白髪の小人

リベルトは、仲間たちを連れて、グラハムたち義兵団とは正反対の位置に身を潜めていた。背の高い草原に隠れて、今か今かとその時を待っていた。正面では今頃、陣取ったグラハムたちに奴隷商らが睨みを聞かせているだろう。向こう側で戦いが始まってから、こちらも攻め入るつもりなのだが、そんな矢先だった。


―――ゴォーン!―――


心臓に響く大きな鐘の音が辺りに響き渡った。鐘は、大きく一回打ち鳴らされた後、立て続けに何度も鳴らされていった。

「なんだ?一体。」

仲間たちから自然と声が漏れた。まだ戦いは起こっていないというのに、まるで開戦を示すかのような鐘楼の音は、意味がないように思えたのだ。だが、意味もなく奴隷商らが、そんな意味のないことをやるとは思えない。音が鳴りやんでも砦は静寂を保ち、戦いの気配もなかった。

リベルトは考えた。この状況で起こりうるあらゆる可能性を。突拍子のない考えでもあえて塾考し、合理性に欠けたとしても、それが意味することを探ろうとした。

「何回なった?」

隣で姿を隠す息子に、リベルトは小声で尋ねた。

「・・・十五回。一回大きく鳴った後に十五回だよ。親父。」

「十五回・・・。」

今回の救出作戦は、もともとグラハムたち義兵団がたてたものだ。本来ならば、潜入していた義勇兵が天笛を合図として鳴らすはずだったが。

(天笛・・・十五回の鐘の音。)

可能性として、無い話ではない。何らかの理由で、天笛による合図ができなくなった。昨日グラハムが言っていた同胞と連絡が取れなくなったことを考えれば、代わりに鐘楼を選んだのはありえなくはない。だが、敵地にある鐘を鳴らしたところでそんなものが合図だとは思わなかっただろう。そこで、天笛で使われていた三数暗号を鐘楼で再現したと。三数暗号は、その名の通り三つの数字を組み合わせて、意思疎通を図るために使われる手段だ。キャラバンでも、一、三、三、は緊急事態を意味する暗号としてよく使われていた。そして、今回鳴ったのは、

「一、十五。十五を二つに分けるとしたら。六、九か七、八か・・・。一、六・・・。一、七。・・・一七、八だ。」

「一、七、八。増援求む。親父、もしそうなら・・・。」

「あぁ。どうやら、ゆっくり待ってる必要はないみたいだな。」

義兵団が、どんな暗号を使っているかはわからない。キャラバンで使われているものとは異なる組み合わせかもしれないが、だがもしも、鳴らしているのが彼女だとしたら?

もともと細かい作戦など性に合わないのだ。むしろ後先考えずに突っ走っていった方がやりやすいし、都合がいい。迷う必要などないのだ。奴らは、鷹の団の琴線に触れたのだ。奪われたものを奪い返す。それだけのことだ。

「行くぞ、おめぇら。仕事だ。グラハムたちにゃあ悪いが先陣きって、滅茶苦茶にしてやろうじゃねぇか。」

鐘の音は敵にも味方にも聞こえているはずだ。遅かれ早かれ戦場は動き出す。むしろ、鐘の音で鳴らした者たちも狙われるはずだ。ならば、なおさら救援に駆け付けなければならない。

「シジョ!」

「あいよ。おやっさん。」

シジョは、団の中で一番の怪力の持ち主だ。その体格はリベルトよりも大きく、大きなお腹に、木の幹の様な手足を持つ巨体。そして、自分の体と同じ大きさ巨岩で作られた大槌を持つ。普段は、シジョ自身が重すぎて馬にも馬車に乗れないため、騎兵隊の所属ではないが、それでも長らくリベルトと共に傭兵を共にしてきたベテランの一人だった。

「いくど、みんな。おでに続けよぉ!」

シジョは、大槌を振り上げながら、その巨体からは想像もつかないほど速度で駆け始める。一歩ずつ踏み出すたびに大地は揺れ、シジョは疾風となって風を切り裂いていく。向かうはレンガ造りの砦の壁だ。

