己の在り方
眠らずに夜を過ごし、その時を待っていたが、訪れたのは望んでいない者たちだった。
「白髪の女、来い。」
奴隷商らが、鉄格子を開けるやそう言ってきた。その手には鉈のような武器があり、複数人でやってきていて、抵抗するには少々分が悪いと思えた。
「早くしろ!」
怒鳴りつける男を睨みつけて、ゆっくりと立ち上がる。彼らが自分の言動一つ一つにイラつくのはもう知っている。もはやハルはそんなものを恐れたりはしない。だったら気が済むまで彼らをイラつかせてやろうと思った。男たちの前まで進んで、自分に繋がれている鎖を差し出した。
「へっ、よくわかってるじゃねか。」
「まぁね。でも、少しは警戒したら?」
「あ?」
「鎖で締め上げれば、人は殺せるでしょう?」
強気に出れるのは、ある意味自分の価値をわかっているからだ。そして、何をされてもいいという覚悟を決めている。今更、恐れたりなどしない。
「てめぇ、ぶん殴られてぇのか!?ああぁ?」
男は、面白いように挑発に乗ってきた。別に彼らを煽るつもりなどないのだが、さんざんされてきた仕返しがしたくなったのだ。それにしても、子供のように沸点が低いと感じた。奴隷商なんて荒くれ者はみんなそんなものだろうか。
「やりたければ好きにすればいいじゃない。大事な商品に傷をつけることになるけど。」
「この女(あま)ぁ!」
男は、直線的に腕を伸ばしてきた。何の警戒もしていなければ、おそらくその拳はハルの頬を捕らえていただろう。だが、誘いに誘った攻撃を躱すことはそう難しくない。冷静に相手の動きを見れば、思っているより遅いものだ。ましてや翼竜なんかに比べたら、それはもはや止まって見えるほどだろう。
腕の内側に体を滑り込ませ、男の上半身を背負うように背中を向ける。あとは勢いに任せて殴り掛かった腕を進行方向に引っ張ってやれば、案の定、男はハルの背中を滑りそのまま顔から地面に突撃した。遠征に出る前に教わった格闘術だ。まだまだ付け焼刃だが、ハルをただの小娘としか見ていない連中相手には十分通用するようだった。
鈍い衝撃音と共に男は呻き、その場で鼻を抑えながらじたばたとのたうち回っていた。
「この・・・ヤロ・・・。
「おい。その辺にしておけ。」
振り返るともう一人の男が鉈の刃を向けていた。こちらの方は、ずいぶんと落ち着いていて、今みたいな小技は通用しないだろう。
「てめぇも頭に血が上りすぎだ。ガキ相手に何ムキになってやがる。」
「先に言い出したのは、ガキの方で・・・。」
「そのガキに誘われて自分から手を出してたんじゃ世話ねぇな。」
ごもっともなことをいわれ殴り掛かった男は言葉を失った。
「てめぇは上の部屋で大人しくしてろ。俺たちがアスターさんのとこへ連れてく。」
そう言ってハルの鎖を握り、殴り掛かった男に牢屋の鍵を渡した。
(・・・あれ?)
先ほどこの牢屋を開けたのは今の鍵だろうが、そうだとしたら昨夜エイダンの仲間に託された鍵は何の鍵なのだろうか。
(・・・エイダンの言ってたもう一つの牢屋の鍵?でも、そんなもの渡してくる意味が分からないし、それとも、違うもの?)
