迷宮
人の意志は時に巨大な力となって人に牙を向ける。人の意志ほど恐ろしいものはこの世にない。
往路でのキャラバンの被害は荷馬車二台分と馬数頭。片方の馬車には相当額の商品が積まれていたが、その半分は売り物にならなくなっていた。全体に一割にも満たない損失だが、それでも大きな被害と言っても過言では無いだろう。
どうしてこんな危険を冒してまで、遠くへ品を売りつけに行くのか。正直ハルにはわからなかった。もちろん交易というものが、利益だけでなくその都市への発展につながることはなんとなくわかるが、命を賭してまでする価値があるとはおもえなかったのだ。
「・・・なんなの、これ?」
ソーラの横に詰まれた木箱に並々入った銀貨の山に驚きを隠せなかった。ソーラは会計として、売れた品、金額から売り上げを算出しているところだったが、ハルの驚きっぷりに始終笑っていた。
「そんなに口開きっぱなしだと顎取れちゃいますよ?」
そうは言うが、かつてハルが団からもらった初任給の、銅貨が詰まった袋よりも大きな木箱が7段も積まれていて、それが全て銀貨であるというのだ。
この世界の貨幣制度は基本的に銅貨で数えられる。銅貨一枚が最小単位、つまり向こう側でいう一円を意味するわけだが、銅貨だけでは当然不便なので、銅貨百枚相当の銀貨が存在する。こういった巨額の取引の際には銀貨が採用されるらしい。つまり、商人たちの取引は一般的な取引よりも百倍の価値のあるものということになる。百倍とはいえハルからしたら銀貨は百円玉ということになるが、価値でいえば一万円相当になるだろうと考えていた。ルーアンテイルでのことだが、アンジェとともに街で外食に出た時は一食大体銅貨10から15枚程度だったのだ。正確な数字はわからないが、銅貨が百円と考えるのが妥当なのではないだろうか。
となると、今ここに積まれている銀貨の箱。ひと箱に数百枚。仮に五百枚ほどだとしても五百万円。7箱で三千五百万円がハルの目の前に無防備にあるわけだ。今朝リベルトは気楽なことだと言っていたが、ハルは気を緩めることなどできなかった。
「ソーラ。私、絶対守ってみせるから。」
「そんなに気合入れなくてもいいんじゃないんですか?」
ハルはいたって真剣なのだが、ソーラには笑って済まされてしまった。
場所はグレイモアの外れにある小さな広場だが、今は無数の人々がその催しに足を運んでいた。そこには荷馬車の屋根を一時的に取り外し、鮮やかな模様が施された絨毯で飾りつけされた屋台風の商店がずらりと並んでいる。商会の者たちは正装に身を包み、いつになくその表情には笑顔が溢れていた。あるものは交渉に励み、あるものはルーペのようなガラス器具で執拗に品々を見つめ、あらゆる人物がルーアンテイルの産物を物色していた。
商品は次々と跳ぶように売れていく。小売りから、大口の取引まで一切休まることはなかった。
ハルがいるのは荷馬車商店の裏側のテント中。ソーラに付き添う形で金銭の警護をしている。とはいえ周りには荷馬車、更に広場には団の傭兵が至る所に張り付いているため、警護の意味はほとんどない。むしろ木箱を運ぶ手伝いなどのほうが多いくらいだ。
「買いに来てる人って一般人だけじゃないんだね。」
「もちろんそういうお客もいますけど、小売りの売り上げっていうのは微々たるものですから。」
今も奥のほうの荷馬車の中で行われている、グレイモアの商人ギルドとの交渉はそれこそとてつもない額の金銭のやり取りが行われているらしい。もちろんその場で新たな交易が始まることもあるという。当然ルーアンテイルに持ち帰る品もそろえるのだ。
「私たちが街々を行き来するのには大きな意味があるんです。いくら巨大な街でも、できることは限られていますからね。それにグレイモアは、西の海向こうの国と貿易を行っているので、これらの商品がさらに向こうへ運ばれることもあるんですよ。」
「へ、へぇ。」
ハルとしては、理解できる部分とそうでないことが半々だったが、大変なことだということはわかった。向こう側では、しがない一学生の身であったため、経済の仕組みなど全然わかっていない。だが、客観的にみて文明が劣っているこちら側の世界でも、そういった概念が共通していることに驚いていた。
「ソーラちゃん、新しいの、お願い。」
テントの幕が開いて、商会の一人がまた大きな木箱を三、四つ運んでくる。どかんと、大きな音と共に、中の銀貨が小気味良い音を立てながら跳ねる。
「はい。新しいの来ましたよ、ハルさん。」
「え、また数えるの?」
ソーラはいたって自然な笑顔をハルに向けていた。ハルからすれば、銀貨の箱を突き付けられて笑顔でいる理由が思い浮かばないのだが、どうやらここに配置された時すでに役割は決まっているようだった。
「私の仕事、警護なんだけど。」
「働かざる者食うべからず、ですよ?」
働いているはずなのだが、今のソーラはぎらぎらとした目つきで羊皮紙と筆を手に構えている。
(私、算数苦手なのに・・・。)