グラハムからは、方法は任せるといわれていた。だからこそ、遠慮なく壁を貫いて突撃しようとしているのだ。

「シジョが突破口を開いたら、全員突撃だ。まずは灯台塔へ、ハルを拾いに行くぞ。邪魔する奴らは、全員ねじ伏せろぉ!」

リベルトの掛け声と共に、鷹の団はシジョに続いて砦へと突撃していった。


最初の男は、髪が短く、肌が人並みより黒い男だった。武器は、少し錆びた鉄剣だった。男は、こちらを女と見てか、舐めたような口ぶりで近づいてきた。だからこそ、容赦なくその腕に手斧を振りかざし、致命傷を与えることができた。よろめいたところに腹を蹴り、灯台等の部屋から突き落としてやった。途中で螺旋階段に掴まったのか、落下死はしなかったようだが、二、三人は巻き込んで押し返すことができた。たかが三人、そう思っても仕方がない。なにせ、灯台塔に数十人の奴隷商らが押し寄せている。螺旋階段は混みに混みあって、それら全てを相手にしなければならないと思うと、ため息をつきたくなった。いや、ため息などで済むならまだいいほうかもしれない。

再び上ってきた男を、エイダンと二人で応戦する。彼は奴隷商からもぎ取った刀剣を華麗に振り回している。義兵団というからには、正式な剣術を身に着けているのだろう。ハルのなんちゃって剣術とはえらい違いがあった。それでもハルとて奴隷商には負けず劣らず手斧を使いこなし、むしろ彼らのほうが素人であるのは明白だった。

息が上がってきたのは、八人目を突き落としたくらいだっただろうか。極限の集中と常に全力で動いているため、肉体的にも精神的にも疲れを感じてきた。当然、これまでの疲れも相まって、身体は自分が思っている以上に限界が来ているのだろう。そうなれば、ちょっとしたミスをしてしまうのも時間の問題だった。

「奴隷の分際で、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

「っ!ハルさん!」

一瞬の気の緩みが戦場では命取りになる。ミス、というよりかは、必然的に起こるべくして起きた出来事だ。突然膝から力が抜け、体勢を崩してしまった。可能な限りの善戦を尽くしていたが、永遠に続く幸運などありはしない。

(せめて、急所を・・・。)

倒れる体を必死にねじり、伸ばされる槍から必死に身を躱そうとするが、無慈悲にもその刃はハルの二の腕に突き刺さり、肩の方へ肉を抉るように切り裂いた。吹き出る血が、顔にも飛んできて、斬られたと認識するまでがとても長い時間のように思えた。

「くたばれぇ!」

男が再び槍を構えようとしたが、後ろからエイダンが男の背中を斬りつけた。よろめいたところを、ハルは痛みを怒声でかき消しながら進み出て、手斧の平で顔面を叩きつけた。

「ハル、いったん下がれ。」

エイダンがかばうように新手の前に立ちふさがった。そうは言うが、階段を次々登ってくる奴隷商たちから目を離すわけにはいかない。着られたうでは右腕。痛みは痺れに変わり、右腕の感覚がすでになくなり始めていた。もう得物持つことさえままならない。

「ハルさん、血が・・・。」

腕を滴る血は、ぽたぽた、ではなく、だらだらと流れ始めている。大きな血管を斬られたのかもしれない。手で斬られた箇所を力いっぱい押さえているが、気休めにもならないだろう。頭がおかしくなったんじゃないかと思うほど、視界がぐらぐらと揺れていた。

ソーラが駆け寄ってきて、彼女は自分の着ていた衣服の袖を引きちぎり、ハルの腕に巻き始めた。

「これで、どうにか・・・。」

ソーラのとっさの行動はとてもありがたかったが、巻かれた布は瞬く間に赤く染まり、再び血が滴り始めた。

「ソーラ、下がって!」

エイダンの横を抜けてきた奴隷商が襲い掛かってきたのを見て、ハルはソーラを突き飛ばすように離した。左手で手斧を構えたが、鍔迫り合いになり、容赦なく押し込まれるのを痛みを堪えて右手も使わざるを得なかった。

「うあぁっ!・・・っ、うぐっ、うぅ。」

「へっへっへ。痛ぇだろう。死にたくなけりゃ大人しくするんだな。」

奴隷商の拳が、ハルの腹を殴りつけた。

(今更・・・何を・・・。)

胃の方から何かがこみあげてきて、寸でのところで飲み込んだ。こちらは、ボロの布切れ一枚しか身に纏っていないのだ。ただの拳とはいえ、大の男の殴りでも相当な痛みを伴う。

だが、この奴隷商は、こんな状況になっても、世迷言をぬかしているのをハルは感じていた。彼だけでなく、他の連中も全員同じような考えだとしたら。あのアスターでさえ、未だにハルを捕らえ、商品として売りに出そうと考えているのだとしたら。

