遠征の終わりに

キャラバンは、復路の半分を過ぎたという。当然と言えば当然だが、往路よりも時間はかかっていた。その証拠に、その年初めて、雪が降った。


雪が降る中でも、キャラバンの進む速度は変わらない。道に雪が積もるほどではない。湿気てはいるものの、車輪が回らなくなるわけではない。馬たちも少し歩きずらそうだが、行進に支障はなかった。しかし、騎手や御者が握る手綱は真っ赤になり、自らの息を吹きかけて辛うじて体温を保っている状態だった。急激な寒波が訪れるのは例年のことらしいが、初めてそれを経験するハルにはとても堪えるものだった。

まだアランの背に乗るには難しく、腕を上げるのも億劫な状態だが、何か手伝いができないかと頼み込むと、地図係を言い渡された。何をするかというと、往路でも行った道の安全確保の集計のようなものだ。返ってきた前衛隊の情報をもとに、通れそうな道を新たに模索し、騎手たちに指示を下す。使えない道は、すぐにバツ印で塞ぎ、別の羊皮紙に簡略化した道で現在位置をまとめていく。これが思いのほかみんなに受けが良く、こんな才能もあるのかと感心されたのだ。やっていることはとても簡単なことなのだが、そもそもこの世界では地図が読めること自体、相応の教育を受けた者として認識されるようだ。こんなもの小学校で嫌と言うほど学べるのに、やはり文化格の違いが大きいのだろう。

ハルが優れているかどうかは、大きな問題ではない。そんなことよりも、今は現状をどうにかすることが先決だ。周辺を回ってきた前衛隊の情報をもとに作っハルの簡易地図と、実際の地図を見比べても、同じような点が見当たらない。いや、現在の場所と思われる場所にはない、というのが正しいだろうか。つまるところ、キャラバンは道に迷っているのである。

「やっぱりずれていますね。」

「うーん。なんてこった。太陽の動きを見誤ったか?こんなに南下してるなんてなぁ。」

龍と遭遇したエンタイロン山脈を避けるように、確かに南側の低地を進んでいたはずだったのだが、目印にしていたのはエンタイロンではなく、違う山だったのだ。

「今目の前にあるのがエンタイロンじゃないとするなら、現在地はこの辺ですかね。」

ハルはそう言ってリベルトに、印をつけた地図を渡す。リベルトはそれを神妙に見て顎髭を撫でながら目を細めていた。

「となると、無理に進路を北側に戻すより、このまま東に向かった方が良さそうだな。」

リベルトの考えはすぐにわかった。ルーアンテイルとグレイモアを一直線で結んだ線上が、基本的に最短ルートになる。現在はその道からやや南にずれているのだ。冬が来る前に帰結しなければならないから、できればそのルートを通りたいのだが、道中には荷車では通れないような道のりが多い。例え通れたとしても、往路のような紆余曲折があっては困る。ならばこのまま低地を進み、ルーアンテイル付近の大平原に達するまでまっすぐ東へ向かおうというのだ。低地なら荷車の速度はそれほど落ちないし、翼竜のような獣もいない。万一、本格的に雪が降り始めても、ルーアンテイルに近づきさえすればどうにでもなるのだ。

「にしても、いつから進路が狂ってたんだか。こんなの初めてだなぁ。」

「そうなんですか?まぁ、見分けずらい山だとは思いますけど。」

山頂付近を見てみると真っ白だった。向こうはもっと冷え込んでいるに違いない。

「さてと、積もる前にさっさと進まねぇとな。」

リベルトはハルに礼を言って、すぐにキャラバンに指示を出し始めた。ハルは地図などを片付けながら、一息つくことにした。どうせ荷車に乗ってさえいれば他にやることもないのだ。一応、今乗り込んでいるのはキャラバンの前方から三番目の荷車だ。前の方には前衛隊の主な戦力や武具が集中しており、商会の商品などは無いから足を伸ばせるのだ。とはいえ、この寒さの中体表面を増やすことなどしたくないが。

「ハルゥ!」

「はーい。」

「悪ぃが、進路の指示出してやってくれ、俺ぁ、後ろの方に事情を話してくる。」

リベルトはそう言って自分の愛馬を走らせて言ってしまった。しばらくまともに仕事をしていなかったのだ。それくらいお安い御用だ。荷車の後ろからひょいとおりて、駆け足で先頭のまで向かう。少し風を切るだけで寒さは一段と増す。この短期間でよくもまぁこんなにも変わるものだ。ハルは一番前の馬車に乗り込んで、商会の御者に指示を伝えた。


