⒈1 異世界の下級貴族に転生しました

 何か、恐ろしい夢を見ていたような気がする。

 寝汗の気持ち悪さに目が覚めた様で、気がつくと、豪勢だが見窄らしいベッドに寝ていた。

 漫画風に言うと、何を言ってるのかわからないと思うが、自分でもさっぱり理解出来ない。そんな感じだ。

 まず、私は布団で寝ていたはずだ。

 理由は単純で、ベッドを置くだけのスペースを、私が借りている部屋では確保出来ないから。正確には、其の気になれば置ける事は置けるがそれ以外の空間が無くなるので置いていない。なのでベッドなど、出張のビジネスホテルで使うことがあるくらいだ。まあそのおかげで万年床になる事を阻止出来ている。

 次に、寝ているベッド自体。

 準特大クイーンサイズの大きさのそれは、畳よりやや柔らかいと言った感じの弾力で、寝心地は悪くない。一方、見てくれは飾り付けこそ豪勢だが、古びて至るところのひび割れを仮漆ワニスで補修してある。天蓋も一応ついているが、既に枠だけとなっている。

 そんな立派なベッドを……元々はかなり黒に近いグレーな会社だったのが景気が上向いてきたのと労働基準局にたれ込んだ勇者がいたらしく最近ではかなり改善されて来ている。しかしいくら改善されてきたとは言え、クイーンサイズなど一人で買うほどの甲斐性はもっていない。

 そして、隣ですやすやと寝息を立てて眠る、明らかに日本人とは異なる顔の女性。

 童貞こそプロを相手に捨てているので魔法使いでこそない。無いとは言うものの、彼女いない歴イコール年齢であることには変わりない。

 だから、私は結論づけた。寝ぼけている。そういうことだろう。

 気がつくと、その女性の胸に手を伸ばしていた。いやにリアルな夢だなぁと思いながら。



 再び目を覚ますと……

 やはり枠だけの天蓋が見えてきた。

 ほんとに、転生したんだと思いながら、天井では無いけれども例の台詞をつぶやく。一応天井も見えているからセーフか?

 言葉に出してみると、隣でまどろんでいた女性がピクリと動いた。

 無意識のうちに手が伸び、優しく頬をなでてやると、寝顔が緩み、笑顔のようになる。

「ふふふ、イルマ。良かったよ」

「もう、あなたマーティーったら。初めてよ、こんなすごいの」

 寝ぼけているのだろう声で答えてくる。どうやら元々は結構淡泊だったらしく、更に言えばこんなベッドでの睦言ピロートークじみた事は全く無かったらしい。

 だが、私はそれ以上に驚いていた。

 無意識で、彼女の事を呼んでいるし、どうやらこの見るからに東欧露西亜スラブ系と思しき……

「緑色の髪だぁ?」と叫びかけた口を咄嗟に押さえた自分を褒めてやりたい。だがその所為で指を噛んでしまった。

 痛みと同時に、ここが異世界だと確実に認識できた。



 さて纏めよう。

 一通りの情報を入手したと判断し、ネットでよくある小説を思い出しながら、執務室に相当する小部屋の椅子に腰掛けながら確認していく。

 転移か転生かはさておき、異世界に来たのは、ほぼほぼ間違い無い。

 タイムスリップも最初考えたが、髪の毛の色で脱落。もう、異世界で間違い無いだろう。前提条件は、コレで決定。異世界転生モノの主人公かぁ……ちょっと感慨がある。そういや、トラックに引かれてエルフの天敵として転生ってネタを昔思いついた事あったな。七四式戦車で旅するマンガとは違い、転移してきた小型トラックが相棒で、最後はエルフが運転するライバルのトラックとチキンゲームの末に正面から衝突して再度の転生って言うオチだったが。


