少女の先輩

パルザンへの道のりは、グレイモアへの道のりより楽なものだった。平坦な道に、天気も変わりずらい春の初め。荷馬車でゆったり進むのではなく、馬の駆ける速度で迅速に向かう。これが仕事でなかったら、さぞ気持ちが良かっただろう。フェロウ一家の護衛任務は、依頼人のブリガンド曰くの、殺し屋を捌きながら、目的地へ向かうというもの。冷静に考えれば、あまりにも不合理な依頼だと思った。命を狙われていることをわかっているのに、どうしてわざわざ別の街へ移動するのか。ルーアンテイルの街中なら襲われたとしても、人目に付き、義兵団という警備がすぐさま駆け付けるだろうに。わざわざ危険な目に遭いに行くようなものだ。

そう自分では思っているのに、彼らにとってはそうではないのだろう。何か、ちがう思惑を抱いているように感じた。ブリガンドは、ずっと何かに怯えている。初めて見た時から。

恐らくハルが考えていることを、他の仲間たちも同様に考えているような気がした。今回、この仕事は本来なら断っていたはずだ。報酬が相場の価格だからと言って、相手は未知の魔法士。しかも、背後関係が胡散臭くて、従来の護衛の仕事とも逸脱しすぎている。

ファルニール商会との遠征に、確実性がなくなってきた。リベルトは、遠征から戻ってきてからそんな話をレリックとしていた。傭兵団の運営のために、小さな依頼でもコツコツこなしていこうという方針になったのはつい最近のことだ。もちろんクラウスの商会との仕事をやめるわけではない。今後の情勢は、どんどん悪くなると言われている。アストレア王国の衰退。その影響は、王国が領土と自称していた地域全体に広がっている。以前ならば、王国兵が頻繁に行き来していたらしい。人が動けば金も動く。だが、その動きも完全に止まってしまって、いずれは、豊かな街に人が移民をしていくと思われている。王国から逃げた臣民が、ルーアンテイルやグレイモアのような盛んな街へ、あるいは、小さな村々へ身を隠していくそうだ。ハルは、経験がないから、何となくしか理解できなかったけれど、国が滅びに向かっているというのは、住んでいる人々からすれば、とても大変なことらしい。

そんなこんなで、鷹の団はあらゆる仕事を二つ返事で受けていたのだ。これも今後への投資と考えれば、必要な労力だということだろう。


「うっ・・・・。」

ルナは、アランを目の前に少しばかり怯えていた。彼女の身長は、10歳という年齢からしてみれば小さい。ハルもそんなに大きな方ではないが、それでも、10歳とは思えない慎重だと思った。そんなルナからすれば、馬はとてつもなく巨大な危険な生物に見えるだろう。実際、その後ろ脚で思い切り蹴られたら、大の大人とて、無事ではいられない。だが、扱い方を学べば、馬は人の友人足りえることを、まずは教えてあげなければならない。

「大丈夫だよ。ほら、これ持ってみて。」

怯えるルナに、ハルは干し藁の束を渡してやった。

「アランっていうの。大丈夫。とっても優しい子だから。」

ルナの背中を押しながら、ハルも一緒に、彼女と同じ目線でアランに手を伸ばす。首を伸ばしてきたアランの頬を、撫でてやると、嬉しそうに鼻を鳴らしてくる。本当にうれしいかどうかはわからないけど、手を伸ばすといつもこれをされたがるから、そういうものなのだと思っている。

「ほら、あげて?」

「うぅ・・・。」

馬は賢いから、ルナが手に持つ干し藁が、自分のためのものだとすぐにわかっているはずだ。だから、ルナがその手を伸ばしてくるまで、じっと待っている。賢いからこそ、無暗に動いたりしない。多分、ルナがハルより幼く、弱い存在であることも理解しているのだろう。

ようやく、恐る恐る伸ばされた小さな手がアランの鼻の前まで伸ばされた。幾度かそれを嗅いだ後、アランは口を開く。それを見てルナはまた怖気づいてしまったのか、一歩後ずさってしまった。まぁ、生き物の口内と言うのは、案外怖かったり、生々しくて気持ち悪かったりするものだから、仕方ないのかもしれない。

「一緒にあげよ?」

ハルは、そんなルナの手に自分の手を重ねて、再びアランの目の前に伸ばしてあげた。手のひらを下にして、そこに乗った干し藁を見せてやれば、アランは器用に前歯でその束を食み始める。ルナは、自分の掌から徐々に減っていく干し藁を見ながら、その表情はだんだん子供並の好奇心の目に変わっていった。

「ね?大丈夫でしょ。」

「うん。」

手の中の藁がなくなると、アランはルナ前髪を鼻先で撫で始めた。それもまた驚いただろうが、思いのほかくすぐったかったのだろう。彼女はいつの間にか笑っていた。ひとしきり撫でた後、相変わらずそっけない態度に戻るアラン。すっかり、大きな馬に興味津々になっているルナ。

