二章 剣の心は罪と共に
新しい日々
日常と非日常の差は、経験しているかしていないかだと思う。つまりどれだけ現実味の無い出来事でもそれを目の当たりしてしまえば、その瞬間から非日常は日常となってしまうのだろう。
此方側での新しい生活の感想としては、向こう側と比べて非常に寒いということだった。
まだ夏が終わって間もないと聞いて、ハルはその寒さを実感した。この世界にも四季があるようなのだが、寒い時期がとても長いらしい。一番暖かいのは日本で言う梅雨の時期で、それを過ぎると徐々に寒くなるのだそうだ。
単純に日本より寒いとなれば、自然と防寒着が欲しくなる。肩から腰までを覆うコーシェはとても暖かくて、普段着としても気に入っていた。ただ、それがあるから下は半袖で過ごせるかというと、そんなことは無い。居候の身としては、見た目を気にする余裕なんて無いのだが、いただいた衣服はどれも肌寒さが気になってしょうがない。
ヘレンや商会の女性たちはみんな半袖ロングスカートで過ごしていて、どうやらこれがこの世界の女性の一般的な服装らしい。ハルも、はじめだから寒さを訴えるのを我慢してあわせていたが、馬車に揺られて2日目の朝についに耐えられなくなって、長袖をもらうことにした。昔から長袖を着ることを半ば強制されていたということもあって、布地は薄くとも安心感があった。
服装一つで苦労するのだから、これからも多くのことを学ばなければとハルは思った。この世界の日常的な常識が欠けているのだ。教えてもらってばかりもいられないから、自分で知っていかなければならない。それにはまず怪我を治さないといけない。考えることばかりで、自ら行動をしなければ何の解決もしないのだ。
(・・・じれったいなぁ・・・。)
自分の意思でだけではどうにも出来ないのが、ハルには悔しかった。
キャラバンの旅は、ただ街に向かって行進するだけかと思っていたが、ファルニール商会は金目の物に貪欲だった。休憩するわけではないのにもかかわらず馬車が止まったかと思うと、彼らはいそいそと手に籠を持ってそれらを採り始めた。
「ツキノカガミ?」
「はい、満月の時にしか花を咲かさない珍しい花なんですけど、春になると香りを放つ実をつけるんです。それを使って、香料を作ることが出来るですよ。」
馬車で採集の様子を眺めながら、隣に座っているソーラに解説してもらった。
「へぇ。でも、今って秋・・・。」
「ツキノカガミの実は夏になると大体地面に落ちてしまうんですけど、花のほうには種が残るんですよ。今採っているのはそっちで、栽培を生業にしている人に売るんです。」
「なるほど。抜け目が無いというか、貪欲というか。」
ハルは商人の気質を垣間見たような気がした。商人になるという選択肢もあったわけだが、ハルはここまで貪欲になることができなかったかもしれない。リベルトが努力次第だと言っていたのがよくわかる。
まだ傭兵としても何も始まっていないから、今はいろいろ見聞するいい機会だった。
「ソーラもクラウスさんの商会の一員なんでしょう?採らなくていいの?」
「私はまだ子どもですから。ああいう仕事はまだ任せてもらえませんよ。集計や管理をするのが私の役目です。それだってとても大事な仕事なんですよ?」
自分よりも若いのに、もう仕事をしているだなんて。この世界の人々はこんなにも若いうちから働かされているのだろうか。当然のように学校に通っていたハルにとっては信じられないことだ。それだけ、此方側の文明が向こう側と異なるということなのだろう。
「ソーラ姉ぇ、遊ぼう!」
突然、後ろから無邪気な男の子の大声がする。
「遊ぼう。」
それに続いて少し控えめな女の子の声も。声の主は、振り向かずともわかるようになった。
「だめよ、グレン、スカーレット。お姉ちゃんこれから大事なお仕事があるんだから。」
やれやれといった感じでソーラが、グレンとスカーレットに振り向く。グレンはすぐさまソーラの手を引いて、外へ引っ張ろうとする。
「まだ仕事して無いじゃん。」
「して無いじゃん。」
「だめったらだめ。お父さんたちもうすぐ戻ってくるから。」
ちび助二人は、えーっとわざとらしいくらい嫌な顔をして駄々をこねる。そんな様子にハルはふっと笑ってしまった。そこで反応しなければ、二人の矛先がハルに向くことは無かっただろう。
「じゃあ白いお姉ちゃん、遊んで!」
「遊んで?」
「こーら。白いお姉ちゃんじゃなくて、ハルお姉さん、でしょ?ごめんなさいハルさん。二人のこと見ててもらえますか?」
よく出来た子だとハルは思う。真ん中の妹というのは色々と大変と聞いたことがあるが、ソーラを見ているとそれもうなずける。
「いいよ。行ってきて。二人は任せて。」
