フェア1.魔皇帝の令嬢

パレットの馬に跨がり走ること約30分、パレット達が駐屯するキャンプ場に到着した。簡易的な木柵に囲まれた野球場程度の敷地に、赤い布のテントがそこかしこに張られている。その周りではパレットと同じ青銅の甲冑を身に付けた男達が忙しなく動き回っていた。


「もうすぐ大きな戦を控えていてな、大したもてなしができず申し訳ないが」


「いやいや、全然気にしないでくれ。命が助かっただけで満足だし」


「それと、キャンプに入る前にこれを身に着けるといい」


そう言って、パレットは腰につけている皮の巾着袋から、赤いバンダナを取り出して俺に手渡した。


「これは…」


「我が騎兵隊が戦の際に身に着けるバンダナだ。その角をこれで隠すといい。君はセーミスだろ?」


「ええまあ、そう、らしいけど…」


「恥ずかしい話だが、セーミスに対して根拠のない偏見を持っている人間は多い。これで無用なトラブルを防げるはずだ」


パレットはどこか申し訳なさそうな表情で俺に頭を下げた。まあ、さっきの凶暴な化け物を見れば、人間と魔族の中間であるセーミスに対して人間が偏見を持つのも理解できる。無用なトラブルは避けるに越したことはない。ありがたく借りることにしよう。




パレットのテントに通された俺は、用意してもらった簡易ベッドに横たわりながら天井を見上げていた。テントの中にある調度品は見たこともない珍しい物ばかりだ。

パレットのベッドの枕元に掲げられているタペストリーには、赤い生地に金色の双頭の龍が刺繍されている。多分これがパレットが仕えているというザボン家の紋章なんだろう。


「おい、ナレさん。聞いてんだろ?」


『ナレさんとは誰のことですか?』


「ナレーションっぽい人だからナレさんだ。便宜上そう呼ぶことにする。それよりナレさん、さっき俺があのまま死んでたらどうするつもりだったんだよ?」


『その時はその時です』


「本当に勝手だよな」


『あれ?怒ってないんですか?さっきみたいにヒステリックに怒鳴り散らすのかと思いましたけど』


「その気力もないほど疲れたっつーか、理解が追いついてないっつーか…」


『どうです?心を入れ替えて魔皇帝を討伐する気になりましたか?』


「それは無理」


『…まあいいでしょう。パレットがあなたを助けたように、運命があなたを導くだけです』


「どういう意味だよ?」


……都合が悪くなると無視ですか。でも本当に、あの時パレットが来なかったら俺は間違いなく死んでいただろう。そう言えば、この世界で死ぬとどうなるんだろう?To be continueでセーブポイントからやり直せるんだろうか?そんなのどこにもなかったけど。


「居心地はどうだ、少年」


爽やかな声と共に、パレットが帳を開いて現れた。俺はベッドから跳ね起きて慌てて居住まいを正した。あくまでただの居候の身だし。


「ははは、そうかしこまらなくていい。自由にくつろいでくれて構わない。それと、できれば君の名を教えてくれないか?」


「俺の名前は…その…フェア・スリーシップって言うんだけど…」


「ほう!フェア・スリーシップ、良い名だな!スリーシップは歴史ある由緒正しき家名、遡れば貴族の生まれかも知れんな、フェアよ」


そう言ってパレットは白い歯を見せて笑った。貫禄ある話し方や身の振る舞いとは逆に、その顔立ちにはどこか幼さが垣間見える。もしかしたら年齢も俺と結構近いのかもしれない。少なくともあっちの世界の俺よりは年下だろう。


それにしても、ナレさんが適当につけた名前の割には、意外に俺はいい名前を持っているみたいだ。すごく恥ずかしい名前なのかと思ってた。どんなに遡っても貴族の先祖はいないだろうけどな。


「フェアよ、君を安全な場所に連れて行くのは明日の朝にする。そろそろ日が暮れる、夜になれば外に出るのは危険だ」


「それはもちろん構わないけど、いいのか?なんか大きな戦があるって言ってたけど」


「だからこそ早めに君を逃したいのさ、フェアよ。《魔皇帝の令嬢》が相手では、君を守り切れる保証はない」


「魔皇帝の、令嬢?」


魔皇帝ってのが、ナレさんが言ってたギルヴァールってヤツのことで、令嬢ってことはそのギルヴァールの娘ってわけか?あくまで想像だが、黒髪長髪ナイスバディで絶世の美女と見た。