「かっこいいでしょう?」

「うん。これに・・・、乗るんですか?」

「そう。パルザンの街まで、すごい速さで運んでくれるから。」

ルナを抱えて、片足を鐙に乗せるように言って、鞍にまたがせた。ルナは相当軽かったのだろう。本当に乗っているのかと不思議に思ったアランが、後ろに目を向けてきた。

「娘を、よろしくお願いします。」

気づけば背後に母親のリンダが、心配そうな目で来ていた。

「必ずお守りします。」

ハルは、そう答えたものの、あくまで気休めのようなものだ。彼らが信じるのは、言葉ではなく、自分たちの戦闘においての強さだけだ。いくら対人経験があるとは言っても、ハルの傭兵としての強さは、今ここにいる仲間内の中で、一番弱いだろう。でも、そんなもの彼らに証明しようがない。実際に彼らを無事にパルザンの街まで護送しなければ、彼らの気持ちは落ち着きはしないのだ。リンダは深々と頭を下げて再度懇願した後、自分も護衛の元へ向かった。

ハルの仕事は、ルナに怖い思いをさせない事、という子守の役目もあるが、命懸けで守ることだ。ハルが死ねば、当然この小さな子も死ぬことになる。だからこそ、死んではならない。ハルが死ぬときは、それは本当に任務の最後の時だけだ。

ハルもルナの後ろにまたがると、いつもと違う感覚に違和感を覚えているのか、アランは少しじっと動かなかった。

「頼むよ、アラン。」

足で横腹を軽くたたくと、ようやくアランは動き出した。部隊はほぼ準備が完了していて、すぐに出発することになった。周囲は既に暗闇に包まれていて、戦闘を行く騎兵らが松明を以って進み、後続はそれを見失わないように馬を走らせなければならない。ルーアンテイルから、南へまっすぐ。一応、パルザンへの街道があるため、道に迷うということはないだろうが、キャラバンと違って強行軍なため、馬と馬の感覚が広い。しっかりついていかなければならない。護衛対象を取り囲むように布陣し、なるべくその形を保つように進んでいく。こうして、18騎の騎兵からなる護衛任務がはじまったのだ。

夜の行軍は、存外悪くないものだった。まだうすら寒い季節ではあるものの、馬の速度で空気を切り裂いていく感覚は、とても気持ちが良かった。前に乗るルナが落ちないように片手で抱えているため、手綱を捌くのが少々骨が折れるが、バランスを崩さないように乗っていれば、アランは自然と前の馬へと着いて行ってくれていた。天気が良いおかげで、月明かりも明るく、青白い光に照らされた平原は、とても神秘的に見えた。

こんな場所で襲撃に会うことはないだろう。仮に追跡があったとしても、だだっ広いこの場所ならすぐに察知できる。それに、馬より早く駆ける獣でない限り、追いつくことはないだろう。一番の懸念点は相手が魔法士であることだ。魔法と言えば、なんでもできるイメージがするものだ。だがハルは、この世界の魔法がそれほど万能な力ではないことを聞き知っている。ミランダの話が嘘でないならば、会敵しない限りそれほど脅威ではないはずだ。

ハルは何となく、後ろを無理向いていた。後方にはブリガンドを乗せたレリックと、リンダを乗せたドランの姿があった。ドランもまた、二人乗りを任された一人で、彼はリンダを守ることを義務付けられていた。グルードやそのほかのベテランたちは、できるだけ先頭に注力するように周囲に配置されたのだ。

「どうした、ハル?」

「っ、いえ、何でもないです。」

レリックの表情には、落ち着きがあった。まだ出発したばかりだから、それほど慌てていないのだろう。こんな平原で戦闘になれば、戦いやすくはあるだろうが、守るのは難しい。何かを守りながら戦うというのは、普通に戦うよりも何倍も難しいのだ。守る対象が戦えないとなればなおさらだ。いかに敵に、自分を倒さなければならない存在として認識させるかが重要になる。そうでなければ、敵は真っ先にフェロウ一家に襲い掛かるだろう。戦うならば、できればそれなりに木々が茂っていてくれれば、いろいろとやりようがあるのだが、そう都合よくはいかないだろう。

馬たちが大地を駆ける地響きだけが、夜の平原に木霊している。聞く限りでは、馬なら2、3日で到着するはずだ。アランを御する手綱に自然と力がこもる。気の抜けないわずか数日の電撃作戦が始まったのだ。



