力の片鱗
考えたことはあるだろうか。人はどこまで痛みに耐えることができるのだろうとか、どれくらい息を止めていられるのだろうかとか。人はどのタイミングで意識を失い、どれくらい呼吸をしないと死に至るのか。
手錠を自力で壊すには、人間はどれくらいの力が必要なのだろうか?手錠というと、自力では全くもって歯が立たないと思うだろう。正確には、木でできた錠だ。見た目は二つの板材が金属の金具でくっついているだけで、板さえ割ることができれば、腕は自由になる、はずなのだ。
「うーっ、このっ。くそったれ。」
この際、口が汚いなど気にしない。元より品格など気にしちゃいないのだから。何をしていたかというと、両手を前に突き出し、身体を曲げて腕の間に片足を押し込んで木枷をへし折ろうとしているのだが。
「もう、少し・・・なん・・・だのにぃ!」
当然、枷を支える両手首は悲鳴を上げ、体勢もかなりきついから背中が痛み出す。何より全身の筋肉を強張らせているから、息は切れるし疲労はどんどん溜まっていく。それでなくとも、手の甲の傷だの擦り傷だの満身創痍だというのに。一方向へ力を加える以外にも、壁にぶつけてみたりもしたが、錠を壊すには至らなかった。
反対側の牢で見守るソーラも、同じように真似て錠の破壊を試みていいるが、うんともすんとも言わなかった。
「情けないよね。こんなの。助けるだなんて言っておきながら、私がこの様じゃ。」
「ハルさん・・・。」
心配そうな表情をする彼女に、気高に笑って見せても、一抹の不安はぬぐいきれないだろう。だからと言って、何もしないで解決できることなどありはしない。ハルは再び全身に力を込め、足で木枷に力を加え始めた。錠が木製である以上、ずっと力を入れ続ければ、いつかはその耐久度が落ち、原形を崩すだろうと、頭の中では考えているのだが。
(実際は、そう上手くいかないよね。)
現に木枷は、時折みしみしと音をたてたり、細かい木くずが崩れ落ちたりはしているのだが、分厚い板のため、真ん中からへし折るのは相当今期のいる作業だった。
どれくらいの間、そうやって手錠と格闘していたかわからないが、砦内が妙に騒がしくなっていた。ハルたちの牢には、もともと見張りがいなかったが、そもそもすぐ隣に通路があり、世話しなく奴隷商が行きかっているのだ。そして、その動きが妙に慌ただしくなり、やがて通路には怒声ばかりが飛び交うようになっていた。
「なんだろう。なんか、殺気立ってますね。」
「もしかしたら、義兵団がすぐ近くまで来てるのかも。」
「義兵団が!?」
思わずソーラが幾分大きな声を出してしまったので、抑えるように指示を出した。
「話すと長くなるけど、本当だったら今日、その義兵団が突撃してくるはずだったんだ。」
こんな状況で詳しいことを話している暇などない。ソーラは何か聞きたそうだったが、ハルが再び木枷に向き合うのを見て、何も言わなかった。
なおも枷に力を加え続けているが、その憎たらしい長方形の木は全く意に介さない様子だった。
身体が無性に暑かった。ずっと力んでいるせいか、それとも風邪でも引いてしまったのか、身体が自身の熱に苦しんでいるようだった。けれど、身体は悲鳴を上げているのに、その熱はとても心地のいいものだった。熱くて、いっぱいいっぱいで、心臓に火が灯っているようで、そして、目に光がちらついていた。
目を細めると視界の光は収束していき、見つめる一点に集まっていく。それが自然に行われていることなのか、自身で操っているのかはわからない。それでも、ハルにはなぜか、その光が大きな力を秘めていることを感じ取っていた。
「もう・・・少し・・・。」
木枷の中心。素足で押し続けている一点を見つめると、自分でも信じられないほどの力が湧いてくる。悲鳴を上げる木枷と体を無視して、それでもハルは力を緩めず、ただひたすら蹴り続ける。喉の奥から低いうなり声の様な、うめき声を零しながら、ただ一つの一点を睨み続けた。
みしみしと子気味良い音を鳴らしだした木枷は、やがてぼろぼろと木屑をまき散らしながら、その原型を崩した。大きな破砕音と共に、中心から割れるのではなく、粉々に砕け散っていった。