「ザボン家の支配地域であるダルステン領は、ここジンバース地方のすぐ隣。ジンバースで影響力を高めている魔皇帝令嬢をこれ以上放置できなくてね。こうして討伐隊が編成されたと言うわけさ」


フムフム、なるほど。要するに、黒髪長髪ナイスバディの美女魔族がめっちゃ危険な存在なので、パレット達が排除しようとしている、と言うことか。


「それで、その令嬢って強いのか?」


「強いさ。このディストニアに存在する魔族の最上位、《13天魔》の一人だからな。その気になれば一国の軍隊を壊滅させることも可能だろう」


「…か、勝てるのか?そんなとんでもないヤツに…」


「我々は選ばれた戦士だ、ただではやられないさ。それに、勝てる勝てないの問題ではない。我が国と民を脅かす存在は、この命に代えても止めねばならない」


パレットの青い瞳に、小さな炎が宿ったように見えた。さっき俺を助けてくれたように、きっとパレットは今までもたくさんの人の命を守ってきたんだろう。自分の命よりも、他の誰かの命を、忠誠心を優先する。その誇りが、きっとパレットに若さに似合わない貫禄を与えているんだと思う。他力本願が座右の銘である俺とは雲泥の差だ。


「私はこれから軍議に顔を出さなければならない。フェア、君は先に眠るといい。明日は早朝に出立するからな」


また白い歯を見せて、パレットはテントから出ていった。




再びベッドに寝転んだ俺は、天井を見上げながらこの世界について考えていた。

人間と魔族が血で血を洗う抗争を繰り広げているディストニア、魔皇帝ギルヴァールとその令嬢、人間を喰らう凶暴な魔族と、命懸けで人と国を守るパレット。


「…なあ、ナレさん」


『はい』


「もし俺が、魔皇帝を討伐しなかったら、この国はどうなる?」


『まず魔族が人を滅ぼし、次に魔族が魔族を滅ぼします。そして後にはなにも残りません』


「マジか」


『マジです』


まあ、ナレさんが言うんだったらその通りなんだろう。無責任なナレーションだが、言ってることはいちいち正しい。でも、なんで俺なんだ?なにもかもが中途半端で、座右の銘が他力本願の俺より適任がいるんじゃないのか?パレットみたいに、身も心も強い勇者が。


『あなたは少し勘違いをしているようですね、フェア』


「え?」


『なにもあなたに今すぐギルヴァールを討伐しろとは言っていません。全ての事象に始まりがあるように、いかなる勇者にも始まりがあります。あなたがいつかギルヴァールに対抗できる勇者となった時、この世界は救われるのです』


「ちなみにさ、この世界で死ぬと俺はどうなるの?」


『魂まで消滅し、無に帰ります』


「さらっと恐いこと言った!」


『ですので、無理せず命を大事にすることです』


「はい分かりました命大事にしますマジで」


やはりセーブポイントはないようだ。コンテニューできないんだったら、軽率な行動は慎まなくてはならない。

まずはパレットみたいな強いヤツの保護を受けて、そんでなんかいつも酔っぱらってる拳法の達人的なジジイに弟子入りして強くなるんだ。そして30年後ぐらいにはその魔皇帝とやらに対抗できる勇者になる。それが俺の異世界転生人生設計プランだ。ついでに、美人な奥さんと子供が3人くらい欲しい。


