フェア3 マカレドアの休日

「よ!パレット、意外に元気そうで安心したぜ」

「…フェア!?本当に…本当に君か!?」


俺の姿を見たパレットは、ベッドの上で驚き声を上げた。全身に巻かれている包帯が痛々しいが、あの瀕死の状況から考えれば驚異的な回復力だ。


あれから3日、俺はダルステン領央都・マカレドアにある軍病院に訪れていた。


マカレドアまでは、俺の嫁・トワキルの背に乗って移動した。トワキルの衣装の一部だと思っていた黒マントは、なんとトワキルの翼を変形させていたもので、その翼で彼女は空を飛んでいたのだった。可愛い女の子の背に乗って空を飛ぶなんてすごく美味しいシチュエーションだと思うだろ?


けど実際は、ものすごい風圧に吹き飛ばされそうになり、何度も死にかけるハメになった。当分トワキルの背中には乗りたくない。翼は羽毛布団みたいにフワフワで気持ち良かったけどな。


「フェア、君には命を助けられた。心から礼を言う」


おもむろに頭を下げ、パレットはそう言った。どこまでも律儀で誠実な男だ。


「なに言ってんだよ、パレットは俺を助けてくれたじゃんか。お互い様だよ」


「…それで、君にどうしても聞かなければならないことがあるのだが…」


「俺がなんで生きてるか、だろ?」            


俺はパレットに、あの日起こったことを正直に話した。


「……そうか、君が魔皇帝令嬢と結婚の契約を…」


パレットは複雑そうな表情で目を伏せた。パレットからすれば、トワキルによって大勢の仲間を失ったんだ。トワキルのことを、そして結婚の契約で生き延びた俺に対して良い感情を持つわけがない。それでも、パレットに対して嘘をつきたくはなかった。


「すまぬ、フェア!私達が不甲斐ないばかりに…!」


パレットはベッドの上に両拳をつき、額を寝具に押し付けた。その大きな身体はブルブルと震えている。


「え?いや、パレットが謝る必要なんてないだろ!?パレット達は命懸けで戦ったんだし、仲間も大勢、その…」


「いや、我々は魔皇帝令嬢に正面から戦を挑んだのだ。そのために出た犠牲の責は彼女にはない。全てはこの私の弱さに責がある。その上君にまで、魔皇帝令嬢との結婚の契約という重責まで負わせてしまった…」


「気にすんなって。こう言っちゃなんだけど、トワキルは俺に対しては無害だし、別に重責なんて感じてねーよ。俺は今まで通り、他力本願を貫くさ」


「君の使命、魔皇帝討伐を果たすため、か?」


「ああ」


パレットは顔を上げ、姿勢を正して充血した目を俺に向けた。


「分かった。このパレット・モーリス、君が望めば身命を賭してその使命に協力すると誓おう」


「…ほんとにド真面目な、お前。身命を賭しては欲しくないけど、困った時は力を貸してくれると嬉しい。それじゃ、俺そろそろ行くな、トワキルを郊外で待たせてるからよ。お大事にな」


「フェアよ、魔皇帝令嬢…いや、奥方殿によろしく伝えてくれ」


そう言ってパレットは白い歯を見せて笑った。本当に、どこまでも誠実で、気持ちの良いヤツだな、と思った。



軍病院を出た俺は、マカレドアの大通りを歩いていた。マカレドアの街並みは中世ヨーロッパを思わせる雰囲気で、建物のほとんどは赤褐色のレンガで構成されていた。街のあちこちに市場があり、どこも大勢の人々で賑わっていた。


マカレドアの人々が来ている服も中世を思わせるような古めかしい格好で、俺が着ている服もまたそんな感じだった。恐らくナレさんが転生前に俺に標準装備させたんだろう。衣装に手間掛けるんだったら、普通に人間に転生させてくれれば良かったのに。