合鍵ということも考えられるが、潜入中にそんなことしていれば怪しまれるだろうし、そもそも鍵が合わないかのせいだってある。彼が渡してきたあの鍵は一体何の扉を開くというのだろうか。
考えを巡らせながら、ハルは引っ張られていた。最初にあんなことをしてやったおかげかはわからないが、鎖を引く力はそれほど強くなく、歩きながら躓くということもなかった。
再びアスターのもとへ行かねばならないのはかなり億劫だった。トラウマになってはいないが、また何をされるかわかったもんじゃない。せめて、ソーラの顔だけでも見れればいいのだが。
以前よりだいぶ人気が少なかった。外に出払っているのか、聞かれたくない話でもするのか。なんにせよアスターの態度は相変わらずだった。
「来たか、白いの。お前に聞きたいことがある。」
以前は黙ってただ見ているだけのハルを、この男は力ずくでひれ伏させたが、今のハルにそんなことをする気はなかった。
「どうした?主人と話をするときはどうするか。もう一度教えないとダメか。」
そう言われても、ハルはただただアスター睨みつけていた。ハルを連れてきた男がしびれを切らし、ハルの後頭部を押さえつけようとした。二度同じことをされるほどハルはど素人ではない。以前と違い今は腕も自由なのだ。伸ばされた腕を平手ではじくことくらいわけない。
「触らないで。」
男からしたら死角を縫ったつもりだろうが、それもハルを侮っているが故だ。
「おい。お前は奴隷なのだぞ。私たちに反抗して無事でいると思っているのか。」
アスターの眉間にはしわが寄っていた。それでも座った椅子から立ち上がろうとはしない。ただ待つだけだ。それがハルにとっては大きな活路に見えた。
この男たちは基本的に力で何でも従えてきたのだ。力の弱い女子供を暴力で、力のある男でさえも数という暴力で押さえつけてきたのだ。たが、個々の力が優れているわけではない。牢屋前での出来事も、今もそうだ。
(この人たちは、武力に長けているわけじゃない。)
今でこそ、武器を持っているからこそ自分たちを捕らえることができているが、剣術に長けていたりするわけではない。ただの人間の一人だ。
そしてハルは今、彼らにとっては大事な商品だ。それが彼らの弱点になる。命を奪えないという制約を彼らが自ら設けているのだ。だからこそ、ハルは少しばかりの無茶な言動をとれる。
「私は奴隷じゃない。されて嫌なことをされれば反抗するし、生き残るためならば、あなたたちを殺すことも厭わない。」
強く、強くあろうと念じ続けながら、アスターを見据えそう言い放った。やれるものならやってみろと。鎖につないだ程度で自由を奪ったと思うなと。お前たちが私を傷つけようものなら、私はお前たちのうなじに噛みついてその首を食いちぎってやると。
「・・・なんなのだお前は。なぜそんなことができる。お前のそれは勇敢ではなく無謀というものだ。」
アスターの表情は、少し引きつっているように見えた。人差し指で貧乏ゆすりのように机を叩いて、いかにも落ち着きがない。それでも、アスターはハルに向かってこない。座ったまま立ち上がろうともしない。
「聞きたいことがあるんでしょう?」
無駄な話をする気はなかった。勇敢だ、無謀だなんて議論をこんな男としたところで何の哲学にもならない。もっとも、どれだけ長い議論になろうと、姿勢を変えるつもりなどないが。
ハルが話を促すと、アスターは部下に顎で離れるように指示を出した。二人きりになると、静寂が嫌に耳に痛かった。時間的に早朝だろうが、こんなにも音のないのは不自然にも思える。この砦でとやらはどれくらい大きさなのだろうか。レンガ造りの建物がそれほど防音に秀でているとは思えないが。
「先日、お前の仲間を一人殺した。」
「仲間・・・。」
「あぁ、グレイモアの労働者に紛れて御者をしていた奴だ。お前たちの迅速な行動には驚かされたが、尻尾をつかめれば始末するのは難しくない。労働者組合に紛れてうちの内情を知ろうとしたか、あるいは、お前たちを助けようとしていたか、だろう?」
「・・・さぁ、どうかな。」
とぼけたわけではない。アスターの話は、事実であろう。御者に紛れていたエイダンの仲間が犠牲になったのだ。だが、この男は一つ大きな勘違いをしているの。
「そして、この根城にもネズミが一匹紛れていた。ついさっき拷問部屋に連れて行ってやったが、お前たちのことを話すのも時間の問題だろう。吐くだけ吐かせたら殺すか売り飛ばすか悩みどころだがな。」
