第6話 女神(あくま)との契約

「ただいま~~!!」



 大急ぎで帰ってきた俺は靴を脱ぎ、玄関に入る。

 バタバタと音を立てて、リビングへと向かう。



「きっとこの時間なら、帰ってきているはず」



 今日はの発売日の為、あの人は家にいるはずだ。

 いつもならまだ家にいないはずだけど、手に入れたものを見る為に適当な理由をつけて家に帰ってきてるはず。



「ドラ●も~~ん」


「私は未来から来た寸胴狸じゃない!!」


「うっ!?」



 リビングに入った瞬間、待ち構えていた姉ちゃんの左ボディーブローが炸裂する。

 あまりの痛みに俺は思わずうめいてしまう。



「姉ちゃん‥‥‥確かあの青いロボットって‥‥‥狸じゃなくて猫型ロボットじゃ‥‥‥」


「おだまり!! あの見た目からして、狸以外の何があるのよ!!」


「がはっ!?」



 続けざまに入る右のボディーブロー。

 プロボクサー顔負けの見事なボディーブローが入ってしまい、体を九の字に曲げ思わず膝を折ってしまう。




「さすが姉ちゃん‥‥‥その右、世界を狙えるぜ」


「当然よ!! 私がどれだけボクシング漫画を見てきたと思ってるのよ!!」


「ぐふっ!?」



 まな板のようなおうとつのない胸を張る姉ちゃん。

 俺達の様子は勝者と敗者、どこかのボクシング漫画に出てきそうな場面だ。



『ガシッ』


「えっ!? 姉ちゃん!? 何で胸倉掴むの!?」


「あんた今、私の胸を見て空港の滑走路とか地平線とか思ったでしょ!!」


「いやいやいやいやいや!? そんなこと思ってないから!!」



 胸倉をつかみ、目を吊り上げて怒る姉ちゃん。

 普通なら俺のKO負けのはずだけど、どうやら試合はまだ続いているみたいだ。



「レフリー!! レフリーはどこにいるの!?」


「残念ね。ここでは私が審判よ」


「理不尽だ!!」



 どうやらこの試合にTKOテクニカルケーオーはないらしい。

 俺が倒れるまで、この試合リンチは続くようだ。



「俺、姉ちゃんの胸のこと滑走路とか地平線とか思ったことないよ!!」


「春樹、今の言葉に嘘はないでしょうね?」


「本当だよ!?」



 姉ちゃんの胸はまな板のように平だなって思ったけど、地平線のようだとは思っていない。

 俺の目をジトっとした目で見る姉ちゃん。あまりの緊迫感に、俺の額から一筋の汗が流れた。



「しょうがないから、今日はこの辺りで許してあげましょう」


「サンキュー、姉ちゃん」



 そのくそダサい緑ジャージに黒縁眼鏡。いつもダサいダサいと思ってたけど、今は最高に活かしてるぜ。



「それであんた、慌てて帰ってきて一体何の用? 私は今、すごく忙しいんだけど」


「忙しいって、どうせ今日発売のライブBDを見るだけじゃ‥‥‥」


「何ですって!! もう1度行ってみなさいよ!!」



 眉間に皺を作り俺のお腹めがけて、連続のボディーブローを入れる姉ちゃん。

 その姿はまさに拳闘仕。さっきからドスドスと鈍い音が鳴っていて非常に痛い



「タイムタイム!! レフリー!! 試合を止めて!! ゴングはなってないよ!!」


「残念ながらここでは私が審判よ。あきらめなさい」


「理不尽だ!!」



 その場に倒れないようにわざと拳を上向きに入れて倒れないようにする姉ちゃん。

 これだけ俺のことを殴っていて、拳は痛くならないのか? まさに鋼の拳とはこのことを言うのだろう。



「私はね、忙しいの」


「姉ちゃん‥‥‥忙しい」


「よく言えたわね。はい、リピートアフターミー」


「姉ちゃんは‥‥‥‥忙しい」


「もう1度言ってみなさい」


「姉ちゃんは‥‥‥ものすごく忙しい!!」


「よく言えました」



 ひとしきり俺のお腹をサンドバッグのように叩き続けた後、その手を止める。

 俺がその場に跪くのを見て、姉ちゃんは満足したのかテレビに視線を向けた。



「姉ちゃん!!」


「何よ、まだ何かあるの? 私はこれから近江君の応援をしなくちゃいけないんだけど?」


