新人傭兵の一日
私はただ、元の世界に戻りたいだけ。それだけだった、筈なのに。
好きなものを選べと言われたものの、何が良くて何がダメなのかハルには分からなかった。手にとってみても重いか軽いかの差くらいしか分からず、どれでも同じなんじゃないかと思えてくる。
ありとあらゆる武器がそこには並んでいた。剣、斧、ナイフに鈍器まで。そのどれもがハルがいた世界にはないもので、想像していたものとも全く異なっていた。
ハルはレリックに連れられて、武器屋へ来ていた。これから傭兵として戦うために武器を探しに来たのだ。もちろんハルから欲しいと行ったわけではない。必然的に必要になるからと、リベルトのほうから言われて来たのだ。
レリックのアドバイスとしては、武器として優れているものよりも、自分が扱いやすいものを選んだ方がいいとのことだった。そこでハルは、武器の優秀さも扱うやすさも分からないのから、かれこれ10分ほど悩んでいたのだった。
「初めは重い武器にするといいよ。重すぎてもダメだけど。ハルが練習で使っていた物より軽ければ、問題なく扱えると思うよ。」
レリックはそう言うが、素振りに使っていた長剣は重すぎるなんて程度じゃなかったから、どれも軽く感じてしまう。それに長剣だったから、剣に体重を持っていかれて、うまく振ることができなかった。
できるだけ短くて、しっかりと握れる物がいいとハルは考えた。その結果手にとったのは、刃渡り50センチほどの小剣だった。片手では少し重く感じるが、柄が細身でしっかり手で持っていられるので長剣よりもしっくり来た。
「ハル、君は見る目があるね。」
「そう、ですか?短い方が楽かなと思って。」
「大抵、新人の奴らは、みんな粋がって大剣や斧を選んだりするんだけどね。体が出来上がってないから振るのも一苦労するのさ。その点きみは堅実な選択だね。小剣は使い勝手がいい。」
レリックは、そう言ってハルが選んだ小剣を受け取って、鞘から抜き剣身を確認した。
「うん。物もいい。しっかり手入れすれば長持ちする。これでいいかい?」
ハルはうなずく。レリックは武器屋の店主を呼び取引を頼むといった。店主の容姿は酷く個性的だった。髭を生やし、髪もぼさぼさ。おまけにハルより身長が小さくて、どこかのファンタジーの世界にいそうな風貌だ。本当に異世界だから冗談じゃないのだけれど。
「こんな若い娘っ子に武器を持たせるなんて、お前たちも惨くなったなぁ。」
おまけに声まで個性的で、有名な声優の声に似ているような気がして、すさまじい雰囲気をかもし出している。
「好きでこの子に武器を持たせてるんじゃないよアルバスさん。この子が自分の意思でうちに入ってきたんだ。俺たちを悪者扱いしないでくれよ。」
レリックが言い返すと物珍しそうな目でアルバスという武器屋の店主は、じっくりとハルを見た。
「ふーむ、白髪、
容姿に関してはアルバスも相当変わってると思うのだが、ハルは初対面だったので何も言わずにいた。それに、覚悟が決まっていないというのもなかなか的を得ている。ハルはまだ何も経験していない。傭兵としての僅かな知識と少しの間剣に触れていただけだ。このアルバスという男は、半分ハルをからかっているのだろうが、鋭い洞察力を持っているのかもしれない。
「まだ新人なんだ。大目に見てやってよ。」
アルバスは顎をしゃくりあげるように不敵な笑みを浮かべる。
「おめぇ名前は?」
ハルはこの男を好きにはなれそうになかった。
「ハルです。アカバネハル。」
店の外は、来たときと同じように人で溢れ返っていた。言うなれば東京の渋谷や秋葉原のような人並みだ。
場所は、商業都市ルーアンテイル。ファルニール商会一行はフレーデルから約一ヶ月もの行進を経て、目的地であるこの大都市にたどり着いた。
大きな都市であることはソーラとちび助二人から散々聞かされていたから、思っていたよりも衝撃は受けなかったが、向こう側を見てきたハルにとって、そこは異様に感じられた。建物はどれもせいぜい3階建てまでそれ以上に大きな建物はちらほら見えるが東京のビル郡のように視界を埋め尽くすほどではない。けれど街の中心に向かってなだらかに建物が大きくなっていて、中央には巨大な城砦がそびえている。その城砦が見える光景は、都市の強大さを認識させられるのと同時に、距離感を失わせていた。少なくとも日本にアレほど大きな建造物は存在しないだろう。まるで、富士山を遠くから眺めているような光景だった。