ため息をつきながらも、ハルは銀貨を数え始めた。日本の硬貨と違って板状になっていないので、積み上げることはできず、かといって横に並べようとしても、形が歪なので転がって列が乱れてしまうことも多々あった。とにかく面倒くさいことこの上ない作業だったのだ。
「ハルさん。手、止まってますよ。」
「はいはい・・・。」
ハルは、午前中そうしてずっと商会の仕事の手伝いをさせられていた。
太陽が真上を過ぎた頃。不本意な業務から解放されたハルは、ソーラに引っ張られてグレイモアの中心街へ赴いていた。商会は今もなお荷馬車商店を開いており、着実に稼ぎを上げているようだ。ある程度仕事が片付いた折、午後は非番ということになったソーラのおまけでハルも警護、もとい雑用を解かれたのだ。とはいえ、
「なんか、久々に頭使った気がする。」
ぼそりと呟いたハルの言葉は、どうやらソーラには聞こえなかったみたいだ。
「何か言いました?」
「ううん。なんでもない。気にしないで。」
学校の勉強以外で算数を、しかもただ数を数え続けるという、電卓一つで済むことを体感数時間もかけて行うのはなかなか辛いものがあった。
とにかく、午後はやりたいことをやろうとハルは気を切り替えた。ソーラは相変わらずこちらのことを気にもせず、ハルを引っ張っていっている。いや、ようやく一緒に街を歩けることがよほどうれしかったのか、あるいはなにか見せたいものでもあるのか。ハルにはどれも相応の少女の振る舞いに見えるが、ヘレナによればこれは全て自分にだけ見せる稀有な一面だという。十三の女の子がそこまで相手によって振る舞いを変えているのもおかしな話だと思う。おそらく本人は自覚がないのだろう。
何が違うのだろうか。年齢、性格、思いつくだけでもいろいろと考えられるが、どれも曖昧な憶測にしかならないものばかりだ。なぜソーラは自分にだけ、こうも明るくなれるのか。
「ねえ・・・。」
「はい?」
「あっ。」
考えてばかりいたせいで、思わず言葉が出てしまっていた。
本人に聞いて解決できるならよかったのだが、そんなに簡単な話じゃないだろうに。
「ハルさん。疲れてますか?」
「・・・ううん。大丈夫だよ。お腹すいちゃった。」
「じゃあ!おいしいギャレットのお店があるんです。行きましょう!」
ソーラはぱぁっと顔を輝かせてハルの袖を掴む力を強くしてきた。ギャレットが何かを聞くのは、店についてからでいいだろう。今の彼女はとにかく楽しそうで、物心ついて間もない幼子のようだった。
グレイモアの街は、至る所に水路が引かれている。向こう側のヴェネチアのような船が通れる水路ではなく、川の水を街中にいきわたるようにして、いわゆる上下水が引かれていた。流れている水は澄んだようにきれいで、変な臭いもしないことから、排水などは流れていないのだろう。そうなると何のためにひかれているのか疑問に思うが、水が身近にあるというのはいろいろと便利なものだ。向こう側のように飲み水としては無理でも、手を洗ったり料理に使ったりと、時には火事の際に使用されたりなど。何より街の景観はとても美しいものだった。ルーアンテイルのそれは建物の大きさに圧倒されていたが、統一感のあるグレイモアの街並みは、外国に旅行へ来たような感覚へさせられた。
街を歩く人々は、皆独特な服装をしており、なおかつそれぞれ異なる雰囲気の服装だった。ソーラによると、港町故に多くの国々の文化が入り混じっているため、服や料理、それらを呼称する言語が多種多様なのだとか。
「ギャレットっていうのも正式には、カルントっていう料理だったんですけど、海向こうの人たちの訛りが入ってそういう風に呼ばれているんですよ。」
楽しそうに語るソーラを横目に、ハルは他のことに気を取られていた。それは、最近ではあまり気にしなかったことなのだが、あからさまな変化が昔の感覚を蘇らせていた。
「ソーラ。早くお店入ろ?」
「え?あ、はぁい。」
ソーラおすすめのその店には、すぐ近くまで来ていたようで、幸いにも店内も空いていた。
店の雰囲気は明るく、それでいて落ち着いた雰囲気だった。ハルの常識が向こう側の一般的なファミレスであるので、世界の違うものどうしで比べようがないかもしれないが、客観的に見ても、
「・・・いい店だね。」
「そうでしょう。いつもは、スカーとグレンが一緒だから、なかなかこういうお店は入れないんですよ。」
そう、いい店だ。学生だった頃の気持ちが再び芽生えたようだった。よさそうなお店。友達と共に入りたくなるお店。そんな、いつか忘れていた心がハルの中に再び蘇っていた。
適当な席に着き、注文はソーラに任せていた。何せ、言葉は理解できても文字が読めない。その点もこれから学んでいかなければならないだろう。
「ギャレットっていうのは、フム粉を煉って薄い生地にして焼いたものなんです。」
ソーラの説明聞く限りだと、どうやらクレープの類に近いかもしれないとハルは理解した。向こう側でも、蕎麦粉を同じように使った料理があったような気がするが、合わせる具材が海鮮物であることから、また別ものだろう。
運ばれてきた料理には、生地が皿に敷かれ、その上にぷりぷりとした身の刺身や緑黄色の野菜が盛り付けられていた。生地は想像した物とは違い、深い緑色に黒い粒々が混ざっているもので、野菜との調和のとれた料理だった。