「はぁ・・・はぁ・・・、あんたたちは、覚悟が足りないのよ。」

「あぁ?」

殴られた腹を抑えて、ハルは立ち上がる。その目に強い反抗の意志を以って。

「勝てると思ってるんでしょう?数で劣る義兵団に。傷だらけで、力のない女である私に!」

ハルは尚も一歩踏み出した。身体が痛もうが、視界がぐらつこうが関係ない。ハルの意志は、ただ前だけを見据えていた。

「来い!その夢見がちな妄想。打ち砕いてやる!」

ハルが一括すると、男は一瞬ひるんだ様子を見せ、一歩後ずさった。だが、すぐに自分の得物をハルに向け、その腕を振り下ろそうとした。その時だった。

「ハルゥ!どこだぁーー!!」

灯台塔の下から、野太い怒号が轟いてきた。何度も聞いてきた、頼もしい男の声。その声にこたえるべく、ハルは大きく息を吸い、

「リベルトさん!ここです!」

傷口が開くのも気にせず大声を張り上げた。

螺旋階段の途中を上る奴隷商らが、皆後方を振り返り、怯えたような悲鳴を上げた。灯台塔の入り口付近の奴隷商は皆、組み伏されていた。そこには、巨大な大剣を肩に携えた大男がこちらを睨みつけていたのだ。

もしかしたらと思っていた。鷹の団が助けに来てくれるだろうと。自分はともかく、彼らがソーラを見捨てるはずがないと。そして、見事に彼らはこの場所を突き止め、応援に来てくれた。

ここからはもう、ハルはか弱い女ではいられない。一人の傭兵として戦うのだ。ハルは、男に向き合い、斧を構える。腕を滴る血で握りが滑らないように左手も添える。エイダンの様な整った構えではなく、命を狙う、その思いが先走った獣の様な構えを。

「行くぞ!」



レリックは、的確な指示を下しながら、瞬く間に砦内を掃討していった。グルードやシジョはじめとするベテランたちが前線をなぎ倒していく中、イアンやラベットが道を外れ素早い動きで敵を誘導していく。レリックが現在連れているのは十人ほどだが、その何倍もある奴隷商の戦力を確実に減らしていった。

それを可能にするのは、ここが屋内であるからだ。もし、十人で数百の戦力を屋外で、つまり野戦であったならば、こうもうまくはいかなかっただろう。だが、グルードが持つ斧も、シジョの大槌も、レリックの愛刀である長剣も、砦の通路の幅を半分超える様な得物である。そんなものを振り回せば、引っかかって使い物にならない。それが当たり前の考えだ。だが、レリックは自分たちが当たり前で済ませられるような並の兵隊だとは思っていない。現にグルードはその大斧を、通路の両壁を破壊しながら正面の奴隷商を薙ぎ倒していく。一人で二、三人を一度に相手にしていようが問題なく対処できるのだ。

「ラベット、後方の三人、頼むよ。」

「了解!」

だが、全員がそんな規格外の戦いをできるわけではない。力だけで解決できるのは体格に恵まれた物の特権だ。しかし、そんなものは別のもので補えばいい。ラベットはその点、磨きに磨いた剣術と瞬発力を生かした早業で一体多を可能にしている。

彼は、前衛隊、新人の中でもずば抜けた才能を持ち合わせていた。真面目で努力家であり、戦いにおいて欠点を見つけるのが難しいくらい、優秀な戦力だった。両手に持つ直剣を交互に振り下ろし、時には剣を盾に、あるいは回避に利用するなど、縦横無尽に操っている。手数の多さもあり、奴隷商のにわか剣術など全く相手にならないだろう。三人の新手を一挙に斬れ伏していった。

「へっ、大したことのねぇひよっこばかりだ。人を売りもんにしてる連中なんざこんなもんか。」

グルードがつまらなそうにため息をついた。まるで相手にならない、そう言いたいのだろう。実際奴隷商らは、一人、また一人と倒されていく度に一歩ずつ後ずさり、その表情から戦意を無くしていた。

「所詮、空っぽの悪党の集まり。本職の兵隊とは比べ物にならないね。」

レリックもそうぼやくが、また次の新手が押し寄せてきた。しかし、鷹の団の者たちは、どれだけ数が多かろうと、恐れを成す者などいない。

「このまま、義兵団の所まで突き進もう。正面突破!」

レリックの号令の下、精鋭たちは瞬く間に砦内を占拠していった。


「ハル、しっかりしろ。ハル!」

肩を大きく揺さぶられて、自分が意識を飛ばしていたことをハルは理解した。床に横になっているのだろうか。いつの間に寝かされたのか。いや、そんなことより敵は?立ち上がらなければ。奴らはどんどん押し寄せてくる。後ろにはソーラがいるのだ。自分が、身を挺してでも守らなければならないのに。