アルバスの武器屋が面している通りには、多くの露店が建ち並んでいた。青果に酒、織物、小道具などありとあらゆる店があって、そこを行き来する人々も老若男女千差万別で、祭りのような賑わいだ。ハルは、人と人との間をすり抜けるのは難しくなかったが、レリックを見失わないか心配で、周りの店に目を向ける余裕が無かった。
向こう側でもこんな風に人ごみの中を掻き分けて、誰かについていくという状況は幼い頃何度も経験したものだとハルは思い返していた。母親の手に引っ張られるように付いていって、まだ自分の容姿の異常さにもまったく関心が無かった頃のことを。気にするまではまったく考えなかったのに、一度意識し始めてしまうとそればかり気にして、いつのまにか大勢の人の中へ入る勇気がなくなっていた。
幸いなことに此方側では、ハルのことを卑しい目で見る輩はいなかった。時折物珍しそうな目で見られることはあったが、すぐに店に並ぶ商品へ視線が戻っていた。ただ、それでもハルは早く用済ませて帰りたいと思わずにはいられなかった。
次に向かっているのは銀行だった。これから本格的に働き始めたら報酬が出る。当然それらを全て手持ちにするわけにはいかない。そのため新しい口座を作り、銀行で金庫を借りなければならない。
そのあたりのことにもお金がかかるのだが、そういった前仕度的なことは、団のほうからお金を出してもらえるのだった。ちなみに小剣の代金は、個人の取引なので、ハルが自分のお金を使って払った。そんなものどこにあったのかというと、ルーアンテイルに到着と同時に鷹の団には、依頼主のクラウスさん、つまりファルニール商会から多額の報酬が支払われていた。それと同時に団の一人ひとりに給料が分配されたのだ。
ハルは、まだ何もしていないのにもらってしまっていいのかと思ったが、リベルトいわく平等分配が鷹の団のやり方だという。怪我をしていようが、風邪で寝込んでいようが、団の一員であるならば、報酬を分け与えるに値するのだという。
初めての給与というものは、なかなか喜ばしいものだった。まだ、此方側の貨幣価値がどれほどかわかっていないから、もらった金額が多いのか少ないのかもわからなかったが、それでも感慨深いものがあった。まだ何もしていないから、これからがんばらねばと思わずに入られなかった。
無事に銀行に口座を作り金庫の利用権を得て、レリックとハルは帰路に着いた。ハルにとっては新しい家となる団の拠点。商店街からはかなり離れているため、よく見えないが時々建物の間から時折顔を見せる大きな木造の建物。鷹の団はルーアンテイルの中でもなかなか有名な傭兵団らしい。もともと傭兵はあまり団体で仕事をしたりしないものなのだそうだ。本来の護衛対象は、馬車で都市間を行き来する旅人や一世帯の家族らが主らしい。人数も多くて二、三人程度で護衛に着くのが普通で、商会の一団をまるまる護衛するというのは鷹の団が初めて成し得たことなのだそうだ。
「親父とクラウス氏は何年も前から付き合いがあってね。キャラバンを作るのが夢だったんだよ。一応傭兵と依頼主って関係だけど、俺たちも時々商会の仕事の手伝いなんかしたりするからさ。二つで一つみたいなものさ。」
もちろん個別に傭兵に依頼が来ることはあるが、それ以外はほとんどファルニール商会とともに仕事をしているらしい。それもあってここでは指折りの大型ギルドとして知られているのだそうだ。
ハルに与えられた部屋は二人部屋だった。団の中でも数少ない女性団員、先輩にあたるアンジェと相部屋をすることになった。
「女仲間が出来て嬉しいよ。それもこんな若くて可愛い子が後輩だなんて。」
「私も、少し安心しました。女、私一人なんじゃないかって。」
「そりゃそうよね。いくら仕事だからって男っ気ばかりじゃねぇ。今までは商会の女性陣と話す機会が多かったけど、私にも妹弟子ができたんだから、しっかり可愛がってあげるからね。」
彼女は、ハルより八つも年が離れている。背が高くて細身だけれど、ノースリーブのシャツから覗かせている腕は、リベルトのようにいかにもな太さは無いが、無駄な脂肪が無いため血管が浮き出て見える。日に焼けた肌も、後ろで一つまとめにした赤毛の髪も、世の女性たちとは一風変わった風貌が、傭兵という血生臭い職業の姿を現しているかのようだった。
