ルーアンテイルの王

ずらりと並んだ城壁、それをゆうに超える城砦。再びルーアンテイルの姿が見えた時は、安堵というよりも、やはり驚愕という気が多かった。グレイモアもなかなか見事な風景だったが、この巨大な都市と比べてしまうと見劣りする。

とはいえ、都市が見えたのはかなり離れた距離だったので、もうしばらく歩かなければならない。馬で走れば一日もかからない距離だろうが、キャラバンで進む以上日が暮れる前に着くのは難しいだろう。目的地は目前。ようやく気を緩めることが出来たというものだ。実際この道のりに危険があったとしても、すぐ近くに安置があると思うと心強い。だが、どうやら到着が少しばかり遅かったようで・・・。

「押せぇ!!」

「うおぉぉぉ!!」

都市に近づくにつれて街道へ合流したのだが、連日の雪のせいか、道は大いに湿気ていて、荷馬車の車輪は見事に捕まってしまったのだ。せめて霜がありてくれれば進みやすかっただろうに、こうも土が柔らかくなっていると、馬たちも歩きづらそうだった。

キャラバン総出で荷馬車を押し、泥化した道を進むのは脅威を警戒しながら進むより大いに疲れるものだ。特に肉体的な意味で。ハルも、片腕が使えないから荷馬車から外した馬たちを引っ張っていたのだが、大の男たちが押してもびくともしないので、結局空いてる腕で押すことになった。もはや男も女も関係なく、みんなで必死になって荷馬車を押す光景は傍から見れば滑稽に見えただろう。

「泥だらけですね。」

「ただ汚れるだけなら構わないんだけど、土がこう冷たいと嫌になってくる。」

泥化地帯を抜けてからしばらく休憩になり、ソーラに泥を落とすのを手伝ってもらっていた。冷えた泥がブーツの周りにこびりついているだけで、足の指先が痺れたようになっていく。まだ僅かに痛む左腕をかばいながらブーツを脱ぐのだが、ソーラに肩を貸してもらわないとバランスを保てないし、手に着いた泥も徐々に体温を奪っていく。地味だが、こういったことの方が疲れたりする。ハル以外も皆荷馬車を押すのに体力を使い切って各々消沈してしまっている。目的地はすぐそこまで見えているのだが、この寒空の中でまだ一日ほど夜を明かさなければならないようだ。

「ありがと、ソーラ。」

何とかブーツを脱ぐことに成功し、ようやく冷えた足先を解放することが出来た。

「今、毛布持ってきますね。」

ソーラはそう言って足早にかけていった。ハルはその間に手に着いた泥を払い、冷えた足先を丹念に揉んでいた。幸い靴下には水は染み出ていなかったらしく、人肌に触れているだけで段々と感覚は戻ってきた。ほどなくして帰ってきたソーラから毛布を受け取り、足に巻き付けるようにかけた。

「こっちの冬はほんとに寒いのね。秋頃のそよ風に震えていたのが馬鹿らしく思えるくらい・・・。」

「毎年のことです。年々寒くなってるわけでもないから、私はもう慣れっこですね。」

温暖化で毎年毎年、季節の気温が変わったりする向こう側と比べたらましだろう。ソーラの言うように慣れてしまえば寒さなど、どうということないだろう。・・・。

「慣れっこ・・・かぁ。」

「どうかしました?」

冷静になってみて、慣れっこ、という言葉を使いたくなかったのだ。この冬の寒さに慣れるほど、長い年月をここで暮らさなければならないのは、考えただけでも悪夢のようだ。慣れたくなんかないのだから。

