英雄の在り方

やると決まれば、その時を待つだけなのだが、興奮を鎮めるというのもなかなか難しいものだった。クリスマスやバレンタインのような、謎の浮かれたテンションとは違う。これから大きな大舞台に立つかのような、緊張感に近い。今までそんなもを経験したことなどないが、それに立つ人々はきっとこんな気持ちなのだろう。

牢屋に奴隷商らが入ってくることはなかったが、気取られないように必死に自分を押し殺していた。

決行日まで一日半ほどあるなか、エイダンからその他の細かい情報を聞いたが、今ハルたちがいる牢屋から離れたところにもう一つ土壁の牢屋があるらしい。そちらにも相当数の捕縛者がいるようだが、エイダンを含め義兵団はそちらの救助は考えていないらしい。つまり向こうの捕縛者は作戦のことを知らずにいる。作戦に支障はないのかとエイダンに聞いてみたが、どうやら向こうに囚われている者たちは、いわゆる信用のならない荒くれ者たちらしい。そんな奴らに情報を与えて、奴隷商に伝わりでもすれば作戦は台無しになりかねない。もちろんそれはここにいるルーアンテイルの住人にも言える話だが、向こうはその比ではないのだろう。

ハルは、ほんの一瞬助けるべきだと考え、それをエイダンに提案したが、彼は言われずともそのつもりだという。ただ、そう心配するほど彼らが危険にさらされることはないという。

ここの奴隷商らとエイダンの所属する義兵団は、何度か小競り合いを起こしているらしい。直接ぶつかったこともあれば、義兵団が裏で奴隷たちを解放していたりなど様々だ。そして重要なのは、彼らが義兵団を警戒し、ここしばらく思うように売買が行われていないことだ。結果奴隷商らは守るべき商品を抱えすぎたのだ。商品、つまり奴隷が増えすぎたことで身動きが取れなくなり、砦に追いやられたのだ。今の状況はこれまで義兵団が練りに練った策にはまった故だそうだ。

「奴らは、自分たちを邪魔している存在が俺たち義兵団だとは思っていない。」

「どうして?」

「時には王国兵、時には森の盗賊団。様々なものに扮していたからな。向こうからしたら、特定の集団に襲われているとは思わないだろう。適度に追い詰め、奴らをここへ閉じ込めることに成功した。それが俺たちの今までの成果だ。」

閉じ込めたのはいいが、今度はカタツムリのように動かなくなってしまい、手が出せなくなってしまった。そこで少し強引だが、潜入任務により内情を探ったのちの突入作戦を決め込んだそうだ。

作戦が始まれば奴隷商らは、奴隷を守るために命を懸けることはしないはずである。つまり、奴らに奴隷を守り切れないと判断させることができれば、その時点で戦いには終止符を打つことができるだろう。簡単とはいかないが、優位な立場にあるのは間違いないだろう。

だが、優劣などほんの些細な出来事で覆るものだ。


それは、作戦前夜だ。ハルとしては、今か今かとその瞬間を待っている最中だった。

一人の奴隷商が、牢獄入り口の階段を速足で降りてきたのだ。囚われている誰もが不思議そうにその男を見やった。男は階段を半分ほど降りて、鉄格子の隙間から何かを投げ入れたのだ。入り口付近に転がったそれは鍵だった。それが鍵であり、何の鍵であるかを認識するまでハルは数秒かかった。そして、それが投げ入れられる意味を理解することができなかった。

