フェア2 契約の器

なんなんだろうこの状況?なんなんだろうこのシチュエーション?あれ?状況とシチュエーションっておんなじ意味だよな?

多分俺は混乱しているんだ。いや、頭がおかしくなったのかもしれない。そうじゃなきゃ、こんな100%の死亡フラグが待ち構えている所に戻ってきたりしない。


『フェア!今すぐ逃げてください!』


ナレさんの声が脳内にこだまする。だけど俺に返答する余裕はない。こちとら分かりきってんだよ、逃げた方が絶対いいに決まってるって。戻ってくる途中、黒焦げの死体やバラバラに切り裂かれた肉片を嫌ってほど見てきたんだ。ナレさんに言われるまでもなく、とっとと素早く一目散に逃げ出すのが大正解なんだってことは分かりきってるさ。


でもさ、考えてみれば簡単な話だ。他力本願が座右の銘で中途半端な俺より、他の誰かのために戦ってるパレットの方が勇者にふさわしいじゃんか。だったら魔皇帝討伐なんて面倒くさいことはパレットに押し付けて、ここで華々しく散った方が楽に決まってる。

魂が消滅して無に帰すなんて恐くないと言えば大嘘だけど、あんなに優しいパレットを見殺しにして無様に生きていくよりはマシに決まってる。だから俺は叫ぶ。


最期くらい、格好つけて死んでやる。


「おいコラ!魔皇帝令嬢!俺がお前の相手だ!降りてきて俺と戦え!」


黒炎の嵐の中心にいる魔皇帝令嬢に向かって俺は叫んだ。膝はガクガク笑ってるし、声も上擦ってなに言ってんのか自分でもよく分からなかった。それでも俺は叫んだ。


「俺とお前の一対一だ!他の人にこれ以上手を出すんじゃね〜!」


聞こえてるのかどうかも分からないが、とにかく俺は叫んだ。声が枯れるくらい叫んだ。こんなに叫んだのは初めてだったから、自分がこんな大声を出せることにちょっと驚いた。


「我と、一騎討ちを望む、だと?」


突然、空を覆っていた黒炎が消え去り、5つの蒼星が顔を出した。蒼星の輝きを背負い、魔皇帝令嬢の漆黒の衣装が夜空にたなびいている。俺も含めて、生き残っているその場にいた誰もが、その姿を呆然と見上げていた。


「ククク…クハハハハ〜!本当に面白いな、人間というのは!」


想像以上に可愛らしい声で魔皇帝令嬢が笑い声を上げた。


「よかろう、その勇気に免じ、お前の望みを叶えてやろう」


ゆっくりと魔皇帝令嬢が下降し始める。俺の周りにいる負傷兵達がじりじりと後退りしている。皆、恐怖に顔を歪めている。俺はその内の一人の前で屈み、耳打ちした。


「…俺が少しでも時間を稼ぐ、その間に皆で協力して逃げてくれ」


「…バ、バカな!死ぬつもりか!?」


「タダじゃ死なねぇさ、あんたにも他力本願させてもらう。一人でも多く生き延びて、パレットに力を貸してやって欲しい。アイツはいいヤツだ、きっと俺の願いを聞いてくれる」


「…君は、一体…?」


「俺はフェア・スリーシップ、他力本願が座右の銘のただのアホさ」


その人の肩を叩き、俺は立ち上がった。なんかちょっと格好良かったかも、なんて思えるぐらい、俺は落ち着いていた。恐怖も感じていなかった。いや多分、もう全部感情のパロメーターが吹っ切れて、なにも感じなくなっていたのかもしれない。


『あなたがここまで愚かだとは思いませんでした』


「ナレさん、なんか悪いな。せっかく転生させてくれたのに、俺ここまでらしいわ。でもさ、きっとパレットがなんとかしてくれるよ」


魔皇帝令嬢が地面に降り立った。その瞬間、キャンプの周りの木々が一斉に揺れ、わずかに残っていた木柵が音を立てて崩れ落ちた。その姿は優雅で、神々しさすら感じた。そして漆黒のマントを翻し、俺に向かって歩み寄ってくる。負傷兵達は悲鳴を上げてちりじりに逃げていく。それでいいんだ。一人でも多く生き延びて欲しい。


まだ100mくらい距離があるけど、その威圧感をひしひしと感じる。魔皇帝令嬢が一歩俺に歩み寄るたび、暴風雨に打ち付けられているようなプレッシャーが襲いかかってくる。ここでオシッコを漏らさない自分が、少し誇らしく思えた。


