第2話  二千もしくは千二百、六千万以上前の過去 ②

 声が聞こえなくなったのは電車に乗ってから。

 そわそわしながら窓にもたれ掛かり、挙動不審に辺りを見渡しながら、織斗は電車を降りた。

 やはり声は聞こえない。

 安堵して改札を抜け、鞄の中からトランプケースを取り出す。


「なんだったんだ、今の……夢か、そうだ、夢だな! あ、すみません」


 立ち止まる場所が悪かった。

 改札口のど真ん中で立ち止まる織斗の腰に、後ろの人の鞄がぶつかった。


「いえ……」


 女性が織斗を睨み、鞄を抱え直してスタスタと歩み去る。

 気がつくと、周りの視線が織斗に集まっていた。

 かなり邪魔だったのだろう。織斗はトランプを制服のポケットに収め、逃げるように駅舎を飛び出した。


「ふんだり蹴ったりってこういうことだな」


 駅から歩いて十五分、織斗は帰路にある公園のベンチに座って空を見上げていた。

 雲ひとつない快晴、雨は降らない。


「どうしよう、これ」


 ポケットには確かに、トランプケースの感触。


「どこかに捨てて……いや、捨てたはずのトランプがいつの間にか手元にって展開の方がホラーだよな……どうしよう」


 トランプを握りしめたまま、再びため息を吐く織斗。

 試しにと、ケースをスライドさせてみる。


「ねえ、ちょっと! 酷いよね!」


 そしてすぐに後悔した。

 夢でもなんでもない。

 現実に、いま、目の前に、先ほどの手のひらサイズ和装少女がいた。

 ぷかぷかと宙に浮き、織斗の鼻先を指で突く。


「吐くかと思ったんだけど!」

「……うん、未遂に終わってよかった」


 カチッと、トランプケースを閉じる織斗。

 しかし少女の姿は消えず、しばらく見つめ合った。


「……なんで消えねーの?」

「もしかして今、私を消そうと思ってケース閉じた? 最低!」

「えっ、だって……えっ!」

「あんた、神木の当主でしよ? 私のこと知らないの? トランプについては?」

「は? カミキノトウシュ? トランプ?」

「あんたの武器でしょ、そのトランプ。ハートが炎、スペードが水、ダイヤは土、クラブは草木。そして最後にジョーカーで相手を封印するの。わかってる?」

「は? え?」

「えぇー、嘘でしょ? じゃあ、ほら、ハートの3で炎出してみて」

「ハートの3?」

「そのナンバーを頭に思い浮かべながら、ケースからカードを取り出すの」

「ハートの3、ハートの3、ハー……」

「声に出さなくていい! かっこ悪い!」

「…………」


 注文が多いと思いながら、織斗は無言で一番上にあったカードを取り出した。

 ナンバーは少女が指定した、ハートの3。


「はい、攻撃したい方向に数字を向けて、『解印かいいん』って叫んでみてくださーい」

「なんか馬鹿にしてね? 言い方が……」

「当たり前でしょ? どうして私が使い方レクチャーしなくちゃいけないのよ。いいからほら、やってみて」

「……かいいん」


 言われた通り、トランプを天に向けて呟く。

 するとその瞬間、ぶわっとトランプから炎が飛び出した。

 手品のように火柱を吹いたトランプは、しばらくして炎と共に消えてなくなった。


「……なに今の……火が」


 明らかな動揺を見せてトランプを見つめる織斗。

 和装少女が愉快そうに、くすくすと笑った。


「普通のカードが攻撃、相手の体力を減らしてジョーカーで封印。ゲームみたいでしょ?」


 織斗は答えず、頭の中にジョーカーを思い浮かべた。

 このトランプのジョーカーの絵柄がなにかわからないが、一般的にはピエロとか……

 カードを取り出すとやはり望んだナンバー、笑うピエロが印刷されたジョーカーだった。


「ピエロの面を相手に向けて、『封印』って唱えるの。そうだ、相手はいないけど、いまやってみる?」

「は?」

「対象がいないと不発に終わるんだけどね。キラキラして綺麗だから、試しにやってみていいよ、あ、私に向けてやらないでね?」


 念のためと、和装少女が織斗の肩に乗った。

 織斗は言われるがままに、トランプを掲げる。


「ふういん……あっ」


 しかし公園の入り口に人の姿が見えて、慌ててトランプを裏返す。

 呪文は口にしてしまっていた。

 故に、ジョーカーから飛び出した白い光が織斗に向けて放たれた。


「うわっ、え? なに?」


 眩さに、織斗は目を閉じる。

 手に持ったままのトランプから、微かな振動が伝わってきた。

 再び目を開けると、きらきら光る粒子が織斗の周りを飛んでいた。


「あれ?」


 肩に乗っていた和装少女はいない。

 首を傾げてトランプを見つめ、鞄の中を探る織斗の足元に、黒い靴が歩み寄った。


「こんにちは」


 顔を上げると、織斗の座るベンチのすぐ前に二十歳前後の女性が立っていた。

 艶のある黒髪ボブ、肌は透き通る様に白く、鋭い目つきは美人というに相応しい容貌。


「こ、んにちは」


 返事をしつつ、頭の中で知り合いの顔を思い浮かべる。

 間違いない、知らない人だった。

 女性はにこやかに微笑み、織斗に向けて話を始める。


「先日、祖母が亡くなりました」


 そう語る女性の格好は黒のスーツスカートに同じ色のパンプス、なるほど喪服かと納得させられた。


「私の母は育児というものが苦手で、物心ついた時には祖母と暮らしていました」

「あ、へぇー……」


 急になんの話だろうとは思ったが、話を遮れる様な雰囲気ではなかった。

 織斗はトランプケースをポケットに収め、女性を見上げる。

 