「さっきからブツブツうるせぇなぁ〜ハンパもん!」


「あ!おいコラ!?出てくんじゃない!他の人に見られたらどうすんだ!?」


「おミャーのココロのこえがうるせぇからワルイニャン!」


俺の羽織っているローブの裾から顔を出している、このうるさい赤いモコモコは、《ヴァンヴァン・スヴァル》という名のトワキルの使役魔獣だ。犬と猫と、おまけに豚が合体したような外見で、ポケットサイズの小型魔獣でマスコット人形的な可愛さがあるのだが、こいつがとにかくうるさい。


「だからうるせぇっていってんだワン!」


「ええい!心を読むな!そしてニャンなのかワンなのかどっちかに語尾を統一しろ!」


「お嬢にたのまれたからついてきてやったのに、おミャーみたいなハンパもんにサシズされるギリはないブー!」


「ブーまであんのか!キャラ乗せるならどれか一個にしろこの強欲魔獣!」


トワキル曰く、『我が生まれてからずっと側にいる。うっとうしいから殺しても何度でも蘇るので、仕方なく使役魔獣の契約を交わした』そうだ。めちゃくちゃ物騒だが、気持ちは良く分かる。俺もとりあえずぶん殴りたいもん。


それにしても、奥方殿か…。全然実感ないけど、他人からそう言われると妙に背中がむず痒い。3日前のトワキルとのあの濃厚なキスシーンを思い出して思わず赤面してしまう。トワキルも一緒に来れば良かったのにな。このマカレドアの賑やかな大通りを一緒に歩けたらさぞ楽しいデートになったのに。


「ハァー、これだからドンカンなハンパもんはコマるニャン」


「なんだよエセゆるキャラ、俺の素敵恥ずかしデートプランに文句でもあんのか?」


「お嬢がマチにハイらなかったのは、おミャーのためワン。お嬢はチョーユウメイ、おミャーがお嬢とイッショにいたら、おミャーにメイワクがかかる、だからお嬢はキをツカったんだハンパもん」


「…そうなのか?」


「それにそもそも、マカレドアにくるのだって、お嬢とミャーだけならハンニチでこれるのに、おミャーがピーチクうるせぇーから、お嬢はヤスミヤスミとんでくれたブー。そんなお嬢のオトメゴコロがわからないおミャーはとっととシんだほうがイイワン」


…そうだったのか。確かにあまり表情とかに出さないけど、トワキルは俺に気を使ってくれてた気がする。マカレドアに行ってパレットに会いたいって言い出したのは俺だし、飛んでる最中にも常に俺の体調を気にしてくれていた。トワキルのそんな気遣いに気付かないなんて、花婿失格だよな俺。


「ありがとな、ヴァンヴァン。大切なこと教えてくれて」


「…キュウにスナオにおレイをイうな、ハンパもん」


ヴァンヴァンは顔を赤らめて俺の裾に隠れた。なんだかんだ言って可愛いヤツだ。


「キャー!お助けくださいー!」

「ムム!絹を裂くような女の子の悲鳴!」


悲鳴が聞こえたのは大通りから少し離れた裏路地だった。人通りも少なく、悲鳴を聞いたのは恐らく俺一人。ここは俺が助けに行くしかない。それにこれは異世界転生モノに良くある、美少女救出フラグに違いない。


見知らぬ美少女のピンチに颯爽と駆けつけ、暴漢共をなぎ倒し、美少女と仲良くなって一緒にウハウハ転生ライフを送るフラグに間違いない!欲を言えば、その美少女の正体が実は大国のお姫様で、一気に次期国王候補!なんてのが理想だが、正直そんなご都合主義はまったく期待していない。


「おいハンパもん、タスけにイクつもりなら、ヤめといたほうがいいニャン」


「そこは任せろヴァンヴァン!俺にはとっておきの秘策があるのだ!」


フフフ!そうだ俺には秘策があるのだ!どんなヤツが相手でも、これを使えばイチコロだ!俺は悲鳴が聞こえた裏路地に駆けつけ、渾身のポーズを決めた。


「そこまでだ!悪党共!このフェア・スリーシップが…うわ!」


「キャ!」


ビシッと決めたつもりが、突然路地裏から飛び出してきた白いモコモコにタックルされひっくり返った。赤いのといい白いのといい、どうやら今日の俺はモコモコ運が悪いらしい。


