決着

身体が悲鳴を上げているのがわかる。痛みと鼓動と冷や汗が、限界をハルに知らせている。あと数時もせずに、この体からは力が抜け、動かなくなったところを奴隷商の剣が無慈悲に貫くだろう。その状況を打開するには、やられる前にやるしかないのだ。

(私だってもう、守られるだけの存在じゃない。こんな、にわか剣術の一人くらい、やってやる!)

気合とは裏腹に、身体は意志に反抗していた。歯を食いしばると、口の中に血が滲む感覚がした。もはや馴染みのある匂いだ。血の匂いを嗅いだ獣は殺気立つと言うが、それは人間にも当てはまるのだろうか。何はともあれ、ハルは今狂気に目覚めているのだ。平穏な日常からかけ離れたこの瞬間を乗り越えるために。

得物は使い慣れたものではない。普段使っていた小剣よりも、ボロで手入れなどしていないかのような鈍らの刀剣だ。こんなものに命を預けなければならないのは酷く心もとない。しかし、剣の試合は武器の性能に左右されはしない。ましてや殺し合いともなればなおさらだ。殺し合いで何より必要なのは、当然殺意だ。躊躇わない事、思いきること、自分の命と相手の命を天秤に架けることだ。

左右から交互に振り下ろされる奴隷商の剣戟を受け止め、いなす。未だ防戦一方のままだが、少しずつ、少しずつ戦況は好転していると、ハルは考えている。剣を振るという行為は、少なからず消耗するからだ。もちろんそれは防ぐ側も同じことが言えるのだが、技量の差でなんとか勝っている。

「死ねぇ!死っねぇ!」

男の物言いは変わらない。その表情は必死そうに見えた。自分の様な小娘などすぐに仕留められると思っていたのだろう。残念ながらハルはもう確信しているのだ。剣術のレベルなら自分の方が上だと。そして、修羅場を経験しているかにおいても、おそらくハルの方が上だろうと思われた。今まで力と暴力で弱者を虐げてきた者たちだ。今回の様な大きな戦いに身を投じたことも、命の危機を感じたこともないのだろう。

ハルは、今まで二度も死の予感を味わわされた。グレイモアに至るまでの道中、初めは放浪者の野盗に。もう一つは、翼竜に。たった二度。数字でいえばゼロとほぼ変わらない数だ。だが、修羅場というのは数字よりもその中身の濃さによって人に成長を促すものだ。たった二度と言えど、ハルが抱いている覚悟の大きさは、この場にいる誰よりも勝るとも劣らない。その覚悟は、この状況を諦める様な卑屈な精神を許しはしない。身体が思うように動かなくとも、それでも気を緩めないのは、もはや意地ともいえるだろう。

「くそっ!、くたばれよぉ!」

「ぐうぅ、ううぅ!」

奴隷商の表情は引きつり、汗の様な雫が額を伝っていた。不安、焦燥、追い詰められた人間が見せる、独特の気色悪さが、その顔面に現れていた。かつて、ハルを殺そうとした男と同じような・・・。

「ハルゥ!」

後方からリベルトの声が聞こえてくる。きっと援護に来てくれようとしているのだろう。向こうも、こちらがどうにかならないとアスターとの戦いに集中できない。ハルは、間接的に足を引っ張っているのだ。ハルもリベルトも、相手に釘付けにされている状態で、感覚的に加速した小時間にハルは懸命に考えた。焦る彼らに対抗するためには、焦らずに油断を誘うしかない。危険な賭けかもしれないが、戦いとは常に大小様々な駆け引きをしているものだ。

ハルは、残る力を振り絞り、奴隷商の剣を大きくはじき返した。そして、そのまま逃げるように後方へ走った。

「待てよ、奴隷風情が。」

好きを作ったとはいえ、奴隷商との距離は数メートルほどだ。だけど、これだけの差があればいい。いや、重要なのは差なんかではないのだ。

「リベルトさん!」

ハルは、ただ名前だけを大きく叫び、その視線でリベルトに全てを訴えかけた。アスターと剣を交わしながら、リベルトは横目でその姿を捕えていた。するとリベルトも同じように大剣を大きく振り払い、アスターと距離を取ると、ハルに向かって駆け始めた。