『フェア、聞いてください。この場をあなたが生きて切り抜けられる可能性は99・9%ありません』


「いっそ100%って言われた方が諦めもつくんだけど」


『ですが、0・01%、あなたが生き延びる可能性を信じ、あなたのパロメーターに一つ修正を加えます。では、良いひと時を』


まったく、ありがたいことだぜ。俺の0・01%の可能性に賭けてくれる人がいるなんてさ。せめて華々しく堂々と、終わりの時を迎えよう。


「勇気ある人間よ」


俺の目の前に、俺の命を奪うであろう女が立っている。魔皇帝ギルヴァースの娘、魔皇帝令嬢。その姿は、俺が想像していたものとはまったく違っていた。俺が想像した以上の艶やかな黒髪長髪、想像以上の美貌、想像以上のナイスバディ。見た目と身長は今の俺とそう変わらないように見える。額には、俺のものとよく似た黒く短い角が生えているが、それ以外は人間とまったく変わらない外見だ。その瞳はルビーを思わせるような真紅で、まっすぐに俺を捉えている。


「我が恐ろしくないのか?」


ククっと小さく笑うと、魔皇帝令嬢は俺に語りかけた。その声は甘く優美で、脳髄が蕩けるように官能的だった。


「それとも恐ろしさを感じないほど呆けてしまったか?」


「どっちも違う」


「ほう?ではどうしたと言うのだ?」


「あんたの姿に見惚れてた」


正直にそう言うと、魔皇帝令嬢は目を丸くした。やばい、めっちゃ可愛い。


「この状況で我を口説くとは、そなたは面白いな」


「いや、口説いたつもりはないんだが、素直にそう思った」


「800年生きてきたが、そんなことを言われたのは初めてであるぞ」


衝撃的な事実発覚。この人800歳らしい。どう見ても15、6歳にしか見えない。これが噂のロリババアってヤツか。この顔と身体で800歳なんて詐欺だ、犯罪だ。見ろ、たわわに実った胸の谷間が、際どい漆黒の衣装から今にもこぼれ落ちそうではないか!


「そなた、人間ではなくセーミスだな。先ほどの人間共も面白かったが、そなたはもっと面白い。そこに腰掛けよ、戦う前に少し話をしようぞ」


そう言って魔皇帝令嬢は右腕を振り上げた。すると地面が盛り上がり、瞬く間に土製の椅子が二つできあがった。魔法ってめっちゃ便利。てかこの人、もしかして話せば結構分かる人なんじゃね?俺は淡い期待を抱きながら、促されるままに椅子に腰掛けた。


「そなた、生まれはどこだ?」


「生まれっていうか、今日この世界に来たばっかりで…」


「ほう、そなた転生者か」


「え、知ってんのか?」


「当然だ、転生者などこの世界にごまんとおるぞ」


またまた衝撃的事実発覚。俺みたいな転生者はいっぱいいるらしい。ってことは、ナレさんみたいな人もいっぱいいるんだろうか?


「そなた、なぜ死ぬと分かっていながら我に戦いを挑むのだ?仲間のためか?名誉のためか?」


「んん〜…どっちも違う気がするな。確かにパレットには恩があるけど、どっちかと言うと自分のためかな」


「自分のために死を選ぶ、と?」


「ああ、ちょっと言いにくいんだけど…俺には魔皇帝討伐っていう使命があるんだ」


俺のその言葉に、魔皇帝令嬢が眉間にシワを寄せた。当然だ、自分の父親を殺すって目の前のヤツが宣言してるんだ。不快に思うのは当たり前だ。だけど、この人には隠さず正直に話した方がイイ、俺は本能的にそう考えていた。


「でも、俺なんか中途半端で弱いヤツより、さっき俺が逃したパレットってヤツの方が適任だと思うんだ。だから俺はアイツを逃してここに残った、それだけだよ」


「…魔皇帝を、討伐する使命、だと?」


真紅の瞳が輝きを増して俺を捉える。魔皇帝令嬢は意外なほど白く華奢な身体を震わせて俺を睨みつけている。あ、俺殺されるんだ。そう思った時、突然魔皇帝令嬢が笑い声を上げた。


「クハハハハ〜!そうか!そなたもあの男を殺したいのか!」


「え?え?」


予想外の反応に混乱する俺の肩を、魔皇帝令嬢がバシバシと叩く。え、ちょっとなにこの状況?殺されるより不気味なんですけど!