いずれ自分もあんな風になっていくのかと思うと、ハルは少し複雑な気分になった。向こう側、学校で自分がどんな風に見られていたかは知らない。自分に気がある男子がいる。時々結衣からそんなこと聞かされた事もある。恋愛はあまり積極的ではなかったが、好意を持たれて嫌な気はしなかった。だから、少なくとも自分の中には女としてのプライドがあると思っていた。力が弱くて、可愛げがある。男と比べれば女というものを構成するのはそういったものだろう。力がないというのは当然だが、可愛げがあるとは思っていない。男前だなんて言われるくらいだから、気が強いのは否定しない。けれど女であることを否定したくはなかった。今は、いつか誰かと一緒になって家族になったりするようなことは想像できない。けれどいざその時がきた時、少しでも女らしくありたいという願望はある。肌が焼けて、生々しい傷跡残しておきたくない。隣立つ男性よりもたくましい体ではいたくない。しかし、きっとそれは叶わない。アンジェの姿はそれを物語っている。傭兵として生きていくのはそういうことだったのだ。
夜、二段ベットの下の布団でハルはぼんやりとそんなことを考えていた。馬車の中で眠っていた時は、あまり落ち着けなかったが、家と呼べる場所が出来てしまうと、これからの事をいやでも考えてしまう。気を紛らわそうにもスマホもテレビもない。今あるのは今日の買った小剣だけだ。
「ハル。起きてるかい?」
上のベットからアンジェの声が降ってきた。
「はい。まだ起きてます。」
「レリック兄さんから頼まれてね。明日、馬主の所行ってこいって。」
「馬主?」
アンジェは梯子で降りてきた。
「そう。馬を育てて、売っている人たちのことさ。うちらがいつも世話になってる
「馬、ですか。なんだかちょっと怖いです。」
向こう側ではペットを飼った事がない。動物は嫌いではないが、いきなり馬というのもハードルが高すぎる気がする。
「大丈夫。きっといい子が見つかるよ。そしたらハルも晴れて騎兵隊の一員だよ。」
鷹の団は、総数のうち三分の一が商会の馬車に便乗していたり、連れ添って歩く護衛兵で、残りの三分のニは馬に乗って戦う騎兵で構成されている。騎兵隊は主にキャラバンを中心に周囲に散開して護衛に着く役割をしていた。それだけでなく、先行して道の安全を確保したり、最悪の場合時間稼ぎのための囮になったりする危険な役職だった。騎兵隊は鷹の団の主力で花形なのは間違いないが、剣術、馬術はもちろん判断力や忍耐力なども求められる。ハルはそれらを全て見につけなければならないのだ。
翌朝、早々に目を覚ましたアンジェが部屋の窓を開けたので、冷たい風が部屋に入ってきた。そのせいでハルは目を覚ましてしまった。彼ら、傭兵の朝は早い。開け放たれた窓の外はまだ薄暗く、夜明けが訪れようとしている時間帯だ。
まだ眠気の残る中、ハルはベットから這い出て寝巻きから、ヘレンにもらった服と洗ってもらったパーカーに着替える。制服のシャツとスカートも返してもらったのだが、スカートはともかく夏服のシャツでは寒くてかなわない。かといってもらった服も二着しかないし、普段着としては十分だが、体を動かすのには向いていない。そういった衣類もそろえなければならない。
「アンジェさん。騎兵隊ってどんな格好するんですか?」
「あぁ。服かい?あたしは、動きやすいのにしてるね。馬飼いの後に一緒に見に行くかい?」
このようなことも同じ女性なら気軽に聞けて変に気を使わなくて済むのはありがたい。今日もどうやら忙しくも新しい出来事でいっぱいの一日になりそうだ。
朝早くに起きたのはもちろん理由がある。今ハルにとって、時間というものはいくらあっても足りないくらい重要なものだ。やるべきことはたくさんある。剣の稽古、つまり朝練だ。拠点には庭があり、そこでアンジェとともに剣を振る。ハルとアンジェ以外にも、何人かの団員が各々愛用の得物振り回していたり、打ち合いをしたりしていた。剣術にはある程度、型が存在するが、そのどれもが個々によってことなるのだという。要するに自分で見つけろということだ。さわりだけレリックから教わって以降、他の団員の姿を見よう見真似で振り方を学んでいる。実際、自分でも色々と考えているのだが、下手な考えではうまくいかないものだ。とりあえず、ハルが見出したのはかっこよく振ればそれっぽく見えるという、とても曖昧なものなのだが、それくらいにしかやりようがないのも事実だった。