「近江君の応援って‥‥‥ただたんにWindsがこの前やったライブツアーのBDを見るだけじゃ‥‥‥」


「何か言ったかしら?」



 姉ちゃんめ!! 俺が抵抗できないことをいいことに、頭を足で踏みつけてきやがった。

 俺が何も言わないからって、やりたい放題しやがって。覚えてろよ。



「ほらほら!! どう? ここ? ここがいいの?」


「くっ!?」


「屈辱でしょ? 実の姉にこんなことされて」



 俺の頭をもてあそぶように、ぐりぐりと足を動かす姉ちゃん。

 由悦に浸っているような笑みはまるで女王様。



「こんなこと‥‥‥こんなこと姉ちゃんにされるなんて‥‥‥」


「どう? これで少しは大人しく‥‥‥」


「こんなの‥‥‥こんなの喜ぶしかないじゃないか!!」


「あんた‥‥‥実は変態だったのね」



 姉ちゃんが口をヒクヒクさせて苦い表情をしている。

 そしてスッと足を俺の頭から降ろす。



「姉ちゃん、どうしたの急に? 何でそんなに引いてるの?」


「それはあんたが気持ち悪いからよ」


「酷い!!」



 元はといえば姉ちゃんがやり始めたことなのに。

 何で俺の事を気持ち悪いって言うんだよ!! さっきから理不尽だろ!?



「そんな事よりも姉ちゃん!!」


「何よ、改まって?」


「俺‥‥‥俺、玲奈のことが好きなんだ!!」



 四つん這いの姿のまま、俺は姉ちゃんの目を見て言う。

 さっきはドン引きしていた姉ちゃんだが、俺の言葉を聞いて真剣な表情に変わった。



「ふ~~ん。春樹が玲奈の事をね‥‥‥」


「そうなんだ!! でも、今の俺じゃ玲奈とは釣り合わない!!」


「よくわかってるじゃない。あの子って凄く可愛いものね。あんたみたいな地味な人間が、あんな可愛いこと付き合えるわけないわよ」


「だからそこでお願いなんだ!!」


「お願い?」



 一瞬言葉に詰まってしまったが、ここで言わなければいつ言うんだよ。

 明け透けに自分の気持ちを姉ちゃんに話した。黙ってしまっては何も進まない。



「だから俺を‥‥‥俺を玲奈と付き合えるようにプロデュースしてほしい!!」


「プロデュース?」


「そうだ!!」



 今の俺じゃ玲奈なんかと釣合わない。だったら玲奈と釣合うようになればいい。



「姉ちゃん、中学生の時から色々と変わっただろ?」


「そうね。あの時は私も色々努力したし、苦労したけど‥‥‥」


「だからそのノウハウを俺にも伝授してほしい!!」


「はぁ、何で私が‥‥‥」


「俺も変わりたいんだ!! 少しでも格好良くなって、玲奈の隣に立てる人になりたいんだ!!」



 玲奈がどんなイケメンと話していても不安にならないように自分に自信を持ちたい。

 その為には俺1人の力では不可能だ。小中同じ学校で玲奈のことを知り尽くしている姉ちゃんだからこそ、このお願いをしているのだ。



「あんたのことをプロデュースするの? あたしが?」


「そうだ!!」


「嫌よ!! あんたのことをプロデュースなんてして、私に何の得があるの?」


「もちろん!! 姉ちゃんにだって得はあるよ!!」


「じゃあ聞くけど、私の得って何?」



 ここだ。ここで説得できなければ、このお願いは破談に終わる。

 この内弁慶で外面だけはいいハリボテ女神を説得できなければ、俺の計画は全て台無しになってしまう。



「俺って姉ちゃんの弟だよね?」


「えぇ、そうよ。私は優柔不断で脳筋ブサイクバカである春樹の姉よ」


「くっ!!」



 静まれ!! 静まれ俺の右腕よ!!

 その力を姉ちゃんに向けて解放したい気持ちもわかるが、今はそのエネルギーを抑えてくれ!!



「今はまだ周りにバレてないけど、もし俺が姉ちゃんの弟だってことがわかったらどうなると思う?」


「その心配はいらないわ」


「えっ!?」


「大丈夫だっていってるのよ。その時はあんたの存在をこの世から抹消するから」


「抹消!?」



 おいおい、高校に入ってそうそう俺の運命どうなるんだ!!

 もし俺が姉ちゃんの弟ってバレたら、俺の存在が消えるのかよ!?