ひとしきり笑った魔皇帝令嬢は、椅子から立ち上がり俺の目の前に立った。嗅いだこともないような甘い香りが鼻をくすぐる。すると魔皇帝令嬢は俺の顎を掴み、自らの顔を俺に寄せた。高くツンと尖った鼻先が、俺のそれとくっつきそうなぐらいの至近距離で。女の子に、それもこんな絶世の美女の顔が目の前にある。絶体絶命の状況なのに、俺の胸はドンドコ早鐘を打っている。


「なれば我らは同志だ。我の生きる目的は二つある、そのうちの一つがあの男を殺すことだ」


「じ、自分の父親を殺すのが目的、なのか?」


「あの男を父親と思ったことはない。憎むべき、殺されるべき男だ。だから我は家名を捨てた、あの男がつけた汚らわしい名も捨てた。今はただ、《トワキル》と名乗っている」


「トワ…キル?」


「それが我が我に与えた名、魔皇帝令嬢なぞ耳にするのも口にするのも忌々しい」


吐き捨てるようにそう言うと、魔皇帝令嬢、いや、トワキルが両手で俺の頬に触れた。白く繊細な指先は氷のように冷たい。だけど、その瑞々しいピンクの唇から漏れる甘い吐息は燃え盛る炎のような熱を感じた。やばい、今俺絶対顔赤くなってる。童貞感全面に出ちゃってる!


「セーミスに、いや、他の誰かに名を名乗ったのは幾久しい。そなたは面白い、そなたは不思議だ。そなたに興が湧いた。それゆえ、そなたを生かしておくことにするぞ」


「え?」


なにこれマジですか?バリバリ最強ナンバー1の死亡フラグをブチ折って、生存フラグをおっ立てちゃったの?俺マジスゲー!他力本願最高!もしかしたらこのままトワキルと一緒に冒険して、仲良くなってラッキースケベし放題のウハウハ転生ライフが俺を待っているんじゃなかろうか?いや、そうだ!そうに違いない!異世界転生万歳!


「そなた、名はなんと申す?ククク、誰かに名を尋ねるのも幾久しいぞ」


そう言ってトワキルは目を細めた。その笑顔はまさにヴィーナス、いや、ヴィーナスも全裸で逃げ出すくらいに可愛い。よし名乗ろう。パレットにも俺の名は好感触だったんだ。魔族のトワキルがどう思うか分からんが、きっとこの世界で俺の名前はイイ感じなんだ。


「俺の名はフェア、フェア・スリーシップだ」


人生最高のドヤ顔で俺は胸を張った。さあどうですかトワキルちゃん!俺の名前カッコイイでしょう!?


しかし、いくら待っても返答がない。あまりの感動に声も出ないのか?とは、俺がいくらアホでも考えなかった。だって、トワキルの表情に浮かんでいるのは、明確すぎるほどハッキリとした怒りと殺意だったからだ。


「…フェア…スリー、シップ…だと?」


「ど、どうしたんだよ?俺、なにか変なこと言ったか?言ったなら謝るよ!だから…」


「フェア・スリーシップだと!?なぜそなたがその名を名乗る!?なぜそなたがその名を口にできる!?…許さぬ!許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬッ!!」


トワキルの怒号と呼応するように、大地が震え、大気が揺れた。5つの蒼星は瞬く間に暗雲に覆い隠され、雷鳴が轟音を上げて轟いた。俺が座っていた椅子は崩れ落ち、俺は地面に投げ出され尻餅をついた。逃げ出したいのに、体がまったく動かない。


絶対的な死、確実な死、約束された死。俺の本能が、それを感じ取っていた。


「そなたを殺す!殺して殺して殺し尽くす!肉体も魂も、完膚なきまでに、徹底的に、圧倒的に殺す!我が前でその名を口にしたことを悔やみながら死ぬがよいぞ!!」


そう絶叫してトワキルは上空に舞い上がった。黒炎の嵐がキャンプを包み込む。トワキルが右腕を振り上げると、その黒炎はまるで生き物のように彼女の掌に集約され、巨大な黒い球体を象った。トワキルは、あんなとんでもないもので俺を殺すつもりなんだ。こんなクソザコ相手にオーバーキルもいいとこだ。アリを核弾頭で殺すようなもんだ。


俺の異世界転生ライフは、ここで終わる。俺の魂も、ここで終わる。


「《黒領域絶咲望花くろりょういきぜつぼうにさくはな》!!!」


トワキルが右腕を振り下ろすと、その黒い球体が耳をつんざくような爆音を上げて俺に迫ってくる。不思議と何も感じない。人間ってきっと、死ぬって分かったら何も感じなくなるんだ。