日が昇り、鍛錬をそこそこにして、ハルはアンジェに連れらてルーアンテイルの城壁外に来た。この都市の郊外には広大な農業地区が広がっており、その一郭に牧場があった。一郭といっても牧場だけで、歩き回るのに数日はかかるのではと思わせるほど広大な草原が広がっている。きっと一人で馬を探して来いといわれたら、目的の馬主に合うことは出来なかっただろう。
鷹の団が大半が世話になっているというその馬主は、昨日のアルバスと違って優しそうな人だった。ハルとアンジェは大きな厩舎に案内された。
「ここが息子が育てた馬たちの厩戸だ。どの馬もいい子ばかりだ。好きな子を選んでくれ。」
厩舎の中にはずらりと色とりどりの毛並みをした馬たちが並んでいた。
「すごい。たくさん・・・。」
「ハルは、馬を見るの初めて?」
「お?また新人の子かい?これはまた若い子が入ったもんだね。」
数もそうだが、一頭一頭の馬の大きさにハルは圧倒されていた。それぞれ四畳半ほどの木柵で囲われていて、柵の高さも人並みにあるので、馬が突然暴れだしたりしないかぎり危険は無いだろうが、その柵をも軽々と越える位置に頭があるというのだけで相当な威圧感があった。
「ヒルトさんはもう馬の世話はやってないんですか?」
「今ほとんど息子にまかせっきりだよ。時々手伝ったりはするけど、体が思うように動かなくてね。あいつにも、年なんだから無理するな、なんていわれたよ。働き者で助かっているけど、父親としては彼女くらいつれてきて欲しいんだがね。」
やれやれといったようにヒルトは首を振って苦笑いをした。
「さぁこんな話はいいから、馬を見てやってくれ。ここの厩舎は息子の自慢の馬ばかりだ。お得意さん以外には譲らないことになってる。君たちになら惜しくない。」
ハルは、そんな風に言われるとなんだか胸が熱くなった。鷹の団への信頼と呼べばいいのか、もしかしたらこの馬飼いと団の間にも何かしらのつながりがあるのかもしれない。新人のハルにはよくわからなかったが、少しだけ誇らしく思えた。
一頭一頭じっくり観察してみると、同じ馬でも違いが見えてくるものだ。耳が少し長かったり目つきが優しかったりきつかったり。何より毛の色が多種多様だ。ハルは茶色か白の馬しかいないものだと思っていたが、ここには真紅の毛をもつ馬や、金色の毛、黒い毛、青黒い毛を持つ馬までいた。鬣の長かったり足のくるぶし周りに毛が生えていたりする馬までいた。
「どの馬もかっこいいですね。」
「そうだろう?骨格も毛並みも最上級だ。人を乗せても難なく駆けるぞ。」
一頭の馬がハルに顔を近づけてきた。真っ白な毛並みで、鬣は黒く、他の馬より尾が長かった。ハルは驚いて思わず一歩下がってしまった。しかし、その馬はがんばって首を伸ばして、ハルの顔をなめようとしている。そっとアンジェがハルの背中を押す。ハルがアンジェの顔を見ると、アンジェは無言で頷いた。ハルはゆっくりと手を伸ばし、馬の頬を撫でてやった。馬は気持ちよさそうに目を閉じて、ぶるっと鼻を鳴らした。そして、お返しといわんばかりにハルの顔に自分の顔をこすり合わせてきた。馬の肌は、僅かにしっとりとしていて、とても暖かく感じられた。
「気に入られたみたいだな。同じ白い髪だから仲間とでも思われたんじゃないか?」
「そんなことってあるんですかね?」
馬はハルが離れようとすると、もっとして、とでも言うように顔を近づけてくる。ハルは続けて首の辺りを掻いてやった。
「馬たちは人間が思っているより賢い生き物だ。僕たちが物を選ぶように、馬たちも人を選ぶことだってあるさ。」
「・・・お前、私と一緒に行きたいの?」
我ながら馬に話しかけるなんてどうかしていると思うが、案外通じているのかもしれない。馬はぶるっと鼻を鳴らして、ぴたっと動きを止めて、ハルを見つめていた。
「今、鞍を持ってきてあげるから、手綱を引いて放牧場へ行っていてくれ。」
ヒルトはそう行って、柵をはずしてくれた。柵が空けられてもその馬は勝手に出ようとはせず、ハルの方をじっと見ていた。柱にかけてあった、手綱をアンジェがとって馬にかけた。
「名前付けてやんないとね。」
「名前?」
「これからハルの相棒になるんだ。家族のようなもんだよ。ちゃんと名前をつけてやんないとかわいそうだろ?」
「うーん、そうだなぁ・・・。」
まっさきに思い浮かんだのは、ポチ、とかタマ、というありきたりなものばかりだ。馬に対してそれは少し違うんじゃないかという気はするが、ペットなんて飼ったことのないハルにはそれくらいしか思い浮かばなかった。
(小太郎、とか?でも此方側ってみんな名前横文字だしなぁ。そもそもこの子ってどっちだろう?)