「ルーアンに帰ったら、どうしようかなって。」

「どうって、何がです?」

「・・・今後のこととか、・・・魔法の事かさ。」

「魔法!」

魔法というワードにソーラの目は輝きだした。気持ちはわからなくもないが、得体のしれない力を制御できないのであれば、危険因子と呼んでも過言ではない。あの時のように運よく発動できても、暴発となってしまえば下手に怪我をするのはこっちだ。ソーラの言うように本当に魔法ならば、調べておく必要がある。それに、今回の一件で自分がアストレア王国から目をつけられていることが分かった。自分の存在が出汁に使われるようなことがあるかもしれない。そのせいで、鷹の団や商会に迷惑がかかるかもしれない。そのことについても、話をしなければならない。傭兵団を追い出されるにしても、残るにせよ。今後の身の振り方は考えるとして、やらなければならないことは山済みだ。そこに、元居た世界へ戻る方法を探るのを加えたいが、

(魔法か・・・。)

あくまで可能性の話だ。魔法というものがどれほど万能な力なのかわからないけれど、この世界では大きな力であることは間違いないだろう。世界を渡るという芸当が魔法によって可能ならば、それを念頭に置いておくのもいいだろう。

「魔法がうまく使えるようになったら、もっとかっこいいところ見せられるようになるかもね。」

「ふふっ、楽しみにしてます。」

その後も二人は、道中他愛もない会話をしながら、荷馬車に揺られていったのであった。



その年の初雪は、賑やかな喧騒とともにやってきた。街のいたるところに篝火が焚かれ、真冬とは思えない熱気をまとったルーアンテイル。商店街はいつにもまして人出が多く、人々には笑顔が絶えなかった。男女で腕を組みながら歩くもの、家族で並んで歩くもの、和気あいあいとつるむもの、さまざまな人間が、行ったり来たりしていた。店に並ぶ品々も、いつもよりも豪勢に並べられ、そのどれもが輝いて見えた。

ハルは、そんな中をかき分けながら、何をするでもなくその光景を眺めていた。買い物をしようとして一人で出てきたのだが、これだけ賑わっていると落ち着いて買い物をする気分ではなくなってしまったのだ。何より、目当てのものを見つけるのも苦労するくらい品数が多く、目移りに目移りを重ね、とうとう何を買うかを見失ってしまった。人ごみに疲れたとかではなく、単に冷やかしているのが楽しくなってしまったのだ。とはいえ、食事をするにはまだ早いし、何も買わずに帰るのも躊躇われるので、何か買って帰りたいのだが、どれも興味をそそられて、なかなか決心に踏み出せなかった。お祭りだから、多少値を上げても売れると考えているのだろう。案外高いのだ。払えない額ではないが、そうたくさんは買えない。もともと欲しかったものを買うにしても種類が多くて決められない。結局、一番最初に見つけた品に手を出したのだが、やはり違うのにしておけばという思いが募って悩ましい買い物となってしまった。最もそういった時間は心が安らぎ、かつて同じようにウィンドウショッピングをしていた自分に戻れたような気がして、安堵していた。こんな風に何に気を使うことなく買い物ができるというのが、こんなにも安心できるとは思っていなかった。向こう側の世界で不通にできていたことが、こちらではそうもいかないことをハルは学んだ。グレイモアでの出来事を経て、そういった世界の常識も知ることとなった。治安の良さは、人々の幸福につながるのだろう。それは当然のことではない。この街は、運が良かったのか、あるいは努力の結果なのか、どちらにせよ幸福を望んだ人々が多くいたのだ。だからこそ、失業者も出ず、人身売買もされていない。グレイもは、単純だけれど大きな違いだ。そして、この世界ではきっと、その違いはちょっとしたことで訪れるのだろう。誰かが生きるために、外道に落ちるのと同じくらい簡単に。

(今更だけど、この世界って、すごく悲しいのね。)

