力を以て、力を制す
嫌な汗をかいていた。べっとりとしていて、やけに冷たく感じられる。それなのに、身体は以上に熱い。視界がおぼろげだった。進んでいる方角が、パルザンの街とは違う方角であるのに、思うようにアランを制御できない。ここへきて、疲れがピークに達したのだろうか、それとも、突然の出来事に自分でも気づかないうちにパニックになっているのだろうか。どちらも違うように思えた。頭は冷静だ。あの一瞬で、逃げる、と判断できたのだ。そしてこの先、どうすればいいかも考えている。どこかに身を隠すか、遠回りをしてでもパルザンの街へたどり着かねばならない。だが、夜中ずっと走りどうしだったから、アランはもうそんなに早くは走れないし、体力も限界だろう。どこかで降りないといけない。
後ろを振り返って、ちらっと何かが見えた気がした。咄嗟に手綱を引いてアランを急旋回させた。空を切る細い音とともに、細い矢がハルのすぐ横を通り抜けていった。思わず舌打ちを漏らして、尚も冷静で居るよう自分に言い聞かせた。落ち着いて、冷静に対処しなければ。
(このまま走り続けてたら、だめ!)
頭ではわかっていても、逃げ場がないのは事実だった。どういう原理かは知らないが、向こうは馬の駆け足に追いつくほどの速度で追ってきている。それでいながら、矢を正確に放つ技術も持っているのは、単なる魔法士ではない。むしろ、それら全て魔法によって成していることならば、想像を遥かに超える魔法t嗅いだということだ。
後方から弓の弦が弾ける音が聞こえたような気がした。もはや、反応して対処できるほど距離はなかった。無我夢中で手綱を引き絞ったせいか、アランは急に速度を落とそうとして、足をもつれさせてしまった。そのおかげかどうかはわからないが、放たれた矢は、ハルの左足のふくらはぎを掠めるぎりぎりを過ぎ去っていった。僅かに肉が抉れ、摩擦の熱で焼けたような痛みが来る。アランが転倒するよりも早く、ハルは手綱を離し、ルナの体を抱き上げて鞍から跳び降りた。右肩を軸に受け身を取ったが、刺さった矢から激しい痛みがさらに押し寄せてきて、倒れた衝撃と共に意識が飛びかけた。
思いっきり歯を食いしばり、飛ぶな、飛ぶなと、刹那の間意識を繋ぎとめた。ルナを押しつぶさないように地面を転がり、身体の自由が利かなくなるほど外傷はないことを確かめると、それだけで安堵できた。だが気を抜ける状況ではないことはわかっていた。矢の威力から、敵の距離はそう遠くないと図れる。けれど、馬の駆ける音はどこからも聞こえてこなかった。
「大丈夫、ルナちゃん?」
掠れる声で、懐で丸まっているルナを見ると、強張った表情で僅かに此方にうなずいてくれた。怯え切った目に震える体は、見ていて痛々しいほどだった。横目で、地面に寝転げたアランを見やると、どうやら怪我は内容で、器用に上体を起こして首を振っていた。
敵はすぐそこまで来ている。このまま二人で走って逃げるのか、ルナだけをアランに乗せ、自分は時間稼ぎに徹するべきか。判断に難しい所だったが、迷っている時間もなかった。
どこからともなく、二人のローブの男が現れた。まるで、透明のローブを着こんでいたんじゃないかと思うほど、突然に現れたのだ。
(っ!魔法・・・。)
いったいどういう原理でそれを成しているのか、想像するのも難しい。だが、ぱっと見二人には武器らしきものは持っていないように見えた。腰に挿した小剣を抜き、迫ってくるローブ男に向けて構える。腕を動かすだけで、肩に刺さった矢が地獄のような痛みを与えてくる。不用意に抜くわけにもいかないから、意識が飛びそうなほどの痛みを抱えたまま戦わなくてはならない。
「逃げて。アランも気にしないで、遠くへ!」
気力も、体力もかなり擦り減っている彼女では、そう遠くへ行けまい。かといって、2対1という不利な状況での戦いで、常に傍にいられるわけでもない。巻き込んでしまう可能性もある。二人を同時に抑えなければならないけれど、やるしかないのだ。
ローブの男が、ものすごい速さでハルに向かって突っ込んでくる。よく見ればローブの中に、矢筒のようなものが見えたが、脅威にはならないだろうと思えた。それ以外に、本当に武器を持たずに突撃してくる。その男のは顔は、笑っていた。
「やあぁぁぁ!」
ハルからしてみても、その行動は隙ありすぎるように見えた。突っ込んでくる男に足して、まっすぐに剣を突き刺し、胴体の急所である、腎臓付近を狙って・・・。
「残念。俺たちに剣戟はきかねぇよ。」
ローブの男は、小剣を無造作につかんだ。そんなことをすれば、手が切れるはずなのだが、男の掌からは、赤い血が零れなかった。小剣を止められ、驚くのもつかの間、耳のすぐそばを羽虫が飛ぶような高音がしたかと思うと、掴まれた剣先がぱちぱちと火花を散らし、粉々に砕けた。
「えっ!?」
「次は、腕の骨だ。」
男はそう言いながら、ハルの腕を力任せに引き寄せ、しっかりと両手でつかんできた。そして、再び羽虫が飛ぶような音がする。
(まさか!)