「ご、ごめんなさいっ!大丈夫ですか!?」


「…だ、大丈夫大丈夫〜!正義の味方は頑丈だか…ら…」


そこまで言って俺は息を呑んだ。雪を思わせるような白く長い髪に、南国の海をそのまま映したような蒼い瞳。俺の胸にすっぽり収まっている小柄な少女は、紛れもない美少女だった。身に付けている白いモコモコは動物の毛皮らしく、俺が触ったどんなモコモコよりも最高の肌触りだった。歴代最高のモコモコである。


「あの…ちょっと…くすぐったいです…」


「あ、すみませんつい!」


美少女は顔を赤らめている。ついモコモコを触るのに夢中になってしまった。美少女の体をまさぐる男、普通にセクハラである。ええい、気を取り直して悪党退治と洒落込もう!


「おい悪党共!この方には指一本触れさせな…い?」


んん?想像してたのと違うぞ?俺の想像だと、多くても5〜6人の悪党がいるくらいだと思ったんだが、狭い路地裏には見えるだけで20人以上の悪党がいた。密だ、すごく密だ!さらに甲冑にロングソード帯剣と完全武装、こんなの計画にない!詐欺だ!騙し打ちだ!


「なんだ貴様は!?」


一番手前にいた男が、俺と美少女に詰め寄ってきた。俺は美少女の手を取り立ち上がらせると、彼女の前に立ちはだかった。


「通りすがりの正義に味方だ。女の子一人相手にそんな大勢で恥ずかしくないのか?」


「貴様には関係ないことだ!そこをどけ!」


「いいのか?この俺様に向かってそんな口を聞いても?」


「なに?貴様何者だ?」


その質問を待っていた!喰らうがいい俺の秘策!そしてクモの子を散らすように逃げ去るがいい!


「我が名はフェア・スリーシップ!魔皇帝討伐の使命を負った勇者にして、魔皇帝令嬢の花婿であるッッッ!!!」


決まった…!俺の脳内ではドンッ!って感じの効果音が鳴り響いている。これこそ俺の秘策、『トワキルの名前を使って他力本願大作戦』!この世界では魔皇帝令嬢の異名が天下に鳴り響いているみたいだし、その花婿ともあれば絶対に相手にしたくないはず。さあ悪党共!悲鳴を上げて退散せいっ!


一拍の静寂の後、男達は互いの顔を見合わせて笑い出した。あれれ、思ってた反応と違うぞぉ?


「ハハハ!この小僧、言うに事欠いて魔皇帝令嬢の花婿だと!?そんなバカな話、誰が信じるか!」


「それにスリーシップだとよ!じゃあこの小汚いガキは、実は大貴族様だってことか?腹が痛いぜ〜!」


いや、うん。よく考えればそうだよね。だってさ、俺だってさ、いきなり知らない人に『実は俺、イギリスの女王と結婚してんだぜ!』って言われたらこんな反応するもん。


「おい小僧、痛い目に遭いたくなければ今すぐそこをどけ!」


巨大な男が俺に詰め寄ってくる。あ、ヤバイ、俺これ詰んでる?逃げたほうが良くね?しかしそんな逃げ腰の俺の裾を、美少女はキュッと握っている。その手は微かに震えていた。こんな怯えている美少女を見捨てて逃げたら、それこそ男として終わりだ。ここはなんとしてもなんとかしてみせる!