「ハルさん・・・、すごい馬鹿力。」
呆けたソーラの小言を聞いても、ハルは笑みをこぼさなかった。
体の熱は変わらず、なおも視界には無数の閃光がチラついていたのだ。
(熱い・・・。目が、灼けるみたいに・・・。)
自分の中で何かが蠢いているのに、その何かがわからなかった。あふれ出る力も熱量も、どこか懐かしいような気がするのに、何も身に覚えがないのが不思議でならない。だが、それは好都合なことだ。力があろうがなかろうが、ハルがすることは変わらない。
今にも火が吹き出そうなほどの熱感を覚えた視線を、牢屋の鉄格子、正確には鉄格子を繋いでいる南京錠へ向ける。するとハルの視界では、自然と南京錠へ光が集まっていく。チラつく光が南京錠と重なると、僅かにそれが動いたような気がした。ハルは、南京錠に手を伸ばし、その掛け金を指でつまんだ。引いても押しても、滅茶苦茶に振っても、それはびくともしないはずだが、ハルは自分の指に確かな感触があるのを気づいていた。肉体的な感触ではない。指と視線から、今の自分ならこの錠を壊すことができるという、直感のようなものだ。
意識を集中させると、身体の熱が指先に集まっていく。つまんだ掛け金に力を込めると、かたかたと金属が震える音が鳴りだす。振動は徐々に激しくなり、空気が吸い寄せられていくような風圧がハルにぶつかってきた。
ガキィンッ!という、鎖が引きちぎれるかのような爆発と共に、南京錠の掛け金が突然弾け飛んだ。錠は赤熱し、掛け金は煙を上げながら床を転がっていた。弾けた衝撃が頬を掠め、そこから生暖かい液体が溢れてくるのをハルは感じていた。手で触ると、破片か何かが掠めたのか、きれいな切り傷になっていた。だが、そんなものを気にするほど、ハルはか弱くはない。
「はぁ・・・はぁ・・・、これで、よし!」
妙な達成感に満たされたが、状況はそれほど良くはないのだ。しかし、今更ごちゃごちゃと考える暇などない。一刻も早くエイダンと合流して、灯台塔へ向かわなければならない。
ハルは、屋の扉を蹴り開け飛び出すと、すぐ近くの壁にかかっている牢の鍵らしき束をかっさらった。ソーラの牢の鍵を外し、手錠も解いた。瞬く間の出来事に、ソーラは言葉もなく驚いている様子だった。そんな彼女を精いっぱい抱きしめてやると、自分より少し短い彼女の手が、ハルの胴をしめてきた。
「絶対、助ける。私が、あなたを家族の所へ。だから、私を信じて。」
ハルの言葉に、ソーラは頷いた。頷いてくれたことに安心したけれど、その言葉はむしろ自分に言い聞かせているようにも感じた。身の丈に合わない、到底一人では成しえない役割を全うするために。その希望を繋ぎとめるための宣言のようだ。
(それでもやるんだ。私が・・・。)
「ついてきて、ソーラ。絶対、離れないでね。」
「はい。」
ソーラの手を引き、二人は牢屋を飛び出した。
ハルの考えでは、牢屋を出てすぐの場所に、見張りやら何かがあると思っていたのだが、見張りがいたであろう場所はもぬけの殻だった。都合がよすぎる、と思わずにはいられないが、この流れが人工的な流れなのだとしたら、それに乗っからない手はない。掛けてあった手斧を取り、大きな通路出ようとした。
「止まれ!」
突然聞こえてきた声は、鋭くハルに突き刺さり、急ぐ足をくぎ付けにさせた。
「エイダン?」
反対側からエイダンが駆けてきた。
「どうしてここに?」
「あんたを探しに来たつもりだったんだが、これはまたおかしな状況だな。」
彼は、土壁の牢の扉を外すのは難しくないと言っていたが、本当に抜け出してくるとは思っていなかった。
「その子がソーラか?運よく再会できたみたいだな。」
「どうやって出てきたの?」
「扉の四辺は牢屋同様土壁だ。上辺の土を削り、空いた空間を利用して、鉄格子の扉を持ち上げれば扉そのものを外すことができる。」
確かにその方法なら牢屋を抜け出すことができるかもしれないが、見つかる可能性もかなりあるだろうに。
「下の人たちは?」
「扉を元に戻して、鳴りを潜めてもらっている。とはいえ、見つかるのも時間の問題だ。今の機を逃すわけにはいかない。」