ちょうどタイミングよくクラウスの声がして、ソーラは仕事へむかった。
遊ぶといっても歩くのも二人より遅いハルには、たいしたことはできないのだが、そこは工夫次第でどうにかなる。
「さて、何しようか?」
「姉ちゃん鬼ごっこできる?」
「鬼ごっこはちょっと無理かなー。」
まだ二日とはいえハルは二人の性格はよくわかっているつもりだった。まだまだ我が侭盛りの年頃だけれど、ハルの怪我を見たとたん子どもながらにハルの心配をしてくれたのだ。特にスカーレットはヘレンのやることを真似て、薬を塗る手伝いもしてくれた。このことから、ハルは二人が空気を呼んであわせてくれる子たちであることをわかっていた。
「ハルお姉さん。お裁縫できる?」
「裁縫?」
「お母さんみたいにお洋服編めるようになりたいの。でもお母さんいつも忙しいから、相手にしてくれなくて。」
「ナギ姉やソーラ姉は下手っぴだからな。」
遠くから、ナギさんの声が聞こえたような気がするが、とりあえず置いておこう。
「私もそんなに上手くないけど教えてあげる。道具もっておいで。」
ハルがそういうとスカーレットは、ぱぁっと笑顔になってすぐさま駆けていった。
「グレンは。どうする?」
「んー、リベルトおじちゃんのところ行って来る。」
同じくグレンもすぐさま駆けていく。あの双子の勢いのよさには感服してしまう。ただ、ハルも子どもは嫌いではないから、見ていて微笑ましいものがある。
スカーレットはすぐに道具と布を持って戻ってきた。いきなり服を作るのは難しいから、まずは針の使い方から教えることになった。スカーレットは意外と手先が不器用なようで、針に糸を通すだけでも大分苦戦しているようだった。もしかしたら、グレンの言っていたナギとソーラが下手というのはあながち間違いじゃないのかもしれない。
(あ、でもソーラは血のつながりは無いんだっけ。)
異世界からの来訪。ハル自身もなかなか特異な事情を抱えているが、彼女がファルニール家に引き取られた経緯もとても悲しいものだった。それを聞いたのは、つい先日のことだ。なぜそんな話の流れを作ってしまったのか、ソーラは今更話すのが辛いとは思わないと言っていたが、ハルとしては申し訳なさでいっぱいだった。その会話のおかげで彼女とは距離を縮めることができたのだが。せめて自分のことを話しておけばよかったろうに。
スカーレットに波縫いやかがり縫いを教えているうちに、商会の人たちは採集を終えていた。ぱっと見、たいした量の花が咲いているようには見えないが、種だけで荷箱がいっぱいになるくらいの量を採っていた。その日はそのままそこで一泊することになった。
辺りが暗くなった頃、ハルはリベルトの元へ赴いていた。
「ハルか。怪我の具合はどうだ?」
「まだ、ぜんぜん。痛みは薬のおかげでほとんど無いんですけど。」
リベルトは、息子のレリックと果実酒を飲み交わしていた。僅かだが、近づいただけでアルコールの刺激臭が漂ってくる。それでも二人の顔が赤くなっている様子もなく、大して酔っていないようだ。
「ハル。君も飲むかい?柑橘の果実酒だから、飲みやすいよ?」
「いえ、お酒はちょっと・・・。」
「何か用か?」
「えっと、まだ自由に動けないのはそうなんですけど、なにかやれることは無いかなって思って、・・・」
傭兵として、ハルはまだ駆け出しですらない。団の一員にはなったものの、普段はヘレンやソーラたちとともにいる時間のほうが多い。鷹の団も今はキャラバンの護衛をしているが、ほとんどくっついていっているだけだ。この二、三日で彼らが武器を抜かなければならない事態は起きていない。何もしないという状況が居候としてはなかなか耐え難いものだった。何でも良いから手助けになることをしなければ、それこそただでご飯をいただいているのと同じだ。
「ハル、今は怪我を治すのが君にとって一番重要なことだよ。」
「でも・・・。」
自分でも内心焦っているのはわかっている。昼間は表に出さないように勤めているが、今日みたいになんでもない日にはどうしても素が出てしまう。
「ううむ。そこまで言うなら、少し鍛錬をしても良いかもな。体を動かしたくて仕方が無いんだろう?」
若干認識の違いはあるが、リベルトの言うとおりだ。傭兵として成長することも今のハルには必要なことだ。
「レリック。なるべく重い得物もってこい。」
「あいよ。」
レリックは杯をおいて、馬車のほうへ向かうと、がちゃがちゃと音を立てて、なにやら探し始めた。
「怪我が治ったら本格的に剣を扱う訓練をする。それまでは、まずは武器に慣れることが先決だ。」
戻ってきたレリックが持っていたのは片刃の長剣だった。ハルの足の長さはあろう刃身で、長さのわりに幅がなく細身の武器だ。