黒い球体は、俺に触れた瞬間に大爆発を起こした。その破壊力は、キャンプ場を一瞬で吹き飛ばし、この世界の全てを揺らすような大地震を巻き起こした。黒炎に巻き込まれた木々は蒸発し、辺り一面が焼け野原となった。なにもかもが消え去り、なにもかもが奪われた大地の上で、俺は一つ疑問に思うことがあった。


「…な…なぜ?」


上空のトワキルが困惑の声を上げる。多分だけど、俺とトワキルは同じことを考えているはずだった。


「…俺…なんで生きてんの?」


生きてる。そう、俺は生きていた。生きてるどころじゃない、無傷だ。服にも焼け跡どころか汚れさえついていない。大爆発で穿たれたクレーターのような大穴の中で、俺はただ尻餅をついていた。なにもかもが消え去った空間で、俺だけが生きてる。意味が分からなすぎて、混乱することさえできなかった。


『あなたは愚かですが、運だけはあるようですね』


「…ナレさん?」


『一か八か、でしたが、魔皇帝令嬢の最強魔法黒領域絶咲望花に対する魔法耐性パロメーターを修正しました。彼女を怒らすことができれば、あの魔法を使う可能性が高いと判断しました』


「ってことは、トワキルの魔法は俺に通用しないってこと?」


『いいえ、一度に修正できるパロメーターは一つだけです。もし彼女が別の魔法を使っていたら、あなたはゲームオーバーでした』


「なにその使えるんだか使えないんだかよく分からない機能!?じゃあこのあと確実に殺されちゃうじゃん!」


『いいえ、あなたは試練を一つ乗り越えました。あとは運命があなたを導いてくれます』


「我を見よ」


気がつくとトワキルが目の前に立っていた。殺されると思ったが、体が動かない。トワキルは身を屈め、俺の顔を覗き込んだ。彼女がいったい何を考えているのか、俺には分からなかった。


「やっと、見つけたぞ」


「…え?」


「我の、もう一つの生きる目的だ」


トワキルはそう言って、再び両手で俺の頬を包んだ。


「それって、いったい…」


柔らかい、感触。湿った吐息。唇を喰い尽くすような、激しいキス。トワキルは俺を地面に押し倒し、貪るように俺の唇を奪った。豊満なトワキルの肌が俺に密着している。俺を逃さないように両手で俺の頬を押さえつけ、トワキルはその瑞々しい唇と滑らかな舌で俺を蹂躙した。俺の思考は、脳内に走る甘い電流に押し流され完全に停止していた。


「我と契約を交わせ。そなたが生き延びるにはそれしかないぞ」


「け、けいやく…?」


俺とトワキルの唾液が混ざり合った口元を拭い、トワキルはそう囁いた。俺を見つめるその瞳は、獲物を狙う蛇のようでゾッとしたが、同時に綺麗だとも思った。


「我と結婚し、夫婦となれ。その対価として、そなたのギルヴァール討伐に力を貸そうぞ。どうだ?対等な契約であるだろう?断れば、この場でそなたを殺す。徹底的に痛ぶってな」


「それって、契約じゃなくて脅迫じゃ…」


「余計な口をきくことは許さぬ。今この場において、そなたに許されるのは肯定か否定の言葉だけぞ?」


いやなにこの超展開?今の今まで殺されかけてたこの魔皇帝令嬢から、いきなりまさかのプロポーズ?ってか、冷静に考えれば俺にまったくデメリットない契約じゃないコレ?めっちゃ強い魔皇帝令嬢が仲間になって、しかも絶世の美女と夫婦になれるんだぜ?


信じられるか?嘘みたいだろ?俺の嫁が、最強美女の魔皇帝令嬢なんだぜ?


「…分かった。お前と結婚する」


俺がそう言うと、トワキルは満足そうに頷いた。心なしか、その白い頬が少し赤くなっている気がする。俺の嫁、めっちゃ可愛いんですけど。


「よかろう、これで契約は交わされた。そなた…いや、そなた様。不束者ではあるが、これからよしなに頼むぞ」


「ああ、こちらこそよろしく頼むぜ。トワキル」


俺の言葉と同時に、トワキルが再び俺にキスをした。さっきみたいな激しいキスじゃなくて、小鳥が啄ばむような、優しいキス。そして俺に微笑みかける顔は、途方もなく美しかった。




かくして、座右の銘・他力本願の中途半端男、三船公平は、フェア・スリーシップに生まれ変わり、そして今、魔皇帝令嬢・トワキルの花婿となった。

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