「だからヤめとけってイったブー。しゃーねーからチカラかしてやるワン」


美少女が掴む俺の裾からヴァンヴァンが飛び出してきた。赤いモコモコと白いモコモコの奇跡の共演だ。美少女は目を輝かせてヴァンヴァンを見ている。好きなんだろうな、こんな感じのぬいぐるみ。


「魔獣使いとは恐れ入った!しかしそんなチビになにができる?」


「こんなハンパもんにツカわれたオボえはないニャン、オロかなニンゲンドモ。このヴァンヴァン・スヴァルをナめたらどうなるかオシえてやるブー」


ヴァンヴァンはふわふわと男の前に浮かび上がると、突然白く発光し始めた。


「この魔獣、魔法を使うぞ!結界を張れ!」


男の叫びと共に、青白い光の膜が男達を包み込んだ。あれが恐らく魔法結界ってヤツだろう。


「ムダニャン、《ヴァンヴァン・スヴァル》!」


その呪文を発した瞬間、閃光が辺りを覆い尽くした。あまりの激しい発光に思わず目を覆う。しばらくして目を開けると、目の前にいた男達が全員もれなく倒れ伏していた。


「こ、殺したのか?」


「ネむってるだけニャン。ニンゲンごときにホンキはダさないワン」


ほっと胸を撫で下ろす。良かった、たとえ悪人でも人が死ぬ所なんて見たくないからな。


「あの!お助け下さり、ありがとうございます!」


そう言って俺の後ろに隠れていた美少女が笑顔で俺の裾を引いた。その大きな瞳は爛々と輝いていて、とてつもなく可愛かった。幼く見えるが、いったい何歳くらいなんだろう?


「気にしなくていいよ、困っている女の子を助けるのは男の嗜みさ」


フッとポーズを決める。まあ俺なにもしてないけど。


「わたくし、あの…その…レイカと申します!よろしければなにかお礼をさせて下さい!」


レイカと名乗った美少女はそう言って満面の笑みを浮かべた。その笑顔はまるで白ユリが開いたような可憐さで、俺は思わず赤面した。


「ぜ、全然気にしなくていいよ?俺は正義の味方として当然のことを…」


「この先にオシャレなカフェがあるのですよ!そちらでお茶をしましょう!わぁ!決まりです!さあさあ、行きましょう行きましょう!」


そう言ってレイカは小さな手でグイグイと俺の手を引いた。見た目に反してめちゃめちゃ強引である。


…いや待てよ?これってデートか?俺はトワキルと結婚してるわけだし、これって浮気ってことに…?いやいや!これは純粋にあくまでお礼のお茶会であって、やましい気持ちは1ミクロンもないわけで、そもそもトワキルにバレなければなにも問題ないよね、うん。


「お嬢にチクるニャン」


「ヴァンヴァン様、何卒お許し下さいあとでなんか奢りますので」


「グリフォンのタマゴ10コでカンベンしてやるワン」


この欲張り魔獣め…と、思いかけてやめた。俺もまだ、命は惜しいのだ。



レイカが案内してくれたカフェ『ビシュマル』は、こじんまりとしているが木目調のオシャレなデザインで店内の雰囲気は最高だった。レイカは自らの身の上話をしながら、ヴァンヴァンをその胸に抱えて喉を撫でている。ヴァンヴァンも満更でもない様子だ。おいコラ色欲魔獣、ちょっとそこ代われ。


「なるほどね。つまり、レイカは俺と同い年で、帝都ディストリアの貴族で、お忍びでマカレドアに来た所をアイツらにさらわれそうになった、ってことか」


「…はい…あの、お助け下さり本当にありがとうございました!…あの時のフェア様、とても素敵でした…」


レイカは顔を真っ赤にしてモジモジとヴァンヴァンをいじっていた。あのすいません、スゲー可愛いっす。


「それでこれからどうすんだ?ディストリアに帰らないといけないんだろ?お付きの従者とか馬車とかないのか?」


「ディストニアには《アーカラム》で帰りますので、ご心配には及びません」


「アーカラム?」


「魔法転送装置です。一瞬で離れた所に送ってくれるのです」


「魔法ってほんと便利!じゃあこの後そこまで送るよ」


「……あ、あの!フェア様っ!」


急にレイカが身を乗り出し、テーブルの向かいに座る俺に迫った。


「な、なに?」


「わ、わ、わ、わ…」


「わわわわ?」


「わ、わたくしと……デート!して頂けませんか!??」


「へ?」


「…はしたない女だと思われるかもしれませんが…わたくし、お屋敷から外に出たことがなく、ずっと外の街に行ってみたいと思っておりました。マカレドアには珍しい食べ物やオシャレなお店がたくさんあると聞き、いてもたってもいられなくなってお屋敷を飛び出したのです。今日の夕方には帰らないといけませんので、せめてそれまでの間だけでも…フェア様のような素敵な殿方にエスコートして頂けたら…わたくしは…」