 続いて、自分自身と身の回り。

 まず、この世界での記憶。ありました、幸いなことに。

 ただし自分の記憶という感じでは無く、体験した情報を都度ダウンロードしている感じ。なので、地理とか歴史とか言った学術系は問題無いのだが……

 コト人間関係の場合、何があったかはわかるんだが、どう思ったと言うのがスポーンと抜け落ちておりなかなかもどかしい。完全記憶を持っていたなら、前後のリアクション等から想定するという方法もあったのだろうが、残念ながらそんな便利なものは持っていなかったようだ。そのため、所々に大きな抜けがあったりする。

 次に名前。マルティーナ・オーベル・バラージュ男爵。愛称は、マーティー。

 とは言え愛称とかは、呼んでくれていたらしい両親が転生だか憑依だかする数年前に他界した為、いまとなっては嫁くらいしか使わない。そんな状態なのでまあどうでも良いんだが、頭文字がMOBって言うのがなぁ……


 見てくれは、正直なところ貴族としてはあまりよくない。顔の作りも、よくいってもせいぜい中性的。はっきり言えば、女顔。この国の基準で言えば、不細工扱いこそされないが美男子とは、誰も言わない。体毛が薄い体質なのか髭がほとんど無いのも、この国の貴族的にはマイナス要因みたいだ。年と比べて若々しく見えると言うか、未成年と間違えられそうと言う方が正確で、これまたマイナス要素。

 体型は、前世と比べるてもやや低くなった感じで、この国の男性としてはかなり低い部類みたいだ。体重関係は、前世はそろそろメタポ気になる直前だった事を思えば多少改善されているものの、はっきり言えば小太り。だがコレは、記憶によると小柄な体型を舐められないようにするためにわざと太っている部分もある様だ。いわゆる女顔な上に名前も男女どちらとも取れるらしい所為もあって、痩せているときには『婦人礼装ドレスの方が似合うのに』と陰口を叩かれた事もあるらしい。

 で、最近娶ったばかりの妻と、現在我が家の後継問題にいそしんでいます。まあ、要するに子作り邁進中で、少ない家人servantたちも業務によっぽど支障が無い限りは黙認してるみたい。下級とは言え貴族にとって後継育成は一番の仕事とも言えるんで、黙認と言うより業務の一部と認識しているのかも知れませんがねぇ。良いんだか悪いんだか。

 嫁の名前は、ヴィオラ・イルマタル・パラージェ。日本人的基準から見てもこの国の基準から見ても美人の範疇。こんなぱっとしない下級遺族に嫁いだ理由がいまいち見えない。

 この国は貴族と騎士階級の間に、英国同様の準貴族階級である准男爵が有り、その出身らしい。うちみたいな名前だけ貴族に嫁いできたのはその辺が絡むのかも知れないが、逆にもっと上の貴族の側室とかになった方がよっぽど身分も財産も上な気がするんだが、なんでだろう。正妻にこだわったということなのかしら。

 ひょっとすると上手いこと押しつけられた可能性もあるが、貴族同士の年齢差としてはまあ不自然でも無い所であるし、いまとなってはどうでも良いことだったりする。

 何しろ、記憶を取り戻す以前の事はともかくとして、最近は仲が大変よろしい。客観的に見ても、そうらしい事を家臣にも確認済み。

 とにかく、夜、頑張ってるし。次の日に影響でるくらい、頑張ってるし。あと、夜で無くても頑張ってるし。偶に実家に戻ってるけど、それ以外はほぼ毎日がんばってるし。

 それと姓が違うように見えるが、どうやら爵位を持つ場合、一部の姓には男性形と女性形が発生するらしい。

 ……めんどくせー。全員で無く、一部ってとことか、まったくもってめんどくさ。

 更に、准男爵や騎士階層の場合、ミドルネームに該当する名前が姓の代わりとしてあり、下級貴族に嫁ぐと姓を得てミドルネームとなるらしい。 

 逆に上級貴族が中級貴族に嫁ぐ場合、元の家名をミドルネームの一つとして使う事がほぼ慣例だそうで、もうめんどくさすぎ。まあ、下級貴族に嫁ぐ場合はあり得ないそうなので、ミドルネームが不足すると言う事は無さそうではある。