「女で一つで私を育ててくれた、優しい祖母だったんです」

「あぁー、えっと……俺と同じだな。親いなくて、爺ちゃんと二人暮らし……」

「優しい人でした。私は幸せで、大好きでした」


 だが女性は織斗の話を遮り、自身の身の上話を続ける。

 これは、話を聞かないというか、おかしなタイプの人だな。と織斗は唇を結んだ。

 面倒くさいが、ベンチの前にいるので立ち上がることもできない。


「最後の一年、祖母は様々なことを忘れ、若かりし頃の自分に戻っていました。そして私に言うのです。戦争で、初恋の人を亡くしたと」


 女性は瞳を閉じ、胸に手を当てて深呼吸した。


「この戦いが終わったら共に生きよう、そう約束したのに……それが彼の最期の言葉だったそうです。わかります?」

「え? あ、あぁ……えーっと」

「敵を憎み、その恨みを私に託しました。祖母は享年六十五です。わかります?」

「え? ……何が?」

「第二次世界大戦は七十年以上前の出来事ですよね?」

「え? あ、そうだっけ?」

「私、祖母の遺言に従って、復讐にきたんです。遺言の内容はこうです」


 女性がポケットに手を入れる。

 遺言状が出てくると思って彼女の手元を見つめていた織斗だが、予想は外れた。

 女性の手には押し花の入った栞と、小瓶に入った赤い液体。


「……血?」


 なぜだがそれが、絵の具ではなく血だとわかった。

 いやいやまさか、でも……と考え込む織斗。

 そうこうしている間に、女性は小瓶を持っている手で栞の裏側を撫でた。

 栞の裏側には、青色で模様が描かれていた。織斗のトランプに似た模様の絵柄。


「死の直前、祖母は私のことを思い出しました。目を見て、こう言ってくれたのです。お前の代で、復讐を果たしてくれと」

「復讐?」

「神木一族を……その長である、神木当主を倒せと」


 女性は小瓶の蓋を開け、液体を栞へと滴らせた。

 血が栞に滴り落ち、赤く染まっていく。


「勝手な真似をしてごめんなさい、当主様。術力、お借りします……解印」


 女性が呟いた途端、手に持っていた栞がバラバラと砂のように崩れ落ちた。

 その粒子が女性の体を包み込んで白く発光する。

 同じ白でも先ほど、封印の時とは違う、少し濁った白の色。

 わけがわからず茫然とする織斗だが、次の瞬間、息を呑んで目を見開いた。

 織斗が座っているベンチが、真っ二つに割れていたのだ。

 切れ目には、先程の女性の腕。いや、先程の女性ではないかもしれない。

 艶やかだった黒髪はボサボサに爆発し、白い肌は薄黒く、眼球が抉り取られたように目の中には何も映し出されていなかった。

 まるで幽霊さながらその人が身に纏っているのは、先程の女性が着ていた喪服。


「えっと……さっきまで俺と、お話ししてた方ですか?」

『ヴァグゥ!』


 返ってきたのは獣のような唸り声と、蒼白く変色した女性の腕。

 ガンッと、女性の拳が織斗の顔の横、ベンチの背もたれの木板を突き破る。


「……壁ドンとか昔流行ったよなー。意外と激しいな、これ……嘘だろ!」


 織斗は鞄を抱え、女性の脇をすり抜けて公園の出口まで走る。

 振り返ると、木板に手を突っ込んだままの女性の顔が、ぐるりと織斗に向いていた。

 胴体は、織斗に背を向けたまま。


「……身体の角度、おかしいから。体操選手でもそんな柔らかくない……人間、じゃないよな?」


 恐る恐る尋ねると、今度は身体ごと、女性が織斗に向き直った。


「えーっと……人間じゃないとか言ってごめん! 嘘じゃないけど嘘です!」


 ぴゅんと、公園を出て行く織斗。

 だけど当然のように、女性は織斗を追ってきた。


「マジか、マジかまじか! 嘘だろ、なにこれっ!」


 運動神経はいい、人並み以上に。

 陸上部どころか実業団の選手を相手にしても劣らない脚力を持つ織斗だが、全速力を出しても女性を引き離せなかった。

 わけがわからず、織斗は右往左往しながら住宅街を走り続ける。

 不思議な事に、逃げ回っている間は誰ともすれ違わなかった。

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