今にも泣き出しそうな顔で、レイカはそう言った。貴族の暮らしって羨ましいとしか思えないけど、実際に暮らしてるレイカにとっては不自由なこともたくさんあるんだろうな。トワキルを待たせるのは心苦しいが、泣きそうな美少女を放っておくのは男が廃るってもんだ。


「分かったよ、レイカ。今日は思いっきり楽しもうぜ!」


俺がそう言うと、レイカはパアァっと笑顔を咲かせた。フェア・スリーシップの名に賭けて、俺がこの深窓の令嬢をハッピーにしてやる!デート経験0の童貞王だけどな!



まずは、レイカの服を買いに行くことにした。あの白いモコモコではあまりに目立ちすぎるしな。レイカは爛々と目を輝かせながら色々な服を試着していた。世の男共は彼女と服を買いに行くのを面倒くさがるらしいが、童貞歴30年のベテランの俺から言わせればアホ極まりない主張だ。こんな美少女の買い物に付き合うなら12時間でもここにいられる自信が俺にはある。


オシャレな街娘ファッションに着替えたレイカは、とんでもなく可愛かった。お嬢様みたいなファッションももちろん似合うが、これぐらいカジュアルな方が天真爛漫なレイカのイメージに合っている気がする。


俺達は街のレンタル屋で『ベスパール』という乗り物を借りた。二人乗りできて免許もいらない、空飛ぶ不思議な乗り物だ。見た目は原付バイクに似ているが、スピードが段違いだった。猛スピードで走るベスパールに驚いたレイカは、必死に俺の背中に抱きついた。背中に感じる柔らかな感触に、俺は感無量だった。世の中の男がバイクに乗るのはこの感触を堪能するために違いない。


次にレイカを連れて行くのは市場の屋台通りだ。ここでは珍しい食べ物を食べ歩きできる。グリフォンの卵に、ミニドラゴンの尻尾、ユーラス魚の串焼き、ポポイ風焼きそばなどなど。マカレドアの誇るB級グルメに俺達は舌鼓を打った。ヴァンヴァンへの貢物としてグリフォンの卵を20個奢らされた。(デートの分口止め料で上乗せされた)


腹を満たしたら軽い運動だ。マカレドア一のアミューズパーク『マカレマニア』にある魔法アスレチックに挑戦。足場が消えたり浮いたりのなんでもありアスレチックで、運動神経0の俺は全然前に進めなかった。意外にもレイカはスイスイと先に進んでいった。箱入り娘と侮っていたが、俺なんかより運動神経抜群だった。


そんなこんなで、以前読んだメンズ雑誌に載っていたデートのいろはを必死に思い出しながらレイカをエスコートした。レイカは終始楽しそうで、俺も大満足だった。ちなみにデート代は、パレットからもらった餞別から出した。デート代は男が全額負担するのが紳士の嗜みなのだ。遠慮するレイカを説得するのは大変だったが。




遊び倒した俺達は、夕暮れのマカレドア公園のベンチに腰掛け、茜色に染まる街を眺めていた。公園には巨大な噴水があり、そのすぐ後ろにはマカレドア大聖堂が壮麗にそびえ立っていた。


「まるで『ローマの休日』みたいだな」


「ローマの休日?」


「俺の国にあった映画でさ。とある街で、一人の新聞記者がすごい美人と出会って、一日デートするんだ。二人はお互いに惹かれ合うんだけど、実はその美人の正体はお姫様で、二人は身分が違うから最後には別れてしまうって話」