「そういえば、さっき周りきょろきょろしてましたけど、どうかしたんですか?」
「え?・・・ちょっとね。」
実を言えば、今も他の客から少しだけ嫌な視線を感じていた。ソーラは気づいていないようだが、ハルには視線の意図がある程度読み取れていた。
(やっぱり、珍しいものなんだな。)
ギャレットを切り分けながら、ハルは懐かしい面持ちに浸っていた。懐かしいといっても、決していいものではない。こちら側で生活し始めてわかったが、どうやら白髪が珍しいというのは、この世界でも共通なようなのだ。
街の人々の視線は、物珍しそうなものを見ているそれと同じだった。向こう側と違うのはそこに忌避の念がないことだろう。だが、こちら側もそれとは別の違う感情があるように見えていた。
(なんか、避けられているように見えるけど、気のせいかな・・・。)
腰に剣を帯びているせいだろうか。そうはいっても、リベルトたちのような武骨で巨大な得物を背負っているわけでもない。むしろ上着に隠れてほとんど見えてもいない。それとも身なりが汚れているからか。確かに、この街の人々はみな華やかな格好をしているが、ちらちら見える仕事人や、料理人だって前掛けなどは汚れている。なにか違うのだろうか。
そんなハルの思案を他所に、ソーラは無邪気に午後の計画について話し出した。
「私、お母さんにお使いを頼まれてて、それもあるから、先にハルさんの買い物に付き合いますよ?」
「そう?なら、着るもの調達したいかな。あとは、・・・そうだなぁ。」
以前だったら、お土産、なんて呑気なことを口走っていたに違いない。欲しくないわけではないが、かさばるし、今の自分では管理しきれない。資金も限られているから、もっと実用的なものを買うべきだろう。
「あとは、歩きながらでも考えるよ。」
その買い物も、ほとんどソーラ次第だが、彼女はどんと任せてほしいと張り切っていた。ソーラの底抜けに元気な姿を見せつけられて、ハル自身いろいろと考えていたことがどこかえ行ってしまった。
(こんな風に、ヘレナさんたちの前でも笑えればいいのに。)
今そんなこと言っても、困らせるだけだろうが、せめてソーラがどう思っているかを今日の内に聞けたらいい。買い物に夢中になれば、そういう話も傷跡を残さずにできるだろう。
そして、少しずつ打ち解けていけたらいいと、そう思いハルは残りのギャレットをソースも残さず平らげた。
日が暮れ、辺りが暗闇に溶け出すと、グレイモアの外れにある鷹の団とファルニール商会がキャンプを張っている場所は、多くの松明が掲げられ、人々が慌ただしく動いていた。。その多くは商会の者たちで、明日再び街へ販売しに行くための準備が行われていた。
ただ、その一角に、それとは別の理由で集まっている者たちがいた。篝火を囲んで座りもせずに、足をぱたぱたさせたり、同じところ行ったり来たりしている。
そこにいるのは、ヘレナ、リベルト、レリック、それとアンジェにレーサーだ。彼らは何も言わずに各々落ち着かない様子で、何かを待っているようだった。
「迷子ってことが考えられるか?」
リベルトがしびれを切らしたように口を開いた。
「広い街だからね。ありえなくはない。けど、戻ってこれないっていうのはないと思うんだ。川が街の真ん中を通っているから方角はある程度分かるだろうし、迷っても抜け出せないほど入り組んだ街並みじゃないはずだ。」
レリックも、まるで自分に言い聞かせるかのように言った。アンジェのレーサーも当然だとうなずいていた。しかし、そうはいうもの、ヘレナの表情は硬いままだった。
ハルとソーラが暗くなっても帰ってこなかったのだ。今、傭兵たちが複数人で街に探しに行っているが、探し始めてから鐘の音が三回ほど鳴っている。深夜になれば、グレイモアもほとんど明かりがなくなり、街の出入りもできなくなる。
「なぁヘレン。ソーラ嬢は、この街初めてじゃなかったよな?」
「えぇ、でも、二回くらいしか着たことなかったと思う。それにあの子、地図は苦手だったから。」
「でも、ハルも一緒に迷子になるってことはないと思うんです。あの娘、文字は読めないですけど、私が持ってる地図はすぐに理解できていたんで。」
ヘレンもアンジェも、それについては否定しなかった。その場の誰もが考えづらかったのだ。二人で迷子になるという状況があり得るのかと。
「ふぅ。リベルト悪いがわしは先に寝るぞ。年寄りにはつらい時間だ。」
レーサーが、煮え切らない表情のまま席を外した。
「あぁ、すまなかったな。」
リベルトが声をかけると彼は後ろ手に手を振って、自分のテントに戻っていった。
「そろそろ四回目の鐘が鳴る。親父、天笛を鳴らしてみんなをもどさないと。」
そこへ、探しに行っていたラベットとドランが共に報告に来た。
「どうだった?」
「だめですね。白髪と茶髪の女の子二人組を見た人は結構いるみたいでした。ただ、やっぱり目撃情報だけで、その先までは・・・。」
ラベットの報告にリベルトもヘレナもため息をつかざるを得なかった。
「すいません。それとは別に、妙なものが街に出回っているみたいで・・・。」