「援護などさせんぞ!リベルト・アルバーン。」

当然の如くアスターは、ものすごい速さでリベルトを追う。その速度は、この場の誰よりも早い。だが、想定を逸した程のものではない。ハルはリベルトへ向けて真っ直ぐに走り続けた。背中に感じる奴隷商の淀んだ殺意を感じながら。そしてそのまま、リベルトへ向けて剣を振る構えを取る。

「行くぞ!ハル!」

「はいっ!」

全てを察したリベルトの表情は険しくも、どこか清々しいような、楽しそうな顔をしていた。ハルも、その期待に応えられるよう、刀剣に全てを込めるように握りなおす。

ハルは、奴隷商から逃げたのではない。隠れたのだ。リベルトを追う、アスターから。リベルトの巨体に隠れるようにして、小さく、低く体制を保ち、彼がリベルトを狙うその瞬間を待ち続けているのだ。アスターが飛ぶように跳ね、剣を大きく振りかざした。

「終わりだ!」

アスターの勝鬨と同時に、ハルはリベルトのわきの下をすり抜けるように飛び出す。溜めに溜めた足と力を余すことなく吐き出した。極限の我慢からの瞬発的な動きは、身体に大きな負担をかけるが、同時に十全以上の力発揮することが出来る。

ハルは、足が嫌な音を立てるのを聞きながらも歯を食いしばり、刀剣を大きく振りかぶって、とてつもない速度で跳んだアスターを待ち受けた。飛び出したハルを認めたアスターの表情が、近づくにつれて驚愕のものへと変わっていく。視線が交わり、ほんの一瞬の出来事がまるで悠久の時のように感じられる。彼の進路はリベルトへ一直線だ。どうあがいても、彼の攻撃はリベルトへしか届かない。ハルはその横から割り込むように、刀剣を右から左へ横なぎに掃った。

「終わるのは、お前の方だ!」

アスターの首を狙ったつもりだった。だが、獲物から感じられたのは、肉や骨を砕く感触ではなく、金属同士がぶつかる振動だった。何が起こったのか、ハルは一瞬わからなかったが、アスターはその人並外れた速度でハルの剣を受け止めていたのだ。いや、正確には急所をそらしただけで、アスターの剣は遠くへ飛ばされていた。彼の動きを見極めることは出来なかったが、ハルはその状況にも即座に反応し、無防備になったアスターへ刀剣を切り返した。

今度こそ、刀剣から思い出したくもない感触が伝わってきた。同時に血しぶきが僅かに顔に掛かり、一瞬視界を奪われていた。アスターの悲鳴は聞こえてこなかった。代わりに、奴隷商の断末魔が僅かに耳に届いた。リベルトは当然の如くハルをハルを追っていた奴隷商を仕留めてくれた。

「言っただろう?こいつは手に余るって。」

リベルトの足元には、アスターの右腕が転がっていた。当の本人は、少し離れたところで、蹲るように倒れていた。片腕で何とか起き上がろうとしているものの、傷口からは大量の鮮血が溢れ、彼の足元は瞬く間に真っ赤になっていった。

「はぁ、はぁ、その・・・ようだ・・・な。」

アスターはその言葉を最後に、完全に地に伏し動かなくなった。あっけの無い最後だった。ほんの少し前まで、手に汗握る状況だったのに、こうもあっさり終わってしまうなんて。もちろん悲しんでいるわけではない。彼は、敵だ。本当に殺してやりたいと思うほど怒りを覚えた者だ。だから、彼の死を悼んでいるわけではない。無事に乗り越えられたことに安堵もしている。だがしかし、ハルは涙を流していた。

肩で息をするハルを心配するように、リベルトは顔を覗き込んでいた。

「大丈夫か?」

先ほどと違って優しさといつもの調子が戻ったリベルトの声が、酷い安心感をハルにもたらしてくれた。頭の中で様々な感情を整理する前に、とりあえず何も言わず頷いておいた。リベルトが肩に手を置き、