「え?」

誰かが、小さく呟く声が牢獄の中に響いた。男は何一つ告げず、階段を上って去ってしまった。

ペタペタと駆け足でエイダンが入れられた鍵に近づき拾い上げた。そして、囚われている者たちを見回し、

「あんた、これを服の中に!」

と、一番厚手の服を着ている女性に鍵を隠させた。

「あの、何が?」

「どういうこと?」

「あの男はいったい・・・。」

みんなから同様の声が漏れ出てくる。

「エイダン、どうしたの?」

ハルはエイダンに歩み寄り、深刻そうな表情を浮かべる青年の顔を覗いた。エイダンは、いつものように手で奥へ来るよう招いて、ハルもそれに従った。

奴隷商らの、夜の見張り交代を確認してから、数人が奥のほうへ集まった。不安げなみんなの中に、エイダン一人がさらに辛そうに眉間を歪ませていた。

「その鍵はたぶん、この牢屋の鍵だろう。」

エイダンの言葉に無言で驚く一同。顔を見合わせたり、胸に手を置き身を縮めている者もいる。彼の言葉が何を意味するか、それを察したのだろう。」

「みんなよく聞いてくれ。明日の朝、おそらく同胞は天笛を鳴らせないだろう。さっきのやつは、義兵団の同胞だ。」

「じゃぁ、さっきのは。」

「おそらく、いざという時のための保険だろう。俺たち自身で牢屋から出られるように。」

自ら檻を出るという行為はとても危険なものだ。何せ武器はないわけだから、出てすぐに捕まるか、あるいは殺されることだってあるかもしれない。そんなリスクがある中で牢を出たとて何にもならない。

「その、いざがあるかはわからない。だが、明日は何も起こらない。たぶんな。・・・同胞が何らかの理由で素性がばれたのかもしれない。」

作戦の開始は、潜入中の義勇兵が天笛を鳴らすことから始まる。さっき来た男がそうだというのならば、そしてエイダンの言うとように感づかれてしまったのなら、今まで耐えてきたのが水の泡になってしまうだろう。

「なにか・・・。」

ハルは、焦る気持ちを押さえつけながらも必死に声を吐き出した。みんながハルに視線を集める。

「なにか、別の方法で、外に合図を送れれば。」

鍵があるなら、危険を承知で外へ出て、違う方法で合図を送れるはずだ。それこそ、ハルは囮を買って出るつもりだった。だが、冷静に考えれば考えるほど、それはあまりにも無謀すぎた。

「合図といっても、何でもいいわけじゃない。仮にそれが叶ったとして、義兵団がそれを合図と受け取るかわからないんだぞ。天笛から出される音は、対となる地笛からしか鳴らない。それが鳴らなければ、作戦は中止される。」

「そんな・・・。」

この直前で、ここまで来てという思いがみんなの心に浮かんでいるだろう。ハルも、苦虫をかみつぶしたような気分を味わっていた。だが、嘆いている暇はない。エイダンの仲間が感づかれたのなら、作戦のこともバレてしまうかもしれない。そうなったら囚われているこちらも危険になるかもしれない。

「これからどうなるかわからない。とにかく奴らに不審に思われないように注意してくれ。それだけみんなに考えていてほしい。」

そう言ってエイダンは、一人輪から離れていった。導く立場の人間がぶれてしまえば、その動揺は全員に伝わる。義兵団とはいえ彼もまだ若い青年だ。不測の事態に即刻対応できるほど優秀じゃない。もっとも、今の場合例え優秀であっても、新たな策を講じられるとは思えないが。

作戦前の夜は酷く静かだった。みんな端っこのほうで終沈していて、言葉を発するものはいなかった。誰もが、何かが起こることを望んでいた。何も起きないことのほうが恐ろしいのは悩ましいジレンマというものだ。義兵団が無事でいることを祈り、作戦が滞りなく進むことを願っている。例え作戦で命の危機にさらされようと、今は何も起きなことのほうが恐ろしいと思えるのだ。

だが、世の中はそう上手くはできていない。不運か、あるいは絶望と呼ぶものは、唐突に訪れるものだ。ハルは、先日エイダンが言った言葉を思い出していた。


―――希望が無いことと、絶望することは違う―――


牢屋を見渡して、今ここにいる者たちの中で、絶望していないものなどいるだろうか。紙一重で気持ちを繋ぎとめている者たちばかりだ。彼らは訓練された兵士ではない。死に怯え、恐怖に抗う術を知らないのだ。平穏を愛し、日常に戻ることを望んでいるはずだ。

それはハルも同じだ。傭兵団に所属しているとはいえまだ新人で、所詮は一般人とたいして変わらない。だが、ハルは再び胸の内に火が灯るのを感じた。怒りにも似た荒ぶる感情が、燻っていた心を燃え上がらせようとしている。作戦が失敗しようと、生き残ろうという意思は変わらない。弱き人と蔑まれようが、英雄と揶揄されようと、自分が成るべき姿は自分で決める。それが運命を変えられるような意思の力ならば、醜く恐れられるようなものであっても、それをきっと望むだろう。希望なんて必要ない、自分の意志で絶望に打ち勝って見せる。それが、ハルの矜持なのだ。

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