彼は、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。みんなに見えるようにそれを広げると、そこには驚くべきことが記されていた。
端的に言えば、それは王国の勅旨のようなものだった。それ自体がグレイモアの街にあることはさして珍しくない。当然ルーアンテイルにも同じようなものが触れ回っていることがあるのだ。
「王国、最後の王位継承権を持つ、白髪の君を求む。見つけ出したもの、あるいは連れ戻した者たちに多大なる褒章を与えん・・・。」
レリックがそれを読み上げると、ヘレナ以外皆動きが固まってしまっていた。
「どういうことなの?リベルト。」
困惑するヘレンを見ずに、リベルトは眉根にしわを寄せて腕を組んだ。
「これはぁ、つまりそういうもんだってことか?・・・」
リベルト自身も、腑に落ちない様子だったが、現状そうと考えるのが妥当だ。事情を知らないヘレン以外は、青ざめた表情で頭を抱えていた。
「ヘレン。今回の件、相当複雑な経緯が絡まってる。ソーラ嬢は、たぶん巻き込まれたんだろう。なんにせよ、ある程度状況がつかめてきたのは確かだ。」
「わかるように言って、リベルト。これと、あの子たちがどう関係あるの?」
「心して聞けよ。ヘレン、どうやらハルは、アストレアの王族と関わりのある人物らしいんだ。」
リベルトの言葉に、ヘレナ何も答えることができなかった。
翌朝、商会は昨日と同じように商売に勤しんでいたが、警護についていた鷹の団の数は半数近くに減っていた。
鷹の団は、行方が分からなくなったハルとソーラの痕跡をたどっていたのだ。とはいえ、そこいらに足跡が残っているわけもなく、推測と予測による雲をつかむような厳しい捜索だった。
まず初めに、二人の目撃談が多かった中央街にて、そこで食事をしたと思われる店で話を聞いていた。むろん当時の客が再びそこにいるわけではないため、しばらく張り込みように訪れる客に声をかけていたのだ。
他にも、二人が街へ繰り出す前に商会の者たちが、二人がどこへ向かうか話し合っていたことを思い出し、そこから向かったであろう商店へ事情を聞きに行ったりと、わずかな糸口でも逃さず手を尽くしていた。
しかし、当然二人の道筋は途絶え、行方を探ることは叶わなかった。
「このままじゃまた日が暮れる。グレイモアの滞在期間は六日の予定だけど、あと三日間探し続けても見つけられないよ。なにか、別の策を考えないと。」
鷹の団のテントでレリックが情報共有している皆にそう言い放った。そうはいっても、手掛かりすらつかめないのに、策など誰も思いつくはずがない。
「親父!」
じれったい気持ちを父親にぶつけるも、当のリベルトは地図を見ながら黙って何かを考えているだけだった。
「こういう言い方はしたくないけど、ハルはともかく、ソーラちゃんは護衛対象だ。そんな子を探さずにこの街を出るわけにはいかないよ!」
「・・・わかってらぁ、レリック。少し待て。焦っても、何も解決しないぜ。」
「・・・でも。」
レリック自身もそんなことはわかっているといわんばかりに唇を強くかんでいた。そんな中、リベルトは目を閉じて、指を地図の上に走らせ、ペンで文字を書くようにその指で空に文字を書きなぐり始めた。彼は、皆が不思議そうに見つめる中、しばらくそうして文字を書いていた後、唐突に目を開いて指を止め、今度は首を左右に傾げ始めた。
「明日からやることを支持する。レリック、前衛隊を率いて、全ての街の出入り口に張り込んでくれ。人の流れを探るんだ。」
「人の流れ?」
「どういうやつらが街にきて、出ていくのか。人も馬車もなんでもだ。」
リベルトは、あくまで淡々と指示を出していた。その表情からは、焦燥も苛立ちも見られない。
「後衛隊は、半分に分かれる。今日と同じように商店の警護と、もう半分は、労働者組合のとこへ行くぞ。そっちは俺が指揮する。以上だ。とりあえずみんなを連れ戻せ、今日はもういい。」
リベルトは話し終えると、解散を命じて、テントを出ていった。みんなどういう理屈で作戦を命じられたのか分からなかったが、それぞれ団長を信頼してか、会議はお開きとなった。
再び日が昇り、みなそれぞれリベルトの指示通りに行動していた。前衛隊は、城門や川の貿易船の張り込み。リベルトが率いる後衛隊の手練れたちは、グレイモアの労働者たちが集うギルドに足を運んでいた。労働者言えば聞こえはいいが、要は奴隷の一歩手前の存在である。堅気じゃない連中は、やはりどこにでもいるもので、そういった場所は当然、腕っぷしが必要になるのである。
「まず初めに仮定したんだ。二人が帰ってこれない理由は何か。」
「親父は、なんだと思ったの?」
リベルトはラベットたちが持ってきたアストレアの勅旨を開いて見せた。
「こんなものが出回ってるんだ。誘拐されたっていうのが妥当だろう。迷子なんかじゃない。問題は、だれがそれを行ったかだが、この勅旨をみて、直接ハルをアストレアに献上しようって輩は限られてる。グレイモアのお偉い連中は、褒章目的じゃなくても政治的カードとして白髪の君を手に入れようとするのは十分にありうる。だが、アストレアはもう国として成り立たないほど衰退して、今更無理に関わろうとはしないだろう。いくら白髪が珍しとはいえ、王国が探してるのがハルって確証だってないんだ。」