エイダンは話しながら、片手でこっちへこいという指示を出してきた。ハルは、ソーラの手を引き、身をかがめてついていった。ハルも現状何が起こっているのかよくわからない状況だが、砦の中は、妙な緊張感が漂っているのに、奴隷商がほとんど見当たらなかったのだ。いや、実際には所々に見かけはしたのだが、その数は少なく、思っていた以上に砦内を自由に動くことができた。もちろん、見つからないように息を殺して移動するのは時に遠回りを強いられることもあった。
「あいつら、なんでこんなに手薄にしてるんだろう?」
「・・・戦力を砦正面に集中させていた。」
「じゃあ、やっぱり義兵団が?」
「おそらく。だが、奴らは戦力を増強していた。今この砦には数百の武装した奴隷商が守備している。俺の隊は六十人くらいだ。」
そうなると、正面からぶつかれば、義兵団に勝ち目はないだろう。倍以上の戦力差があると、敗戦濃厚だ。
「このまま戦いになれば、救出の手は届きそうにないわね。」
「だからこそ、灯台塔の鐘を鳴らすんだ。」
「どうしてですか?」
ソーラも状況が芳しくないのはわかっているだろう。繋いでいる彼女の手は小刻みに震えている。
「・・・囮・・・ってことね?」
「そうだ。鐘を鳴らして、少しでもこちら側に戦力を分散させる。こっちは灯台塔に立てこもり、兵力をくぎ付けにすれば、本隊が少しでも戦いやすくなる。」
「でも、それって・・・。」
ソーラの疑念はもっともである。囮を買って出るからには、それは一番過酷な戦場で生き延びなければならないということである。鐘をならして、こちらにどれほどの戦力が向かうかわからないが、それでも何人もの人間を相手にしなければならないのだ。
「鐘を鳴らすのは俺がやる。二人は、どこか人気のないところで身を潜めて。」
「いや、私たちもいく。」
「っ、バカ言え。どれだけの数、相手にするかわからないんだぞ。」
エイダンの言う通り、灯台塔で籠って戦い続けるのは決死の覚悟で臨まなければならない。だが、ハルにはそれが最善の選択に思えた。これは、彼一人が犠牲になって、自分とソーラが生き残ればいいという話ではないのだ。
「一人よりも二人なら倍の時間稼げる。私も戦う。」
「あんたは、この子を守ってやるのが目的だろう。」
ハルはソーラを見やる。もちろんソーラには傍にいてもらわなければならない。だが、別に一緒に戦えと言っているわけではないのだ。
「ごめんね、ソーラ。一番危険なところに連れて行かなくちゃいけない。けど信じて?絶対にあなたには指一本触れさせないから。」
「おい、ハル。」
「大丈夫です。」
エイダンが声を荒げたところへ、ソーラが割り込んだ。
「大丈夫です。私は、ハルさんを、・・・鷹の団の傭兵を信じます。」
ソーラの言葉にハルは笑みを溢した。自分では、一人前の傭兵だなんて、まだ思っちゃあいない。傭兵として、数か月しかたっていない今。けれど、その時間はあまりにも壮大な出来事ばかりで。
「死ぬかもしれないぞ?」
「ええ。そんなことは十分承知してるよ。・・・傭兵は、命を賭して人を守るのが仕事なんだから。」
自信があるわけじゃない。自分がアンジュやレリック。リベルトのように、立派に戦えると思っているわけじゃない。そしてハルは、死にたいわけでもない。
「私は死なない。どれだけ敵が来ても、生き抜いて見せる。だから、私もいっしょに行かせて。」
まったくもって論理的でもないし、そして、あまりにも説得力がない言葉だ。けれどエイダンは笑ってくれた。何も言わずにハルを支持してくれた。後ろを振り返ると、ソーラの表情も少しだけ明るくなっていた。
奴隷商の目を掻い潜り、エイダンの記憶を頼りに三人はようやく灯台塔にたどり着いた。
「鍵は?」
「当然、持ってきているさ。」
彼が懐から、仲間から託された最後の希望を取り出した。鍵は、まっすぐに扉の鍵穴に収まり、カチャリ、とそれが解かれる音がする。中に入ると、灯台塔は螺旋階段になっており、上を見ても鐘楼は確認できなかった。塔の上に小さな足場があるのだろう。そこに鐘楼がある。それを鳴らした時が、開戦の合図だ。
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