「…悲しい…物語ですね…」


「ま、俺は新聞記者じゃないし、レイカもお姫様じゃないけどな」


「それならば……結末も違う。そうではありませんか…?」


「え?」


レイカはヴァンヴァンを横に下ろすと、俺の方に向き直った。その蒼い瞳は揺らいでいて、涙がたまっていた。


「フェア様…わたくし…わたくしは…」


レイカのそっと目を閉じると、そのまぶたから大粒の涙が零れ落ちる。レイカは小さく可愛らしい唇を俺に向け、なにかを待っている。童貞100%の俺でも、今レイカがなにを望んでいるのか分かった。心臓が口から飛び出そうなほどドキドキしてる。周りには俺達以外誰もいない夕暮れの公園。ムードも最高だった。


据え膳食わぬは男の恥、逃げるのは恥だが食わないのはもっと恥!ええい、ままよ!


俺はレイカの華奢な肩を両手でそっと抱いた。俺が触れた瞬間、レイカはビクリと身体を固くしたが、それでも俺を待っていた。レイカの唇にそっと顔を近づける。モテない人生だった俺に訪れた千載一遇のチャンス。初めてのデート。初めてのキス。


…いや、初めてじゃない。だって俺は…


「…トワキル」


そう囁くのと同時に、噴水が音を立てて噴き出した。その音に驚いた俺達は慌てて身を離した。高々と噴き出す噴水の水が夕暮れの空に散って行く様は美しかった。


レイカはヴァンヴァンをひと撫ですると、不意に立ち上がった。


「もう、行かねばなりません」


「…ああ」


「フェア様、レイカは、今日という一日を、生涯忘れることはありません」


そう言って振り返ったレイカは、笑っていた。夕暮れの中、噴水と大聖堂の背景を背負うレイカの姿は、すごく綺麗だった。


「レイカは、フェア様を、生涯忘れることはありません」


なにか言わなければ、そう思っても口にはできなかった。レイカはスカートの裾をふわりと持ち上げ、俺に一礼して歩き出した。俺はなにも言えない、言う資格もない。


「おい、ハンパもん」


「…なんだよ、お邪魔虫魔獣」


「あのムスメかついでベスパールにのれニャン」


「え?」


「はやくしろワン!」


ヴァンヴァンの叫び声と同時に、草むらから甲冑の男達が飛び出してきた。その手にはロングソードが握られている。


「レイカ!」


困惑しているレイカを担ぎ、俺はベスパールに飛び乗った。俺達を乗せたベスパールは猛スピードで公園を飛び出した。


「追え!」「逃すな!」「殺せ!」


背後から男達の怒声が聞こえる。大通りを抜け、大路地に差し掛かると、ベスパールに跨がる甲冑の男達が脇道から飛び出してきた。


「ヴァンヴァン!なんとかしろ!」


「ヤツらがキてるのはマホウカッチュウブー、お嬢がちかくにいないイマじゃミャーのマホウはきかないニャン」


「じゃあどうすりゃいいんだよ!?」


「マチをぬけてコウガイにイクワン、お嬢とゴウリュウニャン!」


大路地を抜けると、郊外に抜ける細い小道がある。複雑に入り組んだ舗装されていない道をひた走る。後ろを走る甲冑隊は次々と岩や木にぶつかって脱落して行く。なめんなよ、こちとらレースゲームで鍛えたテクニックがあるんだ!年季が違うぜ!


マカドレアの城門が見えてきた。しかし城門の橋が徐々に吊り上がって行く。それでも、止まるわけにはいかない!