そんなこと考えるだけ無駄なのはわかっている。人間の世界なんて、そんなものだと。


鷹の団の拠点は木造だが、一部石造りの大きな暖炉があり、すべての部屋にとはいかないが、基本的には冬でも寒さをしのげるようになっている。個室に暖炉を置ければ一番いいのだが、向こう側のようにそう簡単な話ではない。この世界での暖房とは、正真正銘の火である。薪を燃やして温まるのが主流なため、部屋の中でそんなことをすれば当然火事の危険がある。その辺融通が利かないのは残念だが、仕方がないだろう。寝るときは普段以上に毛布に包まって眠るしかないのだ。一応、アンジュが大きめのランタンを部屋に置いておいてくれて、夜中でも微々たる熱量を感じることができる。油の量を調整すれば、夜の間はずっと火を絶やさずにいられる。そうしてしっかり窓を戸締りして、ようやく眠ることができるのが現状だ。冬を越すのも、この世界では大変なのだ。

「おかえり、ハル。目当てのものは見つかった?」

「一応あったんですけど、目移りしちゃって、もっと良いものを買えばよかったです。」

「すごい人だっただろう。まぁ、そういうこともあるよ。」

アンジュは、寝台の上で旅支度を整えていた。

「ご実家はどのあたりなんですか?」

「そんな遠いところじゃないよ。馬で半日もいけばつく。まったく、珍しく手紙を書いてきたと持ったら、突然帰ってこいだなんて。親って勝手だよね。」

数日前、彼女は両親から手紙が届いたのだそうだ。ハルにしてみれば、そういうのは経験がないのでいまいちわからないが、両親から会いたいと言っているのなら、喜ばしいことだろうに。アンジュも口にはしないが、内心では嬉しがっているのではないだろうか。

「もしかしたら、見合い相手でも用意してんのかね。」

「えっ?そういうのですか?」

「わたしはさ、親の反対押し切って家を飛び出たの。お父さんとしては、牧場の仕事継いでほしかったんだろうけど。」

彼女の家は、大きな平原に広大な牧場を持っていて、ルーアンテイルに多くの恵みをもたらしているのだ。そんな家を飛び出した先でこんな仕事に就くのもあまりない話だと思うが、他所の事情には首を突っ込まないでおいた。

「いつ会えなくなってもおかしくない仕事だから、会える時にあっておかなくちゃね。」

「どれくらい帰ってるんですか?」

「そうだねぇ。この時期は仕事の依頼はほとんど来ないから、できるだけ実家で過ごそうかなって思ってるよ。私がいない間、油は好きに使ってくれて構わないから。あと、悪いんだけどたまに布団や毛布を日干ししてもらえるかい?」

「それくらいお安い御用ですよ。ゆっくりしてきてください。」

帰る家があるのは、少し羨ましくもある。もっともハルにとっては団の拠点が家みたいなものだから、さほど気にしてはいないが。改めて自分が孤児であることに気づかされた。大人たちと話をするのは嫌いじゃない。むしろ、先輩方や拠点の事務をしている雇われ屋さんとの生活は新鮮で楽しいものだった。気を使われてはいるものの、寂しさを感じたことはなかった。ただやはり、同世代の友人の存在は欲しくなるものだ。そんなハルの気を案じてか、はたまた偶然かはわからないが、ソーラは時折拠点に遊びに来てくれた。時には、下のちび助たちを連れて。おかげで拠点は騒々しいくらい賑やかになり、真冬の寒さもいつしか気にならなくなっていた。実際、商会は今回の遠征があまりおいしくなかったので、さほど忙しくないのだとか。例年なら今頃、各地から仕入れた商品を裁くのに大忙しだったらしいが、今はそれより新たな遠征に向けての支度と情報収集に勤しんでいるのだそうだ。

グレイモアのように治安の悪化や、失業者が増えたことによる都市の衰退はどうやら各地で起こっているらしい。夜な夜な、リベルトらが大人の話をしているのをハルは見かけていたのだ。大本はアストレア王国の衰退だが、その影響は各所に届いているようだ。そんな中で、これほど盛大な熱気を放つルーアンテイルは、それだけ力のある都市ということなのだろう。

アンジュも実家に帰り、同じように拠点を離れる者が多くなった。皆それぞれ帰る場所があるのだ。拠点の人口は日に日に薄れていった。そんなある日のこと。リベルトから呼び出しを受けた。まだ日が昇って間もない時間で、祭りの喧騒もまだ聞こえてこなかった。拠点の談話室で、リベルトはレリックと一緒に、なにやら一枚の羊皮紙を見合っていた。