「その人は、たぶん私たちのことは何も言わないでしょうね。」
「強がりもいい加減にしといた方がいいぞ。すでにお仲間は少しばかり大事なことを漏らしてしまっている。・・・今日が、大事な日だったのだろう。」
「・・・。」
知られてしまったことは仕方がないだろう。ハルが拷問された時も変な薬品紛いのものを嗅がされた。何らかの術があるのだろうから、抵抗するのは難しい。だが、まだ無事なのであれば、助けられる見込みがあるはずだ。そして、大事な日とアスターは言ったが、何をする日なのかまではわかっていないのだろう。そして、エイダンの仲間とハルが同じ鷹の団であると思っている。だからこそ、
「お前とファルニール商会の娘さえ死守すれば、鷹の団は手を出せない。お前には人質になってもらうぞ。」
情報的な優位はハルにあるのだ。もちろん、違う牢屋へ移されたりしてしまったら、どうにもできなくなるが、その時のための準備はしてきてある。それに、ここまでねじれた状況になれば、もはや細かい作戦など意味を成さない。あとはなるがままに任せるしかない。
「・・・まい。」
「なに?」
「あまいって言ったのよ。私とソーラを守る?そもそも、あなたたちは私たちを守るような人じゃない。人質にして自分たちの逃げる時間を稼ぐのでしょう?そうなればあなたたちは大損。他の人たちにも逃げられ、奴隷商としてやっていけなくなるでしょうね。
「ぬかせ!この砦一つ失ったところで何の痛手にもならない。それにも他の連中にも逃げられるだと?ここには百人以上の私の部下がいる。グレイモアにもその倍近い戦力がある。これだけの布陣で何に逃げられるというのだ。」
やはりこの男は、戦いに関しては何もわかっていないのだろう。いや、この世界へ来る前の、向こう側で暮らしていたハルならば、アスターと同じように考えただろう。数の多いほうが勝つ。同じ人間同士の戦いならば多勢に勝るものはないと。だが、ハルはもう知っている。人が怪物と渡り合うこともできのだということを。
「だからあまいのよ。あなたが相手にしようとしているのは、鷹の団だ。あなたは、それがどういうことかわかっていない。」
ハルの言葉に、アスターはついに立ち上がった。ゆっくりと、足を震わせ、何かに怯えるように後ずさりをしながら。下げた足に椅子が当たり、アスターは一瞬転びそうになっていた。
まただ。この男を睨みつけていると、自然と眼球が熱くなりだす。目に直接お湯を架けられているみたいに。その熱は体にも伝染していって、全身が火になったように暖かい。不思議な感覚だが、気持ちの悪いものじゃない。いっそ燃えてしまってアスターを燃やしてしまえればいい。そんなことが思えるくらい落ち着いている。
ハルはアスターに一歩踏み出た。考えてみればこれは宣戦布告したみたいだ。ハルがそれを宣言する立場かというとそうではないが。そもそも、ソーラを連れさった時点で、彼らは鷹の団の怒りを買ったも同然なのだ。
「可哀そうな人。」
「なんだと?」
「自分が強いと思い込んでいる。それがどんな時も揺るがないと。」
実際彼は強いのかもしれない。現にハルは成す術なく捕まり、こんなことになっている。だがそれは、全ての者に平等に訪れるものだ。
「あなたは知らないのよ。自分より強い存在を。だからこそ、あなたは思い知る。世の理不尽さを。」
作戦なんてものは、はじめから上手くいくと思わないのが常識だ。全て単なる予定であって、現場では予定が狂った際の対応力が求められる。だから、天笛の合図が鳴らなかった時も、リベルトはさほど驚きはしなかった。
誰一人声も音もたてずに撤収する様は、見ていて清々しいものがあったが、人それぞれ焦燥に駆られているだろう。今日まで常に気を張り詰めさせて見張りや準備を整えてきたのだ。それが、全て台無しとはいかずとも、光明が見えなくなれば当然に心境だ。
その日、グラハムたちは状況の確認に追われていた。いや、そもそも確認なんてできなかったから慌ただしく動き回っていたのだろう。あとから報告に来た隊員によれば、牛車の御者に紛れていた隊員と連絡が取れなくなったらしい。当然、そうなれば孤立した奴隷商に潜伏している隊員からの情報も途絶える。奴隷に扮している者に至っては、何が起こっているかわからないだろう。