「レイカ!掴まってろ〜!」

「はい!フェア様!」


俺達を乗せたベスパールは斜めに傾いた橋を駆け上り、一気に飛び出した。空飛ぶベスパールは城門前の深い堀を飛び越え、滑らかに地面に着地した。…死ぬかと思った。


「…レイカ、大丈夫か?」


「はい!レイカはフェア様を信じておりましたから!」


そう言って笑うレイカを見て、俺はホッとした。アイツらもこれ以上追って来れないだろう。


「また会ったな、クソガキ!」


その声に顔を上げると、今朝会った巨大な男がそこにいた。気が付けば、すでに四方を甲冑隊が囲んでいる。


「死にたくなければその女をこちらに渡せ!」


「け!悪党のテンプレ台詞を吐きやがって!誰が渡すかコノヤロウバカヤロウ!」


「おやめください、フェア様!レイカが行けばフェア様は助かります!フェア様だけでもお逃げください!」


「安心しろよレイカ、俺にはとっておきの他力本願があるんだ」


「…他力…本願…?」


「我をこれほど待たせ、あまつさえどこの馬の骨とも知れぬ小娘を連れているとは。言い訳は考えてあるだろうな?我が夫よ」


その声に、万座が上空を注視した。黒い衣装に巨大な黒い翼、絶世の美貌と豊満な肉体、天下御免の魔皇帝令嬢がそこにいた。


「待たせてすまないマイハニー!早速で悪いがこいつらどうにかしてくれ!できれば殺さないで欲しい!」


「まったく、そなた様は注文が多いぞ。まあ良い。おい人間共」


トワキルがその深紅の瞳を甲冑隊にギロリと向ける。あーカワイソウ。俺の目から見てもすげービビっちゃってるよこの人達。


「我が夫に刃を向けることは、我に刃を向けることと同義。その意味を分かっておるだろうな?」


「我が…夫…?じゃあほ、ほ、ほんとうに!?」


「だから言っただろオッサン?俺の嫁めっちゃ強いから覚悟しろよ」


「た、た、た、頼む〜!命だけは〜!!」


「《レムホライズン》!」


トワキルの呪文と同時に、蒼い稲妻が甲冑隊を貫き、一瞬で丸焦げにした。…あれ?これ生きてる大丈夫?


「案ずるなそなた様、生かしておるぞ」


「まあ…ギリギリ…めっちゃ紙一重に全員生きてるな…」


やっぱ俺の嫁パネェーっす。ヴァンヴァン買収しといて良かった〜!


「おい、小娘」


「あ、あ、あ…」


レイカは、トワキルの魔法の威力と威圧感にすっかり腰を抜かしてしまっていた。


「と、トワキル…その、この子は…」


「そなた様は黙っておれ、これは女同士の会話であるぞ」


「はいすいません黙りますめっちゃ黙ります」


「小娘、正直に答えよ。そなた、我が夫に惚れたであろう?」


なにそのめっちゃド直球のストレート質問!?せめて俺のいないとこでやって!女の子同士のパジャマパーティーとかでやって!


「…はい!わたくしはフェア様に心惹かれております!」


この子もなんでそんなにまっすぐ答えちゃうの!?よく考えて?相手は魔皇帝令嬢だよ!?つーかこれ修羅場!?都市伝説でしかないと思ってた、一人の男を巡った女達による仁義なき戦い??二人ともよく考えて!?相手俺だよ?自他共に認める他力本願中途半端男のこの俺だよ!?争う価値ある?!


「ククク…クハハハ〜!この我に向かい、臆することなく我が夫に心惹かれていると啖呵を切るとは見上げた勇気であるぞ!よかろう、我が女中として帯同することを許そう!」


「え!?女中って…!?この子は貴族の…」


「フェア様のお側にいられるのであれば、どんな立場でも構いません!よろしくお願い致します!」


「よろしくお願い致しちゃった!?」


「おいハンパもん、お嬢はイチドきめたらゼッタイにマげないワン。おミャーもカクゴキメろニャン」


二人の美女が天と地に分かれて激しい睨み合いを続ける脇で、俺は赤いモコモコを抱えて途方に暮れていた。夕暮れもすっかり暮れて、5つの蒼星が顔を出していた。



俺の座右の銘は、他力本願。でも、本当にそれでいいのかと思った、そんなマカレドアの休日だった。

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