「そんな真剣な表情しないでよ。冗談よ。今言ったことの半分は冗談だから。本気にしないで」


「半分ってことは、残り半分は本気なの!?」


「うるさいわね!! 早く続きをいいなさい」


「わかった」



 この際この話は置いておこう。

 もしかしたらこの世から抹消される危険性もあったみたいだが、今は考えないようにした方がいい。



「もしそのブサイクが急に格好良くなって、それをプロデュースしたのが姉ちゃんだってわかったら、姉ちゃんの株は上がると思わない?」


「愚問ね。私の株はいつでも最高潮よ」


「その株が俺で下がるかもしれないんだよ」


「大丈夫、その時はあんたをこの世から‥‥‥」


「もうその話はいいから!!」



 姉ちゃんはいつでも俺のことを抹消できるらしい。

 抹消か‥‥‥闇が深すぎる。一体俺は姉ちゃんに何をされるのだろう。



「‥‥‥続けなさい」


「そこでだ。俺も姉ちゃんと同じぐらいできるようになれば、姉ちゃんが恥をかくこともないだろう」


「まぁそうなるわね」


「だから俺を姉ちゃんみたいに格好良くしてくれ。頼む!! お願いだ!!」



 そのまま俺は姉ちゃんに頭を下げる。

 地面に額をこすりつけるぐらいの勢いで頭を下げてしまったため、今姉ちゃんがどんな表情をしているのかわからない。

 姉ちゃんが何かぶつぶつという声が聞こえてくるけど、そんなの気にならない。

 永遠に続くような時間が流れたと思った時、姉ちゃんが声を発した。



「‥‥‥頭を上げなさい。春樹」


「はい」


「まぁ、そうね。本当は不本意だけど、そこまで頭を下げてお願いするなら協力してあげないことはないわ」


「本当!!」


「えぇ、私に任せなさい。あんたを見た目も中身も完璧な超人に仕立て上げてやるわ!!」



 どのような心変わりかわからないけど、姉ちゃんは俺のことをプロデュースしてくれるみたいだ。

 敵にまわすと手ごわいが、味方になるとこんなに心強いものはない。

 今だけは姉ちゃんのことを女神と崇めてもいい。



「ありがとう、姉ちゃん!!」


「別に構わないわよ。その約束を引き受ける代わりに、1つ私と約束しなさい」


「何を?」


「私の言うことは何があっても絶対守る。これだけは心掛けなさい」


「もちろんそんなことはお安い御用だ」


「約束したわよ。ちゃんと春樹の言質は取ったからね」



 姉ちゃんの手元にはスマホがある。どうやらそこに今のやり取りを録音したらしい。

 録音から今のやり取りが流れてくる。



「さて、これから春樹には何をしてもらおうかしら?」



 その瞬間姉ちゃんが不敵に笑う。それと同時に背中に寒気がした。



「あれ? おかしいな? 今日は暖かかったはずなのに、背中が寒い」



 まるで姉ちゃんの前で何か余計なことをしてしまったかのように。

 今更思うことだけどもしかしたら俺、女神という皮を被った悪魔と契約してしまったんじゃないか。



「待って姉ちゃん!? 今の約束、やっぱりなしで!!」


「駄目よ。クーリングオフの期間はとっくに終わってるわ」


「そんな‥‥‥」



 この短時間で終わるなんて、クーリングオフなんてないようなものだろ?

 傍若無人の姉ちゃんのことだ。どんなきついお願いを言われるかわからない。



「これであんたは私に絶対服従を誓ったも同然ね」


女神あくまだ‥‥‥女神あくまがここにいるぞ‥‥‥」


「あら? 褒めてくれてありがとう」


「別に褒めてるわけじゃないよ!!」



 女神あくまならまだいい。例えるなら今の姉ちゃんはサタン、いや世界征服を企む魔王のようだ。

 もしかして俺はとんでもない契約をしてしまったんじゃないか?

 今更事の重要さに気づき後悔した。



「早速だけど話し合いましょうでも、その前に‥‥‥」


「その前に‥‥‥」


「その前に‥‥‥ちゃんと座りなさい」


「はい」



 姉ちゃんに指摘されて、俺は自分の姿勢をよく見てみる。

 先程まで頭をぐりぐりされていた四つん這いの姿勢だ。

 よく俺はこんな姿勢で姉ちゃんと話していたな。



「とりあえず近江君のライブを見ましょう。ちゃんとあんたも応援するのよ」


「えっ!?」


「返事は!!」


「はっ、はい!!」



 結局この後3時間、Windsのライブ映像を姉ちゃんと鑑賞することになる。

 2時間はライブの鑑賞。もう1時間はライブの説明と解説に付き合わされるのだった。



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