いろいろと考えているうちにヒルトが鞍と鐙をもって戻ってきた。
「おや、まだここにいたのか。早く外へ出よう。こいつも早く君をのせたがっているだろうさ。」
「あの、ヒルトさん。この子ってオスメスどちらかわかりますか?」
「あぁ、こいつはオスだよ。年もまだ5歳だからまだまだ若い方だよ。」
「男の子かぁ・・・。」
やはり小太郎だろうか。男の子ならぴったりだろう。だが、やはりこの世界で日本人の思考は、否定されることは無いだろうが、受け入れられるのは難しいかもしれない。ハル自信も今はよくても後々後悔するだろう。
「・・・アラン、でどうですかね?」
なぜその名前が思い浮かんだのかはわからなかったが、不思議とその名前がいいという確信があった。
「いいんじゃない?」
ハルの渾身のネーミングは、アンジェにとってはどうでもいいようだった。
「これからあなたは、アラン。私はそう呼ぶわ。よろしくね?」
やはりこの馬はハルの言うことがわかるのか、再び鼻で返事をした。うぬぼれなのかもしれないが、通じ合っていると思うと頼もしく思えてくる。新しい友人が出来たときと同じ感覚だった。言葉の通じない動物というのがなおさら神秘的なことに思わせる。向こう側で言う異世界というのは何でも起きていたが、本物の異世界も何でも起こるのだなとハルは認識した。
ヒルトから馬具を受け取り、着け方を教わりながらアランに鞍と鐙を付けたやった。
「そしたら、鐙に片方の足を乗せて・・・。そう、そしたら鞍に手をかけて乗ってごらん。」
アンジェに言われたとおりにして、ハルはアランの背に勢いよく乗っかった。
「うわっ。」
「大丈夫よ。落ち着いて。そう、そのまま。」
はじめは鞍が体に食い込むから、馬のほうも身じろぎして、体を揺らすのだ。馬が落ち着くまでは人のほうもその揺れを乗りこなさなければならない。
「うわぁ・・・すごい、高い。」
「お互い大丈夫そうね。そしたら手綱を持って。そして、姿勢をまっすぐに。重心が左右にぶれていたり、前のめりになってると馬は前に進みづらいから気をつけてね。」
馬術というものは、ハルが想像していたものよりもなかなか複雑なものだった。手綱と足の圧迫。乗馬というのは、単に馬が己で前に進んでいるわけではないのだ。乗り手がうまく馬の性質を利用して、操る技なのだ。歩き、停止、後退、の指示をしっかり行わなければ、馬はいつまでもその場から動かないし、いつまでも前に進み続けてしまうのだ。
さっきは、言葉の通じない相手との絆に感動していたハルだが、その分御することは難しいのだ。
それでも根気よく練習していると、だんだんと慣れてきて、スムーズに指示を出せるようになった。アンジェからも、
「ハル、あなたなかなか筋がいいわよ。」
と絶賛されていた。そういわれて悪い気分にはならないし、アランと一体になるのはとても心地よかった。練習は正午を越えて、太陽が傾き始める頃にまで続けた。ハル自身が乗馬を楽しんでいるというのもあったが、出来ることは出来るうちにやってしまおうとしたのだった。その頃には、アランを自由自在に走らせることも出来るほど上達していた。
頃合いをみてヒルトが戻ってきて、今日はその気は無かったらしいが、ハルの上達具合を見て、今日取引してしまおうという話になった。ハルとアランの相性がよかったのもあるのだろう。馬飼いとしてはとても喜ばしいことなのだそうだ。
とりあえずアランは、ヒルトの厩舎で預かっててもらうことにした。まだ、団の拠点の方の厩舎に空きがないため、連れて行けないのだ。
「これで一段落だね。いい子見つかってよかった。」
「そうですね、もっとてこずると思ってたんですけど。嫌いじゃないみたいです。馬に乗るの。とても楽しかったです。」