嫌な予感と、それを受け止めようとする気持ちを整えるのちょうど同じだった。
それは一瞬の出来事だった。ローブの男に手を掴まれた時点で、もう右腕はどうにもならないと悟ったハルは、左腕で男に拳を食らわせようとしたのだ。そして、・・・ハルの拳はもろに男の顔面に入り、男は勢い余って後ろへ転げていた。
想像していた結末と、かなり食い違っている。ローブの男が腕をつかんだのは、剣を砕いたように、魔法でハルの腕の骨を壊そうとしたからだと思った。たぶん、男もそのつもりだったのだろう。起き上がった彼は、何が起きたのわかっていないようだった。
「爪が甘いぞ。」
間髪入れずに、もう一人のローブの男が横やりを入れてきた。剣を構える余裕もなく、猛烈な蹴りがハルの横腹を襲った。その蹴りは、ただの蹴りじゃなかった。それほど、力のある体形には見えないし、蹴りそのものは平凡なもののようにみえた。それなのに、硬い棒で叩かれたかのような重みが、あばらにみしみしと悲鳴をあげさせていた。
胃の奥から何かがこみ上げてくるのを必死でこらえ、再び剣を構える。
「集中力を欠くな。身体を動かしながら魔法を繰り出すことが出来なければ、魔法士として三流だぞ?」
「いやぁ、そう言うわけじゃないんですがね。感覚も魔力の流れも完璧だと思ったんですが・・・。」
どうやら横やりを入れてきた方は、最初に突っ込んできた男の上司か、あるいは彼らのリーダーのような存在らしい。
「小娘と見て侮っていたが、あの鷹の団の者だ。それなりに心得はあるのだろう。お前はまだ魔法士としての日が浅い。それに、私はともかくほかの連中はまだお前を認めていない。今後も我らと共に来る気があるなら、この娘一人始末して見せろ。私は、フェロウの娘を捕える。」
リーダーの男はそう言ってルナを追おうとしたが、ハルはそれに割って入った。
「貴様の相手はあいつがしてくれる。」
「それを私が許すとでも?」
ハルはそう意気込んだが、上司の男には気にも留めない。無駄な問答をしても仕方がない。上司らしき男も、どこにも得物は持っていない。攻めれば一方的に仕留められると思うのだが、実際部下の男相手に、仕留めるどころか、剣を折られてしまった。魔法士が、人を殺める術を極めるとこうも出鱈目な存在に変わるとは思いもしなかった。
(でもどうして、さっきは大丈夫だったんだろう・・・。)
物体を砕く魔法、とでもいうのだろうか。剣先を握られてから、砕かれるまで1秒にも満たなかった。もし本当に、彼らが人間の骨を触るだけで砕けるというのなら、腕を掴まれた時点で、ハルの利き腕は見るも無残な状態になっていたはずだ。それにおそらく、彼らが使う魔法は一つじゃない。
ハルはおもむろに蹴られた横腹をさすった。
(あの足、鉄か何かでできてるみたいだった。)
鉄のような重さは感じなかった。けれど、硬度は鉄のように固く、おおよそ人の足ではなかった。おそらく体の硬度を硬くする魔法なのだろう。それで剣を掴んでも流血しなかった。確信があるわけではないが、いくつか魔法を組み合わせて戦いにうまく応用しているのだ。彼らの体は切れないし、下手をしたら怪我を負わすこと自体難しいのかもしれない。
考えるだけでめまいがするほどだった。今まで戦ってきた敵たちとは、次元が違う。強い弱いの話ではなく、圧倒的に相性が悪い。それに、矢が刺さった部分の感覚が痺れてきた。剣を握る握力も相当落ちている。痛みは絶え間なく襲ってくる。それに堪えるだけで体力を持ってかれる。それに、背中を伝う液体が服に張り付いてくる。触らずともわかる。それを放置することが、危険な状態であることも。