レリックも、アストレアの情勢と国の衰退については理解していたから、それには納得できていた。事実ファルニール商会はリスクを承知で交易の拠点をを売り払い、ルーアンテイルに撤退した。グレイモアからも多くの失業者を生み出し、そういった者たちは野盗紛いの輩に成り下がった。グレイモアは決してアストレア王国と深いつながりのある街ではないが、アストレアが属州と呼ぶ地域にある影響でそれなりの関係はあるのだ。
「ハルはあんな見た目をしてる。こんなのが無くったって色物として欲しがる連中がいてもおかしくはない。もっと俺たちが気にするべきだった。」
「じゃあ、二人は。」
「おそらく人攫いに捕まったんだろう。」
父親の言葉に、レリックは苦虫をすりつぶしたように顔を曇らせた。
人攫いというのは、その名の通り人攫って行く者たちだ。なぜそんなことをするのかというのも明白で、人間そのものを商品として売りつけるだめだ。捕らえた人の意志などお構いなしに暴力で従わせて、あらゆるものを奪いつくしてから、その体を金持ちの道具として売り出されるのだ。売られた先では、同様に従わせられるものもいれば、犬猫と同じように愛玩されることもある。どちらにしろ、そうなった者たちは、人と呼ばれることはない。多くの場合は奴隷と称され、人としての権利など持ち合わせていないのだ。
「ハルとソーラ嬢は、もうこの街にはいないだろう。だが、まだ売られているとは考えにくい。」
リベルトの思考は至って冷静だった。頭の中だけでなく態度も、表情にも、焦りの念は見られなかった。現状が芳しくないことはリベルトも理解していた。人攫いに攫われ、恐怖に怯える二人のことを思えば、様々な感情が湧き上がるのもわかる。だがリベルトは、決して動じてはいなかった。
「人攫いは、基本的に獲物を捕らえるだけだ。捕らえた連中を街から運び出し、檻に閉じ込めておくのは奴隷商のやることだ。そして、人間を運ぶときは大きな牛車を使う。」
父親の言葉に、レリックは目を大きくさせて答えた。
「牛車なら何度か街を出ていったのを見た。臭いからして干し藁なんかを運んでるように見せかけてたんだろうけど、・・・。」
「あぁ、中身は人間だ。」
「なんてこった。前来た時には、人攫いなんていなかったのに。」
以前のグレイモアでは、港町に相応しい高潔な人たちがいる街だった。だが、リベルトも今回街にやってきて、嫌な空気を肌で感じ取っていたのだ。
(商売はともかく、この街はもうだめかもな。)
王国の内乱による統治が揺るぎで、周辺地方の大都市は軒並み力を失って行っている。このグレイモアも少なからず影響を受けて、奴隷商なんていうならず者が蔓延るようになっているのだろう。
リベルトは自分たちが考えているよりも世間の内情が悪化していることを認めざるを得なかった。正確には、自分たちがそう言ったことに巻き込まれるとは思っていなかったのだ。クラウスとのこの仕事も、国の政とは接点のないものだし、何よりそういう繋がりから生まれる障害を嫌って、王都からも離れてきたのだ。だというのに、とんだ災難になったものだ。
「レリック、明日からは追跡に出るぞ。雨さえ降らなきゃ牛車の後は、そう消えるもんじゃない。」
息子がうなずいたのを見て、リベルトは小型のナイフを取り出して、地図にそれを突き刺した。
「範囲は広いが、馬の足と数で奴らの根城を暴く。」
災難だろうがなんだろうが、リベルトに後悔はなかった。ハルを拾ってしまったことが失敗だったと今更のように思うこともない。団員と依頼主の娘が連れ去らわれたのだ。リベルトが怒りを覚えるにはそれで十分だった。
決まってからの行動は迅速だった。いつも通り半数は、商会の護衛につき、もう半分はいくつかの分隊になって、牛車の痕跡をたどっていた。それでも捜査は難航していた。なにせ、二人の行方が分からなくなってから、二日は経過している。牛車とはいえ二日もあれば、相当な距離を移動できる。それらを計算して、捜索範囲は相当な広さになっており、それらすべてを網羅することも難しいのだ。
しかし、相手が大きな荷車を運ぶ牛車であることと、奴隷商という特殊な集団の習性とでもいうのか、潜伏するにはうってつけの建造物が浮かび上がってきたのだ。
それは、常緑樹が生い茂る森の中。グレイモアから東に馬で半日ほどのところにある小さな城砦だった。かつて、アストレアの統治が盤石だった時代。周辺領土の治安維持や、外界国からの侵略に備えた古い砦だ。砦といっても、茶レンガ固められた建物で、それももう数十年以上前のものなので、見た目は貧相、周囲に木作も堀もない。すでに廃墟になっていた。砦の周囲に木々はなく、周りは草原になっているが、森林が広大すぎるため、牛車の痕跡がなければ、偶然見つけない限りここを発見するのは困難だっただろう。時間の経過もあってか、その痕跡さえも危ういものだったが、遠目から砦に止まっている牛車を見つけられたので、ここで間違いないだろうということになった。