「よう。」

「おはよう、ハル。」

「おはようございます。何見てるんですか?」

「いやぁ、なに、大したものじゃねぇよ。それよりも、お前さんのことが重要だ。」

ハルは、レリックの隣に促されて椅子に座った。

「私の処遇についてですか?」

「察しがいいな。だが勘違いするなよ。お前さんを追い出そうっていうんじゃあねぇ。」

「アストレア王国の王位継承権を持つ、というのは正直信じ難い話だからね。」

ハルが知る限り、王国は既に国王が亡くなり、次期後継者がいなくなってしまったため、衰退の一途たどっているという。だが、ハルは城に囚われた時、確かに国王と王妃と名乗る者たちに出会っている。正確には、名乗ったのではなく、あのジーグという賢者に紹介されただけだが。不可解な感じはしたが、あの城で王冠とティアラをかぶっていた二人は、おそらく王と王妃なのだろう。ということは、国は再興しているが、王の存在は伏せられているということだろうか。それに、王がいるのに自分が王位を継承しなければならない理由が見当たらない。あの若さなのだから、しばらくは王として責務を全うできるだろうに。

「お前さんの正体は、お前から聞いていることしか俺たちはわからねぇ。俺はお前さんを信じるし、何があっても他に売ったりはしない。だが、他の団の者に被害が及ぶようなら、判断に難しくなる。仮に王国がお前さんを奪いに来た時、おそらく俺の力じゃあちゃんと守ってやれないだろう。」

彼なりの精一杯の譲歩なのだろう。立場的にハル一人よりも、鷹の団全体を見なければならないのだ。いざとなればハル一人を切り捨てて他の仲間を助ける選択だってするかもしれない。リベルトはそう言っているのだ。その判断は当然だと思うし、それに関してとやかく言うつもりはない。もともと居候の身だったのだ。追い出されても仕方がないというものだ。

「それでだな、俺なりにコネを使って、お前さんを守ってくれる奴を探してみた。昨日そいつから返事が来てな。向こうもどうやらお前さんに興味を持っている。一度会って話をしてやってくれないか。」

「私を、王国とか諸々守れるような人なんですか。」

「あぁ。古い友人だ。変わった奴だが、信用はできる。あいつ以外にお前さんを守れる奴もそういないだろう。」

リベルトがそこまで言うほどの者ならば、相当な大物なのだろう。鷹の団はルーアンテイルではかなり有名なギルドとして名が拡がっている。もちろんリベルト・アルバーンの名も、ルーアンを飛び越えて方々へ聞き渡っているだろう。そんな人が、自分のために動いてくれたと思うと感謝の気持ちでいっぱいになるが、リベルトの表情を見るに、そう簡単な話でもないらしい。

「だが、俺は個人的にあいつは気に入らんのでなぁ。私情よりも利益を取る男だ。根っからの商人って言えばわかるか。場合によっては問答無用でお前を利用しようとするだろう。」

「そこは、私次第ってことですか?」

「そうだ。利益こそ至上としているが、話が通じないわけではない。交渉次第ではお前さんも有利な立場になることが出来るはずだ。」

根っからの商人。利益こそ至上。その言葉から、グレイモアで商売をしていた商会の人たちを思い出した。強欲と言えば少し品が無いかもしれないが、少なくともあの時の彼らは強欲な目をしていた。少しも多くの利益を。誰もがそんないつもとは違う姿をしていた。あのソーラでさえ、いつもより真剣な目つきで仕事に勤しんでいた。商人という人種を全てでは無いにせよ、ハルは知っているつもりだ。