「ハルさん、しっかり。」

「ソーラ?ここは、あぶない・・・から。」

心配そうに見下ろしてくるソーラに手を伸ばすと、彼女は優しく手を包んでくれた。

「なに寝ぼけたこと言ってんだ。敵はもういねぇよ。」

視界の外から、聞きなれた男の声が降ってきた。

「リベルト・・・さん?」

「おぅ、ハル。なんとか無事のようだな。」

肩に大剣を担いだリベルトが覗き込んでいた。その周りには、懐かしい同僚たちが、武器を構えて守ってくれている。

「どうして、ここに?」

「助けに来たに決まってんだろう?もっとも、お前さんの心配はあんまりしていなかったがな。むしろ、ソーラ嬢の方が気がかりだったんだが、それもお前のおかげでこのとおり。大したもんだ。」

ソーラを見やると、少し困ったような顔していて、その目には涙が溜まっていた。必死に笑おうとしてくれているのだろう。私はもう大丈夫です。そう言いたいのだろう。その様を見れただけでハルは、体中の張りつめた線が、ゆっくり解けていくのを感じた。

横から、エイダンが体を起こすのを手伝ってくれた。右肩の傷は、応急処置が施されているものの、痛みは尚も激しく続いていた。身体を起こすだけで腕の内側の肉が変な方向へ飛び出る様な感覚になる。巻かれている帯も赤黒く変色し、生暖かい血が余計に気持ち悪かった。

「本当、あんたは無茶ばっかりするな。こっちは冷や冷やものだったぞ。」

彼も苦笑いを浮かべながら、愚痴のようにそう言ってきた。そうは言われても、仕方がないとハルは言うしかない。なにせ、力も技術も半端な新人傭兵なのだ。無茶でもなんでもしなければ、目的を達成できはしなかっただろう。

「私ひとりじゃ、何もできなかったよ。」

「だろうな。だが、・・・あんたのおかげだ。感謝する。」

相変わらず回りくどい言い回しだったが、彼の精いっぱいの誠意を感じ取ることができた。エイダンは頷くと一人立ち上がり、リベルトに向き合った。

「鷹の団頭領。リベルト・アルバーン殿とお見受けする。」

「おぅ。おめぇが、グラハムの言ってたやつだな。」

「はい。奴隷に紛れ、任務を遂行するべく、貴殿のお仲間の手を拝借させていただきました。」

(なにその口調・・・。なんで私にはそうしないのよ。)

彼が義兵団なのはわかっていたし、誇り高い一面があるのだろうと感じていはいた。だが、こうもあからさまだと、何となく腹立たしかった。

「砦の地下に、ルーアンテイルの住人を含む、多くの捕縛者がいます。」

「地下か。よし、俺の息子が今仲間たちと暴れてる。ここにいる面子も連れて、案内してやってくれ。俺は、ここの頭張ってるやつの所へいかにゃならねぇ。」

「奴隷商の頭領は、正面の戦力に守られている。あなたひとりで向かっても・・・。」

リベルトの無謀に、エイダンは釘を刺したが、リベルトにとってそんなものは意味をなさなかった。

「俺の親友のガキを攫ったんだ。おめぇが何と言おうと関係ない。けじめをつけさせるだけだ。」

リベルトの言いたいことがハルにはわかるような気がした。そして、ハル自身もあの男に言わなければならにことがあると思っていたのだ。

「リベルトさん。私も。・・・私も連れて行ってください。」

当然、団の仲間たちに心配されてしまった。自分でもわかっている。利き腕の傷は尚も痛みを発していて、まともに武器を持つこともできないだろう。だが、ハルはどうしてもアスターに一言物申したいことがあるのだ。リベルトと同じように、言われたまま終わりしたくはない。終わらしたくないことがあるのだ。

「奴隷商の頭領の顔、私見ました。」

「本当か?」

「はい。それに、・・・。」

負けたくないのだ。負けたままで終わりにしたくないのだ。あの男に、散々罵られ、奴隷扱いされて、悔しくて仕方がなかった。子供みたいに頭に血が上っていると思われても、それでも落とし前をつけさせたいという思いがハルを支配していた。