とはいえ、全ては推測の域を出ないのだ。一種の賭けのようなもので、そのわずかな望みにすがっているに過ぎない。
砦を見つけてからの行動は慎重に行われた。気取られるわけにもいかないので、傭兵たちは、グレイモアに戻らず、何もない自然の中で野宿をしていた。奴隷商というのは周囲の動きに機敏だ。自分たちの周りで誰かが動き回っていればすぐに対処するなり、姿をくらませるなりの行動をするだろう。下手に近づいてしまっては、相手の行動が読めなくなってしまう。砦の見張りもあくまで遠目に行わなければならない。
「これは、気が滅入るなぁ。」
リベルトは思わずそう口にしていた。仲間たちの前でそんなこと言えば、士気にかかわることだが、実際大変なのだ。なにせ、森の中は冷える。あとひと月もすれば雪が降りだす季節だ。天気こそ晴れやかであるが、大気の温度は体に堪えるものだった。
砦の張り込みを始めて二日目夕暮れ時。すでにキャラバンの本体は、グレイモアでの仕事を終え、明日にでも出立する頃合いだ。クラウスが重傷の中、売り上げを伸ばしていることを願ってはいるが、奴隷商なんている真っ黒な人間が蔓延る街での商売ほどまずいものはない。今回の交易は、失敗とはいかずとも、決して成功はしないだろうとリベルトは感じていた。
それに加え今の状況だ。血は繋がっていないとはいえ、親友の娘を連れ攫われるなど、なんというかあまりよくない。嫌な流れが自分たちについていることが、リベルトにさらなる気を負わせていた。
「頭領、もうじき日が沈む。今夜あたりは、少し探ってみたらどうだ。」
一人の団員の声で、場の視線が一挙に自分に向けられる。探索に連れてきた者の多くは、長く傭兵団として連れ添ってきたベテランたちだ。年が近い者もいれば、リベルトよりも老いている者もいる。だが、みんな自分を慕ってついてきた戦友だ。そして、そんな武骨な連中の後ろで、不安そうに自分を見つめるまだ青い若人たち。レリックが連れてきた前衛隊のルーキーは腕こそいいが、メンタルはまだまだだ。
だがその不安も、全て自分の責任なのだ。よくない流れを作ってしまった責任。同胞を連れ去られてしまった責任。頭領としてリベルトはそのことをよく理解していた。
「よし、日没とともに動くぞ。砦に少し近づいてみよう。だが、決して焦るんじゃねぇぞ?今回は探りを入れるだけだ。」
自分の一声で傭兵たちは、皆獲物に手を伸ばし、険しい目つきに変わっていった。
二日見張っていたおかげで、連中は夜は活動していないと推測はしている。だが、夜は当然真っ暗なため、砦周囲で何が起こっているかなどわかりもしない。何も起きていなければそれはそれでやりやすいが、念には念を入れるべきだ。
日が沈み、森は闇に包まれた。砦の壁には篝火はついておらず、空気口のレンガの隙間から光が漏れていることから、中には人がいるのだろう。砦は真っ黒な塊にしか見えない。そのおかげで、砦からこちらが見えることもないだろう。とはいえ、人は草の上で音を立てずに移動するなどそう簡単ではない。まして砦の周囲の草はどれも背が高く、完全に音を消すことはできなかった。
リベルトたちは、ゆっくり砦に近づいていた。まだ、森と草原の境目あたりだが、開けているので砦の大きさなどが大体わかるようになった。
(小さいな・・・)
リベルトは砦の全容を見て、やけに小さく感じていた。見張りをしていてわかったことだが、この二日の間だけでも、相当な数の人間をここに収容しており、それらすべてをここの閉じ込めているのだが、この大きさでは、全員を閉じ込めておくのはさぞ窮屈だろうと感じた。それに加え、奴隷商らが活動するための空間も確保しなければならないのだ。明らかに砦の大きさは足りていないように見えた。
完全に森を出て、周囲が背の高い草に入ったとき、一番先頭を行くものが足を止めた。それを察して、他の者たちもそれぞれ何かを察したように足を止め、草原には風の音だけがやけに大きく鳴っていた。
リベルトも気配を感じていた。砦のほうからではない。やや左前方から、植物が揺れる音。風によってではない。獣か、虫か。だが、僅かに金属物がぶつかり合うような音が聞こえた時、傭兵たちは体をこわばらせ、武器を構えた。同じく向こう側でも、剣を抜刀する音が聞こえ、お互いが人間であると認識しただろう。
無言の睨み合いが始まった。ここが何でもない戦場であったなら、大声を張り上げて仲間たちと共に突撃を試みるが、そんなことをすれば砦の連中に気づかれるし、そもそもこんなところで戦闘をすれば余計ややこしくなる。向こうが何者なのか、それを探る必要があった。
リベルトは、大剣を肩に担ぎ、仲間たちに手を出さないように指示をしてから、ゆっくりと前に進み出た。
「何者だ。」
リベルトの低い声が、暗闇の草原に小さく鼓動した。向こうはしばらく押し黙っていたが、やがてリベルトと同じく指揮官らしき男が前へ進み出てきた。もちろん姿、容姿ははっきり見えない。
「我らは義を志し、ルーアンテイルの名のもとに、緋色の刺剣に忠誠を誓いし者。」