 それはさておき、この国の名前はマジャール王国。

 世界観は『日本人が考える』中世ヨーロッパ風封建社会。いわゆる、ファンタジー系RPGな世界そのもの。

 で、国の規模としては、隣国の強大国の勃興になんとか独立を維持している感じの中堅国家。中央集権に成功した大国と、その陰に怯える未だ中世を引きずる国々。その辺は、中世と言うよりもナポレオン戦争の辺りに近い感じだろうか、火砲の代わりを魔法が代用している感じで。機動性に劣ると言う理由で大砲とかも全然発達していないので、幸か不幸か大規模な火力戦は無さそうだ。記憶の流入があれば断言出来るところなのだが、基準がホントによくわからない。

 しかし、大規模な火力の集中投影なんぞされた日にはどこの戦争を終わらせる戦争WW1だよと言いたくもなるが、当分総力戦の概念自体が発生しそうに無いところは一安心ではある。この辺は、どうも魔法が存在するせいで工業的なインフラがかなり初期で停滞してる事も影響しているみたいだ。

 例えば錬金術に魔法を加えることで、途中の工程すっとばかしてパパッて感じで既にアルミが精錬されていたりする。

 ……通称ミスリル原石。更に、それを加工し強度を高めた物がミスリル銀、要するにジュラルミンでした。

 逆に、鉄は魔法を雲散霧消させるとの事で地道に製鉄するしか無いらしいが、火加減なんかは魔法で微調整可能なため、焼き入れ焼き鈍しの精度が高い。魔法の伝達云々は、電気の伝導率だとアルミの方が良いはずだから、磁性の方が関係してるんだろうか。そういやアダマイントはどう見てもステンレスSUSだしなぁ。


で我が領だが、この手のお約束であるところの辺境にある弩田舎かと思ったらそうでも無かった。首都からはある程度の距離があるとは言え、王家の直轄領に挟まれているおかげで幹線道への経路アクセスも一応整っている。このあたりの感覚を現代日本で例えれば、大都市に対する近郊農家に近い立ち位置ポジションと思えば近しい。丁度首都自体の防御を兼ねた山地の合間に位置するらしく、盆地というヤツだ。谷間と言うほど酷くは無いので、生産性はそこまで低くは無い。流石に大規模農業はムリだが、それなりと言ったところか。

 一見恵まれているようにも見えるが、中世欧州に近い文化レベルなのでどうしても物流は速度という枷がはめられている。要するに移動は基本人力で、精々が驢馬や農耕用の馬や牛。牛以上に馬は貴重で、農業用種を多少は育てているが土地があまり広くない為に大規模な馬場を設けることも出来ず、百姓家では乳もとれる牛の方を使役している事が多い。軽トラという便利なトランスポーターで運べる現代日本の近郊農家のマネは逆立ちしてもできっこない状態。まあ、軽トラと例の原付の性能パフォーマンスは、ちょっとあり得ないレベルで高いんだけど。従って、週に一度の朝市参加が精一杯と言ったところか。

 軍用としては機甲馬というものがあるらしいのだが……名前以上の記憶情報が一切流れ込んで来ない。記憶流入の規則も、ホントに基準がわからないのが辛いところ。

 それはさておき、よくある領地改革NAISEIものはちょっと厳しそうだ。もっとも、穀物の増産を期待する位はしても良いのでは無いかと思っている。いっそ牛ならそこそこいるから、廃れてしまったらしい牛車うしぐるまでもつくろうかしら?

 あ、『ぎっしゃ』じゃなくて『うしぐるま』ね。




「あら、また根を詰めて」

 色々考えていると、いつの間にか嫁が部屋に入ってきていた。貴族の男性としてはかなり小柄な私に対して、私の身長より少し低い程度と明らかに長身の部類。メイド服でこそ無いが、貴族の着用する服というイメージとは異なり動きやすい服装に豊満な体を押し込め、美人と言っても良い顔に柔らかな笑みを浮かべて立っている。よく見るとティーセットの乗ったお盆を持っている事に気づいた。