「お願いします。足手まといにはなりません。」

ハルはまっすぐリベルトを見据えていた。

「・・・へっ、お前さんのことを、足手纏いだなんて思っちゃいねぇよ。案内頼むぜ。」

リベルトは、ハルの肩に手を置いて、楽しそうな笑みを浮かべた。

「ハル。せめてこれを持ってけ。」

ハルがリベルトと共に行こうとすると、エイダンが持っていた刀剣を手渡してきた。その得物は軽く、刀身もやや荒れているが、確かに手斧よりは頼りになりそうな武器だった。

「ありがとう。」

「・・・礼を言うのはこちらの方だ。無事を祈ってる。」

お互いにうなずき合って、ハルは最後にソーラの方へ向き直った。

「もう、大丈夫だから。あとはみんなについていって。私は、まだやることがあるから。」

ソーラは尚も不安そうな表情をしていたが、何も言わずに小さくうなずいて、団の仲間たちに手を引かれていった。本当は最後まで一緒にいてあげたいけれど、それはハルがやらなくても問題ないことだ。

「じゃあ、行くか。」

「はい。」

自分の意志で、多くの目的を達成せしめた今、最後の締めを括るあの男との対面。人を強者か弱者でしか見れないあの男に、自分は何が言えるだろうか。言ったところで何が変わるだろうか。それでも向き合わなければならないような気がするのは、なぜだろうか。否、それはもうわかりきっていることだろう。

(私は、強い人間だとは思ってない。弱者なのもわかってる。だけど・・・。)

それは、強者に屈する理由にはならない。弱者は、弱者の意志で強者に抗うことができるはずだと。ハルは、ずっと信じているのだ。


砦正面での戦闘は、まさに戦争の様を成していた。中央の砦の大扉に群がる義勇兵たち。一人でも突破させまいと懸命に押し返す奴隷商。だが、戦局は見るからに明らかだった。

「押せぇ!人を物のように扱う連中になど遅れをとるなぁ!」

訓練された兵士とそうでないものの差は、おそらく素人でも区別ができるだろう。面構えとでも言うのか、戦いに慣れている者ほど、表情が薄いものだ。訓練とは、単に武器の扱い方を学び、自身を鍛えることではない。戦いに投げ出された時、心の平静を保つことができるかどうか。つまり、訓練された兵士とは、戦闘中でも正気を保っていられる者のことだ。

その点に関しては、義兵団はそれぞれ統率が取れていて、誰一人その表情に狂気を感じられない。指揮官であるグラハムの指示に忠実で、堅実な戦いぶりを見せている。一方奴隷商は、数で勝るものの義兵団の戦力に押され始めていた。彼らの戦い方は散り散りで、個々の力量も義兵団のされには及ばない。何より、彼らの戦いには覇気が見られなかった。自分たちより少ない義兵団を恐れ、自ら前へ進み出ることができずにいるものが大半だ。そんなことをしていては、いくら砦の入り口が大門一つであろうと、突破されるのは時間の問題だろう。

そんな中で、アスター自身も焦りを見せながら、必死に部下たちに突撃を命じていた。数で勝るのだから、そんな思惑でも勝てると踏んでいた。だが、彼の思うようにはいかなかったのだ。鷹の団が攻めてくる。奴隷たちを奪い返しに来る。そう思っていたことも、実際攻めてきたのはルーアンテイルの義兵団だった。本当ならば、ファルニール商会の娘を利用して、多額の身代金を巻き上げるはずだった。何もかも、思っていたことと違って、アスターはひたすら考え続けていた。どこで間違えたのか。何がいけなかった。部下が白髪の娘を捕らえてきた時からだろうか。いやそれ以前よりも、幾度かの奴隷売買がうまくいかなかった時だろうか。奴隷そのものに逃げられてしまった時だろうか。遠い過去を振り返っても、それらが、間違いであたっとは思えなかった。それらは数ある成功に隠れた、僅かな失敗だったはずだ。失敗なんて人によっていくらでも起こることだ。だから自分らのそれも、何の関連性のない失敗たちであったはずだ。なのに、この流れはなんだろうか。いつの間にここまで追い込まれていたのだろうか。