「なにぃ?ってことはお前たち・・・」
リベルトは男の述べた口上に聞きおぼえがった。
「義兵団か?」
「いかにも。我々を知っているということは、ルーアンテイルに属する方であると認識した。敵意が無いのであれば、どうか武器を収めてほしい。」
そういいながら、男は自らも剣を腰のさやに収めた。
リベルトは手を挙げて、後ろにいる仲間たちに合図を送った。
「感謝する。」
「にしても驚きだな。こんなところに義兵団が来てるなんて。しかも、緋色の刺剣っつったか?なつかしい野郎の顔が浮かぶなぁ。」
そうやって顎をこすりながら言うと、男はやや不快そうな顔をして目を伏せた。
「失礼だが、あなた方も何者であるのか、名乗ってほしい。こんな危険なところで、物騒な武器を持った集団がいるのでは、我々の仕事にも支障が出る。」
「安心しろ。若えの。俺の名はリベルト・アルバーン。後ろにいるのは俺の仲間だ。」
リベルトが名乗ると、男の表情が瞬く間に驚きのものに変わっていく。
「リベルト・・・。」
「お前さんとこの隊長とは、昔っから付き合いがあってな。まぁ、そう噛みつくな。」
リベルトはそう言うが、男は噛みつくどころか、酷く感心しているようだった。
「あの鷹の団の頭領と相まみえるとは、幸栄でございます。」
男はそう言って、軽い会釈をしてきた。
「よせやい。そんな大層な器じゃねぇ。それより、隊長のところへ案内してくれねぇか?」
「いいでしょう。近くに我々の小陣地がありますので。詳しい話はそちらで。」
お互いにうなずき合い、そして部下たちも二人に続いて、草原から退却していった。その間、砦の動きは全くなく、悟られることはなかったようだ。
近くとは言っていたが、着くころにはすでに空が白むくらいには離れた距離を歩いていた。
そこには、部分的に体を防護する軽鎧を身に纏った義兵団が屯していた。小陣地という割には兵士の数は多く、おそらく鷹の団の総数よりも多いだろう。
義兵団とは、ルーアンテイルが保有する軍隊のことだ。軍といっても、その役目は本来ルーアンテイル内でのみ治安維持を行う程度の力しか持っておらず、大きな国の軍隊と比べその権力はとても小さい。しかし、国家的権力がなくとも、軍としての資質は他の追随を許さず、その数、個々の武力、総合的に見ても強力な軍隊だという名声を持っていた。
義兵団は、全てではないが多くは志願兵からなっており、ルーアンテイル以外の出身者も少なくない。いくつかの部隊が存在し、それぞれの隊長が持つ剣を部隊名として、口上とするのが決まりとなっていた。
リベルトらが陣地に招かれると、多くの視線を集めていた。規律を重んじる義兵団にとって、傭兵など無法者と変わりないだろうが、実際に向けられていたのは憧れるような視線ばかりだった。
「なんか、気持ち悪いっすね。」
「ここの連中は、そういうやつらが多いってだけだろう。グラハムの部隊らしいっちゃらしいがな。」
しばらく談笑していると、奥のほうから明らかに格の違う鎧を身に着けた男がやってきた。その後ろには、先ほどの若い指揮官もついてきている。
リベルトは、その顔を認めると、にやりと顔を綻ばせた。
「あの頃と全くかわってねぇな。よぅ!グラハム。」
「リベルト、まさかこんなところで合うとはな。」
リベルトは、彼の手をがっしりと握り、そして、グラハムもまたリベルトとしっかりと握手を交わした。
「それは、こっちの台詞だぁ。自由奔放な緋色の刺剣様がこんなところで何してやがる。」
リベルトは久しぶりの友人との再会に胸を躍らせていた。
「頭領、義兵団の隊長と知り合いだったんですね。」
旗からそれを見ていた偵察隊で最年少のラベットが目を丸くしてみていた。
「前に、親父は元義兵団出身だったって話しただろう?グラハムさんとは、新人だった頃から親しい仲だったらしいんだ。」
「へぇー。」
手短に挨拶を済ませた後、グラハムは傭兵たちに簡易的な休憩所を設けてくれて、部隊の下っ端たちに世話をするように命じた。
リベルトは、グラハムと共に陣地の天幕へ招かれた。
「再会を喜びたいところだが、俺たちも急いでる。俺は、お前たちがこちらと同じ理由でここに陣取っていると考えているが。」
天幕の椅子に座るや否や、リベルトは険しい表情になってグラハムに突っかかった。
「というと、そちらもあの奴隷商に目をつけているのか。なんてこった。天下の傭兵団が、殺人集団に成り下がったのか?奴らを殺しても賞金などではせんぞ?」
「勘違いするな。俺たちはここから西にあるグレイモアから来た。」
「なに?」
「そこで、うちの末弟子と依頼主の娘が奴らに攫われた。」
リベルト本人は至って冷静だったが、状況が思わしくないのは確かだった。友人ということもあり、リベルトは全てを話した。キャラバンの交易でここまで来たこと、ハルがアストレアの王族に狙われていること全部。すべてを聞き終えたグラハムは、しばらく腕を組んだまま動かなかったが、やがて、机に手を置き、指でそれをたたき始めた。
「なるほど、ファルニールのご令嬢が・・・。それに、白髪の君か・・・。」