再び部下の男が、突撃してくる。考えをまとめる暇もないまま、男は手刀を繰り出してくる。折れてさらに短くなった剣では、防ぐのも一苦労だった。けれど、やはり硬化の魔法は硬度のみを変化させるようだ。手刀は軽く、弾くだけなら可能だ。だが、鍔迫り合いになればまた剣を折られ、使い物にならなくなるだろう。そうなれば、身一つで相対さなければならない。こんどこそ、骨を折られて体を滅茶苦茶にされるだろう。
「どうしたぁ、お嬢さん。防戦一方だなぁおい。」
部下の男は、矢継ぎ早に攻め立ててくる。以前戦ったアスターほどではないにせよ、反応しきれないほどに早い。もしこれも、魔法だというのなら、なんでもありということだ。そんな相手に一体どう叩けばいいのか、ハルには見当もつかなかった。
それは一瞬の出来事だった。グルードの斧がバラバラに砕け散り、身を寄せたローブ男は、手首をつかむと、グルードは捕まれた部分から、大量の出血が起きたのだ。ブリガンドから聞かされた、破砕の魔法。グルードはその魔法の最初の餌食になってしまったのだ。
「グルードさん!」
仲間たちの悲鳴のような声。だが、彼にとってそんなものは、全く持って意味をなさない。グルードは決して痛みに声を挙げず、その目は決して、死んではいなかった。魔法を見せつけたことに満足していたのか、ローブ男はにやけ顔で次なる箇所を触れようとしていたが、グルードはそれを許さなかった。ローブ男は破砕の魔法を繰り出すために、グルードの懐にもぐりこんだのかもしれないが、それが仇となったのだ。
「骨を砕くなんてなぁ・・・。」
グルードは、その体躯からは想像もつかないほど、流れる様な動きで男に足をかけ、力ずくで地に伏せて見せた。そして、瞬く間に男の腕をつかむと、まるで小枝を折るかのように、それを曲げて見せた。
「魔法なんざ使わなくたって、できるんだよぁ!」
「ぐぇあああぁぁぁ!!!」
関節が曲がる気色の悪い音と共に、男の悲鳴が轟く。そんな相手を意に介さず、グルードは容赦なく畳みかける。その悲鳴が発せられる元を両手でつかむと、力任せに首をねじ折った。
周囲の魔法士たちは、僅かながらに狼狽えていた。すでに何人かは傭兵たちと睨み合いになっていたところに、魔法を意に介さず、人をおもちゃの様に壊すバケモノ現れたのだ。もちろんグルードも無傷ではないため、一方的とは少し違うが、それでも彼らにとっては衝撃的だったのだろう。
「グルードさん、大丈夫っすか?」
何人かの仲間たちが駆け寄ってきたが、グルードは尚も強気で、
「おめぇら、気をぬくんじゃねぇ!。俺は大丈夫だ。」
そう声を掛けてその場に留まらせた。。初めて魔法を目の当たりにして、しり込みしていたのも事実だ。それに加え触れられた瞬間骨を折られるとなれば、恐れを抱くのも当然だった。だが、それでも鷹の団の傭兵として、グルードはその責務を果たそうとしていた。
「魔法に関しちゃてめぇらはいっちょ前なんだろうが。戦いに関しちゃてんでド素人だな。わざわざ武器を使うまでもねぇや。」
そういいながらもグルードは砕かれたの斧の柄を拾い上げ、刃の無くなった大斧を肩に担いだ。
「おぅら。次はどいつだぁ?一人一人かかってこねぇで、まとめてかかってこい。サシで首取らせるほど甘くはねぇぞ!」
そう言いながら、グルードは足を踏み出していく。その右手は、手首から下がほとんど青くなるほど内出血を起こしているのに、その表情には、一切痛がる様子はなかった。そんな腕で刃が欠け軽くなったとはいえ、規格外の大斧を手に持てるのだ。戦士として、格が違う。