「アスターさん!」

部下が一人、アスターのもとへ慌てた様子で駆けてきた。」

「なんだ、こんな時に。お前も早く戦線に。」

「砦の中に、やばい連中が。でけぇ武器で砦中で暴れてます。」

「なんだと。どこから入ってきた。?」

「それが、砦の壁をぶち破って入ってきたみたいで・・・。」

正面には義兵団、後方にはどこから湧いたかしれない武装集団。アスターは完全に逃げ道を塞がれていたのだった。

「冗談じゃない。こんなところでやられてたまるか。」

砦内にも相当に人数がいたはずなのに、どうしてこうも危機ばかりが押し寄せてくるのか。、アスターにはそれがわからなかった。

「あの娘はどうした!檻につないだ、あの白髪の娘は!」

「わかりません。戦況はもう滅茶苦茶で・・・。」

もはや部下の言葉など気にもしていられない。自分の目で確かめに行けばいい。そう思ったアスターは前線を離れ、砦に引き返していった。背後から部下たちが指示を仰いでいる声が聞こえたが、アスター自身も、すでに正気ではなかった。奴隷は無理でも、あの娘たちを盾にすればいい。それだけで戦況は大きく変わる。それはとても簡単なことだと、アスターは考えていた。だが、そんなものは現実を逃避した狂った考えでしかないことを彼は思い知る。

前方に見えた純白の髪が、全ての終わりのように感じられた。彼女が持つ刀剣は、自分の命を狩りに来たのだと。そう思わせた。そして、彼女の後ろから共に連れ立ってくる大男は、白髪の娘がいっていた理不尽の塊のように見えた。

「おめぇか。うちの妹弟子に手ぇ上げたのは。」

「・・・何者だ?」

「名乗るほどでもねぇ。どうせこの戦いでお前たちが勝つことは絶対にない。俺は鷹の団の長として、けじめをつけに来ただけだ。」

大男は担いでいた大剣を片手で持ち上げ、アスターへ向けて指した。その剣先は一寸の震えもなく、ただまっすぐに心臓に向けられていた。

「抜け!その腰の得物が飾りじゃないならな!」



対峙した二人の男は、互いに睨み合い、張りつめた空気が周囲を覆っていた。満身創痍のハルは、かろうじて刀剣を構えてはいるものの、まともに打ち合うことは難しいだろう。ここへ来る間も、会敵した奴隷商らは全てリベルトが打ち取っていた。彼は、相手がどんな武器を持っていようが、数人で攻められようが、危うげなくどんどん突き進むものだから、着いていくのだけでもハルには大変なくらいだった。リベルトの思いが、その背中からずっと伝わってきていた。巨大な大剣の一振り一振りに、意思が感じられたのだ。とても、恐ろしく、とても儚い思いが。人を殺めるということ、それに対する罪を己の意志で正当化しようとしている。殺しが罪だというのなら、罪人を殺めるのは矛盾しているのか。悪人を裁くことさえも罪を背負うなら、どこに正義が存在するのか。どうやって自分の行いを正当化すればいい?そのことを、ハルは嫌というほど考え続けたのに。

「貴様が鷹の団の・・・。こんな形で合うことになるとはな。」

「どこかで会ったか?」

「さぁな。その娘をどうする気だ?そんなもの抱えても、また大きなうねりがお前たちを飲み込むぞ!」

「お前の手にも、持て余したみたいだがな。」

「あぁ、まさに狂犬だったよ。アストレアの王族に依頼された時点で、引き返すべきだった。」

アスターの言葉に、ハルもリベルトも顔をゆがめた。今回の騒動の根本的な原因をアスターは知っているのだ。アストレア王家が、本当にかかわっているのなら、ハルの考えていたよくない想像が現実になっているのだとしたら。

(私は、みんなと一緒にいるべきじゃ・・・。)

「器じゃねぇんだよ。お前らはよ。」

リベルトはいつの間にか笑っていた。

「この娘をどうにかできるって思ってること自体が、お前らの傲りだ。こいつはな、歩き方を知ってるんだよ。絶望を前にしてなお、希望を見出せずとも、その縁を歩く術を知っているんだ。賢くなくても、強くなくても生きることに貪欲に食らいつく。それができるんだ。そんな奴に手綱を着けようとしたんだ。噛みつかれて当然。怪我すんのはてめぇの方だ。こいつをどうにかできる器じゃねぇんだよ!」

リベルトは大剣を両手で担ぎ、勢いよく蹴りだした。巨漢の持ち主でも、決して鈍足ではない。鍛え上げられた体は、どれだけ重い体でも、砲弾のように突き進むことが出来るのだ。

ほんの一瞬の出来事だった。リベルトがアスターの元までたどり着くのも、振り降ろされた大剣が空を切るのも。そこには、アスターの影はなく、当人は後方へ飛び退っていた。ハルは、リベルトの動きも、アスターの影も追うことはできなかった。