「よくやった。ほんとにお前さんは、大した奴だ。」

と、満面の笑みで褒めてくれた。一人前とはいかずとも、少しは傭兵らしくなれただろうか。だが、前から思っていたことだが、例え一人前として認められたとしても、自分は喜ぶことが出来ないだろう。かといって、うれしくないわけではない。この気持ちも、何度目かになる。

(・・・生きてる・・・。)

そんなごく当たり前のことが、この世界では当たり前に足りえない。嬉しいのはもちろん、心が擦り減り、どっと疲労感が溢れてくる。もちろん怪我も含めて、体力が限界に近付いていることも原因だが。体感では何時間も走り続けたような感覚だった。

「まだ、終わってないですよね?」

奴隷商のトップは死んだ。後は残りがどんな抵抗するか、考えただけでも気が遠くなる。だがリベルトは、にっと顔をはにかませると、その場にどさっと座り込んだ。

「終わっちゃあいねぇが、俺たちの仕事は、もうないだろう。」

「えっ?」

そう言って斬られた自分の傷の様子を見始めたリベルトに、ハルはあっけにとられていた。

「下では、レリックが動いている。うちの最精鋭だ。ごみ見てぇな悪党に遅れは取らん。砦の正面では、俺の知り合いが、部隊を率いて戦っている。ルーアンテイルの義兵団ってやつだ。知ってるだろ?」

「はい、でも、だったら加勢に言った方が・・・。」

「義兵団の連中は、確かに若くて頼りなかったが、ここの連中に負けるほど弱くはないだろうさ。士気も高いしな。それに、アスター亡き今、連中が戦える力も理由も無くなった。後は、勇敢に命を散らすか、潔く往生するか。それぞれの問題だ。この戦争は、こいつを仕留めた時点で、いや、もっと言えばお前たちを無事に保護したときに、もう終わってたんだよ。」

リベルトは冷静にそう言ってきた。命を懸けた戦いのさなか、こうして冷静に状況を判断しているのはさすがと言えるのだろう。戦争というものを知らないのはハルも同じだ。リベルトに諭されるまで、どちらかが滅ぶまで戦い続けなければならないと思っていたのだから。

「戦わなくていいってことですか?」

「もちろんだ。戦わないで済むなら、さっさと終わらせた方がいいだろう。人殺しなんて面倒をしなくて済むんだからなぁ。」

ハルにとっては、意外な言葉だった。人を殺さないでいい。人殺しは面倒だと。彼らは、人を守るために人を殺めるのが仕事だと言った。それが傭兵の役目だと。だから彼らは人殺しが必要なものだと思っているとハルは考えていたのに。それは単なる妄想でしかなかったようだ。好きで人を殺したがる者なんていない。善人だろうと、悪人だろうと。

少なくとも今のハルには難しい話だ。リベルトのように殺す殺さないを自身でコントロールできるほど、ハルは強くないからだ。だが、こうして多くの人間が力を合わせ、相手に白旗をあげさせることが出来るなら、人を殺めるということにも、意味があるのかもしれない。

「お前さんも、もう休んだ方がいい。身体もそうだが、精神的にかなりつらい目に遭っただろう?」

彼の言う通り、奴隷に成りかけたというのは、大変な経験なのかもしれない。ハル自身は、そんなつもりは毛頭なかったが、どこかで心が折れてしまってもおかしくなかった。泣いて、喚いて、幼子のように儚く散っていくようなこともあったのかもしれない。だが、あらゆる狂気を抑え込み、ハルはこの長い戦いを生き抜くことが出来た。それだけが事実だ。

「・・・よかった。」

ハルは、胸に手を当てながら小さく呟いた。


朝から始まった戦いは、そう長い時を掛けずに収束に向かっていったが、全てが落ち着いたのは日が傾き、空が橙色に染まり始めた頃だった。砦正面で奴隷商と交戦していた義兵団は、指揮官を失った烏合の衆を瞬く間に壊滅させ、重傷者は出た者の、一人の犠牲者も出すことなく終戦させた。敵側も数で勝りながらも、個々の練度で戦力差を覆されるのをみて、自ら武器を置く者ばかりだったという。