「これくらいなら、女の子でも振れないことは無いと思うよ。」
ハルを剣を片手で受け取る。その重さに思わず声を上げてしまう。
「それを暇な時間に振っているといい。もちろん人のいないところでな。片手で辛かったら、両手でもいい。慣れてきたら片手にして、自由に振れるようにするんだ。」
これが傭兵としての初めの一歩だというのだろうか。とにかく重い。よく映画やアニメでは軽々しく振り回しているのを見るが、とてもじゃないが同じように扱える代物ではない。今は鞘に収まっているとはいえ鞘の重さなど微々たるものだろう。重心を持ってこれだけ重いのだから、柄を握ったら持ち上げることも一苦労するかもしれない。
「まずは肉をつけないとな。よく鍛えてよく食えよ。」
リベルトは荒っぽいところもあるし、ついでにデリカシーも無いようだ。
冗談はともかく、やれといわれたことは早いうちからやってみるべきだ。キャラバンが行進中は当然出来ないが、休憩でキャンプを張った際には一人集団からはなれて、渡された剣で素振りをした。振り方なんてわからないから、剣道のように上から振りかぶって前に振り下ろすというやり方だ。片足と松葉杖ではなかなかバランスをとるのが難しく、剣を振るというより、剣に振られているというのが正しい表現かもしれない。
当然、素振りをした日の夜には、両腕が棒のように動かなくなり、撫でても揉んでも叩いても、決して治ることのない痛みが永遠と続いていた。筋トレなんて向こう側ではしたことも無かったから、並の人間よりも体が悲鳴を上げているのだろう。
腕の痛みも激しいが、剣を握って振るには相当な握力が必要だった。気を抜いて力を緩めてしまえば、剣が手から抜けていってしまうから、集中していないといけない。ただ剣を振るという単純な作業でも、かなりの汗をかいていた。
「姉ちゃん大丈夫?」
「大丈夫?」
馬車ではちび助二人に両腕をつつかれたり引っ張られたりされて、落ち着ける場所がなくなってしまった。
「うーん、大丈夫だから、お願いだから腕触らないで・・・」
「ほら、二人とも。ハルのこといじめてないで、ご飯運ぶの手伝って?」
ヘレンが二人にシチューの入った鍋を運ぶよう促す。
「いじめてないよ、マッサージしてあげてるんだ。」
「でもグレン、ハルお姉さん、死んじゃいそうだよ?」
「いや、これくらいじゃ死なないけど。ていうか、スカーレットも腕つっつくのやめて・・・。」
二人はヘレンに引っ張られるまで、ハルいじりをしていた。解放されても腕がしびれたようにじんじんと痛みが残っているのだが。
「ハルは?ご飯どうする?」
ヘレンが椀を持ってきてくれた。お腹は空いているから食べたいのだが、今は少し休まなければ椀ごとシチューを溢してしまいそうだ。
「今はちょっと。もう少ししたら戻りますんで。」
「はいはい。」
ヘレンは苦笑いをしてキャンプへ戻っていった。一人馬車に残ったハルは、仰向けで大の字になっている。向こう側では運動部にすら所属したことはない。もちろん体育の授業は受けていたし、体を動かすのは嫌いじゃなかったから、体力はあると思っている。しかし、本格的に体を作るのは万年帰宅部にはかなり骨の折れるものだった。
勉強と違うところはやればやるほど力になっていることだろう。朝起きて剣を持つと若干だが、昨日よりも軽く感じるのだ。勉学であればこんなにも明らかな成長を見るには時間がかかる。力をつけることが目的ではないから、一概に良いと考えるの違うのだろうが。それでもこのときは、自分が変わりつつあることに、ハルは達成感を抱いていた。
ファルニール商会が目指す場所は、アストレア王国の領土をはるか西に行くところにある、ルーアンテイルという都市らしい。元々ファルニール商会はそこで誕生し、ルーアンテイルを商売の起点にしていたのだそうだ。商会が大きくなり、利益を求めて王国へ出てきたが、国の情勢が悪化してとても商売ができるような状態じゃ無くなったのだという。そして今、こうして長い時間をかけて旅をしているのだ。
ハルがキャラバンに同行して十日が経ったが、目的のルーアンテイルまでさらにかかるらしい。それも当然、キャラバンは歩くような速さで進んでいるのだ。都市と都市を渡り歩くのだから1月以上かかってもおかしくないだろう。
旅は優雅なものだった。人々からは笑顔が絶えず、それが日常なんだとハルは思った。しかし、このときはまだ、鷹の団がなぜキャラバンについているのか、この世界がどれだけ残酷な世界かをまだ知らなかったのだ。
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