「ならば、その無粋な剣で確かめてみるがいい。私も、黙って斬られてやるほど素直ではないのでな。」

いつの間に抜いたのか、アスターの持つ剣はごく普通の直剣だ。大した装飾もなく、何の変哲もない剣。リベルトの剣技を信じていないわけではない。だが、アスターは早すぎる。並の人間の目では追いきれないほど素早い。その証拠に、リベルトが剣を振り下ろした一瞬で、その肩に傷を負わせているのだ。躱しただけでなく、反撃もしていたのだ。

「おもしれぇ。お前の部下はどいつもこいつも歯ごたえのない奴ばかりだった。頭くらい腕が立ってくれないとな。」

リベルトは斬られた肩を抑えることもせず、全く痛がる様子もなかった。再び方に大剣を担ぎ、突撃の構えになった。ハルも、加勢しようと前を進み出ようとして、そこでリベルトに制止された。

「ハル。お前さんはそこで見てろ。」

「でも・・・。」

「体、つれぇんだろ?無理するな。それに・・・、こいつが頭だってんなら、俺がやならきゃなぁ。」

アスターに向き合ったリベルトの目は、ハルの知る目ではなかった。ぎゅっと引き絞られた眉間は、恐ろしいくらい影を落とし、瞬きするたびに大気が鼓動しているかのようだった。

「名を聞こうか。奴隷商。」

剣を振り払い、構えたアスター。その顔にはもう、ハルが見てきた強者の風格はなかった。

「アスター・アウグストゥス。アストレア王国、侯爵の位を携えし者。貴様の蛮勇を打ち砕いてやろう。リベルト・アルバーン。」

垣間見えたのは、貴人の佇まい。その立ち姿は美しささえ感じられる剣士の構えだった。それにこたえるように、リベルトも大剣を担ぎなおす。

「それと決めたものを、どんなことをしてでも守り抜く。それが俺のやり方だ。ソーラ嬢は返してもらう。俺の友人のメンツも。俺たちへ喧嘩を売ったものがどうなるか、身をもって味わえ。」

二人は、ほぼ同時に床を蹴り、一瞬の間に剣と剣をまじ合わせていた。甲高い金属音が響き、カチカチと鍔迫り合いになった。当然、力で勝るリベルトが、じりじりと押していたが、アスターはすぐさま剣を折り返し、器用にリベルトの剣戟をいなした。鍔迫り合いから離れると、アスターは疾風の如く動き回り、剣ごとぶつかるように突進し、交錯してすり抜ける。再び突進し交錯。交わるたびに金属音か、あるいは血しぶきが上がる音が聞こえる。だがその傷は、リベルトのたくましい筋肉に赤い血筋は残すものの、決して致命傷と呼べるものではなかった。アスターはわかっているのだ。リベルトの大剣と彼の素の力が生み出す、一撃必殺の攻撃の恐ろしさを。リベルトの武器は剣ではあるが、それは斬るための武器ではない。肉を絶ち、骨を砕く鉄の塊だ。人の身など容易く捻り潰せるのだ。もちろん、並の武器なら難なく貫通し、防ぐことなど不可能だ。アスターはそれを理解しているからこそ、決して足を止めず、紙一重で躱す様に攻撃しているのだ。

少なくともハルは、リベルトとの僅かな付き合いから、彼の力強さを知っている。もしリベルトと相対することがあれば、アスターのように動けずとも、むやみに突っ込んだりはしないだろう。アスターはそれに加え最適解を導き出し、対処している。彼には経験があるのだ。リベルトの様な豪傑と戦った経験が。

「へっ。大したもんだ。ただの人攫い野郎じゃねぇってことだな。」

余裕の表情を浮かべるリベルトに対し、アスターの顔は険しかった。攻め手の数でいえばアスターは圧倒的にリベルトを勝っている。だが、どれもかすり傷。致命傷には足りえない。もちろん小さな傷でも出血を繰り返せば、人間の体はいずれ動かなくなる。リベルトがどれだけ屈強な体を持っていても、どこかで仕留めなければ、リベルトとて死を免れることはできない。それでも彼に余裕が見られるのは、本人の経験値と、アスターの息が上がっていることだろう。

「随分苦しそうだが、もう終わりじゃねぇだろうな。そんなちまちま削ぎ落すような切り口じゃあ、俺は倒れねぇぞ?」

リベルトの物言いに、アスターは苦し気に顔を歪めた。あれだけの速さで動き回れることは脅威だが、その分消耗の激しいの行動だ。

「怪物相手に手を抜くことなどできるものか。貴様のように常日頃から暴れまわっているわけではないのでな。剣を交えて、私が劣っているのは百も承知だ。だからこそ、貴様が油断したその瞬間を狙っているのだ。