どっちが先かは置いておいて、二人の隊員、御者と奴隷商にいた隊員は殺されたと見るべきだろう。実際笛の音が成らなかったのだから、命があっても無事な状況ではあるまい。そして、何らかの形で作戦のことが割れてしまったのだ。その証拠に、大規模な戦力が砦に向かっていると報告が入った。グラハムの部下が見張りにはついているが、一応レリックら数人に直接見に行かせると、数は百から百五十程度、身なりは軍隊とはいかずとも軽武装に騎馬や牛車がいくつかついてきたとのことだ。しかも、それはグレイモアの労働者組合の牛車で、奴隷商と組合が繋がっていることが証明され、ハルたちがあの砦に捕まっているのはほぼ間違いないとわかった。増援は半分くらいが砦内に入っていって、残りは砦を囲うように布陣したらしい。数はともかく、奇襲するのには面倒な配置だ。
「こちらの戦力は、俺たちが二十。義兵団が六十くらいだったか。どう見るリベルト?」
グルードの指摘は単なる数の上での戦力差の話だ。こちらが八十しかいないのなら今向かっている増援部隊にすら及ばない。それに加え、砦にいるであろう数十の戦力を相手にしなければならない。数では圧倒的に不利な状況だ。だが、リベルトは戦力の大きさ事態に脅威は感じていなかった。
「教本通りの戦略を学んだ新人兵士からしたら、絶望的だろうな。」
「違いない、がっはっはぁ。」
グルードは楽しそうに笑った。当然冗談で言ったつもりはない。戦争において数は力だ。兵士の数で勝敗が傾くといっても過言ではない。少なくとも向こうは二百近い戦力があるとみても、三倍差以上の戦力差の戦争は敗戦濃厚である。だが、それは訓練された兵士同士での戦いだ。
「どれだけ数が集まろうと、奴らは所詮奴隷商。グラハムんとこの奴らはともかく、俺たちが遅れをとる連中じゃねぇ。」
武器を持てば全ての人間が、勇敢に戦えるかと言われれば、そんなことはない。武器を持たない人間に対して強くなれるのは事実だろう。だが、相手が同じように武器を持った途端、死の恐怖に怯えるのはお互い様だ。
「グルード、みんなに戦闘の準備をさせておいてくれ。グラハムの所へ行ってくる。少々血生臭くなるが、俺たちがやることは変わらねぇからな。」
「おう。あっちも素直に動けばいいがな。」
「そんときゃ俺たちだけで行くだけだ。」
これも決して冗談ではない。例え八十だろうが二十だろうが、そんなものは関係ない。奪われたものを取り返す。立ちふさがるなら十人でも二十人でもなぎ倒していくだけだ。
義兵団の陣営は、相変わらず慌ただしく、特に若い風貌の隊員らは表情が引きつっていたりした。年齢はハルと同い年くらいだろうが、その目に宿る意思はまだまだ青さを感じた。
(まぁ、そう易々と固まるもんじゃねぇからなぁ)
リベルトに余裕を与えている一番の理由は、捕まったのがハルであるということだった。あの娘には何があるわけでもない。たった一人で状況を打開できるような才能があるわけでもない。だが、仮にこの戦争で不幸にも命を落としてしまうようなことになっても、きっとあの娘は、無様な死に様を曝すようなことはしないと思うのだ。信頼とかではない。すべては彼女の目が語っている。紅く鋭い眼光の、あの目が、ハルという少女の底知れぬ強さを表しているのだ。
だからリベルトはソーラ一人を救うことに集中できる。もちろん、ハルのことも考えていないわけではない。必ず助ける。今度こそ。だが、自分たちの助けを借りずとも、あの娘は自ら逃げ出そうとするだろう。そんな気がするのだ。
それに、グルードに言ったように、自分たちがすることは何も変わらない。どんな結果になろうとも、奴隷商らと戦争することは同じなのだ。
「グラハム、ちょっといいか?」
義兵団の陣営で、唯一落ち着いているリーダーは、ゆっくり顔を上げると苦笑いを浮かべた。
「待ちに待てなくなったか?リベルト。」
「待てと言われれば待つさ。だが、そういうわけにもいかなくなってしまっただろう?」
グラハムは、今度はため息をついた。手で頭をぽりぽり掻いて、疲れた表情を見せてきた。
「そうだな。できる限り隠密に遂行したかったが、ここでそんなことに拘っている場合ではないな。」
敵の増援も確認され、戦いの規模もかなりい大きくなると予想される。奴隷として捕まっている者たちに犠牲者が出る可能性もあるだろう。
「理想の救助作戦にならなくて落ち込んだか?」