「この件に関して、俺たちも手を貸してやりたいが、向こうはどうやらお前だけを指名している。」

「指名?」

「交渉の場に、お前以外の者は来るなことだ。全く、どこまでも嫌な奴だ。」

「できれば、交渉に慣れたのを一緒に連れて行きたいんだけどね。」

本当に自分次第というわけだ。実際ハルには交渉のノウハウなんて一切持っていない。きっと、自分でも気づかないうちに言いくるめられてしまうこともあるかもしれない。だが、今更ハルにできることは変わりない。それに、ハルが望むものは、王国からの追っ手を払ってもらうことだ。それを叶えてくれるなら、ある程度言いなりになってしまっても仕方がないだろう。

「わかりました。なるだけやってみます。」

「すまんな、こんな形でしか力に慣れなくて。」

「いえ、十分です。それにもしダメでも、他の方法を考えればいいだけですから。」

リベルトは羊皮紙ではなく、もっとハルの知る紙らしい紙を渡してきた。

「奴の招待状だ。それを持って城砦に迎え。その蝋印をみせて事情を話せば通してくれるはずだ。」

手渡された封書は、見慣れた植物の紙で、そこには赤い蝋で大きな鳥の印が印されていた。



僅かに雪が舞うルーアンのお祭りを後目に、都市の中心部に聳える城砦へ向かう。その距離が縮まれば縮まるほどその大きさに痛感することになる。正面入り口の巨大な門の前にたどり着き、思わずそれを見上げてしまった。

「おぉ。大きい・・・。」

言葉を失うくらい長い階段が続いている。階段はいくつもの階層に繋がっていて、幾人もの人が行ったり来たりしている。みな頭の良さそな見た目をしていて、普通の冬服で来た自分が浮いてしまっているようにも見える。

「こんにちは、お嬢さん。城砦街は初めてかな?」

門の見張りをしていると思える人に声を掛けられた。彼の腰には、いかにも量産されたような形の直剣がぶら下がっている。

「あの、私、この人に招待されて・・・。」

リベルトから受け取った招待状を男に見せると、彼の目が少し見開き、

「・・・少し、中でお待ちください。」

そういわれて、門枠の中にある、彼らの仕事場に連れていかれた。来客用の部屋なのか小綺麗な部屋に通され、そこで待つことになった。

先ほど見張りの者は城砦街と呼んでいたが、まさか城砦の上にさらに街が拡がっているのだろうか。それはそれで見てみたいと思うが、また今度にしよう。なにせ、リベルトの紹介してくれた者は、この都市にいる者ならば誰もが知っている人物で、このルーアンテイルにおいて王と呼んでもいい存在なのだ。

かなりの間待たされたが、やがてスーツのような恰好をした男性がやってきた。

「お待ちしておりました、お嬢様。」

「あ、初めまして、アカバネハルです。」

「リベルト様よりお話は伺っております。旦那様がいる区画までは少々かかりますが、徒歩で構いませんか?」

「は、はい。大丈夫です。」

「では、わたくしに着いてきてくださいませ。」

まるで執事。所作も言葉使いも優雅さを兼ね備えた男は、滑らかな歩みでハルの前を歩き始めた。彼の歩き方は、まるでこちらの動きを読んでいるかのようなものだった。前を行くのは彼の方なのに、ハルの速度が少しでも変わると、それに合わせて彼も速度を合わせてくる。こちらを見向きもせずにそれをやってのけるのだから、背中に目がついているようだ。

それにしても、

「この街並みを始めてみた方は、とても楽しそうな顔をしてくださいます。」

すごい街並みだ、と呟いてしまいそうだったのに、まるで知っていたかのように彼が先に口を開いた。

「これが城砦街、ですか?」

「ええ。もともとは多重構造を有した城だったのですが、城の中に様々な機関を設けることで、都市の中心部としての機能を持たせ、更に改築を施し、今のような城砦街として成ったのです。」

彼の言うように、建物は全て石煉瓦造り。城と言われても遜色ない構造をしているが、窓の中を除けば、そこには働く者達で溢れている。ハルたちのいる下町と違い、飲食店がほとんど見られないが、それがこの城砦街の特色なのだろう。