往路の旅路とはまた違った風景が、ハルにはとても珍しく思えた。大平原ならば、ルーアンテイル周辺もそうだったが、自然がありのままで広がっている光景は何度見ても不思議な気分にさせる。そこにはもう緑はほとんど見られない。枯れ果てた枝木と禿げ上がった地面に、ほんの少しの雪がかぶさっているだけだ。時間の流れを感じるには十分な変化だった。秋から冬へ、かつて日本にいた頃は単に気温で感じとっていたそれは、この世界ではこうして景色で見分けることが出来る。それも、まるでおとぎ話のように明確に、鮮明に。

人間がいる以上、同じような世界だと、ハルは考えていた。少しばかり文明力が異なるだけで、この世界が少し遅れているだけで、ほとんど変わりないものと考えていた。そんなハルの固定観念を打ち崩したのはソーラと談笑をしてからだ。

「ハルさん。魔法、・・・使えたんですね。」

「はい!?」

我儘をいってハルと同じ荷馬車にやってきたソーラは、唐突にそんなことを言い始めた。

「だって、牢屋から抜け出すとき、すごい光を放ってたじゃないですか。あれって、魔法ですよね。」

そう言うソーラの目は、幼い子供のように輝いて見える。あの時の状況を思い出すのが辛くないのかとも思うが、それ以上にあの時の不思議な力に興味深々なのだろう。ハルとしてもあれが何なのか知りたいところだが。

「ねぇ。魔法って何?」

「魔法は魔法ですよ。鉄の錠前を壊すなんて芸当、普通の人間にはできません。あんな風に光を放つのだって。」

魔法が何なのか理解していないわけではない。だが、それは龍と同じで、言葉は知っていても本来存在しないはずのものとして認識していた。あるはずがないのだ。それを、自分の手で発現させてしまった。結果ソーラを助けられたのだから、喜ぶべきなのかもしれないが、正体不明の力だ。

「正直言うと、自分でも何が起こったかよくわからなくて。今になってようやく、魔法、みたいな力を使ったんだなって・・・。でも、魔法なんて、本当にそんなもの存在するの?」

「存在しますよ。体の中にある魔力?を使って尋常でない力を発揮する能力です。私も詳しくは知らないんですけど、ごく一部の人だけがものにできる特別の術なんですよ。」

「マジであるんだ・・・。」

限られた人間が扱える技。ここはハルの知る世界ではないから、魔法があっても不思議には思わない。だが、そのごく僅かな人間の内に、どうして自分がいるのだろうか。少なくともハルは、向こう側でそのような力を発現したことはないし、そもそも向こう側には魔法という概念は存在しない。空想の産物としては存在するものの、向こう側の人間として言えば非科学的としかいえない。

「ソーラも使えるの?」

「まさか。ごく一部の人だけですよ、使えるのは。」

だとすると、この異世界においても異質な力なのだろう。ソーラの言うごく一部がどれくらいの数を指すのかわからないが、十人に一人程度のものではないだろう。

「そんなものが・・・。でも、どうして・・・。」

魔法という概念は、それを扱えないソーラでも知っている。魔法自体はこの世界で一般的では無いにしても、誰も知らないというわけではない。パッと見ただけで魔法と認識できるくらいには認知されている。そして魔法は、鉄の錠を破壊しうるほど強力な力だということ。

今ハルにはその力を感じ取る事さえできない。けれど、あれが魔法だというのなら、それを持っているということが特別だというのなら。

「もしかして、それが原因?」

「ハルさん?」

無邪気に顔を覗き込んでくるソーラに何とか誤魔化しの笑みを返したが、頭の中ではその可能性について目まぐるしく翻弄していた。自分が王族にされかけた理由。魔法というキーワードが初めて見つかったが、それでも腑に落ちない部分はある。少なくとも魔法が使える人間はハルだけではないということ。その点から、単に魔法が使えるだけで選ばれた訳ではないのだろう。何か他に、それと関連した何かがあるに違いない。それを探すことが今後の課題となるだろう。

「ねぇ、ハルさん。聞いてます?」

「あぁ。ごめん。ちょっと驚いちゃって。こんな不思議な力があるなら、もっと前から知っておけばよかったなぁ。」

「今は使えないんですか。」

ソーラに言われて、再び手にあの時の感覚を再現させてみる。だが、実際あの時は無我夢中だったし、どのように発動していたかも覚えていないのだ。手からは光どころか汗一つ浮かび出てこない。

「そう上手くはいかないみたい。」

「そうですか。でも、魔法が使えるようになったら、ハルさんもっとかっこよくなっちゃいますね。」

「えぇ?」

「だって、魔法ってなんかかっこよくないですか?」

彼女の言いたいことはわかる。特別な力に心が躍るというのはどこの世界でも同じなのだろう。だが、そんなことより気になることがある。

「ソーラって、男の子みたいな感覚してるのね。」

「ん?」

当の本人は自覚が無いようだ。


冬になれば当然、一日の内の日が出ている時間は少なくなる。そして、僅かに雪が降るこの天気では夜間の行進は危険すぎるのだ。普段より多めに松明を焚いて、隊列は止まっていた。平原のど真ん中では見渡しがいいので、危険が迫る前に発見できる。だが、それ以上に火に囲まれていないと到底耐えられそうにないくらい寒いのだ。