「理想はいつだって掲げているさ。今だってな。全員を無事にルーアンテイルへ送り返す。それが私の任務だ。」
グラハムの瞳は決して死んではいなかった。むしろ、いつもよりも生き生きしているかのように輝いていて、そして疲れた顔はすぐに引き締まり、何かを決意したようだった。
「私たちが正面から打って出よう。リベルト、そっちは反対側のから侵入を試みてくれ。必要な道具があればこちらから支給しよう。
「おいおい、砦の壁を登って行けとでもいうのか?」
突然何を言い出すかと思えば、そんな無茶なことを要求してくるとは。傭兵としてまだまだ現役とはいえ、壁登りなんて体に堪えることはごめんだった。
「登るのは若い子らに任せればいいじゃないか。砦は古く、所詮煉瓦造りだ。やり方は任せるよ。」
「へへっ。どっちにしろ無茶苦茶じゃねぇか。」
そう、本当に無茶苦茶な一点突破だ。だが、リベルトにとってはその方が性に合っていた。小細工など考える必要はない。すべてを力でねじ伏せる。今までもそうやってやってきたように。
「私たちは、夜のうちに砦正面に布陣する。お前たちは、こちらが戦闘開始の合図を出したら突入してくれ。」
「了解だ。グラハム。派手にぶちかましてやるよぉ。」
リベルトとグラハムは小長井に顔を見合わせ頷き合い、自分の部下のもとへ足早に向かって行った。
アスターに啖呵をきったあと、望んでもいない新しい衣服を着させられる羽目になった。木でできた手錠。目隠しのための黒い布。それとなぜか髪を縛る組紐。縄同然のボロさで髪が引っかかって痛かった。
加えて、土壁の牢には戻されず、砦の上階に閉じ込められてしまった。移動の際は目隠しもされて、砦の構造を把握するのは難しかった。何度か階段を上ったのでかなり上の階へ囚われたのはわかったが、それ以上の情報は得られなかった。牢に入れられて、視界が自由になると、一番初めに囚われた拷問部屋を思い起こさせた。空気口がいくつかあり、土壁の牢よりも格段に寒い。けれど、あの時と違い、もう寒さなど気にしなかった。
「ハルさん・・・。」
対面にもう一つ牢があり、ずっと心配だったソーラの姿があった。
「よかった。本当に・・・。」
今にも泣きだしそうなソーラの顔をみて、ハルもつい弱みを見せてしまいそうになった。今はまだそんな姿をさらすわけにはいかないのだ。今だけは、彼女のにとっての英雄であり続けなければならないのだ。
「ごめんなさい。私のせいで・・・。」
「・・・大丈夫。あなたは必ず助ける。私を・・・信じて。」
かける言葉は、全て幻想だ。エイダンがハルにかけたものと同じ。希望を持たせるための口実だ。それでも言わなければならないのだ。彼女を助けると心に決め、彼女自身にかっこいい姿を見せると断言したのだから。
「ソーラは、何も気にする必要はないの。私が必ずあなたを救い出すから。」
口を開けば開くほど、甘いことを口走っていることを思い知らされる。嘘や強がりを必死に隠していることを、見抜かれてもおかしくないだろう。それでもハルは笑い続けた。笑って、その目に灯した火を懸命に魅せ続けた。
「ハルさん・・・、はい。」
ソーラは、何か言いたげだったが、その表情が少しだけ血の気を取り戻したように見えた。それだけでいいのだ。その小さな変化が、現状を繋ぎとめることができる。十分な成果だった。
作戦前夜にエイダンの仲間が、どこのかもわからぬ鍵を残して去っていった後、ハルたちは何もせずに手を拱いていたわけではない。ハルは、必死に策を練るエイダンに一つの提案をしていた。それは、一度は口にした、脱獄して何とか外と連絡を取ろうというものだった。
「本気で言ってるのか?」
当然彼は、声を抑えるのも忘れて、大いに反対した。それは、他の投獄者たちも同じだった。皆々それを行うことの危険性を訴え、仮にそれをハルがやるのだとしても、そんな無茶はさせられないと。けれど、このまま何もせずいたら、きっと手遅れになってしまう。本当に潜入者の素性がばれ、作戦が台無しになってしまったら、明日にでも売りに出されてしまうかもしれない。
「抗う覚悟があるなら、自ら行動にしなきゃだめだと思うの。」
「むやみに突っ込んでも、何も解決はしないぞ。」
「策が無いわけじゃないの。もちろん、無茶なのは自分でもよくわかってる。」