「ここには文字通りルーアンテイルの中核になります。基本的には働いている機関と、働く者達の住宅が並んでいます。」

「ご飯はどうするんですか?」

「お昼時になれば、皆城砦周辺の料理屋へ向かいます。逆にこちらへ料理を配達してくださる料理屋もございます。それぞれ相互に協力し合って成り立っております。」

いわゆる出前がこの世界にも存在するのだろう。

長らく階段や坂道を登っていたが、やがて開けた階層に到着した。おそらくここが城砦街の最上階。そこには立派な砦のような形をした建物が聳えていた。あれが、この街最大のギルドの本部というわけだ。だが、案内されたのはそちらではなく、最上階の端っこだった。その端に立った時、冷たい風が吹きすさび、周囲の雪を舞い上がらせた。その光景に思わず声を上げてしまった。

その景色は、今まで見たどの景色よりも幻想的だった。下町の至る所で上る松明の明かり、建物の煙突か黙々と上がる煙。蟻のように小さく見える人の波は、小さな模型を眺めているようだった。

「これが、ルーアンテイル。」

「お客様をご案内した際、わたくしがいつも立ち寄る場所でございます。お気に召しましたかな?」

「はい。こんなすごい景色を見せていただけるなんて。」

「ほっほっほ。まぁ、こちらは別段立ち入り禁止ではありませんので、いつでも来れるのですが。」

「え?そうなんですか?」

「滅多に来ない場所であるのも当然。こんな都市の中心に用がある事の方が少ないですから、こうして少しでも印象に残るよう、わたくしなり努力しているのです。」

確かにこの景色を見せられれば、忘れることはないだろう。今は冬だが、また別の季節の姿も見てみたいものだ。

「自己紹介が遅れました。アルバトロス様の秘書をしております、レイバスです。どうぞよろしくお願いいたします。」

「こちらこそ。素敵な案内でした。」

「ほっほっほ。恐れ入ります。」

レイバス自慢の景色を後ろ目に今度こそ、ギルド本部へと案内された。


ルーアンテイル最大のギルドの本部の第一印象は、貴族の屋敷のようなものだった。貴族の屋敷など見たことないのだが、あくまでイメージだ。天井が高く、吊るさているシャンデリアがとてもきれいで、角に蜘蛛の巣などが張っている様子も見当たらない。掃除の行き届いた空間であるのが一目でわかる。中で働く者達も、無駄な音を立てず、粛々と仕事に取り組んでいて、先ほどまでとはまるで違う空間のようだ。

「こちらでお待ちください。」

ある扉の前で待たされた。扉には招待状に記されていた印があった。

(この先に、・・・ルーアンテイルの首長が・・・。)

この都市を仕切る、まさしく王であり、ルーアンテイルの顔と呼ぶべき存在。一族でこの街を取りまとめ、今の一大都市まで成り上がった、正真正銘の実力者。

「どうぞお入りください。」

レイバスに促され、ハルはその主張の部屋へと足を踏み入れた。

中は大きな本棚がいくつもあり、分厚い本が部数に並べられている。石造りの暖炉もあり、部屋の中心地よい暖かさに包まれていた。一番奥に書斎らしき机があり、その向こうに窓があるのだが、その窓に張り付くように一人の男性が絶っていた。

「ミズハ様。こちらが、先日リベルト様のお便りにあったハル様です。」

レイバスに紹介されて、ハルは一歩前に進み出たのだが、首長はこちらに振り向かなかった。しーんと静まり返ったので、思わずレイバスをちらっと見たのだが、彼は目を伏せて少しお辞儀をしたまま全く動かない。

「えっと、アカバネハルです。招待状を受けて参りました。」

思わず自分から名乗り出てしまったが、それでも彼は振り返らない。

「ミズハ様?」

レイバスも再び声を掛けたが、それでも動かない。一体どういうことだろう考え始めた時、

「だぁぁぁ!やめだやめ。難しい話はあとで会議に持ち越せばいいかぁ。こういうのは私の性に合わん。そうだろう、レイバス?」

(えぇぇ・・・。)