「ああ、イルか。すまないね、メイドみたいな真似をさせて」

「あら、昨日はお茶を入れる腕前を褒めて下さっていたのに、腕が落ちてきたって事ですか」

 机にカップを置きながらいたずらっぽく微笑みかける妻に、おそらく傍目にはぎこちないであろう笑みを返す。とはいえ、妻とは言え美人に微笑みかけられると、やはり鼻の下も自然に伸びるというもの。

とりあえず、私に変わる前からこんな感じで休憩時にはお茶を持ってきてくれていたらしい。理由は、ぶっちゃけ貧乏で使用人サーバントを雇えないため。転生内政NAISEIもののお約束である『極貧』とか『親が屑で借金まみれ』って事は無かったけど、金が無くて家令ハウス・スチュワードが一人で家内を切り盛りしている状態で、お約束とも言える執事バトラーなんて夢のまた夢。女中メイドも何とか三人と准男爵よりも下手したら少ない。当然ながら女中頭housekeeper侍女lady-maidなんて夢のまた夢。

 過去は、どうやら何も言わずに受け取って飲んでいただけらしく、私が最初に礼の言葉をかけた際には、比喩通り飛び上がって驚いていたのだが、何だかんだで軽口叩き合うくらいには親しげに話してくれる。そういえば愛称で呼びかけた時も、同様に驚いていたっけ。イッルがどうも言いにくいんで、イルって最近は呼んでいるが。

 座り直し脚を組むと、彼女がサーブしてくれたお茶を受け取る。最近以前よりも痩せてきたせいでヨーロッパ式で脚を組めるようになってきたのだが、この世界でも女性的という印象があるそうで、英国式に組むよう気をつける。流石に、正座は無いだろうと思ったら、修道院ではそれが正式らしいと最近知って驚いたところだ。

「さすがに、毎回飲む前に言うのは気が引けてきてね」

 そして、一口、口に含む。やはり美味いと言ってさらに一口。

 しかし、西洋風の紅茶かと思いきや茶葉の産地が近いという事もあるのか緑茶が主流だった事には驚いたものだ。初めて飲んだ時には、驚くと同時に癖の強いハーブティで無くて良かったと胸をなでおろしたものだ。

「そういえば、我が家は産地だったな、お茶は」

 未だ、ティーカップで頂くより湯呑みで飲みたいなぁ、お茶請けに煎餅も悪くないんだが、などとと思いつつ、さらに一口。

 ふと、お茶を特産品として都で売るのもありかな、と考える。あまり出回らない紅茶をつくるのも手かも知れない。そんなに詳しいわけでは無いが、茶葉による向き不向きはあるにしても、お茶自体は何とかなるだろう。

「ああ、なに、せっかく都に近いんだ。お茶を売りにしたらどうかなと思って」

 一瞬黙り込んだ事で怪訝な顔をしている妻に、今思いついた事を話してやると、最初驚いた顔をしたのが、実に愛らしい笑みに変わっていく。

「でも、我が領のお茶は、さほど良くないとされていますわよ?」

「ああ、だから乾燥させた日持ちの良い茶葉をと思ってね」

粗茶番茶ですの? でしたら、隣の領地の方が大量につくってるので、大して売れないのでは」

「いや、もっと香りの良いお茶を……

 ああ、其の手があったか」

「なんですの?」

「お茶でも、合組ブレンドなら、どうかなと思って」

混物ブレンドですか?」

 何か、微妙な食い違いを感じつつ話を進める。

「幸い我が領地のお茶は香りも薄いが渋みはそれなりだ。そこに香りのよいお茶を組み合わせたらどうかと思ってね。渋みも、違う種類を足してやっても良いか」

「早速、明日にでもやってみましょうか」

家令ハウス・スチュワードにも言っておくか。ヴォイチェフなら上手い売り先を思いつくかも知れないし」

 内政NAISEIはムリでもこれくらいなら何とかなるかな、などと思いつつ嫁との会話を楽しむ。何で、以前の私は、会話程度のさいな事をやってなかったんだろう。貴族の嗜み、というヤツだろうか。記憶があるのに感情が抜け落ちていると言うのは、実にもどかしいものだ。

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