「あそこに二人が捕まっているのは確かじゃない。だが、他に考えられん。二人が売り出される前に、俺たちは打って出なきゃならない。たとえ連中と戦争になってもだ。」
リベルトは大きく机を叩いて立ち上がった。周りの兵士たちは怯えるように体をこわばらせていたが、グラハム依然としてじっと考え込んでいた。
「お前さんらが、奴らと一戦交えるというなら協力してほしい。」
リベルトは身を乗り出して懇願した。
「まて、リベルト。そちらの事情はわかった。だが、こちらにもやるべきことがある。私としては、今はできるだけ手を出さないでもらいたいというのが本音だ。」
「何を待つ必要がある?」
リベルトは、自身も認めているが、気の短い性格だった。目的が同じであるのに、すぐに返事をしないグラハムに対して憤りを覚えるのは当然であった。
「お前たちがなぜ奴らを狙っているのか走らんが、なんにしろいずれは突撃するんだろうが?何をしり込みしているんだ。」
「しり込みしているわけではない、それに私たちの目的は奴隷商らを討伐することではない。」
グラハムの言葉に、リベルトは表情を歪ませた。
「急がないとハルやソーラ嬢が売られて・・・。」
「その心配はいらないリベルト。彼女たちが売りに出されるまで、あと三日ほどの猶予がある。」
グラハムは遮るように言うと、ふぅ、と一息はいて自身の椅子にゆっくり腰かけた。リベルトは、突然の具体的な言葉に驚きはしたものの、澄ました顔でこちらを見る友人をみて、何かを思い出すかのように苦笑いして座りなおした。
「その言い様だと連中について相当調べ上げてるみてぇだな。相変わらず用意周到な奴だぜ。」
「誉め言葉と受け取っておこう。だが、実際多くのことを知ってるわけではない。だが、情報は確かなものだ。」
グラハムは机に置いてあった駒のような置物を机に広げてある地図に置きなおした。
「密偵を・・・数人送り込んでいる。」
「へっ、そいつはまた・・・。」
「一人は奴隷商として、もう一人は牛車の御者に。そして、もう一人が・・・。」
「・・・奴隷としてってか?」
リベルトの問いにグラハムは目を伏せて答えた。二人はしばしの間お互いに沈黙したままだった。
グラハムのことは、家族のように知っている。その力、性格、彼が大切にしているものまで、全てを知っているつもりだった。だからこそ、そんな彼が部下に対してそんな危険な任務を命じることがリベルトに疑念を抱かせた。少なくともリベルトの知るグラハムという男は、そんなことをする男ではなかったのだ。
「わかった。お前の言うことに従おう。三日も時間があるっていうなら、俺たちもそう慌てる必要はないからな。」
「密偵からの確かな状況だ。奴らは周到に自分らの家業を全うしている。それ故に、下手に日程を変えるようなことはしないはずだ。・・・すまないな。お前だってすぐにでも助けに行きたいんだろうが。」
「そうだが、一つだけ聞かせてくれ。なぜそんならしくないことをした?」
グラハムは答えなかった。その表情を見るに、どうやら答えるのが難しそうだった。そのことからリベルトは彼が、強引な策に出たことを恥じていることを理解した。
部下を慕い、また大いに慕われる彼のジレンマだ。志願した隊員はグラハムのために喜んで潜入したのだろうが、実際彼はそうすることを望んではいないのだろう。
「まぁ、深くは聞かないさ。その代わり、経緯を教えてくれ。ルーアンテイルの義兵団がこんな遠い地まで手を伸ばす理由がわからん。」
「あぁ、我々は侵略をしに来たわけじゃない。そちらと同じ奴隷解放が目的だ。特に、今回はアルバトロス様からの直々のお達しなのだ。」
「・・・主長から?一体あの連中に何があるんだ?」
予想外の名前が出てきたことにリベルトは驚いた。
主長というのは、ルーアンテイルのいわば王のような存在だ。その名がアルバトロス。ルーアン・アルバトロス。アストレア領の辺境に巨大な商業都市を築いた一族の名前だ。義兵団はその王の直属の組織だ。義兵団が動くということは、政治的意味が存在するのだ。
「連中の手がルーアンテイルに及んだのだ。ここ最近公にはなっていないが、住民の失踪が相次いでいた。今あの砦に囚われている者の中にそれがいるのだ。我々の主な目的は彼らの救出だ。だが、アルバトロス様は、それ以外に連中についても気になっておられるようだ。」
「たかが奴隷商だろう?外道以外の何者でもないだろうに。」
「その外道たちも、一塊になれば大きな嵐を呼ぶこともある。リベルト、これからは激動の時代になるだろう。奴らは嵐の兆しに過ぎないが、止めなければ取り返しのつかないことになるだろう。」
グラハムの緊迫した物言いにリベルトは息を呑んでいた。そして、なにか得体のしれない何かが動き出している気がした。友人の真剣な眼差しに気おされたのか、あるいはもともと予感があったのか。だが、全ての始まりが一人の少女から始まっているのではないかという恐ろしさが、リベルトの心内ちで駆けまわっていた。
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