「さぁ、暗くなる前に、今朝言ってた服を見に行こう?」
「はい。」
昨日はレリックとともに来た商店街。今日は、人の流れが少しだけ落ち着いている。皆いそいそと自分の家に帰っていく時間帯だ。買い物客は少なく、その代わりにいたるところから芳しい香りと食事の喧騒が漂っている。ランタンや火が焚かれていて、街の明るさは日本の繁華街とさほど変わらないくらいだ。むしろ、向こう側より空気が澄んでいて、景観は此方のほうが幻想的に見える。
アンジェが勧めてくれた、衣類を売っている店は、華やかなものは少なく、シンプルな物が多かった。アンジェはやたら露出の多いタンクトップや短すぎるスカートなんかを紹介してきた。からかっているのだろうが、そういった会話は嫌いではなかった。結局選んだのは白いシャツに、膝上10センチほどのスカートに、膝下まであるロングブーツだった。それと、馬に乗る際に太腿がすれないようにするための地厚のレギンスを買い込んだ。そのほかにも、剣を吊るせるベルトや、何かと便利な小型ナイフ、口元を覆うスカーフなど騎兵隊としても傭兵としても必要な装備を色々揃えた。もちろん全て、ハルの給与で支払った。なかなかの金額だったため、手持ちにあった銭はほぼなくなってしまった。とはいえ、食事などは団で雇った料理人が拠点でまかなってくれるためそれほど困るほどではない。まだこの世界で物欲が働くほど長く暮らしていないから欲しいものも無いので、むしろ必要な経費だったのからよしとすることにした。
それに、いずれすぐに次の遠征がやってくる。鷹の団としては遠征と呼ぶが、ファルニール商会では物流という商売だ。ルーアンテイルでそろえた品物を他の大都市で売りつけるのだ。ルーアンテイルが商業都市と呼ばれるのは元々この物流が大きく影響しているかららしい。ファルニール商会のほかにも大小いくつかのギルドが存在していて、それらがこの都市の経済を担っているのだとか。
ともかく、それを護衛する鷹の団の役割とても重要だ。新人とはいえハルも気を引き締めて望まなければならない。
帰りに、アンジェがささやかだが、肉まんのようなものを奢ってくれて、外で食事を済ましてしまった。アンジェいわく、貧相な体の後輩に肉を付けるのも先輩の仕事なのだとか。ハルにとっては余計なお世話だが、女性に言われると少しショックを受ける。今までは汗かきな体質のおかげでそれなりに体系を維持出来ていたが、これからは少し認識を改めなければならないらしい。
一日中、行動していたため拠点に帰ってすぐにベットに大の字で倒れこんだ。疲労は特に下半身に集中しているようだった。半日以上ずっと馬に乗っていればそれも頷ける。さすがにこのまま寝入るわけには行かない。疲労と同じくらい汗も溜まった服が、早く風呂に入れと主張している。
(長い一日だったなぁ。)
今日に限った話ではない。最近はあれをやらねばこれをしなければということが多くて、なかなかゆっくり出来なかった。新生活の下準備をしているのだからそれも当然。忙しいのは当たり前だが、その分期待もあるのでこれからが楽しみなのも確かだった。
「ハルー。先にお風呂いくよ。」
「あ、私も行きます。」
手早く着替えとタオルを持ってハルはアンジェについていった。
新しい日常に、ハルは着々と慣れつつあった。嫌でも慣れている、というのが正しいかもしれない。一月以上も生活していれば慣れて当たり前だ。此方側での生活は悪くないものだった。寝床もあり、仕事にも就けた。けれど、果たしてこのままでいいのだろうかという不安がハルの中には残っていた。
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