「ミズハ様、お客様です。」

心なしかレイバスの声音がいらだっているように聞こえた。

「む?おぉ。そうか、リベルト奴が言ってた子だな。どれどれよく見せて・・・。」

彼、ミズハはハルの傍まで寄ってくると、また動きを止めてじっと見つめられてしまった。

「あのぉ、何か?」

「・・・美しい。」

「・・・はい?」

ミズハは表情を変えることなく、急にそんなことを言いだした。

「こんなにも美しい御髪、全てを見通すような深紅の瞳、いや、薄紅色と呼ぶべきか。何と美しいのだ。君の瞳はまるで純度の高いルーバウの宝石のようだ。」

「は、はぁ。」

「君、私の元で働く気はないかい?」

「ミズハ様、お気を確かに。本日の予定にお見合いはございません。」

レイバスに言われてようやくミズハの目から輝きがなくなり、いや、無くなってはいないが、有無を言わせない勢いは弱まり、自分の椅子に戻っていった。

「すまんすまん。美しい女性を見ると、つい眺めたくなってしまってね。不快な思いをさせたのなら許して遅れ。」

向こう側であれば、セクハラ同然の行為になるが、そこまで嫌な思いにはならなかった。何というか、唐突すぎて気持ちが追いついてこないのだ。リベルトの言っていた嫌な奴という風には見えなかったから、些か安心しているのかもしれない。むしろ、やや失礼かもしれないが子供っぽくて交換を持てるくらいだ。

「先日リベルトから手紙をもらってね。年に0.5回ほどしか手紙をくれない彼が何を送ってくるのかと思えば、まさか君のような美しい女性を紹介してくれるとは思ってなかったよ。」

0.5回ということは年に一度もくれないこともあるのだろう。というよりも今はそんな情報はいらないし、ほんの少し話がずれている。これはリベルトでなくても面倒くさいと思うのは当然だろう。年はリベルトと同じくらいだから、そんな失礼な態度は取らないが、うっかり素の言葉を使ってしまいそうだ。

「リベルトさんが言っていました。あなたなら、アストレア王国から守ることが出来るだろうって。」

「ふむ。確かに私ならば、あんな廃れた国の刺客など、どこへでも追い払えるだろうな。元より、この街には、アストレア王国に関わる人間はいれないようになっている。例の人攫い事件以降、大外の検問を強化してね。」

そう言えば、義兵団に保護された人たちは無事にこの都市に付けただろうか。雪が降るのが少し早かったから、グレイモアからこちらまでの旅路は大変だっただろうに。

「そういえば、義兵団からも、君の働きは素晴らしかったと聞いている。まさに英雄の気概と、不屈の精神を持ち合わせていると。」

少し誇張しすぎな気もするが、おそらくミズハの中で膨れ上がった表現だろう。実際ハルは、それほど多くの手柄を立てたわけではない。奴隷商アスターを仕留められたのも、リベルトとの連携あってこそだ。

「私は、そんな大層なことは・・・。」

「いや、君は住民を救ってくれた。どんな経緯があれ、君は私にとっての英雄だよ。ありがとう。」

それは、どこまでもまっすぐな言葉に聞こえた。先ほどまで、お茶らけているようにも思えたのに。まるで道化のようだ。

「ルーアンテイルの民は、私にとってとても大切なものだ。子供が何の価値の無いものを集め、宝物と称すように、彼らがこの街で働いているだけで、私の宝物には守る価値がある。彼らはただの人であるが、この街で暮らすだけで、私の宝物になるのだ。そして、君もその一人だ、お嬢さん。」

ミズハの顔は尚も真剣だ。その表情はさらに険しくなり、やがて睨みつけるように目を細めていた。

「そのうえで話をしよう、アカバネハル。君が何もであるのか、君を守る価値があるのかを。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る