逸る気持ちを抑えながら、全員とはいかずとも説得することができたのは、奇跡と呼べるかもしれない。何もジャンヌダルクのような英雄になろうなどとは考えていなかった。だけど、嘘でも見栄を張ってでも、他人を行動させる必要があったのだ。なにせ、ハル一人では他人を助けられる力などないのだから。
ハルは、賛同を得られた者たちに、してほしいことを伝え、エイダンとは細微なことを話し合った。
「牢の格子を外すのは、そう難しくない。ただ、時間はかかるし、見つかったら、元も子もない。やるなら、全てを終わらす時だ。後戻りはできない。」
「わかった。その時は、あなたに任せるね。それで、お仲間さんが渡してきた鍵だけど、何か心当たりはない?」
彼が何を思ってこの鍵を渡してきたのか。ちなみに、土壁の鉄格子はすでに試してある。当然開きはしなかった。彼が鍵を間違えたのならため息しか出ないが、そもそもこの牢の鍵ならば、渡さずにその場で開けてしまえばよかったはずだ。
「どこかの部屋を開ける鍵、とは考えているが、・・・考えられるのは、武器庫とかだろうか。」
「武器・・・確かに、あれば心強いけど。」
ハルとエイダンはともかく、他の者たちはルーアンテイルの住民、もう一つの牢にはグレイモアの人々だ。相手が奴隷商とは言え、武器があっても何も解決には至らないだろう。
「他には?なんか、外に連絡できるようなものがあるとか。」
「そんな魔法の様な道具があるなら、俺がここにいる必要はないんだがな。」
考えれば考えるほど、謎に包まれていく。せめて、何か一言言ってほしかったと思うが、当の本人は今どうしているかわからない。
「連絡に使えるもの・・・。角灯とか、大きな音を出せる太鼓とか。そういうのじゃない?」
「光・・・、音・・・、仮にそういったものがあってどうやって・・・。」
「あるの?」
「あぁ、この砦の中心に、灯台があるのさ。グレイモアから来たなら、見たことはあるだろう?」
「灯台・・・、あっ、大きな鐘があるっていう?」
「あぁ、あの街程大きなものじゃないが、同じものがこの砦にもあるはずだ。構造上、鐘の音がグレイモアまで届くようになっている。けど、鐘なんて鳴らしても合図にならんだろう?」
エイダンはそう言うが、彼の仲間が何かを思いついて、その灯台の鍵を渡してきた。彼は自身が役目を果たせなかったとき、それをエイダンにあるいはこの牢の誰かに託したと考えられる。本来彼は、天笛で吹き鳴らし、対となる地笛を持つ義兵団の本体へ合図を送る手筈だったのだ。そこでハルはあることに気づいた。
「できるかもしれない。鐘楼を鳴らして、砦の外の人たちに連絡を取ることが。」
エイダンはもちろん、片耳で聞いている他の者たちも、首をかしげていた。ハルが思いついたのは、これまた難しいことだ。何せ、どれくらいの大きさかはわからないが、正確に鐘を鳴らさなければならないのだ。
「一、三、三、ってわかる?」
「いちさんさん?なんの話し・・・。」
エイダンが、何かに気づいたように動きを止めたのを見て、ハルは思っていた通り、エイダンにもその知識が備わっていたようだった。
「・・・わかる。理解できる。」
「じゃあ、一、七、八、は?」
「わかる。それだ。それを使えば外に連絡を、いや、突撃を促せる。」
初めて光明が見えた瞬間だったが、決して安全な道ではないことは、ハルも理解していた。しかしエイダンも、もはや迷っている時間なしと了承してくれたのだった。
案の定、想定外のことが起きてしまった。ハルは、別の牢へ移されてしまい、砦内は何やら騒がしかった。ソーラと再会できたものの、本来であれば今日、奴隷商らが捕らえた物を売りに出す日だったはずだ。動けるのは今日の内か、あるいは明日の朝までだ。それまでにどうにか自由にならなければならない。鍵を持つエイダンと合流して、作戦を遂行させなければならないのだ。
初めに木枷を、次に牢屋の扉を。そして、灯台へ。道中、奴隷商が邪魔しようが関係ない。這ってでも目的を遂行させる。
(それが、私が今すべきこと。)
情けなさよりも、何もない自分を恨みたくなった。なんの力もない自分が、嫌になった。自分が特別じゃないことが、いや、ある意味自分は特別な存在なのだろう。そうでなければ、こんなことにはなってはいまい。せめてもう少しだけ、何かを変える力があってほしいと願った。それこそ、魔法のような力を。全てではなくとも、たった一つの窮地を覆す力を。
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