「夜は地獄ですね。」

「まだ序の口だよ。本格的に冬になったら、都市部の外に出るのも難しいくらい冷え込むからねぇ。」

昼間は進路指示しているだけなので、夜くらいは見張りを買って出た。アンジュと共に隊列から離れて、何も見えない暗闇をひたすら眺めている。アンジュはブランケットを草の上に敷いて座っているが、ハルはその傍に突っ立っていた。何せ地面から感じる冷気が気になって仕様がないのだ。雪で少し濡れてもいるので、座る気にはなれなかった。今でこそ、長袖にロングスカートという厚木に加え、防寒着であるフクロウを纏っているので、どうにか寒さをしのげているのだ。それは、しばらく安静を言い渡されたこそそのような格好が出来ている。騎兵隊に戻ればフクロウはともかく、こんな動きずらい恰好は出来ないのだ。それだのに、アンジュはそれほど寒がっている様子は見られない。慣れや体に造りが違うのかもしれないが、こんな寒さの中での仕事は体に堪える。

「まぁ、本来だったらルーアンの中であったかい飯食べながら過ごすのが一番だけどね。」

「確か、お祭りがあるんでしたっけ。」

年を締めくくる豊穣祭。ルーアンテイルを取り囲む大規模な田畑は、冬が来る前に全て収穫され、一部は都市の穀倉に、残りは住民たちの間で取引される。豊穣祭はその始まりを盛大に行い、一年を無事に乗り越えたことを祝うのだそうだ。そう聞くと少々大仰に聞こえるが、この世界では一年を乗り越えるというのは、とても他人事のようにいられる言葉ではないのをハルはもう知っている。

「今年も盛大に執り行われるからねぇ。城壁内は夜の間もずっと火が絶えないから、どこも楽園みたいに見えるはずだよ。」

「それは、楽しみですけど、あと数日の我慢ですね。予定なら、あと五日ほどでつくはずなんですけど。」

ハルはそう言って自分で書いた簡易地図を懐から出した。ここ数日の更新速度から逆算すればそれくらいの日数でつくはずだ。昼間振っていた雪も日が沈むにつれて弱まり、今ではほとんど降っていない。その証拠に空の一部は星空へと変わっていた。

「長かったなぁ。」

ハルは、しみじみとそう呟いた。

「ハル、あんたさ・・・。」

「なんですか?」

「この仕事続けたいって思ってるかい?」

アンジュの聞き方はよそよそしかった。もっとも、彼女の懸念は当然のものだ。言葉の上ではわかっていても、初仕事でハルは数えきれないほどの傷を負った。心の内は病んでも病みきれないくらい沈んでしまってもおかしくなかったのだ。そんな仕事、もうこれっきりだ、なんて考えても仕方がなかっただろう。

「今のところ、そのつもりですよ。」

ハルがそう答えても、アンジュの表情は和らがなかった。きっと強がっているように見えたのだろう。確かに強がっているのは間違いないが、理由は他にもあるのだ。

「確かに、辛いことはたくさんありましたけど、傭兵っていう仕事を嫌だとは思ってません。むしろ、この世界で生きていくために、いろんなことを学べて、それに、強くなれますから。」

強くなりたい。そんな風に思うのは些か不自然に思えた。なにせ、ハルの本来の目的は、元の世界へ帰る事だ。それが叶わない故に、こんなことになっているのだが、

「成り行きに任せているのは自覚してます。もっと、帰る方法を探すのに集中することだってできたはずなのに、そうしなかった。多分、自分で無意識のうちにわかっていたんです。私は、生きていくために必要なことを知らなすぎるって。」

「ハル・・・。」

生きるために必要なこと。それは知識とかではない。今まで、家族や、科学的な技術によって考えなくてもいいことを、人が元来必要とする生きる術を、知らなくてはいけないと思ったのだ。

「それに、あんまり深いこと考えないようにしてるんです。異世界から来た私を、みんな良くしてくれますし、こうして大勢で一生懸命になるのだって、大変だけどやりがいのあることだと思っています。この前の宴だって楽しかったですし。」

「そっか。いやぁ、ほら、おせっかいかもしれないけど、ハルはこんな仕事をするような子には見えないからさ。」

それは、ハルもよく理解していることだ。だけどもうただの学生ではない。学生のままではいられない。

「心配してくれてありがとうございます。」

「ふふっ。これからもよろしくね。」

冷え込む夜の中、二人の会話はずっと楽し気に続いてた。

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