『フェア、ドアホな妄想中に申し訳ありませんが』


「勝手に心読まないでくれる?」


『なにを聞いても落ち着き慌てず行動すると約束してください』


「…そんなことを事前に言われて、そんな行動が取れるヤツがいると思うか?」


『魔皇帝令嬢が、このキャンプに近付いています』



「臨戦態勢を取れ!」

「油断するな!どこから来るのか分からんぞ!」

「魔法結界を張れ!今すぐにだ!」


テントの帳の外は、大騒ぎになっていた。武器に甲冑を身に付けた戦士達がキャンプ内を走り回っている。黄昏の空に、無数の松明の炎が舞っている。


「フェア!」


パレットが戦士達の群れをかき分け、俺の元に走り寄ってきた。その顔は汗に塗れ、鬼気迫った表情だった。


「魔皇帝令嬢が現れた。予想よりもずっと早い」


俺の手を引きながらパレットは、足早にどこかに向かっているようだった。着いた先は馬屋だった。大半の馬屋は空になっていたが、パレットの馬だけがそこにいた。


「我が愛馬に乗り、ここから逃げろ。我が愛馬は駿馬、四足の魔族でも手が出せず、2日も駆ればダルステン領マカレドアに着く。我が愛馬を見せればそれが身分の証となろう」


「…俺に、逃げろって言うのか?」


「君はこの戦には無関係だ。若い命だ、無駄にしてはいかん」


そう言ってパレットは笑った。白い歯を見せて笑った。


「フェアよ、君に会えて良かった。強く生きろ」


そう言って駆けていくパレットの背中が、すごく大きく見えた。一人残された俺は、ただ呆然と、アホみたいに突っ立っていることしかできなかった。


「…なあ、ナレさん。俺はどうすればいいと思う?」


『パレットの言う通りにすべきだと思います』


「…逃げろってこと?」


『はい、先程も言いましたが、あなたはすでに転生した身、死ねば全てが無に帰します。逃げることも勇気です』


「…俺が逃げたら、パレット達はどうなる?」


………都合が悪くなったらまた無視かよ。もううんざりだよ。ナレさんの無責任にも、俺のヘタれた他力本願にも。


いつだってなにかから逃げる人生だった。進学先も就職先も他人任せ、面倒くさいことを放り出して、自分で考えることを放棄してきた。唯一自分で探した恋人候補は親友に横取りされた。それすら、親友と揉めるのが嫌で文句すら言えなかった。


じゃあ、今回だって簡単だ。全部他人任せにしてしまえばいいんだ。俺の座右の銘は、他力本願。全部全部、誰かに任せてしまえばいいんだ。


それで、いいんだ。



「…まさか、ここまでとはな」


5つの蒼星が輝く夜空に、燦然と輝く光を纏う一匹の魔族がいた。ザボン家魔法騎兵隊長パレットの率いる精兵5000は、すでにその半分が失われていた。

たった一匹の魔族が振るった剣の一振りで、大地が裂け、黒炎が命を飲み込んでいく。鍛え抜かれた魔法騎兵隊の技は、なにもかもが通用しなかった。両者の間には、絶望的な力の差があった。


「我の前に立ちはだかったその勇気、称賛に値する」


まるで天上から響き渡る神々の啓示のように、その声は圧倒的だった。


「ここ100年ほど、魔族も人間も不甲斐なかったが、そなた達は面白い。勝てない戦にあえて挑む、軟弱な魔族にも見習わせたいくらいだ」


パレットは夜空を見上げていた。血が目に滲んで良く見えなかったが、この視線の先にはダルステン領がある。自分が生まれ育った故郷、美しく豊かな自然と、心優しい領民。愛すべき、故郷。


「楽しませてもらった礼に、そなた達は我が名誉の死を与えてやろうぞ」


漆黒の衣装に身を包んだ魔皇帝令嬢は、その可憐で苛烈な右腕を天高く振りかざした。その掌から黒炎の嵐が吹き荒れ、蒼星の夜空を闇で覆い尽くす。その黒炎の威力は、人が操るいかなる炎魔法の比ではない。全てを喰らい尽くす闇の炎。


―フェアは安全に逃げられたのだろうか?


薄れゆく意識の中、パレットの思考はセーミスの少年に移った。セーミスは人からも魔族からも疎まれる存在、これから様々な困難が待ち受けているだろう。


―どうか少しでも幸せに、強く生きて欲しい。


迫り来る黒炎の嵐を仰ぎ見ながら、パレットは静かに目を閉じた。


「パレット!」


一人の少年が、パレットの腕を掴んだ。少年はパレットを駿馬の背に乗せると、思いきり駿馬の尻を叩いた。驚き駆け出す駿馬の背で、霞ゆくパレットの視線に映ったのは、汗まみれの顔で、赤いバンダナを身に付けた少年の姿だった。


「魔皇帝を倒す使命は、お前に任せた!」


そう叫んで、フェア・スリーシップは魔皇帝令嬢に相対した。

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