初めてそいつを見た時、馬鹿で可哀そうな奴だとおもった。17歳の女なんて、その気になれば好きに生きていけるだろうって。なんでわざわざこんな利に合わない仕事を選ぶのか理解できなかった。先輩にアンジュと言う女性がいたけれど、彼女とは全くの別物だ。そいつは子供っぽい顔しているし、言動もガキっぽくて、俺らとたいして変わらないんだと思ってた。だってそうだろう?生まれた時から、親に何不自由なく育てられた子供が、いきなり剣を持って、同じ人間と殺し合いができるかって、そんな話あるわけがない。実際あいつは、商会のちびたちと和気あいあいとくだらないことで盛り上がるような普通の子供だった。呑気なものだと思った。自分がどういう世界に足を踏み入れたのかわかっていないんだと。それなのに、初めて遠征で、あいつはすぐに殺しを経験し、更には単身で翼竜に挑むほどの勇敢さを見せつけた。何を無謀なことをやっているんだと、あの騒ぎのなかで俺はぼやいていた。あの女はここで死ぬんだろうと、そう思ってた。所詮子供だからと、あっという間に命を落としていくんだろうと、俺は彼女を見下していたんだ。

事が終われば、彼女はいつの間にか英雄扱いされていた。奴隷商に掴まりながらも、クラウス氏の娘を守ったり、団長と一緒に親玉を仕留めたりと、やりたい放題だ。どうせ、運が良かっただけだろ。それでも俺はまだあいつを見下していた。剣術もままならないやつが、どんどんのし上がっていくのが気に入らなかった。けれど、遠征から帰ってから、毎朝道場に顔を出すあいつを見て、俺は思い知らされた。

その日は彼女の相方のアンジュがいなかったから、何を思ったのか俺たちと打ち合いしたいと言い出した。その時俺はもうラベットといくらか打ち合いしていたから、ぶっきらぼうに断った。どうせ大した腕も筋力もない奴と稽古したって、無駄に疲れるだけだって思ったからだ。そんな俺の考えは、少しだけ間違っていた。

彼女は剣の腕も、筋力もまだまだ、並の子供と変わらないだろう。けれど、それでも彼女はラベット相手に何度も立ち上がって、必死で食らいついていた。それが何だと言われれば、うまく答えることは出来ない。食らいついて、何度もはじき返されて地べたに這いつくばっているのが、みっともないと言えばみっともないと言える。けれどそうじゃない。俺が言いたいのは、そこにいる少女はいつからこんな、人を射殺す視線をしていたのかということだ。もともとの容姿も相まって、その目が恐ろしく見えたのだ。なんど倒されても、その目が曇ることはない。体中に痣が増えて行っても、彼女の動きは鈍らない。そして何より、相手をするラベットに余裕がなかったのだ。少し打ち合いをして疲れているとはいえ、あんな三流剣術に負けるはずがない。特にラベット俺と同期でも、もともと才能があったから、実力はベテランたちにだって負けないくらい強いはずなのに、ラベットは少しずつ押されていたのだ。彼女の腕が上がっているわけでもない。実力差は歴然だろう。それなのに、彼女は息が上がるまで、ラベットに立ち向かい続けていたのだ。終わるころにはもう、ラベットも息を切らしていて、まるで死闘を繰り広げた後の様だった。稽古が終われば、彼女の目は元に戻っていた。まるで鬼が取りついていたかのような刹那の時間だった。あれは誰だったんだ。俺はいったい何を見下していたのだろう。あんなにも、狂気ともいえる殺意を含んだ瞳を持つ者が、子供と言えるのだろうか。

俺が得物を取り上げられている間に、彼女はもう、子供ではなく立派な戦士になっていたのだ。一人前とはいかずとも、その気概は誰にも負けないくらい、強い意志となっていたのだ。俺は、傭兵を始めて2年にもなるけれど、腕はともかく、そんな意思を見出せるほど成長しただろうか。つまらない理由で罰を受け、キャラバン一大事にも何もさせてもらえず、そう言う自分に諦めがついてもいる。相方と違って俺は、どんくさいし、才能だってない。仕事はするけれど、頑張ろうとは思わない。頑張る事よりも死から逃げたい。それが俺の本質だ。だってそうだろう?頑張って命を落としたなんて話になったら、そんなの誰が褒めてくれるっていうんだ。褒められたって喜ぶことすらできないんだから。

そこでようやく気付くんだ。俺は彼女に自分を重ねていた。自分と同じ種類の人間であることを望んでいたのだ。子供くせして、利に合わない仕事に就いて、死なない程度に続けていくことを。周りから、どんくさいと思われてもいい、才能がなくたって構わない。そうやって何となく生きていければいいと思っている自分と同じだと。

前を行く彼女は、一緒に乗っているフェロウ家の娘と小話をしている。小声で話をしているから、内容までは聞き取れない。ちびたちといた頃から面倒見がいいのだろうとは思っていたけれど、子供が好きなのだろうか。俺は後ろに乗せた奥さんと会話一つできないっていうのに。

俺もあの時の彼女のような瞳を持てるだろうか。彼女の前では先輩面なんて出来はしない。俺はもう、ハルより何十歩も遅れているのだから。

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