おそらく魔法士たちは、魔法こそが至高の力であり、あらゆる力に対する対抗手段と考えていたのだろう。才能ある者だけが使える故、自分たちを特別と思う節もあったはずだ。だが所詮力は力の領分を離れられない。強い方が勝るという誰もが知っていることを失念していたのだ。力は道具であり、それが勝敗を左右するの確かだが、質の違う力より優れているということはない。結局は、強い力を持つ方が勝つ。魔法であっても、腕力であっても、意思であっても。
数の上でも勝っている魔法士たちは、それだけで勝ち戦とふんでいたのだろう。魔法が利いていないわけでもない。だが、戦いの経験がない彼らにとって、それは大きな精神的な負荷になる。戦いとは、一撃で相手を仕留められるほど、簡単に済むものではない。例え常人離れした怪力の持ち主でも、相手を殺すということは難しい。腕を折ったり、外傷を与えるのはできるだろう。しかし、人間はそれだけですぐに死ぬわけではない。命が終わる瞬間まで、身体の指先が動かなくなるまで、人は死なない。戦いは、その瞬間まで終わらないのだ。
「ちっ、ひるむな。大男には2人、いや3人でかかれ。首の骨を折って、さっさと息の根止めろ!」
魔法士のリーダーらしき男が、震えた声で仲間たちに言い聞かせている。だが、部下たちは怯えて言う量だった。
「おいおい。こっちは知らない魔法が相手でビビってたってのに、一人殺っただけで形勢逆転か?来ねぇならこっちから行くぞぉ?」
グルードの掛け声に傭兵たちは声を合わせて突撃する。こちら側として数が少ない以上、各個撃破して数を減らすしかないのだ。
「グルードさん、気を抜かないように。」
常に冷静なレリックがグルードに向かって叫ぶ。
「安心しろレリック。お前は守りを固めろ。」
「みんな、フェロウ一家から離れないように。」
レリックは、自慢の長剣を構え、後ろに控えるブリガンドに目をやりながら、周りの仲間たちに指示を下す。団長であるリベルトがいない分、彼が鷹の団のリーダーだ。傭兵たちも、レリックの指示に細かに従い、円形の陣をより強固のものとする。
だが魔法士たちは、攻め方がまばらで、統率が取れていなかった。何より魔法が有効打にならないことが、戦いを硬直させているのだろう。
「武器を掴まれないように。彼の腕は、かなりの重症なはずだ。時間をかければ不利になるぞ。」
「ご忠告どうも。ブリガンドさん。あなたは奥さんに着いていてください。」
レリックたちは、決して余裕をこいているわけではない。数々の経験をへて、どんな状況でも冷静で居られるようにしているだけだ。実際戦況は、五分五分と言ったところだ。けどだからと言って、敵に対する怯えは自分の動きを阻害する余韻になりえることを知っているのだ。
「かかれ!」
「迎え撃て!」
傭兵たちの武器と、硬化した魔法士の腕がぶつかり合う。あるものは、ただひたすらに骨を砕こうとして、無暗に突っ込み、返り討ちにあったり。あるものは、斬れないことをいいことに、ひたすら剣を打ち付けて、得物が使い物にならなくなってしまったり。お互いに少しずつ、道具と、身体と、体力を擦り減らしながら、戦況を傾かせていった。まさに戦いと呼ぶにふさわしい戦場だった。剣も魔法も、関係ない。どんな手段を使ってでも、最後まで生き残っていた方が勝者なのだ。土埃をまき散らしながら、血を滴らせ、唾や汗を飛ばしながら、男たちは血生臭い戦いに興じていった。
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