「ふんっ。俺は、油断なんてしねぇよ。」

二人は再び地面を蹴り、真っ向からぶつかり合う。何度も何度も剣が交わる音、あるいはリベルトの肌が斬られる音がハルの耳に届いていた。アスターの言葉からして、彼はきっと死の気配を間近に感じているのだろう。張りつめさせた緊張の糸を、僅かにでも緩ませた瞬間、気づくこともなく自身の命が終わっている。かつて翼竜と相対した時と同じような、内臓がぎゅっと縮むような感覚を。ハルは剣術に関してはまだまだ三流だ。だが、そんなハルからしても、二人の死闘は結末は明らかに見えた。

(それでもあの人は、・・・戦うんだ。)

アスターは決して命乞いなどしない。自身が悪役であるから、いずれにせよ裁かれると思っているからか。いや、命の取り合いにおいて、正義も悪もないのだ。自分が格下だと理解していながら、自分の立場から決して逃げようとはしない。ハルからすればアスターは悪であるが、そんなものはこの戦いには意味の無いものだ。リベルトはリベルトとして、アスターは奴隷商としての、そうなった者の覚悟の問題だ。和解ができるものではない。落としどころつける必要があるのだ。

人の命を奪うということを、未だ漠然とした感覚でしか理解できていなかった。どうしてそんなことをしなければならないのか。己の命を守るという単純な理由だけじゃない。自身の主張を他者に要求し、それを正当化させる。向こう側の世界では裁判があり、法が是非を決めていた。だが、この世界にはない。少なくともここに、そんな平穏な解決法は存在しない。今ここにあるのは、二頭の獣が己の強さを証明するための戦いだけなのだ。

「生きるために、戦って、殺して・・・。そうやって生きて行かなきゃいけないんだ。」

ハルは、痛みで痺れる手を強く握りしめた。殺しは悪で、悪党を裁くことさえ悪人の行いで、そうまでしても貫き通さなければならないことがある。例え己の手が汚い血で塗れようとも、誰かから非難されようと、守らなくちゃいけないことが・・・。

二人の男は何度も雄たけびを上げながら剣を振るい、視線を交わせ、互いの命を狙い続けていた。そんな戦いをハルは遠目に、見ていることしかできなかったのだ。それでもハルは、背後から近づく者の気配に気づくことが出来た。今まさに、それは振り下ろされる瞬間だった。

「うらぁ!」

「ぐっぅ・・・。」

どこから来たのか。男はまっすぐ剣を振り下ろしてきた。咄嗟に出した刀剣で受け止めたものの、力では敵わずじりじりと押されてきている。

「ハルぅ!」

こちらに気づいたリベルトが、引きつった表情でこちらを見た。しかし、すぐにアスターがリベルトに剣を振り払い、注意を戻された。

「よそ見をするな!リベルト・アルバーン。貴様の相手は私だ。」

どうやら加勢は期待できないようだ。しかし、ハルとてもう誰かに守られる柔な存在じゃない。ハルは、精一杯の力で振り下ろされた剣を刀剣の反りを利用していなした。

「その娘を殺せ!」

後方でアスターが狂ったように叫んだ。リベルトからも先ほどと違って焦りのある掛け声が聞こえてくる。向こうも気になるが、それを気にしていられるほど余裕は、ハルにもない。

「死ねぇ。死んじまえ!」

縦に、横に、男は繰り返し剣を振りかざしてくる。片手では当然いなしきれないから、左手も添えて何とか防いでいた。防ぐたびに、応急処置した個所から気持ちの悪い痛みが全身を駆け抜ける。いなすので精一杯だが、頭ではまだ平静を保っていた。奴隷商の剣術は単調で、ハルからしてみれば隙だらけに見えたのだ。彼らは兵隊ではない。人攫いという悪行をしてはいるものの、中身は普通の一般人だ。得物の扱い方は知っていても、剣に優れているわけではない。しかし、頭ではわかっていても、身体は思うように動かないものだ。それでもハルは諦めてなどいない。少しずつ押されているものの、僅かな勝機を見据えて、必死に生にしがみついているのだ。

ふとした瞬間に自分の腕が斬り飛ばされるかもしれないという予感があった。今にも自分の命が終わるかもしれないという恐怖が常にそこにあった。しかし、それ以上に生きたいという意思に震える自分に、ハルは恐怖を覚えたのだ。

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