最も不運だったのは、砦の中で防御を固めていた奴隷商たちだ。どこから入ったのか知れない、謎の武装集団に手も足も出ず壊滅。死者でいえば、砦内の方が多いだろう。当然、地下に収められていた人々は無事に保護され、降伏した奴隷商達は、義兵団に捕縛されることになった。かなりの大所帯が砦の外で屯していて、騒ぐ者こそいなかったが、しばらくせわしない様子だった。そんな集団からは離れていた、鷹の団の一行は、砦の中でのんびりしていた。のんびりといっても、半分は戦利品漁りなどをしていて、こちらはこちらでせわしないことには変わりなかった。

ハルは、そんな中で奴隷商らが使っていた寝台で横になっていた。安心して柔らかい寝台に体を横たえるのなんて、ルーアンテイル以来だから、すぐにでも眠ってしまうと思ったのだが、斬られた腕の痛みが激しく響いて、それどころではなかった。

「少し、眠った方がいいんじゃないですか?」

寝台に入ってから、ずっと傍に寄り添ってくれているソーラが手を握ってくれた。怪我はしているが、熱があるわけではないので、そんな風に看病してもらわなくてもいいのだが、彼女の小さな手が今は異様に暖かく感じられた。

「今は、・・・ちょっと眠れそうにないかな。みんなに迷惑もかけちゃうし。」

安全になったとはいえ、今眠ってしまったら、次いつ起きれるか分かったものじゃない。運んでもらうにしろ迷惑をかけるし、そもそもこっぱずかしい。

「でも・・・。」

「心配してくれて、ありがと。ソーラこそ、大丈夫?疲れてるでしょ?」

「私は大丈夫です。・・・ほんとは、少し寝たい気もありますけど・・・。」

ソーラは、そう言ってしおらしく縮こまった。言葉を選んでいるのか、徐々に彼女の目が涙目になっていく。しかし、最後にはぱっと明るい笑みを浮かべて、

「本当に、ありがとうございました。」

「・・・仕事だもん。当然って言えば当然。だけど、この有様じゃちょっとかっこつかないかな?」

「いいえ、すごく、かっこよかったですよ。」

そう思ってくれたのなら、ハルとしては命を懸けた甲斐があったというものだ。もっとも、全て運が良かっただけかもしれないし、ハル一人の力で成しえたことではない。礼を言いたいのはハルの方なのだが、それもいずれ機会があるだろう。

義兵団は、捕らえた奴隷商らをルーアンテイルまで護送するらしい。捕縛した人数は義兵団の総数よりも多い。どうやら増援を呼んで行うようだ。数日で完了するとは思えない果てしないことのように思えるが、どうやらルーアンテイルで裁断を下すらしい。詳しい事情は分からないが、リベルトに聞いたところによると、ルーアンテイルの首長様が大きくかかわっているから、そんな面倒くさいことをするのだそうだ。結果、義兵団はしばらく砦で捕縛者たちを管理することになり、キャラバンからの迎えが来たのハルたちは、先にグレイモアへ戻ることになった。

ハルは、迎えの中にヘレンの姿があるの見て、真っ先にハルは謝罪に向かった。驚いた彼女のことなど気にせず、ヘレンの足元で膝を着き、深々と頭を下げた。土下座なんて、向こう側でもしたことが無いのに。こうも素直に人に謝りたいと思ったのは、初めての経験だった。許しを貰う、貰わないの話ではない。これはけじめの問題だ。ヘレンにそんなもの必要ないと言われようと、これはしなければならない謝罪だ。

ハルは、一応重傷者ということで迎えの騎馬ではなく、荷車に乗せられることになった。先輩方からも、あんまり無理をするなと、あんまりかっこよくなるな、という二重の意味での制止をされてしまい、遠慮なく休ませてもらうことにした。荷馬車に揺られていると、まるで家に帰ったかのような、郷愁感に胸が熱くなった。いつからか、ハルにとってこれが日常なんだと言わんばかりに、今の生活が板についてきている。もちろん成り行きでそうなってしまっているのも理解している。だが、不思議なことに、悪くないとハルは思っていたのだった。

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