更なる追手が来ていたらどうにもできない。藪と言うほどではないが、気に囲まれた空間を見つけ、そこに隠れた。アランを気につなぎ、鞍に吊るしてある道具袋から、タオルと細い綱を取り出した。
「ルナちゃん。お願いあるの。」
タオルと綱を彼女に渡し、これからどうするかを言って聞かせた。大事な話だ。これから、彼女には応急手当をやってもらって、そして、もしその先で、自分がいなくなるようなことになっても、決して行くべき道を見誤らない様に、馬を最低限操る術と、どんなことがあっても、パルザンの街へ向かうこと約束させた。ルナは、最初は聞き入れてくれなかった。死ぬなんて言わないで、一人にしないでと。彼女はそれでいいのだ。生き死にを簡単に受けいれられるほど、心が成長できていないのだから。けれど、ハルはそれを諫めなければならない立場にいるのだ。
「言うことを聞いて!次に追手が来たら、あなたを守れない!」
そう必死に訴えかけた。ハルとてまだまだ子供だ。彼女がどれだけ苦しい思いしているかよくわかる。けれど、それをしなければ、きっとルナは行くべき道を誤ってしまう。パルザンの街へ着けば、ひとまず安全になる。それまでの約束を、どうにか彼女とすることが出来た。
教えたとおりに、ルナに矢を抜かせタオルを当て、シャツの裾を破いて作った帯と綱で、どうにか傷口を塞ぐ。とはいえ、これも一時しのぎにしかならない。少しばかり出血を抑えられるだけだ。それでも肩の異物感が抜け、痛みも随分和らいだ。痛みでどうにかなってしまうことはないだろう。そのままアランに乗って、パルザンの街を目指した。レリックたちが戦っているであろう地帯を避けたため、かなり遠回りになってしまったが、おおよそ方角はあっているだろう。すでに太陽は正午すぎているだろう。アランに揺られながらも、頭の中は目まぐるしく回っていた。道中の敵の警戒、アランを走らせる速度、街に着いてからの動向、宿の手配をするのか、医術士を先に探すのか。ただ、それを実行する気力はもうないのだ。手綱はもうほとんど絞っていないため、アランは馬なりに進んでいるだけだ。ただ、その歩みもゆっくりと原則して言っている。調教された馬なので、しばらく指示のまま走らせると馬は自分の意志で動こうとするものだ。だからこそ、ルナがそのことに気づくことはなかったのだろう。
日が沈みかけ、橙色の鮮やかな夕焼け空が彼方に消えかけている頃だった。空と重なるように煌びやかな光を放つ街並みが道なりに見えていた。それを認めたルナが、パッと表情を明るくさせた。
「ハルお姉さん。街の明かりが。」
明るいルナの言葉を聞いて、アランが何かを察したのか、鼻を鳴らして首を振っていた。
「パルザンの街です。たどり着けましたよ。」
そういって、ルナはおもむろに後ろのハルの顔を見ようと、身体を捻じったのだ。その時に肩がハルに触った衝撃で、ハルは鞍から落馬していた。
「・・・へ?」
ハルの体は、地面に倒れ伏したまま、全く動く気配を見せなかった。アランは主人が落ちたことなど意に介せず、ただただ駆け足を続けるせいで、ハルとの距離はどんどん離れて行ってしまった。何が起きているのかを理解したルナは、手綱を引っ張ってアランを止めようとした。
「止まって。・・・・止まってぇ!!」
教えられたとおりに手綱を絞っているはずなのに、アランはなかなか止まらなかった。ようやく跳び降りても怪我しない程度の速度まで落ち着いたので、完全停止を待たずにルナはアランから降りて、倒れたハルの元へと駆けて行った。その目には大粒の涙をこさえて。
うつ伏せになっているハルの体を仰向けにさせて、ルナはその意識の無い体を何度もゆすっていた。
「ハルお姉さん!ハルお姉さん!!」
呼びかけてもハルは返事をしなかった。ハルの背中は既に血まみれで、それはルナの手にも映っていた。両手が赤黒く染まっているのをみて、ついにルナは泣き出してしまった。声を押し殺して、嗚咽を漏らしながら、ルナは立ち上がった。そして、ハルをその場に置いたまま、一人パルザンの街へと駆けて行った。
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